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2.皇帝の目的

 広間の中央でリアナとイリアスはダンスを踊った。


踊る――といっても、向き合って、イリアスがリアナの腰に手を回し、リアナはイリアスの肩に手を回して、ゆったりとした竪琴の音に合わせて身体を揺らしているだけだ。


 ふたりはまだなにも喋ってはいない。


 孤高の皇帝は基本的には無口、不要なことは喋らないのだ。

 それもイリアス・ルートが攻略しづらい理由であった。


 リアナもリアナで、群衆のどこかにラセルがいて、自分とイリアスの姿を見ていると思われると気が気ではなかった。


「踊りたくなければ、やめてもいいのだぞ」


 イリアスがはじめて口を開いた。


「いえ……もちろん、そんなことはございません。少し考えごとをしてしまっておりました」


 興味深いとでも言いたげにイリアスは片眉を上げた。


「大陸一の権力者とダンスをしていながら、なにかほかのことを考えていたと?」

「いえ、そういうわけではなく……」


 イリアスは国王への謁見の際には慇懃な口調であったが、十以上も年下のリアナとふたりきりで喋っているからか、歯切れのよい話し方をした。

 こちらがイリアスの普段の話し方なのだろうとリアナは思う。


「イリアス皇帝が、どうして本日、トレオン王国に起こしになったのかを考えていました」


 リアナはとっさに思い付いたことを言った。


「特に理由はない」


 簡潔にイリアスは答える。


「理由がないのに起こしになったというのですか」

「いま、そう申したはずだが」


 なぜ、いま言ったばかりのことを再度問うのか、と言わんばかりの口調だった。


 乙女ゲームのイリアスの性格と同じだな、とリアナは思った。

 皇帝イリアスは無駄を嫌う。極めて合理的で有能で、つけいる隙がほとんどないのだ。まあ、ガードが緩ければ、帝国など築けなかっただろう。


 聡明な応答をしなければ、イリアスの好感度はどんどん下がっていき、バッドエンドに真っ逆さまなのだ。


 しかも、今世ではやり直しのきくゲームの世界ではない。リアナは一国の王女だ――次期女王だ。

 愚か者が治める国、とでもイリアスに思われてしまえば、遅かれ早かれトレオン王国がイリアスの帝国に吸収されてしまいかねない。


「トレオンからラングヴァルトは馬を飛ばしても十日かかります。理由がないというわけではないでしょう」


 ラングヴァルトはラング帝国の王都だ。いや、帝都というべきか。

 騎乗して十日、馬車では二十日はかかる。しかも山を三つ越えなくてはならないために道が険しく、途中にはまともな宿泊場所もない。山の上では酸素が薄くなるため、高山病にかかる人もいるという。そのため、リアナもラングヴァルトを訪れたことはなかった。


「リアナ王女はすべての物事には理由があるとお考えか」


 イリアスが凜とした声で言った。


「空が青いこと、雲が白いこと、秋に葉が(あか)く染まること、蛇が()うこと、人が死ぬこと――そのすべてに理由があるとお思いか」


 リアナはそう答えながら、空が青い理由はどこかで聞いたことがあると思ったが、思い出せなかった。

 それを聞いたのが、おそらくずっと昔――今世ではなく、前世でのことだったからだろう。


「水は透明なのに、雲や霧になれば白く見える。白でなくても、黄色や紫でもよいではないか。這うよりも歩いたほうが速い。歩くべき理由のほうが、這うべき理由よりも多かろうのに、蛇は這う。人の死も同じ――死ぬべき理由より、生きるべき理由の方が多い。というのに人は死ぬ。理由などは重要なものではない」


 やはりイリアスは極めて頭が切れる男らしい。


「――すべてに理由があるとは思いませんが、理由がなくては人は行動しません」


 リアナは慎重に言葉を選んで言った。


「理由なら、いくらでも挙げられる。トレオン王国を一度訪れたかったから。盛大だという建国記念日の祭りをみてみたかったから。ちょうど帝国の辺境を視察していて、馬を二日飛ばせばトレオンに辿り着ける距離にいたから。トレオン王国との国交を望んでいるから。もしくは、トレオン王国をわが帝国の一部にしようと思っているから」

「――それは……本気で言っているのですか!」


 リアナは驚いた。

 イリアスは無視して続けた。


「それに、トレオン中の宝玉の光を集めたという麗しの姫君に会ってみたかったということもある」


 息がかかる距離でそう呟かれて、リアナは顔が赤くなるのを感じた。


「トレオンを帝国の一部にするとは――聞き捨てならない冗談ですね」


 リアナは照れ隠しをしながら言った。


「理由付けならば、いくらでもできるということを示したまで。国王陛下もそう考えているだろう」


 イリアスは上座に座ってこちらを見ている国王を一瞥した。


「どうもわたしには解せぬが、理由がなくても理由付けをしたがるのが人間の性らしい」

「では、本当にトレオン王国に来た理由はないとおっしゃるのですね」

「そうだと言っておろう。三回目だぞ、そなたがわたしにそう問うのは」


 さらにリアナの顔が赤くなった。


――これではいけない……。


 一国の王女……次期女王として、大陸一の大国の皇帝から無能などと思われてはならない。

 

 リアナは前世の乙女ゲームのイリアスについての記憶を辿った。


「ところで、イリアス皇帝は、いつから竪琴をお弾きしているのですか」


 リアナは答えを知っていながら問うた。

 突然の質問にイリアスは驚いたような顔をした。


「――十八のときからだ」


 そう答たえて、イリアスは訝しそうな顔をする。


「――なぜわたしが竪琴を弾くと知っている? わが側近しか知らぬことぞ」

「指ですよ」


 リアナは自分の腰に回されているイリアスの手に触れた。

 イリアスの手を胸のまえへと動かし、手のひらを返させた。


「陛下の指の先には小さな傷の痕があります。指の先には剣蛸はできません。竪琴をお引きになるので、水ぶくれができたにちがいないと」

「――よく気づいたな」


 リアナはにっこりと微笑んだ。


「なぜ竪琴をされたのですか」

「特に理由はない」

「そうね――たとえば、竪琴の音色が好きで、自分でも弾いてみたくなったとか」


 リアナはイリアスの答えを無視して言った。


「十八のころからされているというのに、まだ新しい傷跡があります」


 リアナはイリアスの親指にある傷跡に触れながら言った。


「わたしはダンスだけではない、楽器も下手なのだ」

「下手なのではなく、練習をしていないだけではありませんか。イリアス皇帝は有能、しかし無駄なことはなさらない。少し本腰を入れて練習すればだれよりも上手く踊れて、奏でることができると思います」

「面白い分析だな」


 イリアスは小さく笑んだ。


「――ですが、十年以上お弾きになっているのに、まだ指先に傷ができるというのは不自然ですね。教師が間違った指導をしているか、指導者をつけずにお引きになっているということ――」

「――」

「皇帝ともあろうお方――無能な竪琴弾きならば、やめさせて別の者に教わればよい――ということは、あえて教師をつけていないということです」


 イリアス皇帝は無言でリアナの推理を聞いていた。

 リアナは考えるふりをしながら続けた。


「つまり、昔の指導者に相当な思い入れがあるということです。その方以外からは教わりたくないのかもしれません。竪琴が大切な方の形見という可能性もあります。他人にそれに触れられたくはない。だから教師をつけずに弾いている」


 イリアスは皇帝らしく威厳は保っていたが、目は驚きを語っていた。


「陛下の理由がないという理由に、理由付けをしてみました。どうです?」


 すべて図星であるはずだ。


 まだ一国の王子に過ぎなかったイリアスは、竪琴弾きの恋人を殺された過去があるのだ。イリアスの竪琴はその女性の形見だった。


 まだイリアスは死んだ恋人を愛している。

 乙女ゲームでは、イリアスを死んだ恋人への呪縛から解き放たなければ、ハッピーエンドにはいきつけなかった。その亡くなった恋人こそ、イリアスルートの最大の恋敵といえた。

 生きている人間よりも死んだ人間のほうが、ある意味で強いものだ。


「驚いたな。ただの箱入りの王女かと思っていたが――」


 しばらくしてイリアスは口を開いた。


「――いや、失礼」

「いいえ」


 気にしていません、と首を軽く振る。


「能ある鷹は爪隠す――というのはまことなのかもしれぬな」

「イリアス皇帝はいつでも爪を出していらっしゃいますね。陛下とお話ししてすぐに、それは頭の切れる方だとわかりました」

「――わたしももっと爪を隠すべきかな」


 柔らかな笑みを浮かべてイリアスが問う。


「いいえ。いまのままでよろしいでしょう」

「そうか」

「爪を隠してばかりの鷹は、爪がないと思われて仲間に信頼されません。爪を出すときと隠すときをわきまえていらっしゃる――それがイリアス皇帝です」

「そうありたいものだ」


 すでにそうですよ、とリアナは微笑んだ。



 三曲分、会話をしてから、リアナは友人に挨拶しに行くと言って、一旦イリアスと別れた。


 ラセルのことが気になっていた。


 大広間を見渡すと、背の高い金髪の男性の姿が目にとまる。


——ラセル……!


 離れたところにいても、ラセルの姿を一瞬にして見つけられるのは、リアナの得意技だった。


 ラセルもちょうどダンスを終えたところだった。赤毛の女性の手に口づけている。

 ただの形式的な挨拶だとわかっていても気持ちの良いものではない。


 リアナはふたりのほうへと歩いていった。


 女性の顔は見覚えはあったが、名前までは思い出せない。だが、赤毛には見覚えがあった。

 王女であるリアナには覚えなければならない名前と顔が多すぎた。少なくとも暗記重要度が高い人間ではない。


 赤毛の女性がラセルより先に、近づいてくるリアナに気づいた。


「リアナ王女殿下」


 女性は優雅にお辞儀をした。


「リアナ王女」


 ラセルもよそよそしくお辞儀をした。

 彼の深い緑の目はリアナを見ないようにしているようだった。


 赤毛の女性は微笑んで「ごゆっくり」と言い残して去っていった。

 

「ラセル、いまいいかしら」

「要件は?」


 ラセルはめんどくさそうに質した。


「少し、人がいないところで——」

「要件は?」


 ラセルが淡々と繰り返す。


 要件と言われても困る。


 あなたとよりを戻したい——などとは言えない。

 ラセルがリアナを振った理由が知りたい——などとも言えない。

 なぜラセルが「おれたちは結ばれる定めではないんだ」と言ったのか——そんなこと聞けるわけがない。


 リアナがなんと言うべきか考えていると、


「イリアス皇帝と仲がよさそうでなにより」


 とだけ言って、ラセルはくるりと背を向けた。


「ラセル、待って——」


 リアナは追いかけたが、ラセルは人混みの中を縫うようにして去っていき、すぐに見えなくなってしまった。


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