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内気令嬢に花束を  作者: みのり
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 母エドラに夜会での出来事を話した日の夜、ナリアはベッドの中で横たわったまま眠れずにいた。目を瞑り、寝やすい体勢を探しつつに右へ左へと転がってみる。朝から子供たちとダンスを踊ったからなのか、今無駄に動き回ったからなのか、腰に痛みを感じ始めて更に目が冴えてしまった。

 どうせ眠れないのなら、と身体を起こして窓を叩く風の音に耳を澄ませる。闇夜に思い浮かぶのは、子供のように楽しそうに飛び回るリベリオの姿だった。


 ----楽しかったな。大人の男性とあんな風にお話しをするなんて、リドット先生だけだったもの。


 リドットはナリアが通っている孤児院の院長で、『ナリー』の名付け親だった。ナリアより11歳年上の27歳。いつも穏やかな物腰と優しい雰囲気を纏っている為、子供たちは彼の姿を見かけるとすぐに駆け寄った。ナリアもその内の一人だった。


 ナリアがミネラに連れられて初めて孤児院を訪れた日に出迎えてくれたのが、当時院長補佐をしていたリドットだった。対人面では人一倍内気なナリアを温かい笑顔で迎え入れ、顔を見かければ必ず声をかけ、ナリアが話しやすいように会話にも気を使ってくれた。

 ナリアがリドットを歳の離れた兄のように感じるまでに、時間はかからなかった。いつもは周りに気を使ってばかりだったナリアにとって、自分の気持ちを素直に出せるリドットは特別な存在だった。


 ----うーん、さすがにリドット先生にはこんな話できないわね。そもそも恋とかじゃないし。…恋、ねぇ。


 ナリアは「ふぅ」と息を吐いて寝転がり、静かに目を閉じた。


*


 ドレリア暦1571年、四の月。

 ナリアは自室でダンスのステップを踏んでいると、扉をノックする音がして足を止めた。返事をすると、侍女のサフィが興奮した様子で飛び込んできた。


 「失礼いたします、ナリアお嬢様!」

 「あら、どうしたのサフィ。そんなに慌てて。」

 「先ほど侍女仲間に聞いたのですが、もうすぐ街に旅芸人の一座が来るのですって!!」

 「まぁ、本当!?すごく久しぶりね、ぜひ見に行きたいわ!いつ来るか知ってるの?」


 ナリアがパッと顔を明るくして食いつくと、サフィはニコッと笑った。


 「四日後のお昼過ぎから、街の広場で始まるらしいですよ!」

 「それじゃあ早めにお昼を食べて出かけないとね。あぁ、待ちきれないわ!今度はどんなダンスが見られるかしら!」


 ナリアがうっとりとした顔で目を瞑ると、サフィは口元に手を当ててクスクスと笑った。祭りごとの少ない街では、旅芸人が来るというだけで街中が大騒ぎになる。そしてそれは、ナリアにとっても同じだった。

 

 「しっかり見て覚えなくちゃ!」


 ナリアは両手をグッと握り、期待に胸を膨らませた。


*


 ナリアとサフィが小型の馬車に乗って街へ出かけると、広場にはすでに多くの見物客が集まっていた。広場の一角には一団が組み立てた簡易舞台が用意されており、その周りを取り囲むように人々が立ち並んでいる。裕福な平民や貴族も見物に訪れていて、彼らは広場を見下ろせる宿の一室をわざわざ借りて見物していた。


 ナリアとサフィは広場に到着すると、日除けの帽子を被って舞台から少し横に逸れた場所に立った。舞台全体はよく見えないが、ダンスを踊るときは大抵舞台から降りて踊る事が多いので、それさえ見られたら良い。

 見物客が今か今かと待ちわびていると、始まりの合図に太鼓を叩く音がして、場が一気に盛り上がった。


 今回の演目は演劇・歌・曲芸・踊りの四部構成だった。演劇は異国の騎士と王女の悲恋を題材にしたもので、騎士が王女を守って果てるラストシーンには涙を流した。歌は一団の出身国の歌なのか、言葉は分からないがどこまでも伸びる声量と透き通った歌声で聞く者の心を惹きつける。

 曲芸は一番盛り上がる演目だった。特に、身近にありそうなものを組み合わせて使うのが面白い。丸い筒の上に板を乗せ、さらにその上に同じものを重ねる。その上に乗り上げた時は盛大な拍手が沸き起こった。

 最後の踊りが始まる。数人の奏者が舞台上に並び、踊り手が舞台の前に出てふわりと身体を伏せると、皆の注目を一身に受けていた。


 ----いよいよだわ!


 静かな笛の音色が響き渡り、踊り手がゆらりと立ち上がる。静かに、流れるように小走りでグルリと一周すると、衣装の長い袖がひらひらと舞い踊った。地面をタップするような陽気なステップとは違い、地面の上を滑るように移動し、軽やかに跳ねあがって着地する。着地と同時に上体を屈めてゆらりと回せば、まるで水の中の魚のような優雅さがあった。


 ----こんな踊り、見たこと無いわ…!


 曲調が一変し、太鼓の音がけたたましく鳴り響く。ダンスの動きも激しくなり、地面を蹴り上げると高く足を上げて身体を捻らせた。両腕を大きく振りながら身体を回して地に伏せる。

 そのまま踊り手がバッと走りだしたところで、ナリアはハッとした。


 ----え…?あれってもしかして、リブ様じゃない!?


 踊り手が走っていった視線の先にある見覚えのある顔に、ナリアは釘付けになった。目立たないような格好で見物客に紛れているが、華のある顔立ちが逆に存在を目立たせる。

 ナリアは帽子を深く被ると、つばの影からこっそりと覗き見た。


 ----間違いないわ。リブ様も見に来てらしたのね。…あら?


 ナリアはリベリオの隣に立つ美しい女に目が行った。ライトブラウンの髪にスカイブルーの瞳をした美女が、リベリオに寄り添って立っている。時折互いの耳元で囁き合ってはクスクスと笑う姿に、ナリアは頭の中が真っ白になった。


 「お嬢様?ナリアお嬢様、どうかなさいましたか?」


 サフィの言葉にハッと我に返ると、視線を空に彷徨わせた。


 「…え?あ…、あ、いいえ。何でも…。」

 「お嬢様、ご気分がすぐれないようですね。お倒れになる前に今日はもう帰りましょう。」

 「えぇそうね…。そうするわ…。」


 サフィはナリアの背に手を添えると、見物客をかき分けて馬車の停車場へと向かった。馬車に乗り込み、窓を開ける。馬車が動き出すと、ナリアは吹き抜ける風に身を任せてぼんやりと外を眺めた。


 ----綺麗な人だったな。そういえば、あの時も女性と会う約束をしてたものね。暗くてよく見えなかったけれどリブ様のお相手だもの、きっと綺麗な人だったんだろうな…。


 胸に微かな痛みを感じながら、光の眩しさにそっと目を閉じた。


*


 翌朝、ナリアは身支度を整え、ノロノロとした足取りで食堂へと向かった。昨日の広場で見た光景が頭から離れず、あまりよく眠れていない。中へ入ると、すでにクレトンとエドラ、妹のメラティスが席に着いていた。


 「おはようございます、お父様、お母様、ラティ。あら?お兄様はまだいらしてないのですか?」


 ナリアが席に着くと、エドラがニコリと微笑んだ。長い間、体調を患っていたのが嘘のように顔色が良くなっている。


 「ロンドは今朝早くに図書館へ出かけたの。調べたい事があるから、少し遠くまで行くと言っていたわ。」

 「そろそろロンドにも仕事を教えていかねばならんな。」

 「そうですわね。あの子ももう21歳ですもの。そろそろ良いご縁も探し始めないといけませんわね。」


 クレトンとエドラの会話を横で聞きながらカップに口を付ける。搾りたての果物の酸味が、今朝のナリアには刺激が強かった。あまり食欲がわかないままスープを啜っていると、メラティスがパンをちぎりながらナリアに視線を向けた。


 「縁談と言えば、お姉様は夜会やお茶会には参加しないの?お姉様こそ、そろそろご縁があっても良いお歳でしょう?」

 「あ…。そうね、私は華やかな場所よりも孤児院の子供たちと遊んでいる方が楽しいの。」


 翌年にデビュタントを控えているメラティスにとって、社交場は憧れの場所だった。大人の仲間入りをして優雅なひと時を過ごすことを夢見る少女には、姉の考えることが理解できない。

 小さく溜息を吐くと、パンを置いて肩を竦めた。


 「またそんな事言ってー。お姉様はもう17歳でしょう?積極的に外に出て行かないと、素敵な男性と出会う機会も無いじゃない。良いご縁なんて自分で掴みにいかなくちゃ、待ってても来ないのよ?」

 「あ…うん、そうね。」


 ナリアが目を伏せて口籠ると、エドラが横から割って入った。


 「ラティ、お姉様にそんな口の利き方はおよしなさい。誰だって、得意不得意はあるものよ。あなただって毎日大人しく座ってお勉強をしなさいと言われても、難しいでしょう?」

 「う…それはそうですけど…。」


 メラティスが痛い所を突かれて目を泳がせると、エドラはナリアの方へと振り向いた。


 「ナリー、後で私の部屋へ来てくれるかしら。」


*


 エドラはナリアをソファに座らせ、隣に座ってそっと肩に手を置いた。母娘の会話の邪魔にならないよう、すでに侍女は下がらせてある。


 「ねぇ、ナリー。何かあったの?」


 エドラの唐突な言葉に目を丸くすると、エドラはフフ、と微笑んだ。


 「やっぱり何かあったのね。どうしたの?私には言えない事?」

 「その…昨日、久しぶりに旅芸人の一座が来ると聞いて、サフィと一緒に街に出かけたのです。」

 「まぁ、そうだったの。楽しかった?」

 「はい。見た事のない珍しい踊りが見られて、とても充実したひと時を過ごせました。ただ…」


 ナリアが目を伏せると、エドラは背中を優しく撫でた。


 「踊りを見ている途中、見物客の中にリブ様を見かけまして。」

 「リブ様って、あなたがデビュタントの日にお会いした方よね?」

 「はい。お見かけしたのは、あの日以来です。でも隣にすごく綺麗な女性がいて、とても仲が良さそうで…。昨日から、なぜかそれが頭から離れないのです。もしかしたらもうご結婚されてるのかな、とか、お似合いだったな、とか考えてしまって。」

 「…。」

 「気にしても仕方のない事ですよね。私には関係の無いことですし…。」


 ナリアがハァ、と溜息を吐くと、エドラは目を見開いた。ナリアの横顔をまじまじと見つめる。その横顔は、まさに恋を知り恋に思い煩う『女の顔』そのものだった。


 「ナリー、あなた彼に恋をしていたのね。」

 「はい?私がですか?」

 「えぇ、そうよ。昨日までは自覚が無かったのでしょうけれど。彼の隣に女性がいたことが気になっているのよね?でもそんな事、何とも思って無いお相手なら気にも留めないわ。」

 「…。私が…リブ様を…?」


 ----好き?


 最後に見たリベリオの笑顔を思い浮かべる。途端に顔が真っ赤になり、ナリアは両手で頬を隠した。

 恋など自分とは無縁のものだと思って17年間生きてきた。そんな自分が誰かに恋心を抱くなど、到底受け入れられるものではない。

 ブンブンと頭を振ると、スンッとした表情でエドラに向き直った。


 「いいえ、お母様。違います、そんなわけがありません。一度しかお会いしたことのない方に恋をするなどあり得ません。きっと疲れていただけです。」

 「否定する時はハッキリ言うのね…。まぁ、いいわ。そういう事ならそろそろ初めても良いかもしれないわね。」

 「始める?何をですか?」


 ナリアがキョトンとした顔をすると、エドラはニッコリと微笑んだ。


 「素敵なレディーになる為の準備よ。」


*


 ドレリア暦1572年、三の月。

 陽射しが暖かくなり始めた日の午後、ナリアとミネラは孤児院の庭のベンチに座っていた。頬に触れる風にまだ少し冷たさが残っているのが心地良い。ミネラはこっそり持ってきた小さな固焼きパンを半分に分けた。


 「ねぇ、ナリー。レディー修業はどうなったの?もうすぐ本番でしょ?」


 ミネラがもぐもぐと口を動かしながらチラとナリアを見た。以前とは比べ物にならない程育った胸元に、思わず羨望の溜息が出る。それでいて、幼い頃からダンスで鍛えてきたせいか、胸以外はキュッと引き締まっていた。


 「それが…。去年からずっと仕草や目線・視線の流し方、立つ時の腰の強調の仕方、微笑み方に見つめ方。そんなことばっかりずっとやってるから、だんだん瞼がおかしくなってきたの。こんな事、一体何の意味があるのかしら…。」


 ナリアが小さく溜息を吐く。ミネラはその横顔から滲み出る色気を目の当たりにして、ナリアの母親の指導が的確だったことを確信した。ナリアは18歳になり、今年の夜会シーズンには参加する予定になっている。


 「ま、ナリーの場合は基本的なマナーがしっかり身についているからでしょ。後はいかに女性らしさを出せるかが『リブ様』を堕とす鍵になるんじゃない?」


 ミネラがニヤニヤと笑って言うと、ナリアは顔を真っ赤にして俯いた。リベリオが未だに独身であることは、エドラが知人を頼ってすでに調査済みだった。


 「だから、そんなんじゃ…。それに、彼の周りには綺麗な女性がたくさんいらっしゃるでしょうし、私なんか相手にもされないわよ。」

 「ほらまた!いいこと、ナリー。あなたは十分魅力的よ。もっと自信を持たなくちゃ。下ばかり見てる女に惚れる男なんかいないわ。」


 二人がスカートの上に落ちたパン屑を払っていると、遠くから子供たちの呼ぶ声が聞こえてきた。ミネラが大きく背伸びをすると、ナリアも軽く腰を回して身体をほぐす。


 「うーん、よし。仕事仕事!」

 「私も、子供たちと踊ってくるわね。」


 ミネラと別れ、ナリアは子供たちの方へと向かった。すでに子供たちも手足と腰を回して準備をしている。ナリアはクスリと笑って手を叩いた。


 「じゃあ、今日はこの前のおさらいからね。」


 孤児院から離れた場所に一台の馬車が停まった。窓を開け、孤児院の様子を窺っている。

 その視線の先には、庭で子供たちと踊るナリアの姿があった。

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