17. 猛毒の対価
南大門でリアナがラセルを待っている間、衛兵はそわそわしていた。王女が近くにいるからだ。
警備しているところを王族に見られていることなど、いままでなかったことだろう。王族は待たせることなく門を通過させる対象であり、いつもは一瞬で通り過ぎられてしまうだろう。
実際、リアナも、生まれてはじめて衛兵の存在を意識した。自分が通るときに、門が開くのがあたりまえだとさえ思っていた。まるで自動ドアが開くのがあたりまえだと思うように。
そして、興味深いことに、自動ドアが開くことがあたりまえだと思っている人間のほとんどは、自動ドアが開く電子工学の原理や人間を感知するセンサーの仕組みを理解していないのである。それだというのに、自動ドアが開くことがあたりまえだと思っている。
もし、明治時代以前の人間が自動ドアを見たら、驚き、魔法だと思い、それについて知りたいと思ったことだろう。
昭和以降の人間と自動ドアの関係は、王女リアナと「自動」で開く南大門と同じであったのだ。
はじめて、リアナは衛兵の存在と彼らの職掌を意識したのだった。
「お疲れさま」
リアナは衛兵に声をかけた。
衛兵は敬礼をし、さらに佇まいを正した。
「今度、差し入れをお持ちしますね」
リアナがそう言うと、衛兵たちは本当に困った、という様子でお互いの顔を見合わせた。
「約束します。絶対に持ってきますからね」
リアナの言葉には徒に力が入っていた。
さらにしばらく待つと、馬車が一台やってきた。
馬車の前後には騎馬が四騎、護衛していた。
豪華な馬車だった。どこかの貴婦人だろうか、とリアナは思った。
若い男性は基本的には馬で登城する。ラセルもそうだ。
だが、リアナの慮外だったことに、馬車から降りてきたのはラセルだった。
ラセルのあとからイリアス皇帝も現れる。
大門をくぐったラセルの視線が、その先のリアナの姿をとらえた。
ラセルは拘束こそされてはいなかったが、ラング風の軍服を身にまとった従者に四方を囲まれていた。
「ラセル――」
リアナは駆けよっていった。
ラセルはリアナを見つめていたが、なにも言わなかった。
リアナのほうも言いたいことはいくらでもあったが、すぐ近くにはイリアスとその従者がいる。
「ラセル、嘘でしょう?」
リアナは問うた。
「なにかの間違えでしょう?」
ラセルは答えない。
リアナはイリアスのほうを向いた。
「イリアス皇帝、ラセルが毒を密売していたなんて偽りです。そんな十年もまえのこと――証拠もないはずだわ」
イリアスは厳しい顔をしていた。視線はリアナではなく、本殿のほうへと向けられている。
リアナの声は聞こえていないようにさえ見える。
従者が動き出した。
ラセルもまえに進むように促される。
「本当だ」
ラセルが呟いた。
それだけ言って、彼も歩き始めた。
「そんな――だって、イリアス皇帝の恋人が殺された当時ーーあなたは六歳? 七歳?」
リアナはラセルを追っていって問う。
「そんな昔のこと――時効よ」
「時効ではない」
答えたのはイリアスだった。
「ここ二、三年は密売に加担してはいなかったようだが、彼は五歳のときから継続的に毒物を売買していたことを認めた」
イリアスは感情のこもらない声で言った。
「そんな……本当なの、ラセル?」
ラセルの言葉で聞かなければ信じられない。
ラセルはまた、
「本当だ」
と答えた。
「密売だなんて――どうして、そんなことをしたの?」
リアナがラセルを追いながら問うても、彼は無言で歩き続けた。
本殿の入り口から国王や大臣らが出てきて、ラセルの訪れを出迎えていた。まるで国賓のような扱いだ。犯罪者と国賓はある意味で近い存在なのかもしれない。
「トレオン国王陛下」
イリアスが父のほうへと進み出た。
「昨日、申したことですが、この男の身柄の引き渡しを許可していただけようか」
しばらくイリアスを見つめてから、国王は首を横に振った。
「だが、裁きは約束しよう。トレオン人はトレオンにてトレオンの法で裁く」
イリアスはあからさまに苛立った顔をした。
「裁きはいつ行う?」
「裁きの準備には十日はかかろう」
裁かれる者にも証拠を準備したり、証人をつけたりする権利がある。トレオン法ではその準備期間が設けられていた。――といっても、日本での裁判に比べれば、東京から新大阪に行く時間と、東京から月に行く時間ほどの差がある。もし月に行ければの話だけれど。
「わたしは明日にはラングに発たねばならぬ」
イリアスが言った。
「では、裁きの結果を知らせる早馬を飛ばさせましょう」
「ならぬ」
イリアスが国王へ凄んだ。
「この男の裁きはわたしの目の前で行ってもらう。さもなくば、彼を引き渡してもらおう」
「命令は受けぬ。そなたはわたしよりも大きな国を治めてはいるが、立場は等しい。同じ一国を治める国家元首であることに変わりはない」
沈黙が流れた。
睨み合っているふたりの元首をよそに、ラセルはどこか人事のように宙を見ていた。
「ならば、明日、裁きを行うことで折り合おう」
イリアスが言い放った。
「これ以上、交渉は行わぬ。明日だ」
それだけ言うと、イリアスはラセルを囲んでいる従者に目で合図した。
従者が再び歩き出す。ラセルもそれに従って歩いていく。
彼をどこに連れていくというのだろうか。
客室だろうか。いや塔の上の牢かもしれない。
ラセルがふと立ち止まった。
リアナのほうを向いて口を開く。
「カカオだ」
ラセルはまた正面を向き、従者たちに促されながら歩きはじめた。
――カカオ……?
カカオがどうしたのだ。何がカカオなのだろう。
カカオがなにかのヒントなのだろうか。
謎掛けなのか。暗号なのか――。
ラセルの姿が本殿の奥に消えていく。
リアナはもうラセルに会えないような気がした。
カカオを入手すればなにかわかるのか。
カカオ農場はトレオンにはない。熱帯でしか栽培できないからだ。カカオの木はトレオンのどこを探してもないはずだ。入手は極めて困難である――。
――いや、植物園には温室がある。
温室にカカオの木があるのだろうか。
そうだとして、それがラセルの嫌疑どどのように関係しているというのか。
ラセルがカカオを密売していた?
いや、カカオは毒物ではない。薬物でもない。
カカオは砂糖と混ぜるとチョコレートになるだけで――。
リアナははっと息を呑んだ。
――まさか……!
カカオは熱帯でしか育たない。
トレオンでは栽培できない。
エンジンも蒸気機関も火力発電もないこの世界――遠方からの輸入は極めて困難だ。
よって輸出入には極めてお金がかかるし、輸入品には高値がつく。
カカオの輸入業者などもトレオンにはいないはずだ。
甘いものが食べたければ、高価なチョコレートではなく、ケーキやクッキーを食べればよいから、普及させる必要がないし、金稼ぎにはならないのだ。
チョコレートはトレオンの市場には並ばず、異国の行商人でも来なければ手に入らない。
貴族といえど、トレオンでは滅多にチョコレートにお目にはかかれない。ましてや、子どもがそれを手に入れられるはずがない。
カカオが理由なのだ。
ラセルが毒を密売した理由なのだ。
子供のころから、会うたびにラセルはリアナにチョコレートを贈ってくれた。
相当、高価だっただろう。
なにも知らずに、リアナはそれをねだり、貪っていたのだ。
「ああ……」
リアナは嘆息した。
子どもが与えられる小遣いで買えるようなものではない。
貴族の子どもは学園に通わされるから、自分で小遣いを稼ぐこともできない。働いたところでカカオを買うほど稼げもしないだろう。
となると、ものを売るしかない。
少年ラセルは考えた。
きっと少年ラセルは考えたのだ。
賢い少年は考えた――。
自分で作れて、高くで売れるもの――。
毒。
少年ラセルは、毒を売ることによって、カカオを手に入れるお金を手に入れていた。
――わたしのために……!
王女にチョコレートをプレゼントするために。
そのために、人の息を止める猛毒を売っていたのだ。




