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14. 残酷な運命

 浴室から出たリアナは、リビングで父の帰りを待つことにした。


 夜が更けても父は戻ってはこなかった。


 公務が詰まっているときには、父はよく徹夜をする。

 ここ数日は忙しそうには見えなかった。が、イリアスの例の発言が、父の仕事を増やしてしまったのだろう。


 帝国ラングの主権者に告発されたということは只事(ただごと)ではない。

 トレオン王国存続の危機とも言ってもよいかもしれない。


 リアナはまったく眠くならなかった。

 父から事の次第を聞くまでは、絶対に眠りにつけそうになかった。


 ラセルはどうしているのだろう。 

 イリアスが彼を告発していることを知っているのだろうか。


 明日、早朝に使者を飛ばして、ラセルを王宮に来させなければ。

 いや、来させない方がよいか。


 王宮に滞在しているイリアスにラセルが拘束される可能性は無きにしも非ず――。



 父がリビングに現れたのは、夜が更け、明け方に近くなってからだった。


「お父さま」


 まだ起きていたリアナを見ても、父は驚きはしなかった。


「有罪は免れぬだろう」


 父は簡潔に言った。


「そんな――」


 リアナは泣きたくなった。が、涙は出てこなかった。


「彼はいままで発見されていなかった毒を発見し、それを隠し、売り渡していたのだ」

「しかし――」

「ラセルの助言が王宮の学者の研究に大いなる貢献をしていることは知っていたが、まさか毒などというものを密売していたとは――」


 失望した、と父は冷たく言った。


「しかし、お父さま、イリアス皇帝の恋人が殺された当時、ラセルはまだ子どもなのですよ」


 イリアスの恋人が殺されたのは十年もまえだ。現在、十八のラセルは、当時、六つかそこらだったはずだ。


「子どもにそのようなことができるとお思いですか」

「子どもが人を殺したらいけないという法律を知らなかったからといって無罪にできようか」


 少なくとも日本では未成年の犯罪は成人とは異なる形で処理されたはずだ。――という言葉をリアナは飲み込む。正確な法律用語もすでに忘れている。いや、国仲理愛でも知らなかっただろう。

 そもそも国が違えば法律も違うし、国が同じでも時代が違えば法は違う。なにを言っても無駄だろう。ここは、子どもも大人も同等に裁くトレオン王国なのである。


 ラセルの有罪は確定のようだった。


「有罪って――まさか処刑ではないでしょう」

「わからぬ」


 父は正直だった。


「毒を売り(さば)いただけでは重くて禁固だ。貴族だから金を出せば禁固は免れよう。ただし今回は、その毒が大陸で最も権力を持つ人間の近者を殺してしまっているのだ。こうなるとトレオンだけの問題ではない」


 父によれば、すでにイリアスは証人を取りそろえているという。


 数年まえ、ラング帝国で麻薬の密輸をしていて逮捕されたトレオン人が、イリアスの恋人を殺した毒の情報を渡すことによっての司法取引を試みたらしい。

 該当の毒物はすでに流通しておらず、逮捕された売人も、昔、別の仲介人から毒を手に入れていただけだった。


 イリアスはここ二、三年、トレオンに密使を派遣し、毒の出所を探っていたという。

 優秀な密使を(もっ)てしてもこれほど毒の出所を割り出すのに時間がかかったのは、当時、ラセルが年端もいかない子どもだったからだという。

 密使は、イリアスの恋人が殺害された当時、大人であった密売人ばかりをあたっていたのだから当然といえた。


 イリアスの密使はトレオン貴族の中に毒の売人がいることをつきとめたが、それ以上は絞り込めなかった。トレオン中の医師や薬師の薬草園をくまなく調べても結論が導けない。


 そして、結論が導けないということは、逆に言うと、結論が導けないというひとつの結論が導かれたということである。


 つまり、密使が潜入できない唯一の場所が確実な候補として割り出されたことになる。



 トレオン王宮だ。



 そこで、建国記念日の祭典に参加する(てい)で、イリアス皇帝自身が王宮に潜り込んだのだった。


 植物園にイリアスが連れてきたふたりの従者は、ずっとトレオンで捜索を続けていた密使だったらしい。


 しかしながら、ラセルが犯人であると最初に気づいたのはイリアス自身だった。


 密使らは「手の込み入った犯罪は大人が行うもの」という先入観を持っていたため、今回の捜索に関してはそのような観念から自由なイリアスの機転が(まさ)ったのだ。


 ラセルがただならぬ切れ者であると一目で悟ったイリアスは、もしやラセルが犯人であるかもしれない可能性を鑑み、毒やその他の犯人しか知り得ないような情報について質問した。


 そして、そのすべてに見事に答えたラセルが犯人であることを突き止めたのだった。




 リアナは(すが)るように父を見た。


恩赦(おんしゃ)をしてはいただけませんか」


 恩赦は国王のみが行使できる権限だ。

 父がラセルを恩赦するはずがないことはわかっていたが、聞かざるをえなかった。


「ラセルを恩赦することは、イリアス陛下に宣戦布告していることと同義である」


 父からは予想通りの答えが返ってきた。


「賢い子どもだとは思っておった。だが、賢すぎるがゆえ、このようなことになってしまうとは――」


 だれだったか――地動説を唱えて火刑に処せられた科学者がいたはずだ。ガリレオも異端審問でぎりぎり処刑を免れたはずである。


 きっと、科学が支持されない時代、そして世界においては、科学は毒なのだ。それが、薬になり得る事実は封じられ、薬が毒として葬られるのだ。


 リアナは天使のようにかわいらしかった子供のころのラセルの姿を思い出す。

 猛毒を密売するような悪人とは真逆の存在に想われた。


「ラセルは――どうして毒を売ったのでしょう?」


 ふと気になってリアナは質した。人の行動には理由があるはずだ。その行動が型破りなものであるほど、大きな動機があるはずだ。

 十日もかけてわざわざトレオンを訪問したイリアスにしても、猛毒を密売したラセルにしても――。


「小遣いでも稼いでいるつもりだったのだろう」

「でも、六歳だったのですよ。そんな幼い子どもが人を殺すかもしれない毒を売るでしょうか」


 ラセルは賢い子どもだった。だからこそ、物事の善し悪しもわかっていたはずだ。

 いたいけな子どもが人殺しに加担するような悪事を働くはずがない。


「リアナよ、大人と子ども、より残酷なのはどちらだと思う?」

「それはもちろん大人です」

「そうだろうか」

「そうではないとおっしゃるのですか」


 大人よりも、子どもの方が残酷だということなど――。


――最近はなくなってきているけれど……。


 ふと美人の親友の言葉を思い出した。


 ドレスを破かれたり、わざとインクをかけられたり、教科書を隠されることなんて日常茶飯事。鞄に蛙や虫の死骸が入っていたことも。最近はなくなってきているけれど――。


 シェリルはそう言った。


――みんな大人になったのね。


 大人になるとはどういうことか。


 大人になったら、わざわざ虫を捕まえて、他人の鞄に入れるなんてことはしない。

 そもそも、大人は虫を殺すのがかわいそうだと思うだろう。蛙の解剖をする学校など――王立学園でも現代日本でも――皆無だと言ってよい。犬好きや猫好きであっても、虫や爬虫類というだけで問答無用に気持ち悪いとも思う大人も多い。


 だが、子どもは虫を捕って、殺して、楽しむ。

 蟻の行列を見つければ、面白がってその小さな命を踏み潰す子どもは少なくない。


 前世で近所に住んでいた幼なじみの少年は虫取りが趣味だった。

 捕った虫は標本にしてコレクションにしていて、彼の部屋には何百種類ものカブトムシやらクワガタやら何とか虫やらが並べられていた。


――気持ち悪い!


 国仲理愛は彼に何度そう言っただろうか。


 それでも彼は虫取りをやめなかった。

 だが、その彼も大人になってからはさすがにやめたようだった。


 その代わり、彼はたしか大学では理学部生物学科で、変異種のマウスやハエを作っては殺し、DNAの解析をしていたらしいが――。



「ラセルの刑罰は、イリアス陛下がどのような証拠を入手しているかによるだろう」


 父が立ち上がりながら言った。


 その証拠がラセルの毒の密売をはっきりと裏付けるようなものであれば、ラセルの有罪は確定だ。彼の身柄をラング側に引き渡さなければならなくなる可能性もある。

 そうなれば、もはやトレオン王国の法律で裁くことすらできなくなる。


 処刑もありうる。


 そう言い残して、父は寝室へと姿を消した。

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