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1.恋に落ちた王女

「リア、おれたちは結ばれる定めではないんだ」



 それが彼がリアと呼んでくれた最後の日だった。



 三日、リアナは泣いて過ごした。


 ラセルがもう自分の恋人ではないという事実が辛くて辛くてどうしようもない。


――もう一度、リアと呼んで欲しい……。


 リアナのことを「リア」と呼ぶのはラセルだけだった。幼いころからずっと、彼だけがリアナのことをそう呼ぶ。


 リアナは一国の王女で、礼節を重んじる父王やその皇后である母は、リアナの名前を略すことはしない。


 リアナの国は一夫一妻制であり、それは王にもあてはまった。リアナは一人娘で他に兄弟姉妹もない。

 そんな次期女王リアナを、気安く呼べる人間など、この国にはひとりもいなかった。



 ラセル以外は……。



 リアナには生まれたときから前世の記憶があった。


 物心ついたときには、なぜ自分は黒髪黒目の日本人ではなく、朱みがかった淡い茶髪に鳶色の瞳をしているのだろうと不思議に思ったのを覚えている。


 前世は国仲(くになか)理愛(りあ)という日本人で、おそらく死んだのだと思う。


 病気になった記憶はないし、苦しんだ記憶もないから、おそらく事故で即死したのではないかとリアナは予想していた。


 そして、自分が乙女ゲームの主人公に転生していることも、物心がついてしばらくして思い出したのである。


 「リアナ」は理愛が乙女ゲームで使っていたハンドルネームであった。


 理愛のほうが本名だ。だから「リア」と呼ばれるほうがしっくりくるのかもしれない。


 乙女ゲームの主人公はとある小国のプリンセスで、攻略キャラは、有力貴族の青年、国教の神官、平民出身の騎士、隣国の王子、そして大陸の大部分を統べる帝国の皇帝の五人だった。


 国仲理愛の推しキャラは、最も攻略の難易度が高い皇帝イリアスだった。


 乙女ゲームをはじめるまえ、攻略キャラの五人のイラストを見たときから、国仲理愛はイリアスに一目惚れしてしまっていた。


 一国を大国に、そして帝国にまでのし上げたイリアスは並の男ではない。知性、体力、洞察力、鋭敏さ、それに柔軟さ――すべてを兼ね備えた完璧な男だった。


 それゆえに、攻略難易度は極めて高い。


 ハッピーエンドに辿り着くのは極めて稀、ノーマルエンドとバッドエンドが半々というありさまだ。


 国仲理愛はイリアスルートに五回挑戦し、課金をしまくり、一度だけハッピーエンドに到達できたのだった。


 だが、一度ハッピーエンドに到達したのだから、イリアスの攻略方法は知っている。頑張れば、完璧を具現化したような皇帝の妃になれるかもしれない。そうリアナはわかっていた。



 だが、リアナが選んだのは有力貴族ラセルだった。

 理由は単純。



 恋に落ちてしまったから。



 有力貴族ラセルとリアナは幼馴染という設定だった。


 ハンサムで利発的で、それでいてやんちゃな幼馴染を、幼いリアナは好きになってしまったのである。



 好きになってしまったら、前世の推しキャラなどどうでもいい。


 元彼がイモに見えるのと同じだ。



 ラセルはデフォルトキャラだった。乙女ゲームをプレーしはじめたばかりの初心者は、まず最初の攻略キャラとして、ラセルを選ぶようにすすめられる。


 最も攻略が簡単なキャラで、ほとんどがハッピーエンドになる。相当に非常識なことをしなければ、ノーマルエンドになることもそうそうない。バッドエンドなど以ての外である。


 皇帝イリアスに心酔していた国仲理愛も、一度だけラセルルートをプレーしたことがあった。そしてやはり、拍子抜けするほど簡単にハッピーエンドに行き着いたのだった。


 そもそもラセルルートにはバッドエンドが存在しない可能性もある。


――だが、これはもしや……バッドエンドに向かっていたりするのだろうか……。


 ラセルがヒロインに別れを告げることは、ゲームのシナリオにはなかったはずだ。


 だが、人生は乙女ゲームのシナリオに書かれたことだけではない。

 あたりまえのことではあるが、生まれてからいままで、乙女ゲームのシナリオにかかれたこと以上が起きている。

 乙女ゲームはリアナの人生の断片をつなぎ合わせただけのものに過ぎない。


 厳しい教育や、細かすぎる作法や難しい舞踏の稽古、そんなものは乙女ゲームでは描かれない。


 ヒロインとラセルの幼少期など、いくつかのフラッシュバックのシーンがあっただけだった。だが、リアナはそのすべてを時系列順に生きてきた。


 そして、生まれていままでずっとラセルの近くにいるうちに、彼以外のことは考えられなくなっていた。


 ラセルとハッピーエンドになれると信じて疑わなかった。


 これも、ゲームのシナリオには描かれなかった試練のひとつか。


 ハッピーエンドのためのお膳立てなのか。



――それならば、頑張ればハッピーエンドに到達できるはず……!




「ステラ、今日は、うんときれいにしてちょうだい」


 リアナは侍女のステラに命じた。


「わかりました、リアナ様」


 ステラは張り切って腕をまくりをした。


 三日間、泣いてばかりいたリアナは、ステラを相当心配させていた。

 昨日まで、今日の舞踏会も欠席するものと思われていたはずだ。


 年に一度のトレオン王国の建国記念日の舞踏会は、王宮に関わるすべての人々が総出する宴である。

 王宮でもよおされる行事の中で、もっとも大きなものといってもよい。


――絶対にラセルの心を取り戻そう……!


 そう決意して、リアナは精一杯着飾って、王宮の大広間へ向かった。




 舞踏会にて、リアナは上座に座った。隣には父王が、さらにその隣には母妃が座っている。


「リアナ、ファースト・ダンスはだれと踊りたいか。やはりラセルか」


 父王が娘のほうへ顔を寄せて囁いた。

 リアナとラセルがもう恋人同士ではないことを父は知らない。


 王は激務であり、加えて建国記念の日までのこの三日、父と話す時間はほとんどなかった――ということもあるが、王族でも、そうでなくても、父親に恋人と破局したことを告げるティーンエイジャーはそうはいないのではなかろうか。


「お父さまの仰せのままに」

「ラセルと踊りたいのではないのか」

「お父さまがラセルさまと踊れとおっしゃられるのならば、ぜひ」


 リアナはありったけの笑顔を作って言った。


 ラセルはまだ舞踏会には来ていないようだった。

 来賓は皆、国王陛下に挨拶をすることになっているから、ラセルもそうするはずである。すでに、ほとんどの貴族が出そろっていたが、ラセルはなかなか現れなかった。



 そのとき、大広間がざわめいた。


 舞踏会に参列していた人々が息を呑む。女性の黄色い悲鳴も聞こえた。


 多くの護衛を引き連れ、ひとりの男が現れた。


 老若男女、だれもが見惚れてしまうような精悍で端正な顔立ち――一目で人を虜にするような魅力を持つ男――。

  

「――イリアス皇帝……!」


 リアナは立ち上がって小さく叫んだ。


「お父さま、イリアス皇帝をお呼びになったのですか!」


 リアナは信じられない思いで父王に質した。


「毎年、招待状は送っておったぞ」


 父王は驚いてはいなかったが、意外そうではあった。


「イリアス殿下からはいつも、行けたら行く――と曖昧な返事しかもらっておらんかったが、まさか、今年、いらっしゃられるとは――」


 皇帝イリアスは(つや)のある黒髪を揺らしながら、上座のほうへと近づいてくる。


 彼が一歩、また一歩と近づいてくるにつれ、リアナの鼓動が速まった。


 人々はイリアスには人を虜にする魅力がある噂していた。

 その尊顔を一目見ると、彼の威厳に圧倒されて、彼に忠誠を誓わざるをえず、兵士はイリアスのために息絶えるまで戦い、大陸の多くの民がイリアスに膝を折ったという。


 暴君が支配していた国々を倒し、その民に平和と安らぎを与えもした――そういう心優しい男でもあるという。


 帝国を築くには、賢いだけでも、強いだけでも、見目がよいだけでもだめだ。どれかひとつが突出していれば、小国くらいはまとめられようが、帝国は無理である。


 それらがすべて揃っている人間に、すべての民が跪くのだ。


 皇帝イリアスが人を虜にしてしまうという噂は本当のようだった。

 大広間に集まったすべての人間の視線を、彼は独り占めにしていた。


「リアナ」


 父王がリアナの足を小突いた。


 リアナは我に返った。

 いくらイケメンといえど、男に目を奪われて粗野な振る舞いをするなど、いかにも王女らしからぬ行動だったと自分を叱咤する。


 リアナは席に座り直した。


「お招きいただき、ありがとうございます、国王陛下」


 上座のまえまできたイリアスは、精悍な外見からは想像できないほど優雅に会釈(えしゃく)をした。


「お越しいただき、光栄だ、イリアス殿下」


 父王は着席したまま応じる。あくまで、イリアスと対等に接するつもりらしい。


 イリアスは息を忘れるほど魅力的な微笑を浮かべた。


「妃殿下にございますか」


 イリアスは、王の左右にいる、リアナと母妃を見比べながら言う。


「こちらがわが妃だ。こちらは娘のリアナ」

「トレオン王国の麗しの皇后と王女については音に聞いておりました」


 イリアスと目が合って、リアナの心臓がはねた。

 息ができなくなりそうだった。


「イリアス陛下、娘と一曲いかがかな」


 父王が含みのあるような声で言った。


 リアナは驚いた。が、それは当然であった。リアナ以上に、皇帝イリアスの相手をするべき人物はトレオン王国にはいない。


「喜んで、と言いたいところなのですが、お断りさせていただきたい」


 礼儀正しくイリアスは答えた。

 リアナは少し残念に思う。


 だが、イリアスは立ち去ろうとはしない。


「わたしは踊りは苦手なのです」


 イリアスは肩をすくめた。

 たしかに、イリアスはどちらかというと、貴族というより武人に近い。


「しかし、踊っているふりをしながら立ち話ならば、せひとも――いかがですか、リアナ王女」


 光を纏ったような声が言った。


「喜んで」


 リアナはイリアスに吸い寄せられるように、立ち上がった。


 リアナは上座を降り、イリアスのもとまで歩いていった。


 差し出されたイリアスの手を取る。

 イリアスがもう片方の手を、リアナの腰に手を添えた。


 イリアスにいざなわれ、広間の中央へと移動しようとしたとき、リアナはひとりの青年がこちらを見ていることに気づいた。


――ラセル……!


 彼は感情のこもらない目で皇帝イリアスと連れ添って歩くリアナを見ている。

 怒った様子もないが、嬉しそうな様子もない。


 ラセルはただ、変哲もない青空でも眺めているようだった。

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