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内気令嬢に花束を  作者: みのり
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 オーケストラの演奏が会場の雰囲気を盛り上げ、あちらこちらでは紳士淑女が会話に華を咲かせている。

 リベリオとナリアは壁際に立ち、二年ぶりの再会を喜び合っていた。


 「本当に久しぶりだな、ナリー。お前いくつになったんだ?」

 「18になりました。リブ様もお変わりないようですね。」


 相変わらずの『お前呼び』にナリアがクスクスと笑っていると、リベリオが近くを通ったウェイターに声をかけた。トレイから葡萄酒を一つ取り、いつもの癖で隣に立つ女に手渡す。


 ----おっと、ナリーだったな。つい…


 咄嗟にグラスを持つ手を引っ込めようとすると、ナリアは手を伸ばし当然の様に受け取った。グラスを持つ二人の指先が触れる。真っ直ぐに見つめてニコリと微笑むナリアに、リベリオは息を呑んだ。

 心臓が妙な鼓動を打つのを感じながら、リベリオは自分の葡萄酒を取る。グラスに口を付けながら、チラとナリアの方を見た。


 ----酒が飲めるのか…。


 グラスに口を付けるナリアの喉元が揺れている。その細くて白い首筋から、目が離せなかった。


 ----いや待て。俺は何を考えてるんだ!?この子はあの時の娘だろ!庭の片隅で一人飛び跳ねていた、あの()()だ!!


 リベリオはグイッと葡萄酒を飲み干し、心を落ち着かせる為にあの時の話を持ち出した。


 「そうか、あれからもう二年も経つのか。今もあのダンスは踊っているのか?」

 「はい。今でも街に旅芸人の一座が来る度に、侍女と連れ立って見に行っています。一座によって踊り方や曲調、テンポが違ってとても楽しくて。きっと、出身の国によって違うのでしょうね。そういったことを想像するのもまた、楽しみの一つなんです。」


 ダンスの話題を振ったのは正解だった、とリベリオは胸を撫でおろした。ダンスについて語る時の嬉しそうな顔は、あの頃と変わっていない。コロコロと笑いながら、時折曲調の違いや動きの違いを交えながら説明するナリアの姿を安心して眺められた。


 ----それにしても、だ。


 リベリオは、冷静になった頭で改めて上から下までナリアを見た。艶やかなダークブラウンの髪を片方に結い流し、深緑色の瞳は長い睫毛に縁取られている。とりわけ美人というわけではないが、どこか雰囲気のある顔立ちをしていた。

 少し下に視線を移せば、細い首と肩、そしてドレスで隠れてはいるが、出るところは出ていると分かるボディライン。庭で飛び跳ねていた少女とは、とても同一人物とは思えなかった。


 「リブ様?どうかなさいましたか?」


 ナリアの言葉にハッとすると、いつの間にかリベリオの視界がナリアの顔で埋まっていた。深緑色の瞳がじっとリベリオの瞳を覗き込んでいる。リベリオは心臓が跳ね上がり、身体を仰け反らせて目を背けた。


 「いや、何でもない。うん、そうか、やっぱりまだ踊ってるんだな。あれから社交界には参加してたのか?」

 「いいえ。あの日リブ様とお会いした夜会以来、一度も参加していません。」

 「そうなのか?じゃあ、今夜はどうして参加しようと思ったんだ?」

 「それは…。私、先日婚約することが決まりまして。」

 「は?婚約!?」


 リベリオは頭を殴られたような衝撃に襲われた。ナリアが何を言ったのかが理解できない。婚約するということは、いずれは相手の男の元へ嫁ぐということだ。

 耳の奥がグワングワンと鳴り響く感覚に、リベリオは眩暈を覚えた。


 「相手は…誰だ?」

 「グラナード伯爵家のご長男で、キュリオ・グラナード様と仰る方です。ご存知ですか?」

 「キュリオ・グラナード…。」


 リベリオは過去に会ったことのある顔を、記憶力を総動員させて思い返した。基本的に周りにいたのは女ばかりでそれすらも顔は覚えていなかったが、沸き起こる妙な苛立ちがリベリオの執念を後押しする。


 その時、ある出来事が脳裏をよぎった。それは、昨年のとある夜会に参加した時の事だった。例のごとくリベリオが女との逢瀬を楽しんだ後、会場に向かう通路を歩いている時、人気のない場所にある小部屋から二人の男女が出てきた。

 リベリオが咄嗟に物陰に隠れ、暗闇に慣れた目で様子を窺うと、男女は抱き合って口づけを交わしていた。女が先に立ち去り、男がしばらく経ってから会場へと戻っていく。リベリオは少し距離をあけて後ろをついて行くように会場へと戻った。


 ----そうだ。あの時暗くて女の顔は見れなかったが、男の方は…


 リベリオはその時の男がキュリオ・グラナードだったことに思い至り、忌々しさに顔を顰めた。


 キュリオの父親のグラナード伯爵は、実業家として有名な人物だった。地質の専門家を雇い、大金をはたいて所有する領地の地質や気候の特徴を調べ上げ、その土地に適した農作物を次々と取り入れた。そして、より効率的に食物自給率を上げつつ、それらを市場に流す事でより多くの収益を得ていた。

 その跡を継ぐ息子がいることは、社交界では密かな話題となっていたのだ。


 「あぁ、知っている。確かお父上は凄腕の実業家で有名だとか。…で、その相手がお前の婚約者なのか?」


 少し棘のある言い方だったか、とリベリオは気になったが、すでに取り繕う余裕は無かった。チラとナリアの方を見ると、頬を染めて俯いている。その顔を見た瞬間、足元が崩れるような感覚に陥った。


 「あ、はい。その…父がグラナード伯爵様と懇意にさせていただいておりまして。急なお話で、両親も私も驚いておりまして…。」

 「…何を驚く事があるんだ?お前の歳を考えたら、そういった話があっても…おかしくはないだろう。」


 自分の言葉に打ちのめされる。リベリオは拳を握り締め、なんとか声を振り絞った。俯くナリアの顔を見下ろせば、この肌にキュリオ・グラナードが触れるのかと想像するだけで(はらわた)が煮えくり返る。

 自分の事を棚に上げて、『女と密かに逢瀬を楽しむ輩など』とは口が裂けても言えなかった。


 「そう…ですね。ですから正式に婚約する前に、もう一度夜会に参加してみようと思ったのです。」


 ナリアがリベリオの顔を見上げ、じっと見つめた。その真っ直ぐな瞳に射抜かれ、リベリオは息を呑んだ。微かに染めた頬に、潤んだ瞳。薄く施した化粧が、もうかつての少女ではないことをリベリオに突きつけた。


 ----まずい、これは…


 リベリオはグッと奥歯を噛みしめて目を逸らした。


 ----キュリオ本人には父親程の商才は無いとはいえ、いずれはその跡を継いでいくだろう。それに比べて自分は何も持たない次男坊だ。ナリーは、将来が安泰な男の元に嫁いだ方が良いに決まっている…。


 顔を背けてギュッと瞼を閉じる。小さく深呼吸をして、ゆっくりとナリアに向き直った。


 「そうか。婚約おめでとう、ナリー。」


*


 「ねぇ、リブ起きて。朝よ。」


 薄いカーテンから漏れる光の眩しさに目を顰めながら、リベリオはゆっくりと身体を起こした。すでに身支度を整えたルマリナが髪を梳かしながら鏡に向かっている。

 その後ろ姿をぼんやりと眺めながら、昨夜の夜会の後すぐにこの娼館に駆け込んだことを思い出した。


 「なんだ、もうそんな時間か?」

 「今日は針子の仕事の日だから早く起きなくちゃいけないのよ。リブもこれから仕事でしょ?さっさと起きて、支度しなさいよ。」


 ルマリナは、ライトブラウンの髪とスカイブルーの瞳をした街でも有名な美女だった。25歳だが未だに独身で、普段は針子の仕事をしているが、その妖艶な容姿を活かして数日毎にこの高級娼館で働いている。客の中には妻にと望む貴族も大勢いたが、それらを全て断っていた。

 リベリオは、そんな彼女の馴染みの客の一人だった。


 「あー…、仕事行きたくねぇ…。」


 ルマリナがブラシを置いてリベリオに振り向くと、溜息混じりに呆れて言った。


 「ねぇ、何かあったの?昨夜の貴方、なんだか変だったわよ。何かをぶつけるみたいに辛そうな顔してた。」

 「…。」

 「まぁ、私には関係の無いことだけどね。」


 ルマリナが再び鏡に向かって髪を結い始める。顔を覆った指の隙間からルマリナを見やり、小さな声で呟いた。


 「ルマリナ、どうしてお前は結婚しないんだ?」

 「何よ急に。興味が無いからよ。それがどうかしたの?」

 「いや、多くの貴族がお前に求婚しているだろう?中には相当な金持ちだっていたはずだ。」

 「そうね。でも、私がその人に興味が無いんだもの。仕方ないわ。」


 早く用意しなさいよ、と横目で睨まれ、リベリオはのそのそと服を着始めた。


 「もし、将来安泰な男と、将来に不安はあるが好きな男だったら…。」

 「好きな男に決まってるじゃない。でもそれは()()そうだと言うだけで、他の女の考える事なんて知らないわ。殆どの女が将来安泰な方を選ぶでしょうし。で?さっきから何の話をしてるのよ。」


 ルマリナが軽い苛立ちを感じ始めた事を察し、リベリオは項垂れるようにベッドに座った。


 「いや…、もし、もしもだ。ついこの間まで子供だと思っていた少女が、二年後大人になって目の前に現れたとする。その子はとても魅力的に成長していて、もうすぐ婚約するのだと言う。」

 「ふんふん。」

 「ところが、その少女は…俺の目を見つめて、()()()婚約する前に、デビュタント以来参加していなかった夜会に参加した、と言った。」

 「あらあら。」

 「これって、つまり…。」

 「貴方に止めて欲しかったんでしょう?」


 リベリオは、ルマリナのハッキリとした物言いが好きだった。が、この時ばかりはどんな鋭利な刃物よりもグサリと刺さる。


 「でも、俺の勘違いかもしれない。俺の、そうであって欲しいという願望なのかも…。」


 リベリオはハッとして顔を上げた。


 ----()()()()()()()()()…?


 リベリオが呆然とした顔で固まっていると、ルマリナが追い打ちをかけた。


 「で、貴方はその時、その子に何か言ったの?」

 「婚約…おめでとう、と…。」


*


 王宮の敷地内の訓練場で、リベリオは訓練用の剣を構えていた。


 ----『馬鹿ね。とにかく仕事が終わったら、さっさとその子の元へ行って止めてきなさいよ。』


 「フンッ!ハァッ!!」


 ルマリナの言葉を振り払うように、剣を振る。


 ----止めてどうしろって言うんだよ!俺には彼女を幸せにするほどの甲斐性なんか無いんだ!!


 唾を吐き捨て、歯を食いしばる。目の前の見えない敵に、思いきり剣を振り下ろした。


 ----ナリーは婚約者の話をした時、頬を染めて俯いていたんだ。本当に興味が無いのならそんな風にはならないだろ!


 「うぉぉっ!!」


 ブンッと振り、己の未練を断ち切る。何に対しての苛立ちなのかがわからず感情のままに振り続けていると、ふとナリアの笑顔が浮かんだ。

 

 「クソッ…!!」


 剣先を地面に突き刺し目を閉じる。

 今でも踊っている事を嬉しそうに話すナリアの姿が瞼に映った。


 剣で振り払う事はできなかった。

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