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12. 宿命を超えて

 その夜、リアナと王と王妃、それにトレオン王国の宰相と大臣が四人――計七人は会食の間に集っていた。


 イリアスの姿はまだない。すでに約束の時間を過ぎていた。


「昼間、イリアス殿下の様子はどうだった?」


 国王がリアナに質す。


「薬――それに毒にとても興味がおありのようでした」


 王は宰相と目配せし、その宰相が大臣らに目配せした。

 イリアスのトレオン訪問の目的には良からぬ疑惑が存在する可能性があることについて、父の側近の四人は知らされているようだった。


「ラセルとは和解したか」


 王は再びリアナに顔を向けた。


「いえ……その――」


 リアナは何と言おうかと迷う。家族のみならず、大臣たちもいるのだ。

 王女の恋愛は個人的な問題の範疇(はんちゅう)より大きいものだとわかっていても言いづらい。


「なんだ、その曖昧な答えは?」

「はい、あの――いえ、いいえ、です」


 さらにわかりづらい答え方になったが、まだラセルと元の関係に戻ってはいないということは伝わったようだった。


「せっかく、このわたしがラセルと顔を合わす場を、計らったというのに――」


 父王が大袈裟に溜息をついてみせる。


「あ、今日、イリアス皇帝をラセルに案内させたのは、お父さまの命令だったのですか」

「無論」


 そういうことか、とリアナは納得した。

 ガイウスには急用がなく、リアナとのんびりお喋りしてくれたはずだ。


「近く、ラセルの父親に、彼の息子とおまえの婚姻を考えているという旨を伝えるつもりだ。早くラセルとは和解しておきなさい」


 父は臣下に命令するときの口調で言った。

 その隣では母はにこやかに笑っている。



――お父さまがわたしとラセルを結婚させるつもりなら……。



 ハッピーエンドになれるわけだ。そうリアナは思った。


 ラセルがリアナのことを「結ばれる定めじゃない」と思っていても、国王に王女との結婚を命令されれば、そうせざるを得ないはずだ。


 やはり、この乙女ゲームはぬるゲーだったらしい。

 本人たちが喧嘩しようと、破局しようと、国王が仲を取り持ってくれるというわけだ。


 ハッピーエンドは婚礼と初夜で幕を閉じる。


 やはり乙女ゲームはハッピーエンドに向かっているらしい。

 ラセルが望まなくとも、リアナは彼と結婚できる。リアナは幸せだ。ハッピーエンドだ。


――でも……。


 ラセルに望まない結婚を強制するのが、本当の意味でのハッピーエンドだろうか。

 結婚することがハッピーエンドだろうか。

 婚姻届を出した全員がハッピーエンドなのだろうか。


――そうではない……。


 愛し合うふたりの男女が結ばれるからハッピーエンドなのだ。

 結婚という制度は、ハッピーエンドに付随するおまけのようなものだ。


 もうリアナとラセルが恋人同士でないことを父には言っておこう。

 そして、婚姻の話は少し待ってもらおう。


 ラセルの心を取り戻してからではないと、結婚には意味はない。

 強要された結婚はハッピーエンドではない。


「――あの、お父さま……実は――」


 リアナが言いかけたとき、扉が開く音がした。


 イリアスだった。


 その後ろには側近らしき男がふたりついてきていた。昼に連れていた従者とは違う顔ぶれだ。


 トク、トク――と鼓動のように規則正しく大理石を踏みならしながら、イリアスはリアナたちのほうへ近づいてきた。

 彼はラング帝国風の正装をしており、赤いマントをはためかせていた。


 かっこいい。純粋にリアナはそう思ってしまった。

 舞踏会のときは旅装のままだったし、今日の昼間は動きやすい平服だったが、正装をしたイリアスの放つ威光は桁違いだ。王者の風格、とでもいうものがある。

 

 イリアスの従者も正装だが、イリアスほどのオーラは放っていない。きっと、イリアスが着ているからその正装が映えるのだ。


 トレオン側の人間が待つテーブルのところまで歩いてきたイリアスは小さく会釈した。


「わたしたちが最後であったようだ。すまない」


 謝罪する口調ではなかった。どちらかというと命令するそれに近いが、嫌味は感じられなかった。


「いや、時間どおりだ」


 国王が言った。父は時間に厳格な人間で遅刻が大嫌いと臣下のだれもが知っていたが、イリアスに対してはとやかく言わないことにしたらしかった。代わりに、イリアスに、彼の真向かいの空席に座るように促した。


 トレオンでは面会時間の少しまえに待ち合わせの場所に着いておくのが礼儀であるが、ラングでは少し遅くに着くのが礼儀である。外交の授業でリアナは習った。


 トレオン人は相手をけっして待たせてはならないと考える。

 対してラングでは、待ち合わせまえの時間に訪問することは、相手が面会の準備を終えるまえに現れることになるので、相手を急かす無礼な行為であると考えるらしい。


 それをならったときは、同じ行為でも意味が異なってとらえられるのが興味深いと思ったものだった。


 イリアスはトレオンのしきたりを知らないか、知っていても合わせる気がないのだろう。後者ならば(いささ)か傲慢だと思わないでもない。だが、皇帝ともある男ならばそれくらい許されるか。


 給仕が葡萄酒を全員のグラスに注いで回っている間、全員の名前と役職を述べる形式的な挨拶がなされた。


 イリアスが連れてきたふたりの男は将軍と補佐官だった。――乙女ゲームの登場人物だったから、リアナは彼らを知っていたけれど。もちろん、知らないふりをしたけれど。


 ちなみにこの三人は親友同士でもある。もちろん、このような社交の場で彼らは「我々はまぶだちなのです」などということは言わなかった。


「わが王宮の植物園はどうでしたか」


 父王がイリアスに問うた。


「とても興味深い発見をいくつもさせていただいた」


 イリアスが返した。

 意味深長だとリアナは思った。発見とはいままでだれも発見しなかったものに対して使われる言葉だ。イリアスはラセルから説明を受けていただけなのだから「発見」ではない。


「では、杯を」


 全員に葡萄酒が振る舞われると、王がグラスを掲げた。その他の全員もそれにならう。


「トレオンとラングの友好に」


 父王が言って、グラスを口につけた。


 リアナや王妃、それに宰相や大臣たち――トレオン側の人間は全員、国王のあとに続いて葡萄酒を一口飲んだ。


 だが、ラング側の三人はグラスに口をつけようとはしない。


 宰相の顔が引き攣った。大臣たち三人も眉根を寄せている。


 乾杯にて、だれかの発言のあとに酒を飲むのは、同意を意味した。

 つまり、ここで酒を飲まないということは、イリアスを筆頭とする三人のラング人は「トレオンとラングの友好」に賛成していないということなのだ。


 この杯を交わす際の慣習はトレオンだけでのものではない。ここら近隣諸国に共通の習わしである。


――ラング帝国では……どうだっただろうか……。


 リアナははっきりと思い出せなかった。


 ラングはひとつの単一民族の国家ではない。帝国である――つまり、数多(あまた)の国家を吸収して成り立った、元々、異なるの国の多民族がひとつの帝国を形成している。大英帝国、オスマン帝国というように――。

 となれば、新興の帝国ラングでは、この杯を交わす習慣をもつ民族と、そうでない民族が混在しているのだ。


 旧ラング王国は、この習慣を保有する国であったか。否か――。


「失礼ですが、イリアス殿下」


 ラング側の人間の無礼な行為に対し、最初に声をあげたのは宰相だった。


「酒を口にされないということは、異議を意味いたします。この場合、トレオンとラングの友好に異議申し立てがあると――」

「知っている」


 宰相が言い終わるまえに、イリアスが即答した。


 トレオン側の人間の顔が凍りつく。普段、ひたすら笑みを浮かべているリアナの母ですら、驚きを隠せないようだった。


「トレオンと友好的関係を築く気がないと?」


 宰相の声は怒りをはらんでいた。


「そうは言っていない。そちらの回答によるが」

「私どもの回答? 何に対する回答です?」


 そして、イリアスは衝撃的な一言を口にした。



 あまりの驚愕に、リアナは持っていたグラスを落としてしまった。


 テーブルの上に、鮮血のように葡萄酒が広がっていく――。


 葡萄の血はテーブルからこぼれ落ち、リアナのドレスを赤く染めた。


 冷たい液体が肌に触れるのを感じたが、どうでもよかった。侍女たちが一月もかかって刺繍したとっておきのドレスだったけれど、それもいまはどうでもよい。


 リアナは椅子に座っているのがやっとだった。


――そんな……まさか……!


 イリアスが放った言葉が、何度もリアナの頭の中でこだまする――。




 イリアスはこう言ったのだ。


 わがの最愛の女性を殺したのは、ラセルという名の男である。

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