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16. 世界の理

「だが、ラセルをイリアス殿下に引き渡すということは、わがトレオンがラングのいいなりになるということを意味している」


 父の声が言った。


「宰相閣下は、わたしにトレオン国王としての面目を損なえというのか」

「ラセル殿の引き渡しに応じず、それを口実に宣戦布告でもされたら、それこそ国王ではいられなくなりますぞ。国がなくなるのですから」


 宰相は語気を強めた。


「わたしもはじめは、イリアス殿下がトレオン征服をもくろんでいるのではと疑っていた」


 父は冷静な声で返した。しかし――と彼は続ける。


「侵攻する力があることは、実際に侵攻することと同義ではない」

「どういう意味ですか」

「ラングがトレオンを併合する気ならば、とうの昔にそうしているはずだ。イリアス殿下の目的はトレオン併合ではない」


 この父の意見にはリアナも賛成だった。


 過去にイリアスが併合した国々はすべて、政治が乱れた国だった。

 ネロ帝のような暴君に支配されていたり、戦国時代のように権力者が乱立していたり、憲法や律令が確立されていなかったり――そんな問題ありの国々を、ラングという体制の整った伝統的な国家が併合し、帝国を成したのだ。

 旧国民は併合に反対するのではなく、むしろラングの支配を歓迎したものだ。


 暴君の支配する国を上回る軍力をラングが持っていた。そしてそのことが直接、侵攻につながった。


 対して、トレオンは旧ラング王国がそうであったように、世襲される王権が支配する伝統的な国家である。比較的平和で、民の不満も少ない。

 そのような国を「攻められるから攻める」のは、前者の場合とは完全に異なるものである。そんなことをしては、イリアスの人気や権威への汚点となりかねない。


 そもそもこの世界には国際連合に該当するものはない。他国の侵攻には理由は必要ない。本当に侵攻したいならば「口実」はいらない。


「ならば、イリアス殿下の目的は何だと申すのです」


 宰相が言った。


「まさか、本当にイリアス殿下が十年も昔の恋人の死を悼むがゆえに、ラセル殿の引き渡しを命じていると? 国王陛下、陛下は誠にそうお思いになっていらっしゃると?」


 国王はすぐには答えなかった。少ししてから、


「その可能性が高い」


 と(おごそ)かに言った。


「皇后というならばともかく、相手は婚約すらもしていなかった竪琴弾きだというではありませんか」


 宰相が低い声で唸った。


「茶番ですぞ、陛下」

「口を慎め、閣下」


 国王がぴしゃりと言った。


「ああ。そのとおりだ、茶番なのだ。どんな国家の元首が恋人の犯人を引き渡せ、などという茶番を申すだろう。そんな茶番を引き合いに戦争をはじめるだろう。純粋に、恋人の仇ととらえるのが最も合理的だ」


 部屋のあちらこちらから唸り声が聞こえてきた。

 国王と最初がふたりで会話をしているように聞こえていたが、十人程度が諮問の間にはいるようだった。


「でしたらなおさら、ラセル殿を引き渡してしまえばよいでしょう」


 しばらくして、また宰相の声が言う。


「イリアス殿下の恋物語を吹聴れば、民も納得するでしょう。だれも、陛下がイリアス殿下と対等の立場ではないなどと憶測はしないはず。ラセル殿を引き渡せば、トレオンとラングの親交にもつながる」


 リアナは宰相に怒りを覚えた。そして、彼の言うことが正しいと判断する合理的な自分の中のひとりにも腹が立った。


 それでトレオンはよい。父もよい。だが、ラセルはどうなる。


「さすがに密売人というだけでは、ラングの法でも処刑にはできないでしょう。彼は賢い男だ。うまくことを運ぶでしょう」

「彼、とはだれのことだ」


 父が宰相に問う。


「イリアス殿下のつもりで言いましたが、ラセル殿でもかまいません。彼はそのお得意の知恵で、ラングでも上手く世を渡り歩いていくでしょう」

「イリアス殿下がラセル殿を引き抜きたいがゆえに、このような茶番を行っているかもしれませんな」


 はじめて父と宰相以外の人間の声がした。大臣のひとりだ。


「だとしたら、なおさら、ラセルを渡すわけにはいかない」


 父が反論した。


「彼の頭はトレオンのさらなる発展に大いに貢献しよう。だからこそ、わが娘の王配としてラセルを据えることを真剣に考えておったのだ」


 父は基本的にはラセルの保護に回っているが、それは娘の恋を応援するためではなく、国家の利益を考えてのことなのかもしれない。


「そうですが――」

「ラングのためにラセルが働くようになったら、それこそあと二代も三代もせずに、トレオンは帝国の一部になるやもしれぬ。いや、トレオンだけではない。この大陸のすべての国がだ。史上初の大陸統一をラングが果たそうとしているかもしれぬ」


 大陸統一。


 大臣らの間から、その言葉がこだまのように繰り返された。


「だが、いまはこんな憶測を論じている場合ではない。そろそろラセルが王宮に到着する。いま論ずるべきなのは――」


 国王はそう言ったところまで聞いて、リアナは諮問の間の扉から離れた。


――ラセルが来る……!


 父王や他の大臣らより先に、ラセルに会って話さなければならない。


 ラセルは南側の大門から本殿へやってくるだろう。


 リアナは本殿を出て、大門のほうへ庭園を早足で歩いていった。


 南に城や城下町の大門を作るのは中国風だ。中国を真似た古代日本の平城京や平安京の朱雀門もそうだった。


 この世界は極めて現実世界に似ていたが、似ているのは姿や形態――目に見える部分だけではないのかもしれない。


 秦の始皇帝(しか)り、ローマ皇帝然り、チンギス・ハン然り、戦国時代の武将然り、グローバル化然り――つねに大きくなった勢力は統合したがる。ひとつになりたがるのだ。


 それが(ことわり)なのだろうか。

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