3.絶世の美女
「王女殿下、ごきげんよう」
「リアナ様、今日もお美しい」
リアナが一歩進むたびに、舞踏会に参加している貴族のだれかが形式的な挨拶をした。
それらに軽い会釈を返しつつ、リアナはラセルの姿を探した。
まだ、舞踏会ははじまったばかりだ。
――イリアス皇帝と仲がよさそうでなにより。
ラセルはそう言った。
どういうつもりで彼はそう言ったのだろう。
別れてすぐ、ほかの男と踊っていることへ対しての嫌味か。
だが、振られたのはリアナのほうである。振ったのはラセルなのだから、嫌味を言われる筋合いはない。
広間のどこにもラセルの姿はなかった。
――帰ったわけではないはず……。
おそらくラセルは広間を出て行ったんだろうとリアナは思った。
リアナは目がよかった。大勢がいる中でも親しい人はすぐに見つけられる。
――そういえば……。
前世の記憶がふと蘇る。
前世で友達に連れられて一回だけ野球観戦をしたことがある。
リアナは満席の東京ドームの一塁側の席に座っていたのだが、三塁側に偶然居合わせた幼なじみを見つけたことがあった。
どんなに多くの人がいても知り合いの人影だけ、光っているというか、色が異なっているというか――なんとなく「知り合い発見レーダー」みたいなのが働くのだ。まあ気持ちの問題なのかもしれないが。
街中で知人、それに芸能人を見つけるのも得意だった。
人混みに紛れてショッピングやイベントに来ているタレントを何度も見つけてサインを貰ったものだった。
この前世でのリアナの能力は後世にも引き継がれたようだった。
そのリアナが探し出せないということは、ラセルはこの広間を出ていってしまったといってよいだろう。
一瞬だけ、外へ探しに行こうかと思ったが、王女リアナが舞踏会を抜け出すわけにはいかない。
どうしよう、とリアナは思った。
上座に戻っても、また堅苦しい挨拶の対応をするだけだ。
リアナは群衆の一角にいる真っ赤なロングドレスを着た女性の方へと近づいていった。
その女性のまわりには正装をした男たちが六、七人、群がっていた。
「あら、リアナ王女!」
赤いドレスの女性がにっこりと笑って呼びかけた。
彼女のまわりを囲っていた男たちも丁寧な所作でリアナに敬礼した。
「シェリル、ごきげんよう。みなさんも」
「イリアス皇帝との素敵なダンス、拝見させていただきましたわ、リアナ王女殿下」
シェリルは洗練された話し方でそう言い、まわりに侍る男たちを見回した。
「わたくし、リアナ王女と少しお話しがしたいの。少し、席を外してくださる?」
男たちは事前にプログラムされた操り人形のように、もう一度、敬礼すると、四方へと去っていった。
「どうして、イリアス皇帝が来ること、教えてくれなかったの!」
男たちが去るなり、シェリルが口調が変わった。
「イリアス皇帝が来るってわかってたら、もっとおしゃれしてきたのに」
「わたしも知らなかったのよ」
これ以上、どうおしゃれをするというのか、と思いながらリアナは美人の親友を見た。
シェリルはいつでもどこでもパーティの華だった。
王女のリアナに対して形式的に容姿を褒める者は多いものだが、シェリルはそのようなしがらみもなしに、だれからもお世辞ではなくその容姿を褒められる美貌の持ち主だった。
「どうしてイリアス皇帝はトレオンにいらっしゃったの?」
「さあ。特に理由はない――って」
「なにそれ。ラングヴァルトからここまで、馬で十日よ」
リアナは先ほどの皇帝との会話を思い出して苦笑した。
「わたしもイリアス皇帝とダンスできるかしら」
「できると思うわよ」
こんな美人のダンスのお誘いを断る男は男ではないだろうとリアナは心から思う。
「でも、イリアス皇帝、ダンスがお嫌いらしいから、会話に誘う方がいいかも」
「たしかに、彼って――こう力強い感じだものね。優雅なへなっちょろい貴族の男とは違って」
へなっちょろい、というシェリルの言葉がリアナには面白かった。
「――あ、ラセルのこと、貶してるわけじゃないからね。で、そのあと……」
シェリルは言いにくそうに声を小さくする。
リアナは首を振った。
シェリルとはラセルに別れを告げられて泣き明かした三日の間、一回だけ会って、話を聞いてもらっていた。
リアナにとって、心からの友といえるのはシェリルくらいだった。
友達ならほかにもいたが、彼女らはリアナを王女として扱う。自分たちとは身分の異なる人間として接するから壁があった。――といっても彼女らも貴族ではあるのだが。
そうでなければ、王族であるリアナに嫉妬したり、親から王女と仲良くするようにと命じられていたりする。友好な友情が築ける相手はほとんどいなかった。
リアナとシェリルが仲良くなったのは、シェリルの美貌のためだろうとリアナは思っている。
王女に生まれついたリアナ、美人に生まれついたシェリル――お互い嫉妬されることに慣れていたし、それぞれ自分にしかない強みがあったからお互いを嫉妬することもなかった。
シェリルもリアナ以外には友達は少ないようだ。
美人であることを女友達から妬まれ、嫌がらせすら受けていたようだ――いや、いまですら、シェリルを目の敵にする女性は多い。
その点、王女のリアナに面と向かって粗相を行う人はいない。シェリルはリアナより苦労してきたらしい。
友達が少ないこと、境遇が似ていること、そんなわけで、ふたりはすぐに意気投合したのだった。
リアナには、シェリルと仲良くなるまえは、友と呼べるのはラセルしかいなかった。
「ラセル、赤毛の女の人と踊ってた。だれだか知ってる?」
「赤毛?」
リアナはあたりを見回した。
近くに本人はいなかった。
「ルルー嬢かしら。彼女、ラセルのこと好きみたいだったし」
「そうなの?」
リアナの知らないところで、ふたりはできていたというのか――。
「なにかと学園を仕切ってる子よ。学校を我が物顔にしている女王様っていう感じの」
王女リアナは家庭教師に教育されているから、学園にも通ってはいなかった。何度かお茶会かなにかで顔を合わせたことはあるはずだ。だが、王女の立場のリアナには覚える顔が多すぎた。
シェリルやラセルは貴族が通う王立学園で学んでいる。
リアナが知らないところで、ラセルはたくさんの女の人と顔を合わせているのだ――。
端整な顔立ちをした頭のいいラセル――モテないはずがない。
リアナはというと、舞踏会や祭典でしか、他人と会うことはない。
そして、一番近くにいた幼なじみのラセルに恋をして、そのままここまで来てしまっていた――。
ラセルにはリアナの知らない彼の世界がある。
ラセルが他の女性と恋仲になっているならば、そのほうがあきらめがつく。
王女が舞踏会をほったらかしにするのはよくないが、今日の機会を逃したら、しばらくラセルに会えない可能性がある。
王宮にしばられているリアナは、そう簡単には外出できない。ラセルから訪問してくれなければ会うことはできない。
そのとき、広間の反対側で多くの男たちに囲まれているイリアスと目が合った。
イリアスを囲んでいるのは、宰相や大臣、それにその跡継ぎ息子たちだった。
イリアスは女性の視線も釘付けにしていたが、女たちは離れたところから皇帝に熱い視線を向けているだけだった。
イリアスほどの男となれば、気後れして、女性はそうたやすく近づけないものなのかもしれない。
「ねえ――イリアス皇帝、こっちに近づいてくるわよ」
シェリルが押し殺したような叫びをあげた。
「きっと、シェリルと話がしたいのよ」
「そうかしら――リアナ王女が目当てなんじゃないかなあ」
リアナは視界の端でこちらにやってくるイリアスをちらりと見る。
「わたし、ちょっとラセルのこと探してくる」
「なら、わたしはイリアス皇帝がなぜトレオン王国を訪問することにしたのかを探ってみるわ」
リアナはシェリルを残して、その場を後にした。
真っ先に向かったのは王宮のラウンジだった。
主賓には大広間に席が与えられているが、それ以外は大広間を出て、ラウンジで休憩するしかない。
ダンスに疲れた人々がたくさん座って談笑していた。だいたいが男女の二人組だった。
リアナに気づいた何人かは立ち上がって敬礼した。
そこにはラセルの姿はなかった。
――もしかしたら……。
リアナは心当たりがある場所があった。
――ちょっと遠いけど……。
行ってみよう、とリアナはその場所へと向かった。