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13. やるせなき憤怒

 リアナは湯船の中で大きな溜息をついた。

 浴場にエコーのかかった溜息が反響した。


 ここは王宮内の王家の居住区にあるリアナと母が使う女性用の浴場で、男性用は別にあった。といっても、王家には国王の他に男はいないから、実質、男性用の浴場は父専用であった。


 ラセルが王家に加われば、男湯は父の専有物ではなくなるのだが――。



――そんな日は来ないかもしれない……。



 イリアスが衝撃の告白をした後、すぐにリアナは会食の間から退出させられた。


 葡萄酒に濡れたドレスで会食を続けるわけにはいかない。

 リアナは着替えてすぐにでも席に戻りたいと思ったのだが、国王はリアナと母を追い払うように退出させた。


 まだ、父たちは会食の間でイリアスと話を続けているだろう。


 次期女王のリアナに、今晩イリアスと交わされた話の内容を教えないということはないだろうが、それは今夜遅く、それか明日の朝になろうと思われた。


――ラセルがイリアス皇帝の恋人を殺したなんて……。


 突飛すぎる事実だった。


 イリアスにはまだ皇妃がない。

 まだ、イリアスが昔の恋人を愛しているからだ。



 ひとりの女性を愛し続ける。――その死後ですら。



 それはイリアスが女性に人気の理由のひとつでもある。


 唯一無二の愛する女性を失い、彼女を死に追いやった人間をとことん追い詰め、報復する。


 まさに吟遊詩人に好まれそうな恋の物語だ。

 その高潔な人格は民に忠誠を誓わせ、彼のために戦う臣下の心を鼓舞することだろう。


 前世の国仲理愛も、そんな高潔でまっすぐなイリアスを推していたのだ。


 現世のリアナとてそんな彼に惚れ惚れとしたかもしれない。


――殺人の罪を課せられているのが、自分の恋人でなかったら……。


 イリアスを好ましい人物と思い、捜索に力添えしただろう。


 もしかしたら、国仲理愛のように、何度、攻略に失敗しようと、イリアスを亡き恋人の呪縛から解き放って、再び人を愛する喜びを教えてあげたい――なんて乙女心をくすぐられたかもしれない。


 だが、イリアスが追い詰めようとしている犯人はリアナの恋人なのだ。


――いや、元恋人か……。


 またリアナの唇から溜息が漏れた。



 悶々とした気分を振り払おうと、リアナは頭まで湯船に沈み込んだ。

 体中に水圧がかかり苦しくなる。身体が浮き上がりそうになったが、力を込めて水中に留まった。


 水中で会食の間での最後の会話をリアナは思い出した。


   *


『わたしの恋人に盛られた毒――正確には、わたしを殺そうと狙ったものであったのだが、その毒はラング中の学者、医師、薬師を総出にして調べても解明されなかった』


 イリアスは厳しい表情で言い放った。


『だが、あのラセルという男はトレオン中の知恵者が探せなかった毒を知っていた。しかも、彼がその毒を発見し、それを売っていたこともあるという。彼が彼女を殺したのだ』


 なんという言いがかりだろう。リアナははじめてイリアスを恨んだ。

 特殊な毒についての知識があったから、犯人だと決めつけるなど横暴すぎる。


『ラセルが毒の種類を知っていたからといって、彼が毒を盛ったというわけではあるまい。わたしが知るかぎり、彼がラングを訪れたことなど一度もないはずだ』


 国王がイリアスを()めつけた。

 父は怒ると(すこぶ)る怖い。さすが一国の王である迫力だ。


 だが、イリアスはトレオン国王をまったく意に介さない様子で嘲笑した。


『毒を盛った人間など、すぐにとらえて処刑している。だが、毒を盛った人間だけでは殺人は成立しない。毒を作って売った人間も同罪だ』

『馬鹿げたことを』


 父もイリアスに嘲笑を返す。


『馬鹿げているだろうか。ならば、トレオン国王陛下よ、そなたの国では、阿片(あへん)大麻(たいま)を栽培し、それを売った者を野放しにしていると申すのか』


 イリアスは淡々と話していたが、その瞳の奥には烈々とした愛情と憤怒が燃えていた。

 トレオン国王の返す言葉はなかった。


『やりきれぬ』


 イリアスが言った。独り言のようだった。


『どうしてもやりきれぬ。彼女を殺した者をすべて始末し尽くさねば』


   *


 イリアスがそう言ったあとすぐ、タオルを持った侍女がやってきて、リアナはそれに包まれ、強制的に退出させられたのだった。


 リアナは水面から顔を出した。

 もう少し息を止めていられたが、別に潜水の技術をだれかと競っているわけでもない。


 もう長く湯船に浸かっていた。のぼせそうだ。


 リアナは湯船から出た。リアナの身体の分だけ、浴槽の水面が下がった。


 身体をタオルで拭きながら、ふと浴槽の鏡に映る自分の顔を見る。


 高い鼻、大きな瞳、長い睫毛――。


 それらを見るとき、ふと自分は夢を見ているのではないかと思う。


 自分はまだ国仲理愛として生きていて、長い夢を見ているのではないか。

 これらはすべて彼女の妄想なのではないか――。


 だが、妄想ならば、もっと幸せで完璧な幻を想うだろう。


 鏡に映る自分の姿は美人だった。絶世の美女ではない。だが、国仲理愛よりはずっと美人だ。

 これは現実だろうか、幻想だろうか。


 もし幻想ならば、自分を絶世の美女にしてもよかったはずだ。シェリルのように――。


――口の使い方……。


 舞踏会でシェリルが言ったことを思い出す。


 口の使い方、とはなんだろうか。

 イリアスのトレオン訪問の目的をだれよりも早く察知したのは彼女だった。


 彼女と話をしなければ。


 リアナは浴場を出た。

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― 新着の感想 ―
[一言] 初めまして。 毒と薬は紙一重。 毒と呼ばれているものも、使い方によっては薬になるものが多数あります。 阿片や大麻も医療用としても使われているのです。 要は使い方次第。 だから、皇帝の言ってい…
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