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みのりと申します。
二作目の作品になります。
お時間のある時に読んで頂けると嬉しいです。
どうぞよろしくお願いいたします。
※序盤は年代が少し前後します。
ドレリア暦1572年、五の月。
サンドルド侯爵邸で開かれている夜会会場の一角に、一際目立つ一人の男がいた。その男が一度会場に足を踏み入れば、高貴な淑女たちが熱のこもった溜息を漏らす。
男の名は、リベリオ・デガート。24歳。
ライトブラウンの髪に碧い瞳、剣で鍛えた逞しい体躯。整った顔立ちには知的な雰囲気を纏わせている。彼が一度口を開けば、そこから紡がれる甘い囁きに多くの女が虜になった。
この日も、リベリオの周りには多くの女が集まっている。
----ふむ、今夜は誰にするか…。
リベリオが甘い笑顔を貼りつけて集まっている女たちを見定めていると、突然後ろから声をかけられた。
「あの…、リベリオ・デガート様。」
誰だよ、とリベリオが心の中で舌打ちをしながら振り返る。その視線の先には、見覚えのある女がニコリと微笑み佇んでいた。
「君は…、あの時の少女か!」
*
二年前。
このサンドルド侯爵邸での夜会で、リベリオは人気のないバルコニーにいた。その腕の中では女がドレスの裾をたくし上げられている。
「はぁ…ねぇ、お待ちになって。こんな場所でこれ以上はできませんわ。」
「…じゃあ、どこならいいんだ?」
女は身体を離して髪とドレスを整えると、リベリオの耳元で囁いた。
「私、今夜はこちらの客室に泊まらせていただくことになっておりますの。皆様にご挨拶を済ませたらすぐに向かいますから、そちらにいらして。」
女はリベリオに口づけをして口紅をスッと拭い取ると、ニコリと微笑みバルコニーを後にした。その背中を半目で見届け、手すりに頬杖をついて下半身の熱気が収まるのを待った。
----はぁ…ったく面倒臭ぇな。かといって別の女に声かけんのも面倒だしなぁ。
しばらく夜風で涼んだ後、リベリオは会場へ戻った。少し離れた視線の先には、先ほどまで恍惚とした顔をしていた女が甲高い声で笑っている。
----あれはしばらく終わりそうにないな。…なんだって女はあんなによく喋るんだよ。
ハァッ、と大きな溜息を吐きながら会場を見渡した。結局、誰かと話しをするのも面倒で庭に出る。会場から漏れる光と満月だけが、庭に僅かな明かりを届けていた。
----あともう少し待ってから次に行くか。
リベリオが庭のベンチに座り、会場から漏れ聞こえる笑い声に顔を顰めていると、少し離れた木の影から物音が聞こえた。
----なんだ、先客か?
こういった人気の無い場所では、あまり公にできないカップルが僅かな逢瀬を楽しんだりする。リベリオは興味本位で足音を立てずにゆっくりと近付き、静かに覗き込んだ。
----ん?なんだコイツ。何やってんだ?
リベリオは目の前の光景に唖然とした。満月とはいえ薄暗い庭の片隅で、一人の少女が躍っている。社交ダンスとは違うステップを踏み、音が鳴らないように手を叩いている。ドレスの裾を持ってクルクルと回っては跳ね上がり、小さく歌を口ずさんでいた。
気が付けば、リベリオは少女の踊りに釘付けになっていた。美しいからではない。心の底から楽しそうに踊る姿が眩しくて、なぜか自然と目が離せなくなった。そんな感じだ。
「ひゃあ!」
少女の悲鳴に、リベリオはハッと我に返った。焦点を合わせると、目を見開き口元に両手を当てている少女が自分を見て固まっていた。
「え?あ、あぁ、すまない!驚かすつもりはなかったんだ。物音が聞こえたから、何だろうと思って確かめに来ただけなんだよ!」
リベリオが両手を振って落ち着かせようとすると、そのあまりの必死さに少女はクスリと笑った。
「俺はリベリオ・デガート。君は?」
「私はナリア・アマティスタと申します。」
「アマティスタ…。アマティスタ子爵家のご令嬢か?」
「はい。貴方様は?」
「俺はデガート伯爵家の次男だ。王宮第五騎士団に所属している。」
ナリアは相手が自分より身分が高い人だった時の礼儀を思い出し、裾を持ってお辞儀をした。
「デガート伯爵家の方でございましたか。知らずとはいえ、大変…」
「あぁ、そういうのはやめてくれ。俺は次男だから爵位を継ぐことは無いし、そういった挨拶は性に合わないんだ。」
「そうでしたか…。では、よろしくお願いいたします、デガート様。」
ナリアがニコリと微笑むと、リベリオはコホンと咳払いをしてチラと木の影を見た。
「こんなところで何をしていたんだ?」
「あ…その、ダンスを踊っておりました。私、街に旅芸人の一座が来ると彼らの踊りを見によく出かけるのです。その時に見た踊りを見よう見まねで覚えて、こうして人目のないところで踊るのが好きで。」
ナリアが見られていた恥ずかしさで俯くと、リベリオは呆れたように肩を竦めた。
「夜会に来たのに人目のない所に来てどうするんだよ。見たところ、お前まだ若いんだろ?こんな所で踊ってる場合じゃないだろうが。」
ナリアが突然の『お前呼び』に面食らっていると、リベリオは意にも介さないように続けた。
「それから、いくら人が大勢いるからってこんな場所に女が一人でいるんじゃない。何かあったらどうするんだ?」
ナリアが更に俯くと、リベリオは溜息を吐いた。ナリアの肩が小さく震える。
「はぁ、まぁいい。侍女はどうした?まさか黙って出てきたんじゃないだろうな。」
「あ、いえ、それは大丈夫です。庭に出ているから、楽しんできてって言ってありますので…。」
「いや、だからさ…。とにかく会場に戻るぞ。せっかく来たんだ、楽しまなきゃ損だろうが。ほら。」
リベリオが手を差し出すが、ナリアはその手を取ろうとしない。互いに固まったまま夜風だけが通り過ぎる。腕と辛抱が痺れたリベリオは、苛立ちを抑えるのを忘れて声を荒げた。
「お前、いい加減にしろよ!俺だって見てしまった以上は放っておくわけにはいかないんだ。さっさと来い!」
----クソッ!覗きなんかするんじゃなかった!
リベリオが舌打ちをしながら手を取ると、ナリアはバッと手を外した。振り返るリベリオの額には青筋が立っている。リベリオが何かを言いかけた時、先に口を開いたのはナリアだった。
「あの、本当に私は戻る必要がないのです。私は今日がデビュタントなのですが、その…皆さんは私よりももっとお話しをしたいお方がいらっしゃるでしょうし…。それに、私がいると気を使わせてしまうので…。」
----デビュタントってことは、コイツ16歳かそこらか!?道理で見るからに子供なわけだよ!
今日の夜会でデビュタントを迎える令嬢が二人いることを、リベリオは知っていた。その内の一人が他でもない、サンドルド侯爵の愛娘だったのだ。
デビュタントはこれから社交界に加わる、つまりは大人社会の仲間入りをするという大事な日で、だからこそ父親のサンドルド侯爵は今日の夜会には特に力を入れていた。参加した貴族たちはサンドルド侯爵との今後の事を考えて、我先にと話し相手になろうと躍起になっていた。
----主催者の愛娘を余所に、他の令嬢の相手なんかしてられないってことか。
リベリオはチラとナリアに視線を向けた。運悪く侯爵令嬢とデビュタントが重なってしまい、ナリアの存在など誰も覚えていないだろう。それは、これから社交界に参加していく若い貴族令嬢にとっては致命的だった。
----ましてや、こんな内気な性格じゃあな…。
ナリアが俯いたまま視線を彷徨わせていると、リベリオは来た道を戻り会場の中を覗いた。先ほどの女はまだ喋っている。流石にやる気が失せたリベリオは、溜息を吐いて再びナリアの元へと戻った。
「わかった。それじゃあ、俺が話し相手になってやるよ。」
「え?いえ、結構です。デガート様こそ、折角ですので楽しんでらして下さい。私はもう少しここで踊ってから会場に戻りますので。」
「お前、断る時はハッキリ言うんだな。それから、俺のことはリブでいい。デガートで呼ばれるのはあまり好きじゃないんだ。」
リベリオの距離の詰め方に呆気に取られていると、「お前は?」と聞かれてナリアはハッとした。
「私の事はナリーとお呼び下さい、リブ様。」
「ナリー?『リア』じゃなく?」
リベリオが首を傾げると、ナリアはクスリと笑った。
「はい。私の大好きな方が付けて下さったのです。」
*
会場ではすでにダンスタイムが始まっていて、ゆったりとした上品な音楽が流れていた。ダンスを鑑賞している来賓たちの感嘆する声が聞こえてくる中、満月の下の庭の片隅では二つの影が飛び跳ねていた。
「はいっ!いち、に、さん、ここでジャンプッ!!」
「はっ!ほっ!よっ!フンッ!!」
はぁはぁと息を切らしながら、リベリオとナリアは地面に座り込んだ。リベリオはチュニックの胸元を少し開けて夜風を誘い込むと、ハハッと笑って項垂れた。
「結構難しいな、これ。お前が軽々とやってのけるから簡単だと思ったが、こんなに体力を使うものだとは思わなかった。」
「そうなのです。傍から見ると軽く飛んでいても、実際にはすごく力を使っているのです。私にはそれが凄く魅力的に映りました。なんだか見ている人を騙しているようで、楽しいのです。」
フフ、と笑うナリアを、リベリオはなぜか羨ましく思った。こんなに幸せそうに人を騙す者がこの世にいるだろうか。それでいて、誰一人として不幸にしない。
暗闇に乗じてリベリオが見つめていると、ナリアは顔を上げて月を見た。
「踊っていると、悲しい事も寂しい事も、全部忘れられます。踊り終えた頃には何がそんなに悲しかったんだろう、って。」
「…。」
「それに、今夜はリブ様と一緒に踊れて楽しかったです。」
「そうか。それは良かった。」
ナリアに屈託のない笑顔を向けられ、リベリオはフ、と笑って目を逸らした。常に偽りの笑顔で周りを騙している自分にはその笑顔が刺さる。
「それにしても、リブ様はお歳の割に身軽ですのね。私、最初からここまで踊れる方は初めてです。」
「…おい、俺はまだ22だ。」
「えぇ!?も、申し訳ございません!暗くてよく見えなくて…。その、てっきり…。」
「なんだ、いくつだと思ってたんだ!」
「きゃあっ!」
リベリオがナリアの頬をつねろうと両手を伸ばし、ナリアが笑って叫んだその時だった。
「リベリオッ!何してらっしゃるの!?」
リベリオが咄嗟に振り返ると、そこには両手を握り締め、わなわなと震えてこちらを睨み据える女が立っていた。
暗闇の庭の片隅、汗をかく男女、はだけた胸元、じゃれ合う姿。状況証拠は十分だった。
「部屋にいないから、わざわざ探しに参りましたのよ!そうしたら、貴方が庭に出て行くのを見たと聞いて…なのにこんな…!!」
「お、おい、ちょっと待て。何か誤解してるんじゃないか?」
リベリオが立ち上がり、女に近付き手を伸ばす。その瞬間、強烈な一撃がリベリオの左頬に入った。
「もう結構ですわ!!ここまで節操のない男だとは思いも寄りませんでした!!」
フンッと鼻を鳴らして立ち去る女の後ろ姿を呆然と眺めながら、リベリオは片手で顔を覆うとガックリと項垂れた。
----何だっていうんだ!俺が何したっていうんだよ!!
女が残していった重い沈黙が、リベリオとナリアにのしかかる。その沈黙にいたたまれなくなったナリアは、静かに口を開いた。
「あの…私のせいで、申し訳ありません…。」
「はぁ。いや、ナリーのせいじゃない。気にするな。」
「でも…。」
リベリオは胸元を整えると、ゆっくりとナリアに近付いた。
「いいから。とにかく、そろそろ戻るぞ。」
リベリオが手を差し出すと、ナリアは素直に手を取り立ち上がった。互いに無言のまま会場へと向かう。侍女がナリアに気付いて近付いて来るのを見届けると、リベリオはナリアの頭にポンと手を乗せた。
「じゃあな。楽しかったよ。」
そう言って立ち去るリベリオの後ろ姿が見えなくなるまで、ナリアはずっと見つめていた。