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8.百年に一度の求愛

 その日の午後、リアナは再び植物園に向かった。


 昨日と違って、膝下の丈のドレスを着て、歩きやすい太めのヒールの靴を履いていた。

 リアナはもっと歩きやすいヒールのない靴がよかったのだが、侍女たちが首を縦に振ってはくれなかった。


 イリアス皇帝にご同行する際には、脚が短く見えるぺちゃんこな靴は問題外らしい。

 王女の外見に関しては、侍女は王女自身よりも権力がある。変な話だとリアナは思う。



 植物園の入り口に着いて、リアナは驚いた。

 そこで待っていたのはラセルだった。


「ガイウスさんはどうしたのです?」

「急用だ」


 ラセルのほうはリアナが同行することは聞かされていたらしく、不機嫌そうな顔をしている。


 居心地の悪い沈黙が流れた。


「イリアス皇帝、まだかしら」


 リアナは独り言のつもりで言った。


「さぞ早く来てほしいだろう」


 リアナの呟きを目ざとく聞いていたラセルも独り言のように言う。いや――目ざとくではなく、耳ざとく、か。そんな言葉があるのかは知らないが。


「一応、言っておきますが、わたしはイリアス皇帝に気があるわけではありません。ただの王女としての務めです」


 リアナがそう言ったとき、イリアスの姿とその従者がふたり見えた。こちらへやってくる。

 それなりに距離がある。聞かれていた――わけではないと思う。が、心境は複雑だ。


 皇帝がすぐ近くまでくると、ラセルが(うやうや)しい敬礼をした。


 イリアスはふたりのところまで歩いてきて、まずリアナの手を取って会釈(えしゃく)した。


 手の甲にキスをするのがトレオン流だったが、ラング帝国ではそうではないようだ。

 こういう場合、滞在地の風習に合わせるのが普通だが、イリアスは郷に入って郷に従う人物ではないらしい。少なくとも挨拶の作法については。


「リアナ王女、昨夜は素敵な一時(ひととき)を過ごさせてもらった」

「ごきげんよう、イリアス皇帝」


 リアナは会釈を返しながら、いかがわしい言い方をするものだと思った。イリアスとはファーストダンスをしたきり、一度も話していない。


 ラセルの反応を視界の端でうかがったが、彼の表情からは、とくに何の感情も読み取れなかった。


 イリアスがラセルのほうへ顔を向ける。


「学者に案内してもらえると言われていたが――そなたは若いな」

「年を取っていることは学者となるに必要または十分な条件ではないでしょう」

「そのとおりだ」


 イリアスが微笑する。ラセルの受け答えが気に入ったようだった。


「王は学者に似ているな」


 イリアスが望洋と言った。


「わたしは真逆だと思いますが」


 ラセルが答える。ラセルの一人称が「わたし」であるのは少し新鮮だとリアナは思った。


「真逆ということは、同じということではないかな、学者殿」

「まあ、それはそうでしょう」


 リアナにはふたりの会話の意味がわからなかった。

 だが、ふたりはお互いが尊敬に足る人物だと認め合ったらしい。


「――では、若き学者殿――ぜひ、世界に誇れるというトレオン王宮の植物園を案内してくれたまえ」


 ラセルを先頭に、一行は植物園の中へと足を踏み入れた。



 植物園は広大だ。もはや森と言ってもよい。

 入り口から近い場所を少し歩いたことしかなかったから、その大きさにリアナは驚いた。


「この木はなんという?」


 イリアスが植物園の一角にある小さな林を指さした。


「――というか、これは木なのか」


 イリアスが指した木々は、幹が茶色ではなく、緑色をしていた。一本一本は細いが、かなり丈が高く、上方には、碧々とした尖った葉が生い茂っている。


「竹です。まあ、木――といってよいでしょう」


 竹林のほうへと歩きつつ、ラセルが答えた。


「めずらしいな。ラングでも見たことがないぞ」

「トレオンでもあまり見かけません。竹は花を咲かせないので種を作らず、他の地域に種が運ばれることがほとんどないのです」


 イリアスが質問して、ラセルが答える。

 もうずっとこのような調子で、園内を歩き回っていた。


 リアナと従者はほとんど言葉を発していない。

 無言で親のあとをついていくアヒルの雛のようだった。


 竹など、まったくめずらしくないとリアナは思う。前世は日本の田舎で生まれ育ったから、竹など見慣れている。


 正直退屈だった。


 イリアスはラセルとしか話そうとしない。はじめは少しは会話に混じろうと努力したが、的確なコメントなどできないから、聞き役に徹することになってしまった。

 本当のミッションであるイリアスのトレオン訪問の目的を探ることもできずにいる。


「竹という植物は(たね)を作らないのに、どうして増える?」


 イリアスが問うた。


「ジャガイモから芽が出るように、地下の根から新たな芽が出るのです」

「なるほど。では、これらの木々はすべて、地下で繋がっているというのか」

「そうです。なんらかの理由で――たとえば地震かなにかで、根が分断されないかぎり。なので、ひとつの竹林は、同一の竹のひとつの個体、と言ってよいでしょう」

「おもしろい」


 イリアスは感心したように微笑した。

 触れてもよいか、とラセルに訊ね、ラセルが首を縦に振ると、イリアスはそのつるつるした竹の幹に触れた。


「先ほど、竹は花を咲かせないと言いましたが、実は百年に一度ほど竹林も花を咲かせるます。竹林は一個体ですので、百年に一度、一斉に花を咲かせ、そしてその後、一斉に枯れていきます」

「竹の森、全体が枯れると?」


 ラセルがイリアスに頷く。


 これはリアナも興味深いと思った。

 もともと日本人だから竹林なんて見慣れているけれど、こんなトリビアがあるとは知らなかった。


「百年に一度の求愛というわけか」


 そう呟いたイリアスは寂しそうに見えた。

 死んだ恋人のことを思っているのだろうかとリアナは思う。


「――ただし、花が咲いたとしても、それは同一の個体同士での受粉となりますので、種ができたとしても、その種もすべてクローンなのですが」

「クローンとは?」

「ある生物の一個体と完全に等しい生き写しの別個体のことです」


 一行はさらに植物園の奥へと進んでいった。

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