6.葬られた恋人
リアナは自分のドレスはぼろぼろになっていた。
広間に戻るまえに、着替えと化粧直しをしないといけない。
リアナは重臣のみが知っている秘密の抜け道を通って、王宮内の王家の居住区域まで戻った。
「リアナさま――なんてこと!」
大きな穴が空いたドレスを見て、侍女のステラはたいそう驚いた。
侍女たちは下級貴族の令嬢である。舞踏会には呼ばれない身分だ。
下級貴族も招待していたら、いくら広い大広間も、舞踏するスペースがなくなる。
集まってお茶会を楽しんでいた侍女たちは、リアナのドレスを脱がせはじめた。
リアナは着せ替え人形のように、ただ立っていればよいのである。
着付けも、化粧も、なにからなにまですべてやってもらえる。
はじめは、侍女たちに真っ裸にされるのが、恥ずかしくてしかたなかった。母親ならともかく、彼女たちは他人なのだ。
恥ずかしがる少女リアナは、侍女たちに不思議な目で見られたものだった。
だが、十歳を過ぎる頃には、もうそういうものだと慣れてしまった。
侍女たちはリアナに赤いドレスを着せようとしたが、断った。
シェリルと色が被るのは勘弁して欲しい。彼女と比べられれば、どんな花でもかすんでしまう。
リアナが大広間に戻ると、シェリルがすぐに駆けよってきた。
「リアナ! どこ行ってたのよ!」
「ちょっと、化粧直しに――」
「それにしては長すぎじゃない?」
シェリルは疑いの目を向けた。
ラセルと話していたことを隠す気はないのだが、説明するのがめんどくさかったので、「ドレスを選ぶのに時間がかかってね」と口実した。
「すごいこと聞いたのよ。絶対、あなた、信じないんだから!」
「え、なに?」
「イリアス皇帝がトレオンにお越しになった理由なんだけど――」
まさか本当にイリアスは、トレオン王国を帝国に併合しようとしているのではあるまいか――。
そんな不安がリアナの脳裏をよぎる。
「リアナ、イリアス皇帝の最愛の恋人が殺されたこと知っていて?」
「ええ」
リアナが即答すると、シェリルはさぞ意外そうな顔をした。
「めずらしいわね、リアナがこういう色恋沙汰を知ってるなんて」
「――色恋沙汰、というか……イリアス皇帝の愛人ともなれば、国家を左右しかねない影響力を持つから」
王族の恋は政治なのだ、とリアナは適当に取り繕った。
「まあいいわ。そのイリアス皇帝の恋人を殺した犯人――それがこの大広間にいるらしいの!」
えっ、とリアナは声を上げそうになった。
「その犯人を捕まえるために、イリアス皇帝ははるばるラングヴァルトからお越しになったのですって」
「そんな――」
リアナは思わず大広間を見渡した。広間には何百人もの人々が集まっている。
この中にイリアスの恋人を殺した犯人がいる――本当だろうか。
イリアスの恋人を殺害した犯人捜しといったくだりは、乙女ゲームのシナリオにはなかった。
「でも、そんなはず……」
ない、と言おうとして、リアナは口をつぐんだ。
現実では、乙女ゲームのシナリオ以上のことが起こる。ありえないことではない。
「だれなのかしら。わくわくしちゃうわ」
まるで、ジェットコースターの順番を待っているかのようにシェリルが言う。
「どうやって、教えてもらったの?」
イリアス皇帝はリアナには、ただ「特に理由はない」としか言わなかった。
なぜシェリルには教えたのだろう。
「王女さまは知らなくてよいの。口の正しい使い方なんて」
「口? 話し方ってこと?」
「さあ、どうでしょう」
「教えて。わたしだって、知りたいわ」
権力のある人間の秘密を聞き出す方法があるならば、次期女王として知っていて損はない。
「口は話すためだけに使うものではないでしょう。口の使い方はひとつではないわ」
話すため意外の使い方は――。
「食べるため――皇帝に、美味しいお食事でもふるまったの?」
「いいえ。もうひとつ大事な役目があるでしょう、口には」
発言と食事以外に、口にどんな使い道があるというのか――。
だが、シェリルは
「王女様は使わないほうがいいことよ」
とだけ言って、教えてくれなかった。
「この中に、皇帝の恋人殺しの犯人がいる――。だれだと思う?」
シェリルが楽しそうに言った。
「さあ……。トレオン人ではなさそうだけど――」
リアナはまだ口の使い方という命題について考えていた。
「どうして、トレオン人ではないと思うの?」
シェリルが質す。
「イリアス皇帝の恋人が殺されたのは、ラングが帝国になるまえ――。つまり、ラング人と考えるのが自然じゃなくて?」
ラング人は――イリアス皇帝もそうであるように――黒髪に黒い目をしている。男女ともに背が高く、彫りが深い顔立ちをしている。
一方で、トレオン人は髪の色や目の色は淡く、背は低い。顔の掘りは浅めだが、目は大きめの人が多い。――といっても、日本人と比べれば、背は高く、顔の掘りも深い。ラング王国と比べればという意味である。
「でも、昔のラングにもトレオン人なんて多かれ少なかれいたでしょう?」
シェリルが納得いかないという様子で言った。
「犯人がトレオン人の可能性も十分にあるわ」
「まあ、それはそうね」
「そのイリアス皇帝の恋人――っていつ殺されたのかしら」
「たしか、皇帝が二十二歳のときだったはず」
「――イリアス皇帝って三十五とかでしょう。となると、十年以上まえってことね。なんで、そんな昔の事件をいまさら」
シェリルは顎に手を添えて考える。
愛しているからだろう、とリアナは思う。
乙女ゲームのヒロインが、彼女のその優しさと献身でイリアスを昔の恋人の呪縛から救い出すまでずっと、イリアスは故人を愛し続けるのだ。ということは――。
――わたしがイリアスルートを選択しなければ、彼は死ぬまで死んだ恋人を愛し続けるのだろうか……。
「イリアス皇帝の恋人ってどんな人だったのかしら」
シェリルが問うた。
「竪琴弾きよ。とても美しい人だったって」
「で、竪琴弾きが、なんで殺されたの?」
「ラング王国は領土拡大を狙って、戦争を計画していたの。戦争反対派の人たちが、当時王子で対外政策の要であったイリアス皇帝の暗殺を企てていて、イリアス皇帝の食事に毒を入れたのよ。それを皇帝の代わりに恋人が食べてしまったのよ」
「かわいそうに――」
かわいそうなのは、恋人のほうだろうか、それともイリアスか。おそらくシェリルはどちらについても言ったのだろう。
それから、シェリルは不思議そうな顔をした。
「イリアス皇帝の色恋沙汰に随分詳しいみたいね。わたしより詳しいわ。リアナ、あなた、皇帝のこと、好きだったりするの?」
「ちょっと、シェリル――!」
リアナは慌てた。
「はいはい。あなたはラセル一筋だものね」
親友の言葉に、リアナは苦笑を浮かべた。
国仲理愛のときのことを含めると、自分はそんなに一筋だとはいえない。――というより、イリアス一筋だったと言っても過言ではない。そもそも、リアナはラセルに振られた側だ。もはや恋人でもない。
――イリアス皇帝の突然の来訪――。
その直前にリアナはラセルに別れを告げられた。
そのラセルはしきりに、リアナとイリアスの仲を揶揄する。
なにか匂う。
なにかが匂う。
――このふたつがなにかが関係しているような気がする……。
イリアスの訪問の謎を解くことが、ラセルとのハッピーエンドへと繋がるように思えた。