18. リアナの知らない恋人
ラセルの裁きは明日の正午に行われることになった。
時間はない。ラセルが刑の軽減をはかれるような証拠や証人の準備はほとんど不可能だと思われた。
それでも、トレオン法で裁くことになったからには、徒に傍若無人な裁きにはならないはずである。ラセルの身柄をラングへ引き渡しにはならなかったことは不幸中の幸いであるとリアナは思った。
だが、軽罪ではイリアスは納得しないだろうし、彼のほうは証人や証拠を揃えているようである。
ラセルに会って話をしたかったが、彼は裁判のために代言人を立てたり、証人になりそうな人物をあたったりしているようで忙しそうだった。
代言人とは現代でいうところの弁護士を職掌とする者のことである。夏目漱石の小説にはたしか、弁護士ではなくこの呼称が使われていたような記憶がある。
自分もラセルのためになにかができないか。
そんなことを思いはするのだが、リアナができることといったら、彼らの仕事の邪魔をしないことだけのようだった。
次期女王だ。トレオン法はしっかり頭に入っている。条文を丸暗記すらしている。正確には教師に丸暗記させられたと言ったほうがよいが。
なにか手伝えることがあるはずである。――と思うものの、もちろん代言人は皆、条文を丸暗記しているし、裁きの経験も豊富である。
やはりリアナが「何もしない」ことが、最善の「手伝い」になるように思われた。
午後、話を聞きつけたシェリルが、王宮に来てくれた。
「きっと、心配ないわよ」
シェリルはリアナを安心させるように美しい顔を微笑ませた。
本殿のバルコニーで話していたふたりに気づいた侍女が、テーブルにお茶を準備してくれていた。
ありがとう、とシェリルが同じ笑顔を侍女に向ける。侍女は、同性だというのにもかかわらず、少し顔を赤らめた。
化粧のひとつもしていないリアナをよそに、シェリルはいつもどおり――いやいつも以上に輝いているように見えた。シェリルは午後から学園の授業を早退して来てくれたらしい。
「ラセルってね、本当に頭がいいのよ。歴史は苦手みたいだけど、算学や博物学はいつもダントツ首位」
だから、裁きに関しても、なにか案を考えているはずだというのがシェリルの意見だった。
よく考えたら、学園でのラセルの様子について、シェリルと話したことはほとんどなかった。シェリルはいつもリアナの惚気を聞いているだけだった。
リアナは自分がラセルについて一番よく知っている自信があった。彼について知らないことはないと思っていた。
高等学園に入学してからシェリルはラセルと知り合った。ここ四年しかラセルを知らないシェリルに彼について教わることはなにもないと思っていた。
だというのに、ラセルが歴史が不得意であることをリアナは知らなかった。
「でも、苦手って言ってもね、平均よりはできるのよ。だから、他科目に比べれば、劣る――って言ったほうがよかったかもね」
「歴史って、暗記科目じゃないの?」
「まあ、そうね。試験はすべてどれだけ暗記ができたかで点数が決まるわね」
変だな、とリアナは思った。
ラセルはあれだけの植物の名前や効能を暗記している。記憶力が相当によいはずだ。
なぜ歴史ができないのだろう。単に、興味がないのか。
「ラセルって学園ではどんな感じなの?」
リアナの問いに、シェリルは顎に手を添えて考えた。
「そうね……頭はいいし、運動も得意で、皆に尊敬されているわね。先生たちも一目おいているし」
「モテる、わよね」
うーん、とシェリルは唸った。
「あなたに言うのもなんだけど、そうでもないかもしれないわ。そんなに目立ちもしないしね」
「どうしてかしら」
あんなにかっこいいのに、とリアナは思う。いつもならばシェリルに惚気を聞かせているところだったが、いまは振られている身なので我慢する。
「その……愛情の向けられ方が違うのかもね。なんていうか――ラセルって、ちょっとこの世の者じゃない、達観した感じがあるじゃない」
「そう? わたしにはよくわからないけど」
実際、リアナは「達観」の意味がよくわからなかった。
「神を愛するのと、恋人を愛する、って同じ『愛する』でもまったく違う感情でしょう。前者の愛するは、どちらかというと『崇拝』に近いわ。すごい人だから崇拝する――そんな感じに思われているのかな、ラセルって」
「さらに、わからなくなったわ」
リアナにはラセルが崇拝するような存在には見えない。
端正な顔立ちはしているし、頭がいいとも思うが、特別にそうだとは思えない。天才というほどではない。神への崇拝に似た感情ならば、イリアスに対してのほうによっぽど感ぜさせられる。
「リアナは学校に行ったことがないから、他の馬鹿な男子を見ていないでしょう。だから、わからないんじゃないかな。そんな男子の中でラセルを見れば、彼が本当に大人で不敵で天才に見えるものよ」
「そういうものなのかしらね――」
リアナは前世で共学の学校に通っていた国仲理愛の記憶を思い出していた。
たしかに男子は子どもっぽく見えた。その中で、飛び抜けて成績がよい彦根颯太という男子がいて、彼が満天をとるたびに「彦根くん神」なんて皆が言っていていたが、それは「すごい」という意味のスラングだ。シェリルが言っているのはそういうのとはまた違うだろう。
「まあ、ラセルへの尊敬の念は、王女リアナの恋人だという事実によって脚色されていたというのもあるかもしれないけどね」
「わたしのことが?」
「だって、王女と男を争っても勝ち目なんてないじゃない、はじめから」
「――毎日、ラセルに会える人たちのほうが勝ち目があるように思えるけど」
「それに、王族ってなんか自分とは別世界の人間のような気がするじゃない。王族ってだけで、同じ人間じゃないような」
そうだろうか、とリアナは思う。自分ではいたって普通の人間であるつもりだ。実際、前世はどこにでもいるOLであった。高給取りでもなかった。その頃といまの自分がかなり変わっているとは思わない。
しかし、芸能人や皇族が自分とは違う世界の人間だと思えるような気持ちに似ているのかもしれない。
「さすがに、いまではそれほどリアナのことを遠く離れた人物とは思わなくなったけど、最初はやっぱりあなたに呼び出されるたびに緊張したものよ」
「そうだったの?」
「もちろん。王女が自分になにを望んでいるのだろう、ってずっと考えてた時期もあったわ」
いままで黙ってたけどね、とシェリルは小さく舌を出した。
「わたしは、ただお友達になりたかっただけなのに」
「まあ、わたしの場合、考えすぎてたのかもね。だって、その――学園で同じクラスの女子生徒に呼び出されるときって――」
シェリルが言葉を濁した。
美人のシェリルはいじめられっ子だった。現代日本でいじめっ子が体育館の裏でやっていること同等のことが、この世界でも行われているのだろうとリアナは察した。
「ラセルもわたしのこと、そんな風に思っていたのかしら」
「さあね。そうでもないんじゃないかしら。だって、あなたと、ラセル、同じ類のように見えるし」
「同じ類?」
ええ、とシェリルが頷く。
「さっき言った、崇拝されるような雰囲気があなたたちのどちらにもあるわ。似たもの同士の恋人たちってことね」
「過去形、ね」
「え?」
「正確には、恋人たちだった、が正しいわ」
シェリルがすまなそうな顔をした。
「そういえば、シェリル、どうやってイリアス皇帝からトレオン訪問の目的を教えてもらったか――そろそろ教えてほしいのだけど」
リアナは話題を変えた。
口を使う、の意味がまだリアナには理解できない。
ああ、あれね、とシェリルは眉を窄めた。
「実はね――」
シェリルがリアナの耳に口を近づけた。




