36. 傀儡の王
「かわいそうだったわね」
シェリルがフォークでサラダをつつきながら言った。
「かわいそう――ってだれが?」
「もちろん、あの証人よ」
「あの証人? あの証人ってガストン・レイズ?」
「彼以外にだれがいるっていうのよ」
あたりまえのことを聞くのね、とシェリルが片眉を上げた。
証人尋問が終わり、お昼休憩のため、法廷は一時休廷していた。
傍聴席にいた群衆はいなくなっている。法廷が再開されるまでに、近隣の飯屋か、公会堂の中庭に出店している屋台で食事をしているだろう。
午後は被告ラセル・レスクの尋問である。
リアナとシェリルはバルコニー席に残り、侍女が用意してくれてた料理を食べていた。
「どうしてガストン・レイズがかわいそうだと思うの?」
リアナは口をもごもごさせているシェリルに問うた。
「だって、彼、言葉の揚げ足をとられただけでしょう。彼、なにも悪いことをしていないのに、悪人にされてしまったのよ」
「そうかしら」
ラセルの代言人はガストン・レイズの矛盾を指摘した。偽証をしたのだ。
理由はなんであり、そんな男がかわいそうだとはリアナには思えない。
「わたし、しっかり聞いていたわ」
シェリルがはきはきと言う。
「あの人は、ラセルから猛毒を仕入れて売りましたか、という質問にはい、と答えただけよ。すべて答えただけ。『はい』か『いいえ』でね」
「そうだったかしら」
「彼は自分から、猛毒を売りました、なんて一言も言ってない。誘導されたのよ」
リアナはガストン・レイズの正確な受け答えを思い出せなかった。
「はじめて猛毒を仕入れたのはいつですか、なんて質問されたら、『十二年まえです』って答えるしかないじゃない。『当時、わたしは猛毒だとは知らなかったのですが、ラセル・レスクとはじめて取引をしたのは十二年まえです』なんて長々しく答えないでしょう。それが正確だとしても」
「たしかに」
何度も裁きを傍聴したことがあり、専属の教師付きで法律を学ばされたリアナより、シェリルのほうが洞察力があるようだ。
「たぶん、イリアス皇帝の代言人は『猛毒』を強調したかったのね。ラセルを悪人らしくみせるために。それが裏目に出た」
リアナは賢く見えるような口調で言った。だが、内心では落胆していた。
法律を扱う才能がないらしい。
前世では法律とはまったく関係ない仕事をしていた。きっと弁護士とかになる人間は、前世でも似たようなことを学んでいたのではないか。弁護士でなくとも、パラリーガルだったり、法学部卒だったりしたのではないか。
前世で学んだことに対して潜在意識が顕在化し、現世でも弁護士になったり医者になったりすることができるのではないかとリアナは思った。
そうでなければ、あれほどの膨大な量を暗記できるはずがない。
「あなた、弁護士が向いているんじゃない?」
リアナは言った。
シェリルは頭の回転が速い。リアナより断然早い。美人だし、話もうまいし、弁護士向きだ。彼女の前世は――なんだったのだろう。
「ん?」
シェリルが首を傾げる。
「シェリル、きっといい弁護士になれると思うわ」
「ベンゴシ?」
あ、とリアナは胸の中だけで慌てた。顔色には出さないように努める。
「その――代言人よ。弁護をする士って意味で」
「シ? 師? 医師や薬師の?」
「そう、その師」
リアナは軽く微笑んだ。肯定をしておけば、人は疑わない。
「わたし、ああいうところに立って話すのいやだわ。それに女の代言人なんていないじゃないの」
「でも、いたらかっこいいわ」
「そうかしら」
シェリルは肉の欠片を口に入れた。
「わあ、おいしい!」
シェリルが感嘆した。シェリルはすでに半分以上の料理を平らげている。
一方、リアナはまだ食事にほとんど口をつけていなかった。
料理は温かかった。侍女たちが公会堂の炊事場を借りて作ったばかりのものである。
そこまでしなくてよいとリアナは言ったのだが、彼女らは聞き入れなかった。
彼女らの論理では、王女に対してお弁当を持たせることは失敬らしい。
冷たくなった料理を食べさせるということだからだ。
現代日本では夫や子どもにお弁当を持たせる妻は良妻とされる。「昼は温かいものをなにか食べて」と2000円を渡す妻は――どう思われるだろう。
「ガストン・レイズが偽証をしていないとすれば――」
リアナはこの男についての仮説に再び思いを巡らす。
一、この男は偽の証言をしている。
二、この男は役者である。
三、この男は傀儡である。
リアナは第三の仮説が最も真理に近いかもしれないと思いはじめた。
ガストン・レイズは、イリアス側の人間にいいように利用されているのだ。
「彼、自分が利用されていることに気づいていないかもしれないわね」
リアナは言って、一口お茶を飲む。すでに冷めていた。
――傀儡は自分が傀儡であるって気づくものなのかしら……。
ふとリアナの脳裏にそんな疑問が浮かんだ。
それとも、傀儡は自分が傀儡であることに気づかず、自らの意志で行動していると思っているものだろうか。
「傀儡の王って、自分のことをどう思っていたのかしらね」
傀儡の王というのは極めて矛盾した、両極端を結んだ存在である。
王、という最高権力。最高の自由。
傀儡、という完全なる抑圧。最高の束縛。
「傀儡だとしても、王として歴史に名が残るわ。満足していたんじゃない」
シェリルが言った。
トレオン史には何人か傀儡の王が登場する。大概が、幼くして即位して、太后や大臣に操られた幼王だ。そして、大概、その治世は安寧なのである。
「でも、どうして傀儡を擁立するのかしら。自分が表舞台に立てばいいのに」
リアナは前世で一度だけ見たことがある文楽を思い浮かべていた。
あんな人形をつくったり、その人形を操る方法をマスターするより、自分が役者になって演じたほうが早上がりだし安上がりだし得ではないかと不思議に思ったものだ。
「傀儡であっても、王が政治をしているということにしておけば、民が納得するからではない?」
シェリルが言った。
「年端もいかない子どもが王で、彼が政を行うってことにして、民が納得するかしら?」
民は馬鹿ではない。
幼王の後ろで、彼を操っている人物がいるとわかっているものだ。
「なら、能ある鷹は爪隠す、ってやつじゃないかしら」
「でも、表舞台に立たなければ自分の名は残せないわ」
リアナは納得ができなかった。
「リアナ王女は歴史に名を残すことが重要だと思うのね」
「そういうわけではないけど――虚しくないかしら」
どんなにすばらしい人形劇を披露しても、自分の名はけっして表には現れない。
ただの黒づくめの名もない影だ。
そして、その影に名前はない。
ならば、傀儡を立てる意味は――。
「楽しいのだわ」
リアナは静かに呟いた。
すぐ向かいに座っているシェリルにも聞こえないような小さな声だった。




