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妄想の帝国

妄想の帝国 その51 不在の人々

作者: 天城冴

新型肺炎ウイルスの流行が収まらず、国外からの変異株の脅威におびえながらも、国際大運動大会開催を強行しようとするニホン国政府および委員会にたいし、過激派組織が人質をとって中止の要求をつきつけた!人質はなんとニホンのシンボル一族!総理らが出した驚くの解決策?とは…

首都の最も有名な屋敷。

都心のど真ん中にありながら、緑に囲まれたそこでは、いつもの静けさとは裏腹にドタバタの騒ぎになっていた。

「ど、どこなのだ、あの方どころか、ご一家皆いらっしゃらないとは!」

日頃は冷静沈着を絵にかいたような初老の紳士が血相をかえて、部下に尋ねた。

「じ、侍従長、た、大変です、弟君ご一家もいらっしゃいません!」

部下のほうもどもりながら返事をする。いつものなら、このような言い回しをたしなめられるが、この日は双方、そんな余裕はなかった。

「なんと!お子様たちはご学業か、お仕事では」

「いえ、逆に来られていないと問い合わせが来ています!」

「ど、どういうことだ。皆様いらっしゃらないとは、こ、これはニホン国一大事だー!我が国の象徴がー」

老紳士が泡を吹いて倒れかけていたそのころ、そう遠くない行政の長の宿舎でも上を下への大騒ぎとなっていた。

「な、なにー!過激派が人質を取って、ニホン国政府に要求だとー!」

「は、要約しますと“我々は国際大運動大会の開催中止を求める。大会の崇高な理念をゆがめ、商業主義の金まみれとなった大会の開催など、ましてや世界的パンデミックを引き起こしかねない危険なイベントなど断固反対する。逆らえば人質の安全は保障しない”。原文は、英語で、ニホン語もあります。訳語らしい間違いが多く、長文なので意訳しました。そのほかフランス語、ドイツ語、ロシア語、中国語、アラビア語、スペイン語、ご丁寧にハングル語やらタガログ語の翻訳バージョンまであるようです」

「うぬぬ、ニホン国内だけではなく世界的な犯罪組織か。まだ、発表は」

「早朝、官邸に直接届きました。何分、英語が先でニホン語が後、しかも言い回しが微妙なので解読が遅くなりました。犯行組織はまず総理に要求し、24時間後に要求を国内外に公表、要求が受け入れられない場合、または明後日の0時までに返答がなかった場合、人質の安全は保障しないと」

「その、本当なのか、人質が、あの方々だということは」

「は、宮内庁から正式な返答はありませんが、内通するものからの情報では、あちらも大騒ぎのようで」

「当たり前だ、下手すれば全員の首が飛ぶ。失業どころか老後もロクに考えてないような超箱入りのオバサンらもいるようなところだ、全員お先真っ暗だ、責任問題もあるしな。あそこがなくなれば財政的にはかなり楽だろうが。それはともかく、警備はどうなっていたんだ」

「それが、その、お父君からの急ぎの使者があったとか、なかったとか」

と、ニホン国の自称民主主義行政トップと側近らが青くなっているころ、当の人質たちはというと

「私を捕まえても意味ないと思いますよ」

優雅にソファにすわりながら、向かいに座っている髭の男と話していた。

「いつまでそういえるかな。今は、その地位にふさわしいオモテナシをしてますが、ニホン国の政府の返答によっては、あなた方ご一家のみならず、ご兄弟一家のお命も危うくなる」

やんわりと物騒なことを言われているにもかかわらず、動じた様子もなく少しふくよかな顔で静かに答える。

「いくら脅しても国際大運動大会は開催するでしょうね、彼らは。なにしろ守るべき国民の命や生活などどうでもよい、一時の利権のほうが大事なようですし」

「あなた方は違うでしょう、なにしろニホン国のシンボルといわれた人たちだ。大会の関係者など何人かさらったとしても、どうせ挿げ替えて終わり。下手すれば首相でさえその可能性がある。しかし、あなた方は替えがきかない。全員さらうのは難しいかと思ったが、皆さんででかけてくれて助かった」

「そういうことは、めったにはありませんので、あなた方は幸運だったのかもしれませんね。いや、不運なのかな。私たちを皆から隠すためとはいえ、このような隠れ家を用意するのは大変でしょう。私は家の値段などよく知らないのですが、ここは高いほうなのでは」

「資金繰りまで心配していただくとは光栄というべきかな。ここは借家ですよ、それに国際大運動大会開催に反対な人間は数多い。あなたは名誉会長ですから開催に賛成でしょうが」

「そうではない、とここでは言えますね。なにしろ会長という職自体、私が望んでなったものではないのです。もっとも私も弟たちも、職も何も断ることが基本出来ないのですよ、ご存じのように。大会に反対であろうと、今の政府のやり方に不満があろうと何一ついうことはできないのです。私が歴史を学ぶことでさえ、なかなか難しかったのですよ」

「お父上たちは生物に興味がおありだったが、あなたは違ったようだね」

「父たちも生物だけに関心があったのかどうか。なにしろ私たちは学問の自由、職業選択の自由などありませんから。基本的人権のほとんどは…。ああ、結婚する相手を選ぶ自由は認められている場合もありますね、少しは。姪の結婚はなかなか大変そうです、娘もどうなるか」

ため息をつく彼に、髭の男はフンっと笑って

「あなたも弟さんも好きな相手と結婚したんじゃないか、妹さんも」

「そのあと妻や義妹がどれほど苦しんだが、おわかりでしょう?妹も苦労したようですが、妻たちとは違いますから」

「それは、そういう役柄だからだ、あなた方が」

「それ自体、私たちが望んでなったものではないのですよ。確かに私は今の地位につきましたが、産まれた時からの宿命のようなものです」

「しかし、飢えたり、虐待を受けたりはない、俺たちのように。あなた方は衣食住に困ることはない。ニホン国に大切に扱われている」

「そのかわり、自由はないのです。ほかのニホン国民がもつようなね。いや、ずっとなかったのかもしれません。歴史を学べばわかることですが、私の先祖たちが実権とやらを握った時代などほんのわずか。あとは摂政だの、執権だの、将軍だのが実質の支配者でしょう。私たちは傀儡か神輿のようなものです。命の危険もあるのに、制約は多く自由もロクにない。今の世もそうです、疲れ切っても引退もすぐにはできない」

「お父上のことか?しかしお祖父さまが、そもそも先の大戦とやらの責任をとっていれば、こんなことにはならなかったのではないか」

「とらなかったというより、とらせてもらえなかったのかもしれませんね。そうなれば下の人々が大勢裁かれて死刑になりかねなかったから。つまりは彼らの身の安全のために祖父は生かされたのかもしれません」

「確かに、そうかもしれん。そして今の政府を牛耳る奴らも存在しなかったわけだ、彼らの祖父たちが死刑になっていたらな。しかし、あなた方がニホン国にとって最重要人物であることは事実。人質としての価値は十分、ニホン国は俺たちの要求をのまざるを得ない」

「さあ、どうでしょう。古の昔から、こじつけの論法で、首をすげかけることなど造作なくやってのける方々ですから」

と、彼は静かに紅茶をすすった。


「うぬぬ、いまだに犯人たちのアジトどころか、ご一家たちの昨夜の足取りもつかめんとは」

「申し訳ありません、総理。新型肺炎ウイルスの蔓延で、人員が思うように集まらないうえに、国際大運動大会の会場のほうの警備にだいぶ人手を割かれまして」

「まあ、その、大会開催ができないといろいろと不味いどころか我々の地位も危ういのだ。しかし、あの方々が人質とは前代未聞。もし公になれば、首が飛ぶどころではない、別の過激な奴らに滅多切りにされかねん。大会開催は不可能どころか、開催賛成を叫んだ連中も無事ではすまんだろう」

「で、総理。どうなされますか。大会中止の発表を」

「うーん、うーん、うーん…。何かいい案はないか」

「その、いい案と申しましても…。犯人の目星どころか、隠れ家もわからない状態で期限はあと半日に迫って」

「とはいえ、大会を中止は絶対にできんのだ、たとえフジヤマが噴火しようとも」

総理とその側近たちは頭をひねるが、なかなかいいアイデアなどでてこない。

と、おずおずと年若の官僚が口をひらいた。

「あのう、制度そのものをなくすというのはどうでしょうか?」

「は?」

「え?」

総理はじめ一同若者に注目。顔を真っ赤にさせながら彼はつづけた。

「その、ですね、あの制度があるから、あの方々はニホン国の重要人物なのでして、つまり、その、急ですが、制度自体廃止してしまうというのは。姪御さんの結婚相手の問題とか、いろいろありますし」

「し、しかし、あまりに急。しかも反対派が多い」

思いもよらない提案に、いぶかしがる年配の官僚。しかし若い官僚は

「その、ご一家たちは夜間、御父上をご訪問されたとか、そこでさらわれたということですよね。それを逆手に取り、制度の廃止をご相談にいって、廃止に伴う一時的な混乱を避けるために隠れ家などに避難されたいうことにすればよいのではないかと。そうすればお姿が見えない理由になります。また、ニホン国政府が先に制度廃止を発表してしまえば、あの方々に人質としての価値はなくなります。過激派も要求をとりさげ解放せざるを得ません。万が一危害を加えれば、彼らは全面的に非難にさらされます。ニホンのいわゆる過激な右翼どもも黙ってはいないでしょうし」

「だが、あまりに突拍子もない案だ」

「ですが、その、ほかにいい案が」

一同、黙り込む。

しばらくして

「仕方がない、それでいきましょう」

「何しろ時間がありません」

という声があがり、ついに総理も重い腰をあげた。

「それしかないのか。で、具体的にどうすれば」

「あ、それは、その。こういう感じではどうでしょう」

若い官僚は妙に生き生きとして説明し始めた。想定外すぎる事態にほかの官僚たちは彼の言動をうのみにして、発表にむけて迅速に準備をはじめた。


「な、なんだとー!テンノー制度廃止をニホン政府が発表!そ、それは本当か!」

髭の男が椅子から飛び上がるのを見て、元テンノーは相変わらず静かな口調で

「おや、そう来ましたか。すげかえようにも弟たちもここにいるし、適切な人材がいなかったのですね」

「男でなければだめなんだろう。野に下ったとかいうハトコたちもロクな奴がいないそうだな。国際大運動大会誘致での賄賂疑惑があった親子なんぞをつけたら、それだけで大いにもめそうだし。息子のほうは特にイカレタ奴らしいな」

「よくおわかりですね、それで、私たちをどうするおつもりですか?私も弟もすでにただの人ですよ、いや本当は前からですけどね」

「あなた、よく平気でいられるね。ニホン政府は信じられないほどのスピードでサクサクことを進めているぞ、あなた方より大会開催のほうがよっぽど大事らしい。悔しくはないのかね。あなたは地位はく奪なんだぞ、その上、明日からの生活はどうするんだ」

「そうおっしゃられても。今までも、周りに振り回されることが多かったですし。制度廃止とはいえ、当面の支度金ぐらいはいただけると思いますし。妻も以前は働いていましたし、なんとかなるのではないかと。弟はわかりませんが、姪たちも一応就職しておりますし、義妹もしたたかといいますか、なんとかするのではないかと」

「育ちが良すぎるとあれなのかね、まったく。まあ、あの義妹さんは回顧録でも書いて売り出しそうだからな。しかし、宮内庁とかの奴らはどうするんだ」

「私たちが雇っている、というわけではありませんので。彼らには大変世話になっていましたが、今後のことまでは私にはわかりません。何分ただの人ですし」

「はあ、あなたたちも戸籍だのなんだのって大変だとおもうがね。確かにどうしようもないね。あいつらをクビにして浮いた金であなたたちの支度金をひねりだすのかもしれんし」

「あるいは、大会の運営資金にするのかもしれませんね。それで、私たちをどうするのですか」

「ああ、確かにもう拘束する理由もないな。俺の顔は見られたが、俺の顔なんぞいくらでも変えられる。ほかの奴らは覆面かマスクに眼鏡だから、よそであってもわからないだろう、あなた方は。だから殺す理由もない。御父上夫婦の住んでる屋敷にいったことになってるそうだから、そのあたりで解放かな」

「ありがとうございます。しかし、あなた方は大丈夫なのですか、ニホンの政府が探しているのでは」

「本当に、人がいいんだねえ。その辺は俺たちもプロだし、だいいちニホン政府は大会の準備と制度廃止のなんやかんやで、大忙しだろう。人手が足りないうえに、事実上終わった事件に大勢を動員できない。人質事件そのものがないことにされているわけだから捜査のしようもないだろう。ほんと嘘、隠蔽、捏造が好きな政府だよ」

「そうですね、彼ららしい」

「それじゃ、悪いが来た時と同様目隠しさせてもらう。マスクもつけておくか。一応俺らはワクチンを打ったけれど、念のために」

「仕方がありませんね。それでは」

軽く会釈をした元ニホンのシンボルに男は恭しく目隠しをした。


「はあ、ようやく落ち着きましたねえ」

「そうですねえ」

老夫婦は庭にいる、息子夫婦を眺めながらつぶやいた。

「あの時はびっくりしましたけど、あなたのおっしゃったとおりになりましたねえ」

「まあ、だいたいの筋書きはわかっていましたからねえ、わたくしはそれにのっかっただけですよ」

「息子や孫たちのためとはいえ、思い切ったことをなさいましたねえ」

「私が位を降りるときも大変でしたので、早くことをすすめないと息子たちがどうなるかわかりませんでしたから。あの大会の名誉会長にされたあと、騒ぎをみて気が気でなかったのです。大会の国際委員会会長のバカハッハ会長は何が何でも、あの子にあって大会開催させるといっていたといいますし」

「無茶な方なのですね。かの国の選手の方々もウイルス感染の危険にさらされるかもしれないというのに、バッハッハ会長はなぜそのようなことをおっしゃたのかしらねえ」

「利権というやつらしいですよ。金のためなら選手、国民の命すら考えないで開催するわけです」

「過激な方たちが、あの子たちをさらったらしいというときは気が遠くなりかけました。でも、あなたは何もかもご存じでしたのねえ」

「彼らがあの子たちに絶対に危害を与えられないとわかっておりましたから。ニホン政府があわてふためき、しかし要求はのめないとなると、あの案をのむしかないことも」

「確かにそうですわね。人質として価値をなくすことで、人質事件そのものをなかったことにするなんて、あの方々が喜んでやりそうなことですねえ」

「過激派組織はあの子たちを人質にすればニホン政府が必ず要求を呑むと思ってやったのですから。今の政府の無茶苦茶さ加減を甘く見たのでしょうね。ですから、あの子たちを無事に返さざるを得ないと思っていましたよ。今度は大会中止のためのサイバーテロとかいうものをやるらしいですが、どうなることやら」

「それにしても、うまくいったわけですねえ。しばらくは、それはそれは大変でしたわね。新聞だのテレビだの騒がれて。でも、国際大運動大会の記事のほうが大きく扱われたようで、すぐに下火になりましたけれど。お仕事をなくされた方もいらっしゃいましたし、私たちも今までどおりとはいきませんけれど。あの子たちのあの晴れやかな顔、あれには代えられませんねえ」

「そうですねえ、ニホン政府は国際大運動大会を是が非でも開催することに夢中でしたからね、マスメディアもあの子たちの記事を小さくしたのでしょう。記事にならなければ騒ぐ方々も少なくなりますしね。それにいろいろと力を貸してくれた方がいたからうまくいきました。これから大変ですけれど、なんとかなるでしょう。私たちはずっと歴史の波とやらに翻弄されていましたが、なんとか生き延びてまいりましたし。これからは自分たちで漕ぎ出さなければなりませんが」

「それでも、あの子たちは何とかやっていくと思いますわ」

老婦人は目を細め、仲睦まじい息子たちに目をやる。初夏の緑のなか一家の穏やかな休日は過ぎていった。


どこぞの国では内外から危険視される国際スポーツイベントを絶対開催、日時がせまってるし開催などと、大災害が起きでもしない限り、いや起きてもやるんだという無茶苦茶な政府と大会の委員会がいるようですが、こうなるとなんでもありのような気がします。あの制度廃止とか、消費税撤廃とか、原発停止とか開催できるなら何でも要求のみそうですな。

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