4.黄昏の植物園
リアナが向かったのは王宮の植物園だった。
ラセルはよくひとりでここに来ていた。
彼はだれにも言及こそしなかったが、植物園がラセルのお気に入りの場所だということをリアナは知っていた。
しかし、リアナはそれほど植物園に足を運んだことはなかった。
別に草や花が嫌いなわけではない。
植物園に植わっているのは、主に薬草や珍しい植物である。
温室もあり、トレオンより南の熱帯域に生育する植物も植わっていた。
しかし、植物園に植わっている薬草には美しい花を咲かせるものは少なく、それどころか、気味の悪い食虫植物や、臭い匂いを放つ植物が多い。それゆえ虫も多かった。
リアナは植物園より庭園のほうが好きだった。
庭園は庭師に綺麗に手入れされ、美しい花々が咲き乱れている。虫もいない。淑女のお茶会にうってつけの場所なのだ。
一方、植物園は王宮が抱える学者たちの研究の場である。
植物園についたリアナはロングドレスの裾を持ち上げ、ラセルの姿を探した。
すでにあたりは薄暗くなっていて、リアナの抜群の視力もうまくは働かない。
真昼に来ても薄気味悪いのに、暗くなってからではなおさらだ。
リアナは石を並べて作られた歩道を転ばないようにゆっくりと歩いていった。
歩きにくい。ロングドレスとヒールで来る場所ではなかった。
すでにリアナはここへ来たことを後悔していた。
だからといって、ここまで来て引き返すのもいやだ。
ものすごく嫌なにおいがした。肉が腐ったようなにおいだ。
ハエかなにかの羽虫があたりを飛び交っている音がする。
リアナはできるだけ息をしないようにして、歩き続けた。
――花の匂いには二種類ある。
リアナはふと思い出した。
蝶や蜂を誘う甘い匂い。
そして、ハエやガを寄せ付ける臭い匂い。
植物は虫に花粉を運んでもらい、受粉する。
ハエにとっては、この鼻をもぎ取りたくなるような匂いが良い匂いで、それを求めてここらを飛び交っているのだ。
たしか、ガのような夜に活動する虫をターゲットにした植物の花は夜に咲くのだ。そして、そういった花は大概、臭い匂いを放つ。
そう教えてくれたのはラセルだった。
ラセルとはよく庭園でデートした。
リアナは滅多に王宮から出られないし、出られても従者がついてくる。従者をつけずに自由に歩き回れるのは庭園くらいだ。
聡明なラセルはリアナが訊ねれば、何でも教えてくれた。
植物が花を咲かせる理由、花が蜜を作る理由、発芽した幼芽を直接作らずわざわざ種子をつくる理由――そんなものを語って聞かせてくれた。
ラセルは理由がないと言ったイリアス皇帝とは逆だなとリアナは思う。
温室の近くにそのラセルの姿を見つけた。
――やっぱりここだった!
リアナは嬉しくなった。
「ラセル!」
大声で呼びかけると、ラセルは振り向き、至極驚いたような顔をした。
だが、それは一瞬だった。
「来るな!」
ラセルが手を前に出して叫ぶ。
リアナは無視して、ラセルの方へと向かった。
「こっちへ来るな! 止まれ!」
ラセルはまた叫んだ。
――そんなこといわれても……!
しっかりと話を聞かせてもらうまでは帰らない――。
そうリアナが思ったとき、リアナのドレスが枝に引っかかった。
リアナはドレスを引っ張る。
だが、ドレスは引っかかったままだ。
ヒールを履いた足で踏ん張って、さらに強く引くと、びりっと布の裂ける音がした――。
かと思うと、身体がぐらっとよろめいた。
バランスを崩して倒れそうになる。
地面に倒れる間一髪で助けてくれたのはラセルだった。
リアナの細い身体がたくましい腕で受け止められる。
ふたりはしばらく見つめ合っていた。
ラセルに触れている部分が熱い。
ラセルの腕に筋肉が隆起しているのを感じた。
乙女ゲームではラセルは爽やかな細身の青年貴族だった。
ラセルが鍛えているのは知っていたが、乙女ゲームでのイメージがあったから意外だった。
ずっとラセルとそうしていたかった。
だが、しばらくして、ラセルが我に返ったように身体を起こし、リアナを地面に立たせた。
「もう少しで針の山に突っ込むところだったぞ」
ラセルが目を向けたあたりには、太い棘のある多肉植物がたくさん植わっていた。ある種のサボテンだろうか。
「ドレスが引っかかったのが不幸中の幸いだったな。このあたりの植物には棘がある。棘に毒があるものも。危険だ。だから、来るなと言ったのに――」
ラセルが嘆息した。
「わたしと話したくないから、来るなと言ったのかと思って――」
リアナは破れたドレスを確認した。
膝のあたりに大きな穴が空いている。
「舞踏会はどうした。なぜここにいる。――それに、おまえ、ここは嫌いだろう」
「ラセルと話したかったから」
一瞬、ラセルは嬉しそうな顔をした。いや、驚いただけか。
だが、すぐにふいとリアナから顔を逸らしてしまった。
「どうしてあんなこと言ったのです?」
「もう広間に戻れ」
「どうしてあんなこと言ったの?」
リアナは繰り返した。
ラセルは答えない。
「どうして、わたしたちは結ばれる定めではない――なんて言ったのですか」
沈黙が流れた。
定め――とは運命ということか。
なぜ、わたしたちは結ばれる運命ではないのか。
どうしてラセルは急にそう思ったのか――。
「わたしのこと、嫌いになったの? 嫌いになったなら、そう言って」
リアナは一歩ラセルに詰め寄った。
肌が触れそうな距離になった。
「わたしのことが嫌い、そう言って! 言ったら、おとなしくあきらめるから」
ラセルは無言だった。
本当に嫌いならば、嫌いと言うはず。
そうしないのは、ラセルとて、まだリアナのことを思っているからではないか。
リアナの中でかすかな希望が芽生えた。
「あの赤毛の女の人? あの人のことが好きになったのですか?」
「――」
「わたしより、あの人のことが好きなのですか?」
「ルルーは関係ない」
ラセルがやっと口を開いた。
その言葉が他の女性の名前だったことが、リアナには気に食わなかった。
「関係がないのに、ダンスを踊っていたというの」
「おまえだって、イリアス皇帝と楽しそうにしていただろう」
「なぜイリアス皇帝が出てくるのです。ダンスはお父さまのご提案――断れるわけないでしょう」
「ああ、断れるわけがないだろう」
皮肉めいた口調でラセルが言った。
「麗しのリアナ王女と崇高なるイリアス皇帝――お似合いだ」
ラセルの声が植物園に響き渡った。
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