表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
内気令嬢に花束を  作者: みのり
3/84

 ドレリア暦1574年、十の月。27歳になったリベリオは王宮第五騎士団の団長室にいた。


 ナリアとの再開から二か月後、同盟国であるプロモント王国からの援軍要請に応じる為に戦地へと赴いた。約一年間の遠征の後に帰還したが、その後すぐに別の戦地へと向かう事になった。

 仇敵マルフィーロ王国。彼の国とは昔から互いに侵略を繰り返しては衝突してきたが、先々代国王の御代に大規模な戦を起こして以来、両国の国交は断絶した。マルフィーロ王国とはその後も各地で諍いを繰り返していたが、特にこの15年程の間だけでも五戦以上小競り合いを繰り返している。

 今回で七戦目だっただろうか。こんなものは数えるのも忌々しいが、マルフィーロ王国では戦後国王が急逝し、王太子が新国王に即位していた。


 約二年に渡って続いた戦争で各騎士団の多くが死傷し、帰還後に組織が再編成され、リベリオは第五騎士団の副団長に就いた。

 副団長に就いた後は平騎士の頃とは違い、机に向かう仕事が増えた。もともと頭より先に行動に出るタイプのリベリオには、剣を振っている方が百倍マシだった。それでも、プライベートとは裏腹に仕事には真面目な性格が何とかリベリオに羽ペンを持たせる。


 ----結局、ナリーを見かけなかったな…。


 書類に目を通していると、ふと、帰還してから出席した夜会を思い返した。

 約二年振りの夜会会場で、リベリオはエントランスホールに足を踏み入れるなり、すぐに辺りを見渡した。ダークブラウンの髪をした女を探すが、その数が多すぎて見分けがつかない。というより、ほとんどの女が同じ髪色だ。それでも、その中にナリアがいればすぐに見つけられる自信があった。


 ----元々夜会には出席していないようだったし、ナリーの事だから結婚したなら尚更…。


 そう考えた時、胸に強烈な痛みが走った。書類を持つ手が震え、視界が霞む。大きく息を吸って吐き出すと、片手で頭を支えた。


 「なんだ、どうしたんだリベリオ。何か悩みでもあるのか?」


 リベリオに声をかけたのは、団長のニックス・ドラルナーだった。第五騎士団の元副団長であり、リベリオを副団長に推薦したのも彼だった。

 ニックスは書類に判を押す手を止め、リベリオへと顔を向けた。


 「いえ…。そうだ、団長はキュリオ・グラナードという人物をご存知ですか?」

 「キュリオ・グラナードって、確かグラナード侯爵家の跡取り息子だよな。ソイツがどうかしたのか?」


 グラナード伯爵家はこの二年の間に続いた戦を支える為、食料物資の支援に多大な貢献をした。またその後の救護活動にも他家との協同で必要物資と資金を提供し、その功績を称えられて侯爵位を授かり、新たな領地と報奨金を与えられていた。


 「確か数年前に、社交界でも注目されていた彼がとうとう身を固める、という噂があった事を不意に思い出しまして。流石に跡を継ぐには早いでしょうが、もう結婚して子もいるのか…と…。」


 リベリオが思わず言葉を飲み込むと、ニックスは訝し気にリベリオを見た。どんな些細な事であれ、リベリオが他の男について気にすることが珍しい。

 その時、「あぁ、彼なら知ってますよ!」と横から補佐官のルミオ・ラントンが割り込んできた。どこから仕入れてくるのか、夜会での噂話のほとんどを把握している。敵に回せば恐ろしい男だ。


 「彼なら二年程前に結婚して、もう子がいらっしゃいますよ。確か今はお父上様の側で事業を学んでおられるはずです。」

 「そうか…。」


 リベリオはルミオの言葉に息が止まった。結婚どころか、すでに子まで産まれている。リベリオが押し黙ったまま固まっていると、ルミオはそれに気付くことなく呆れた顔で続けた。


 「ところが、その子が産まれたのが計算と合わなくて周りは一時騒然としたらしいですよ。」

 「計算と合わない?どういう事だ?」

 「どういう事も何も。式を挙げてから子が産まれるまでの期間が短かったのです。つまり、式を挙げた時にはすでに子を身籠っていたという事です。」


 リベリオは鳩尾を抉られるような感覚に襲われた。込み上げる怒りで羽ペンを持つ手が震える。


 「そのせいもあって、奥方様の不貞が疑われて。キュリオ殿が奥方様の不貞を証明するのに随分駆け回ったそうですが、結果的にご実家とグラナード家に泥を塗った事になり、ご両親との関係は最悪らしいですよ。」


*


 王都にある居住区の一角に、リベリオは住んでいた。平騎士の頃から住んでいる寝室と食堂兼居間の二部屋だけの狭い部屋だったが一人で住むには十分であり、何よりわざわざ引っ越す理由も無かった。

 リベリオは寝室のベッドの上で寝転がり、ベッドのすぐ近くの小窓の下に置いた小さな灯りを睨んでいた。


 ----『奥方様は大人しそうな感じの方なのですが、人は見かけによらないものですよね。』


 ----『互いに想い合っておられるようですが…。どちらにしたって、結婚前に身体を許した事には変わりはありませんから、奥方様への周りからの視線は冷たいものですよ。』


 ----あの野郎、よくも…!


 ルミオの言葉が、リベリオの胸を締め付ける。ナリアはキュリオと結婚して幸せに暮らしているはずだった。不自由のない生活の中で子を産み、育て、いずれは家族に囲まれて子供たちにダンスを教え、あの笑顔が家族皆を温かくする。それなのに…


 ----こんなはずじゃなかった!ナリーはたとえ相手が婚約者でも、簡単に身体を許すような女じゃない!!


 クソッ、と吐き捨てるように悪態を吐いて起き上がると、腰に剣を下げて灯りを消し、外套を羽織って家を飛び出した。

 月の明かりも頼りにできない暗闇の中、リベリオは行きつけの高級娼館へと向かった。入口で待っていると、案内人の男が足早に近づいてくる。


 「これはこれは、いらっしゃいませデガート様。本日もルマリナをご希望ですか?」

 「あぁ、彼女は今空いているか?」

 「はい。今夜は先ほど店に入ったばかりで、まだ。」

 「そうか。ならば声をかけてくれ。」

 「畏まりました。」


 男が通路の奥へと消えた後、リベリオはホールに設置されている椅子にドカリと座った。早く腹の奥に溜まったドロドロを吐き出さないと、今にも暴れ狂いそうだ。

 腕を組んで眉間に皺を寄せたまま床を睨みつけていると、先ほどの案内人の男が恐る恐る声をかけてきた。


 「あの…デガート様?ルマリナの準備が整いましてございますが…。」


 リベリオがギロッと睨み上げる。その今にも嚙み殺さんとする気迫に、男は「ヒュッ」と喉を鳴らして後ずさった。

 わかった、とリベリオが低く呟きゆっくりと立ち上がると、男は精一杯の笑顔を貼り付けてルマリナの部屋へと案内した。

 案内人の男が扉をノックして開けると、ルマリナが出迎えた。28歳にもなると他の同業女よりは歳を感じさせるが、それでも歳を重ねた分だけ持ち前の美貌に艶を持たせた。

 ルマリナがリベリオの表情を見た途端、チラと男の方に視線を移す。男は承知したように小さく頷くと、静かに扉を閉めた。


 「今日はどうしたのよ。また何かあったの?」

 「別に、何も…。とにかく早くヤラせろ。」


 リベリオがルマリナの身体に腕を回して、首元に顔を埋める。そのままベッドに押し倒すと、ルマリナが下からグイッと顎を押し上げた。


 「嘘仰い!どうせ、いつものあの子の事で何かあったんでしょう!?」


 ルマリナが睨むように見上げると、互いに見つめ合ったまま沈黙が落ちた。リベリオが大きく溜息を吐くと同時に、扉をノックする音が聞こえた。ルマリナが腕をすり抜けて扉を開けると、案内人の男がトレイに酒とカップを乗せて持ってきた。


 「とりあえず、こっちに座って。寝るのはその後でもいいでしょう?」

 「…。」


 外套を脱ぎ、椅子に座る。カップに注がれた酒に口を付けた途端、その度数の強さに顔を顰めた。その様子を呆れた顔で見つめた後、ルマリナが口を開いた。


 「で、どうしたの?また例の彼女に会えなかった…ぐらいじゃ、そんな風にはならないわよね。」


 リベリオはテーブルに肘をついて床を見つめたまま、深呼吸をして静かに呟いた。


 「…今日、仕事中にキュリオ・グラナードの話になったんだ。奴は二年前に結婚をして、ナリーとの間に子供が産まれたそうだ。」

 「…それで?」

 「だが、その産まれた子供が結婚した日と計算が合わなかったらしい。…結婚した時にはすでに身籠っていたそうだ。」

 「…。…それで?」

 「おかげで、ナリーは婚約中にキュリオ以外の男と不貞を犯したという不名誉な噂が流れた。それに関しては奴が自分の子だと言って回ったそうだが、結局それが原因で両家に泥を塗り、両親とは不仲になってしまったと…。」


 リベリオはカップの酒を一気に呷ると、テーブルに叩き置いた。奥歯を噛み締め、怒りに歪んだ眼は血走っている。拳をブルブルと震えさせながら、唾を飛ばした。


 「ナリーはっ!不貞を犯すような女じゃないんだ!屈託のない笑顔を振りまく、ダンスを踊るのが大好きな純粋な少女だったんだ!それを…あの野郎ォ…!!」


 リベリオがカップに酒を注ぐ。再びそれを一気に呷り、「クソッ」と片手で顔を覆った。ルマリナはしばらく黙ったままテーブルに置かれたカップを見つめると、小さく息を吐いた。


 「…貴方、何か勘違いしてない?一日もあれば女は変わるものよ。」

 「…。」

 「貴方が初めて彼女に会って、二年後に再会した時に痛感したでしょう?二年なんて、少女が大人の女になるには十分すぎる時間だわ。」


 ルマリナは空いたカップに酒を注ぎ、口を付けた。


 「元々、内気な性格だったんでしょう?そんな子が勇気を出して…止めて欲しかった男に面と向かって祝われて、自暴自棄にならないなんて誰が言い切れるのよ。」

 「…俺のせいだって言いたいのか?」

 「いいえ、違うわ。彼女はすでに大人よ。無理矢理では無いのなら、結局は彼女自身の判断だったって事。それに、相手の男はちゃんと彼女を庇っているんでしょう?だったら、関係の無い貴方が過ぎた事に憤るのはお門違いだわ。」


*


 リベリオはルマリナを抱いた後、すぐに娼館を後にした。自宅のベッドに寝転がり、小窓を見上げる。ルマリナの一言がリベリオの中で燃え盛っていた怒りを消し去り、灰を残した。

 目を閉じるとナリアの笑顔が瞼に映る。暗い庭で踊りを教えるナリア。酒を嗜み、手を口に添えて笑うナリア。化粧をして情熱的に見つめるナリア。


 ----『正式に婚約する前に、もう一度夜会に参加してみようと思ったのです。』


 両手で顔を覆い、震える息を吐く。心臓がドクドクと脈打つ感覚と強い酒の酔い残りが、疲れた身体に軽い吐き気を起こしていた。


 ----当時の俺には、何もできなかった。いや、何もしなかった。そんな俺に、奴を怒る資格なんてあるのか…?


 気が付けば、小窓から覗く空が薄っすらと明るくなりつつあった。結局一睡もできないまま、リベリオは身体を起こしてベッドに座った。

 夜明けと共に起き出した人々の生活音が、窓の外から聞こえてくる。共同で使う(かまど)に火が熾される頃には、スープの香りが漂ってきた。


 リベリオは冷静になった頭で立ち上がると、布を片手に顔を洗いに外へ出た。井戸にはすでに何人かが集まっている。リベリオは軽く挨拶を交わすと水を汲み上げて顔を洗い、そのまま布を濡らして身体を拭いた。

 部屋に戻って身支度を整える頃には、外はすっかり明るくなっていた。剣を携え、荷物を持って扉に鍵をかける。


 ----忘れよう。俺はすでに彼女が差し出した手を払いのけたんだ。二度と会う事はないだろう。


 朝の空気を肺一杯に吸い込み、一気に吐き出す。

 朝日の眩しさに目を細め、王宮へと向かった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ