38. 被告への尋問
リアナは白昼夢から覚めつつあった。
どたばたと慌てた足音が廊下のほうから聞こえてくる。
「どうなさいましたか!」
侍女がふたり、バルコニー席に駆け込んできた。
「リアナ王女の具合が悪そうで――」
シェリルの手がリアナの頬に触れた。冷たい手だった。
血が通っていないように冷たい手だった。まるで無機質のようである。
「リアナさま、医師をお呼びします」
侍女が言った。
「――いえ……いいわ」
リアナは答えながら、シェリルが冷え性だと言っていたのを思い出していた。
想像の中では力を込めずとも饒舌に口は動いてくれたのに、現実では舌がとても重い。
宇宙旅行から帰ってきた宇宙飛行士は、重力のある地球をこのように感じるのだろう。
「ちょっと、考えごとをしてただけ」
「――それにしては、まったく反応がなかったわよ」
シェリルが心配そうにリアナの顔を覗き込む。
「かなり――深く考えごとをしていたの」
リアナはシェリルに微笑んでから、その顔を侍女に向けた。
「本当にだいじょうぶだから。下がっていいわ」
「本当に――よろしいのですね」
侍女は念押しした。
「ええ、本当に」
侍女は一礼して去っていこうとした。
「あ、待って」
侍女の背にリアナは呼びかける。
「なんでしょう」
侍女が振り返った。
「マーガレットを持ってきてくれる」
「マーガレット?」
侍女が眉をひそめた。
「マーガレットってお花のですか」
「それ以外にマーガレットがあって?」
「いえ――」
侍女は謝罪するように小さく頭を下げる。
「できれば、裁きが終わるまえまでに持ってきてくれると嬉しいわ」
侍女の足音が聞こえなくなってからシェリルが口を開いた。
「どうしたの? マーガレット? なんのこと?」
「ちょっと、ね」
「なにが、ちょっと、なのよ。食べるの?」
シェリルがリアナのまえのテーブルの上に、ほとんど手つかずで置かれている料理を見ながらいう。
「食べないわ」
リアナは小さく笑った。
「どちらを?」
「どちらも」
シェリルはため息をつきながら、椅子の背もたれに身体をあずける。
「じゃあ、なに? ラセルの判決でも占うっていうの」
「そうね」
リアナが頷くと、シェリルがまえに身を乗り出す。
「本気?」
「ええ」
「花占いで?」
「ええ」
「有罪、無罪、有罪――って占うっていうの?」
「そうよ」
シェリルは呆れたと首を左右に振った。
「あなた、やっぱり熱でもあるんじゃない?」
「ないわよ」
「花占いで有罪――が出たらどうするのよ」
「そういう定めだったってこと」
シェリルは長い睫毛に縁取られた瞳にリアナの姿をしばらく映していた。
が、やがて視線を逸らした。
シェリルの視線の先――傍聴席には人が再び集まりはじめていた。
法廷が再開されようとしている。
*
「ラセル・レスク、単刀直入に質問します。あなたは猛毒を売りましたか」
イリアスの代言人が証言台に立つラセルに問うた。
「はい」
ラセルは淡々と答えた。まるで人事のようだった。
傍聴席がざわめく。
法吏が小槌を打って傍聴人らを黙らせた。
「あなたはまるで自分の行いが悪行だとは思っていないようですね」
「――」
「答えられないのですか」
ああ、とラセルが笑った。
「質問だったんですか」
ラセルが問う。
代言人は一瞬、言葉を失った。
「答えられないのですか」
ラセルが同じ台詞を代言人に返した。
代言人は気難しそうな顔をしただけで、答えはしなかった。
ラセルは続ける。
「先ほど、あなたがあなた自身にのみ適用される文法で質問された答えに答えるならば――そうですね、わたしは自分が悪事を働いたと思っている、と返事をしましょう」
「よくも悪びれもせずにそんなことが言えますね」
ありえない、と代言人は首を振った。
沈黙が流れる。
「これは、質問です」
代言人が付け加えた。
ラセルがため息をついた。
「質問であるならば、しっかりと質問であることを明示してください。われわれの言葉は語尾に『か』をつけることで疑問を表します。あなたほど頭の切れる方ならば知っていることだと存じますが」
「――」
「それに、質問の意図もはっきりわかりません。『よくも悪びれもせずにそんなことが言えますね』、とあなたは言いました。よくも悪びれもせずにそんなことが言えますか、では文法がおかしい」
傍聴人の間からちらほらと笑い声があがった。
ラセルは笑ってはいなかった。
「いつ、なにを、なぜ――と疑問詞をはっきりと述べて質問してください。普段ならば、そのようなものは省略できるでしょうし、深く考えずに答えても不利益を被ることもありません。しかし、ここは法廷です。しっかりと質問してもらえなければ、答えられるものも答えられません」
代言人はラセルに圧倒されていた。
どちらが代言人でどちらが被告人なのか錯覚してしまうくらいだ。
「どうして悪びれもせずに悪事を働いたなどと述べることができるのですか」
代言人が質問を言い直す。
「それが事実だからです。悪いことだと知っていました。はじめて薬物を売ったのは五歳のときです。そして、五歳ながらに悪いことをしている自覚はありました」
法廷が静寂に包まれた。




