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内気令嬢に花束を  作者: みのり
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 ドレリア暦1570年、五の月。

 暖かい日差しが降り注ぎ、庭の干場では洗った布が風を孕んでたなびいている。

 街の外れにある孤児院の庭で、ナリアは子供たちに囲まれていた。


 「いい?ここで片足を上げて軽く跳ぶの。この時両手は上げた足と反対に手を叩くのよ。これを左右に2回ずつするの。」


 ナリアが曲を口ずさみ、リズムをとる。小さな子から大きな子まで、見よう見まねで短い手足を動かし一緒になって踊っていた。中には自分の好きなように踊る子供もいて、ひょうきんなポーズをとっては皆で笑いあっていた。


 「ナリー、みんなー、そろそろ入っておいでー。」


 修道女のミネラの高い声が庭に響き渡る。その声にパッと反応した子供たちが、嬉しそうな顔で室内へと入っていった。


 「皆身体をたくさん動かしたからお腹ペコペコでしょうね。」

 「ホント!ナリーが子供たちの相手をしてくれるから助かるわ。」


 ミネラはナリアの2歳年上の18歳。頬のそばかすが可愛さを引き立てる青い目をした修道女だ。元は裕福な平民の家庭に生まれたが、二年前に本人の希望で修道女の道へと進んだ。


 ナリアとミネラは、五年前に街に旅芸人の一座が来た時に知り合った。ナリアが一座の演目を見終わった後興奮して踊っていると、そのすぐ側で同じように踊っているミネラがいた。ナリアとミネラは目が合うと互いに「ニッ」と笑いあい、一緒になって踊った。それ以来、ミネラが度々訪れていた孤児院にナリアも通うようになり、今では子供たちに踊りを教えに来るようになった。


 子供たちが食事をしている間にミネラはナリアに薄めた蜂蜜酒を渡すと、コッソリと耳打ちした。


 「ねぇナリー、この前の夜会はどうだったの?誰か素敵な人はいた?」

 「え!?ちょ、ちょっと何よ急に!」

 「あ!何よその反応!ひゃあ~、いたんだ~!誰?誰?どんな人!?」


 ミネラが目をキラキラと輝かせてナリアに詰め寄る。世俗と離れて生きる修道女にとって、他人の恋愛話は最高の娯楽だった。それが親友の話ともなれば食いつかないわけがない。


 「待って待って、別にミネラが期待するような事とかは無いのよ。」


 ナリアは侍女を会場に置いて庭で踊っていた事から、リベリオが女に殴られた事までの流れを話した。

 「ね?」という目で見てくるナリアを、ミネラは半目で見返した。呆れすぎてどこから突っ込めばいいのかわからない。


 「何やってるのよナリー…。そもそもなんで庭で踊ってるのよ。さっきとやってる事が変わらないじゃない。」

 「そうは言っても…あの日は私の居場所が無かったのよ。主催者様のご令嬢も同じ日にデビューしたから、皆そちらに行ってしまって。私がいたら周りに気を使わせてしまうんじゃないかって…。」


 ナリアが俯いてカップを握り締めると、ミネラは肩を竦めた。


 「ほら、またナリーの悪い癖が出てるわよ!いつも周りに気を配るのはナリーの素敵なところだけれど、気を使い過ぎて自分を抑えこんでしまうでしょう?もっと欲しいものは欲しいって言わないと、伝わらないわよ?」

 「うん…、わかってるんだけどね。」


 ナリアは兄と妹に挟まれた、真ん中生まれだった。物心ついた頃から優秀な兄の影に隠れ、美しい妹に遠慮しながら過ごしてきたせいか、誰に対しても何に対しても周りの反応を窺う癖がある。そんなナリアを唯一自由にさせてくれるのがダンスだった。

 好きな曲に合わせて好きなステップを踏む。自分の感情を自由に表現できるダンスは、ナリアの塞ぎがちだった心を解放した。


 「でもあの夜、リブ様が一緒に踊って下さったの。いつもは小さい子に教えてるから、まさか大人の男性に教えることになるなんて思いも寄らなかったわ。初めてなのに、とてもお上手だったのよ。」


 ナリアが頬を染めてフフ、と笑うと、ミネラがその横顔をニヤニヤと眺めた。


 「ふ~ん、『リブ様』ねぇ~。本名はなんて言うの?」

 「リベリオ・デガート様と仰るのよ。デガート伯爵家の次男で22歳だと仰ってたわ。」

 「22歳!?6歳も年上じゃない!」


 ミネラが驚いて声を上げると、子供たちが一斉に振り向いた。ナリアが慌てて人差し指を立て、子供たちに「何でも無いのよ」とジェスチャーを送る。


 「もう、ミネラったら!だから、そういうのじゃないんだってば。リブ様は一人ぼっちだった私の話し相手になって下さったのよ。それに私なんてただの子供で、相手にもされないわ。」


 そろそろ帰るわ、とナリアは立ち上がる。子供たちに手を振って挨拶をしてから孤児院を後にした。


*


 ナリアが侍女のサフィと共に屋敷に戻ると、玄関の門の前に豪奢な馬車が停まっていた。装飾一つ一つに技巧が凝らされ、車体の表面は丁寧に磨かれていて光沢を放っている。


 「あら?お客様かしら。」


 ナリアが隣を歩くサフィに小さく耳打ちすると、サフィは馬車に掲げられた家紋をみて腰を抜かした。


 「ナリアお嬢様!あちらの馬車はグラナード伯爵家のものですわ!」

 「グラナード伯爵家?あなた知っているの?」


 ナリアがキョトンとした顔をしていると、サフィがナリアの耳元で囁いた。


 「もちろんですわ!ルミゴン・グラナード伯爵といえば、指折りの実業家として大変有名な方ですのよ。そのような方がわざわざこちらへいらっしゃるなんて、余程の事ですのね。」


 ナリアとサフィが玄関に入ると、ちょうどエントランスホールの向こう側から長身の男がこちらに向かって歩いて来るのが目に入った。癖のあるグレーブラウンの髪を短く整え、太い眉毛の下から覗く赤味のあるブラウンの瞳が鋭い眼光を放っている。

 歩く姿だけで他者を圧倒するような威厳に、ナリアは思わず息を呑んだ。


 ----この方がグラナード伯爵様…。凄い威圧感だわ。お父様があんなに慌ててらっしゃるお姿は初めてだもの。


 このままやり過ごそう、と裾を持ってお辞儀をしたまま静かにしていると、ナリアの前でピタリと足音が止まった。


 「うん?君はアマティスタ子爵殿のご令嬢か?」


 ナリアがギョッとして頭を下げたまま目を見開いていると、父親のクレトンが一礼してナリアの側に立った。


 「はい、娘のナリアでございます。ナリア、グラナード伯爵様にご挨拶申し上げなさい。」


 ----嘘でしょぉぉ!?


 ナリアは背中に冷たい汗を流しながら、ゴクリと唾を飲み込み顔を上げた。せめてできるだけ顔を見ないで済むよう目を伏せて微笑む。


 「お初にお目にかかります、グラナード伯爵様。私はアマティスタ子爵家の長女ナリアと申します。どうぞよろしくお願い申し上げます。」


 ナリアが静かに透き通った声を響かせると、ルミゴンは「ふむ」と小さく頷きナリアの上から下までじっくりと見定めた。僅かな沈黙が流れ、ナリアが緊張で喉が枯れだしたころ、ルミゴンが探るように聞いた。


 「ナリア嬢は、何歳になるのだ?」

 「16歳でございます。」

 「ほぅ、実年齢よりも幼く見えるな。ではもうデビュタントは済ませたのか?」

 「はい。先日、サンドルド侯爵様のお屋敷で行われた夜会に出席させていただき、その時に。」


 ナリアが答えると、ルミゴンはピクリと眉を動かした。


 「サンドルド侯爵様の?確かその日は、ご令嬢であるスラリス嬢もデビュタントの日ではなかったか?」


 ルミゴンの言葉に、ナリアはビクリと肩を震わせた。あの日の夜会では来賓者のほぼ全員がスラリスの元へと集まり、自分は庭に出ていた事を家族には話していなかった。侍女にも、もちろん口止めしてある。その為に与えた『自由時間』だった。

 ナリアは父親をはじめ皆の前であの日の夜会について話すことに、自然と足が震えた。


 「あ…はい、仰る通りでございます。その日はスラリス様もデビューなさいました。偶然とはいえ、同じ日に迎えられたことを大変光栄に思っております。」

 「そうか…。ならば良いのだ。ではアマティスタ子爵殿、私はここで失礼する。」

 「は、はい!本日はどうもありがとうございました!。」


 ルミゴンは踵を返して玄関を出ると、そのまま振り向くこともなく馬車へと乗り込んだ。走り去る馬車の影を呆然と眺めながら、クレトンが声を小さく震わせた。


 「た、大変な事になった…。こうしてはおれん、すぐに取り掛からねば!」


 クレトンが慌てて執務室へと向かう。エントランスホールに残されたナリアとサフィは顔を見合わせて目を丸くした。


 「なんだったのかしら、今の。」

 「さぁ…。とにかくお嬢様、ご昼食のお時間ですので食堂までいらして下さいね。」

 「えぇ、わかった。すぐに行くわ。」


 サフィが荷物を持ってナリアの部屋まで運ぶ間に、ナリアは食堂へと向かった。


*


 窓から差し込む日差しを和らげるために薄いカーテンを引き、ナリアはエドラの側に座った。

 ナリアの母エドラは半年前に拗らせた流行病が尾を引き、ベッドやロッキングチェアの上で過ごすことが多くなった。この日もロッキングチェアに座り、ハンカチに施す刺繍の図案を考えていた。


 「お母様、今日はお身体の調子が良さそうですね。少しお庭に出てみますか?」

 「えぇ、そうね。お天気も良いし、今日は歩きたいわ。」


 ナリアが側で控えているサフィに声をかけると、ナリアとサフィに支えられながら庭に出た。陽の眩しさに目を細め、エドラはゆっくりとした足取りで庭に咲いた花を見て回った。


 「今朝も孤児院へ行っていたの?」

 「はい。お庭で子供たちにダンスを教えていました。皆とても上手に踊れるようになってきましたよ。」

 「あらあら、相変わらずお転婆ね。この前の夜会はどうだったの?どなたか素敵な方はいらっしゃったかしら。」


 エドラはクスクスと笑いながら悪戯っぽくナリアの顔を覗き込んだ。ナリアの真っ赤になった顔が見たくて、あえて恋愛話を振ってみる。

 

 「ナリー?」

 「あ、いえ。何でもありません。」

 「そう…。」


 ナリアの様子に、エドラは庭に置かれたベンチまで移動すると、サフィを離れた位置まで下がらせた。


 「ナリー、どうしたの?夜会は楽しくなかった?」

 「いいえ、違うのです。その…。」

 「いいのよ、ゆっくりお話しなさい。何かあったの?」


 ナリアが俯いて眉尻を下げると、エドラはナリアの手をそっと握った。


 「夜会はとても素敵でした。あんなに豪華な場所は見た事がありませんでした。ただ…」

 「ただ?」

 「…ただ、その日は主催者のサンドルド侯爵様のご令嬢もデビュタントを迎えられた日で、皆さんそちらの方にお話しに行かれまして…。」

 「まぁ…。」


 エドラが少し落胆した声を出すと、ナリアは胸に緊張が走った。自然と声が震えだす。


 「それで…私はその場にいない方が皆さんの為にはいいのではと思ってしまって、咄嗟に…。」

 「…どうしたの?」

 「咄嗟に会場のすぐ側のお庭に身を隠してしまいました…。」


 二人の間に沈黙が落ちる。その間、ナリアは母の顔を見ないように俯いていた。話せば悲しませることになると覚悟をしていただけに、顔を見る勇気がない。

 エドラに握られた手が震え、視線を彷徨わせ始めた瞬間、エドラはナリアの頭を抱えて抱き締めた。ギュッと力を込めるエドラの腕の細さに、ナリアは思わず目を瞑った。


 「あぁ、ナリー。一人で辛い思いをしたのね。ごめんなさいね、本当なら母親である私が同伴しなければならなかったのに、ついあなたの言葉に甘えてしまって…。私がもっとしっかりしていれば、あなたにそんな思いはさせなかったのに…。本当にごめんなさいね…。」


 ナリアを抱き締めるエドラの肩が大きく震え、啜る音が耳朶を打った。ナリアは咄嗟に身体を起こすと、項垂れるように涙を流すエドラの手を取り握り締めた。


 「お母様のせいではありません。私が一人で大丈夫だと言い張ったのです。それに…」


 ----リブ様が…


 その名前が脳裏に浮かんだ途端に頬を赤く染めると、エドラの涙がピタリと止まった。

 女の直感が瞬時に涙腺に蓋をする。それと同時に、ずいっと前へと身体を乗り出した。


 「素敵な殿方にお会いしたのねっ!?」

 「へ?あ、その…そういうのでは…ないのですが…。」


 ナリアがエドラの変わり身の早さに面食らっていると、エドラは先ほどまでの悲壮感などどこ吹く風で目を輝かせ、ナリアに詰め寄った。


 「どんな方なの?お名前は?お歳は?どんなお仕事をなさっている方なの?ハンサムなの?」

 「ちょ、ちょっとお待ち下さい、お母様!そんな一度に…。」


 ナリアがサンドルド侯爵邸の庭での出来事を話すと、エドラは腕を組んで考え込んだ。ナリアはこんなに勇ましい母の姿は見た事が無い。

 固唾を飲んで見守っていると、エドラは「わかったわ」と言ってナリアに向き直った。


 「ナリー、しばらく夜会には行かなくてもいいわ。あなたが成人するまでの二年間で、私があなたを立派なレディーに仕立ててあげる。」


 ナリアがエドラの瞳に宿った炎に唖然としていると、エドラはナリアの頭を優しく撫でた。


 「大丈夫、私に任せて。」

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