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9.薬と毒は表裏一体

 植物が畑のように列をなして植えられた場所まで来た。


「このあたりの植物はすべて薬草です」


 先頭を歩くラセルが言った。


「これは――芥子(けし)だな」


 イリアスが赤や白の花のまえで立ち止まった。


「芥子ほどの重要な薬草をこれだけしか栽培していないというのか」

「王宮の植物園は研究のためだけですので。医師や薬師は各自の薬草園で、もっと栽培しているでしょう」


 芥子とはどんな薬になるのだろうとリアナは知らなかった。

 聞き覚えはある。だが、よくは知らない。


「トレオンの医師や薬師は、ほとんどが貴族だと聞いているが?」

「はい」

「なぜ庶民を医師にしないのか」

「庶民が医師になることが禁じられているわけではありません。ただ医師になれるほど学問に時間を割けるのは、概して貴族となってしまいます」


 政治に関する質問までラセルが答えていた。

 日頃の問答の対応のお稽古を実践する機会であるというのに、リアナの出番はまったくない。


「トレオンで医師として開業するための試験は、ラングのそれよりもはるかに難しい。医師を増やすために、試験を簡単にしてはいかがなものか」


 イリアスが問う。

 リアナは退屈してそっぽを向いていたため、それが自分に向けられた問いだと気づくのが遅れた。


「しかし、医師への登記試験を簡単にしては、医師の質が落ちてしまいます」


 リアナはしばらくぶりに声を発した。


「信頼できない医師がいては民が困ってしまいます」

「ならば、リアナ王女は、トレオンより簡単な試験しか通過していない、わがラング帝国の医師は信頼ならぬと?」

「そういうわけでは――。ただし医師の質が保たれているのは、トレオンでしょう」

「そうだろうか。民とて馬鹿ではない。藪医者には診てもらわぬ。質の悪い医者は稼げなくてすぐに廃業しよう。藪医者は、国家が試験でふるいにかけずとも、自然に淘汰されるのではないか」

「それはそうかもしれませんが――」

「医師の登記試験など、暗記すれば満点を取れる。暗記が得意な者が優れた医師というわけではなかろう。試験で目の前の患者を治せるか否かは試されない――たとえば、試験では手術はしない」


 リアナはどう答えるべきか困った。

 これは問答対応の稽古で未実施の質問だった。


「イリアス皇帝がおっしゃることはごもっともですが――」


 助け船を出したのはラセルだった。


「医師にとって暗記は大切です。すべての薬は毒にもなります。一方で、摂らなすぎたら効き目はない。簡単な試験で、薬の名前だけ覚えておけばよいならば、患者を治せず、そのうえ、殺してしまうかもしれません」


 だから、医師はあらゆる数多(あまた)の病、身体の機能、そして薬について記憶していて、それを(もっ)てして、目の前の患者に適切な処置をおこなわなければならない、とラセルは説明した。


 あまりに明確な答えに、リアナは感心した。イリアスも納得していたようだ。

 リアナが知らないだけで、ラセルは医師に興味があったりするのだろうか。


 一行はまた、植物園を少し進んだ。


「これは? これもラングでは見ない植物だ」


 またイリアスが腰ほどの竹の植物を指さす。


紫陽花(あじさい)ですわ」


 リアナは答えた。

 ラセルとイリアスが驚いたようにリアナを見た。


 ふたりはなににそんなに驚いたのだろう。

 まだ花は色づいていないが、大きな葉の間に白い花が密集しているその様は、絶対に紫陽花だ。


「リアナ王女は薬草にご興味があられるのですか」

「あ、いえ――偶然、それを知っていただけで――」


 そう言いつつ、本当に紫陽花だろうかと疑問に思う。

 日本では紫陽花は公園や学校の庭に普通に咲いていた。だが、薬草だなんて聞いたことはない。


「これ、紫陽花よね?」


 リアナはラセルに確かめる。


「そうです。よく知っていましたね」

「わたしもこのくらいなら知っています」


 リアナの答えに、ラセルが怪訝な顔をした。

 なにか変なことを言ってしまったかとリアナは思う。


――よく考えると……。


 この世界で紫陽花を見たのははじめてかもしれない。

 珍しいものなのだろう。


「――昔、ガイウスに教えてもらったのです」


 リアナは適当に取り繕った。

 前世についてばれそうになったときに対処するのは慣れている。


「ガイウスとは?」


 イリアスが質す。


「王宮一の学者です」


 ラセルが答えた。


「この紫陽花というのは、どんな薬になる?」

「免疫系の病に効きます。まだはっきりと使用方法が確立されているわけではありませんが」

「ラセル殿はさきほど、すべての薬は毒になると言ったな。これはどんな毒になる?」 


 ラセルは紫陽花の葉を食べたら嘔吐やめまいがし、最悪、死に至ることもあると説明した。

 そんな危険な植物が普通に公園に植わっていたのかとリアナは思う。


 イリアスは続けて、解毒方法や毒物の単離方法についても訊ねた。


 その後も、イリアスは植えられている薬草ひとつひとつの効能、栽培方法、それに毒性について知りたがった。

 すべての質問に、ラセルは丁寧に答えていった。


――イリアス皇帝の質問は素人のそれにしては的確すぎる……。


 まるで、なにかの毒の解毒方法を調べているかのように。

 まるで、なにかの毒の種類を特定しようとしているように――。


 やはり、イリアス皇帝の恋人が毒殺されたことと関係があるのかもしれない。


「イリアス皇帝はなにかの病に効く薬草を探されているのですか」


 リアナは話の切れ間に訊いてみた。


「有用な薬草があるならば、ぜひラングでも栽培したいと思っている」

「毒にも興味がおありのようですね。なぜです?」

「――」

「なにかの毒の解毒方法でも探していらっしゃるんですか?」

「リアナ王女、長く歩かせてしまった。お疲れでしょう」


 イリアスが話を中断させた。


「わたしはもう少し、この若き学者殿と話したい。王女殿下は下がってもかまわない」

「いえ――わたしもラセルの話をもう少しお聞きしたいわ」


 ラセルが流し目でリアナを見た。


「王女殿下には、またいつでもお話し申し上げよう。もし、本当に、植物にご興味がおありならば」


 本当に、という部分をラセルが強調して言った。彼は故意にそうしたのだろう。


 実際、長くラセルとは恋人同士だったというのに、リアナは彼がこれほど植物について詳しいとは知らなかった。

 リアナが好きなのは――ほかのほとんどの女性がそうであるように――美しい花を眺め、愛でることだけだ。


 桜を眺めるのが大好きな日本人は多いけれど、ソメイヨシノと他の桜の違いについて知っている日本人はほとんどいないだろう。

 毎日バラを家に生けている人だって、そのバラ科の花の(しゅ)の名前を答えられる人はいないはずだ。

 ほとんどの人間はそんなことには興味がない。


「夕食でまたお会いしよう」

 

 イリアスがリアナに去るように促す。


 今晩、イリアス皇帝や父と一緒に夕食を取る予定になっていた。

 しかし、それはどちらかというと外交だ。他国の権力者との夕食会では、気軽な話も気軽な問いもなされない。


「お疲れでしょうし、夕食の準備もあるでしょう。下がってかまわない」


 たしかにイリアスの言うとおりそうだった。疲れている。それに夕食の準備もある。炊事ではなく、ドレスに着替えておめかしするという意味だ。


「しかし――」


 リアナは渋る。


「イリアス皇帝とこうして個人的にお話しできる機会など滅多にありませんでしょうし――」


 イリアスはトレオン滞在中、王都を見学したり、郊外の港にまで足を運んだり、近くの森で狩りをしたりする計画を立てているらしい。その合間にお茶にでも誘うことはできるが、リアナの予定と合うとは限らない。


 それに、まだイリアスがトレオンに来た真意を、まったく解き明かすことができていない。


「王女殿下とは、トレオンを発つまえに、もう一度、ふたりきりで話をしたいと思っている。今日でなくともかまわない」


 イリアスは小さく微笑みながら言った。


「皇帝がそうおっしゃるのでしたら。おふたりで楽しんでください」


 あまりに引き下がらなかったら、逆にイリアスに警戒される。


「また後日、お話しできるのを楽しみにしております」


 ふとラセルのほうを見ると、彼はどこか悲しげな顔をしていた。リアナに別れをつげたときよりもさらに――どこかに旅立ってでもいきそうな顔をしている。


「ラセル殿のように優秀な学者はラングにもいない。わが帝国に奉職してもらいたいくらいだ」


 イリアスはそう言いながら、ラセルと、ふたりの従者とともに、さらに植物園の奥へと去っていった。


 リアナはひとり残された。

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