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6 寝よ


「ちょっと早いけど飯にするか」


 バックの中から、さっき市場で買ったミノタウロスの肉と他の食料らを取り出す。


「けっこううまそうじゃねえか」


 天使もじゅるりと唾液を垂らしている。昼間は何も食べていない。もうお腹はペコペコだ。


 天使は肉にがぶりと噛み付いた。

 うまそうにほっぺに汁を伝わらせている。


 俺も、ミノタウロスの骨のつき肉に噛みつく。

 肉は冷えていたが、肉汁が口の中いっぱいに広がった。

 歯応えのある感触に、旨味成分がジュワジュワと染み出してくる。


 何これ、牛より好きかも。


 ミノタウロスの肉は、牛肉や豚肉より比較的高かった。


 でも、その分の価値は十分にあると断言できる美味しさだ。


「ちょっと渋みはあるが、なかなかイケるな、これ」


 天使もご満悦である。


 ほとんど会話もないままに、二人は黙々と買ってきた肉に食らいつく。

 

 はらぺこの腹に、肉はどんどん入っていた。


 結局、バックに入っていた肉は二十分ほどで全部空になった。

 2キロくらいあったはずなんだけどな。


「うめえな、ここの肉は」


「もうくえねえ。げっぷ」


 天使は心なしか前よりもデブデブしている。


 よほど満腹なのか、辛そうにゴロンと横に倒れた。


 しかし、まだ楽しみは残っているのだ。


 俺は肉を取り出したのと同じバックから、ひょうたん型の黄色い果物を取り出す。


「ん、なんだ、その野菜は」


「果物だよ。商店街の八百屋さんで安く売っているのを見つけたんだ」


 確かローレンという名前だった気がする。どんな味なのか想像もできないが、気になったので買ってみた。


「悪いが、俺様はもう腹一杯だ。貴様、食って良いぞ」


 全然悪くないぞ。むしろありがたいぞ。そのまま寝てろ。


「皮食べれんのかなあ」


「捨てたら貴様、もったいないではないか」


「そういう問題か?」


 まあ毒はなさそうなので、皮ごといただく。


「.....すっぱっ! なんじゃこりゃ!」


 かぶりついた瞬間、弾けるような甘酸っぱい汁が口の中に溢れ出た。りんごのような食感にレモン的なすっぱさだ。


 新感覚。こんな食べ物は前世ではなかった。

 これは意外とやみつきになるかもしれない。


 芯を残して食べ尽くすのを、隣で天使が羨ましそうに眺めている。

 そんな目で見るんだったら一口くらい食べればいいのに。


 そんなふうにして、俺たちは異世界転移最初の食事を楽しんだのだ。


 その後、俺は文房具屋さんで見つけてきた緑色の絵具を取り出す。

 大事な仕事がまだ残っているのだ。


 そう、俺の人生初めてのヘアカラーである。

 

 最初から金髪を通り越して緑なので難易度は高い。


 洗面所には、大きな鏡が取り付けてあった。

 絵具は水性。

 まずは実験だ。


 俺は徐にチューブの中身を右手に出すと、慎重にそれを頭に塗りつけていった。



 ———十分後


「どう?」


 出来立てホヤホヤの髪を天使に見てもらう。


「ん? んー、少々違和感はあるが、ぱっと見は問題ない。しかし、じっと観察されれば絵具だとバレるかもしれんな。あと絵具は均整に塗れ」


「自分だと後ろまでは見えないんだよ。手伝ってくんない?」


「俺様が? 仕方ないな」



———十分後


「どうだ、みたか俺様の最高傑作!」


「さっきのとあんま変わんなくない?」


「そうか?」


 緑色の絵具はできるだけ薄いものを選んだが、それが失策だったかもしれない。絵具の下から黒い色がチラチラ見えていて、観察すれば悪魔だとバレてしまう。


 まあ、髪をじっくり観察されることもないだろうから、当分はこれで大丈夫だ。


 余裕を見て、実験を繰り返すうちにいい改善方法を見つけていけばいいのだ。


 俺は風呂に入って体を洗うのと一緒に絵具を全部落していく。


 さすがにこのまま寝るのはベトベトするので憚られる。

 明日の朝、もう一度絵具を塗ってから出かけよう。



 風呂から上がると、俺はベットに突っ伏した。

 疲れに任せて、どでーんと寝っ転がる。


「そうだ、この町での俺の呼び名考えた方が良いよな」


 さっきから考えていたことを天使に提案した。

 ちなみに、天使は床の方が涼しくて寝心地が良いようで、下にうずくまっている。


「悪魔でいいのではないか?」


「それはバレてない時の呼び名だろ? 髪がグリーンバージョンの時の名前を考えてるんだよ」


「そんなもの、貴様が決めれば良かろう」


「うーん、そうだなあ。ヤーマ・ダーっていうのはどうだ? 俺前世で苗字山田だったんだよ」


「ふん、貴様のネーミングセンスはよくわからんがまあいいんじゃないのか、それっぽいし」


「じゃあ、明日からそう名乗ることにするから、お前も俺のことヤーマさんって呼べよ?」


「さんはいらない。ヤーマで十分だ」


 天使はあまり関心はなさそうだ。


「あと、お前の名前も考えたぞ、天使」


「なぬ?」


 天使はここでむくっと起き上がった。

 ようやく危機感を覚えたらしい。


「そんなもの、天使でいいだろう。それで不便はなかろう」


「えー、やだよ、天使天使って呼び続けるの。可愛くないじゃん」


「可愛さなどいらん! 天使様だ、これだけは譲歩しないぞ。貴様に変な名前をつけられてはたまらんからな」


「でも、もうつけちゃったもん」


 天使の顔が、青くなっていく。どんな名前を想像してんだろ。


「つけちゃったもん、って可愛こぶっても無駄だ! やめろ、俺はその名前を聞かん!」


「名前はねえ、ふふ、ポチ」


「ああああああ! 聞いてしまったああああああ! ん? 意外といい名前ではないか」


 天使は意外そうにふむふむと一人で納得している。


 実は前世ではけっこうありふれた名前だったりするのだが、喜んでくれてよかった。

 うん、実にペットっぽくていい名前だ。


 


 それにしても、今日はいろいろなことがありすぎた。


 いろんなこと......。

 天井を見つめながら、俺はため息をついた。


 予想していた異世界生活は、もっと気ままに世界最強の称号とか手に入れたりして、もっと気ままにハーレムとか作っているうちに、もっと気ままに子供とかできて、もっと気ままに幸せになっていくものだった。


 しかし現実は、今のところ気まま要素が一切ない。


 いきなり空から落下し、万を超える観衆から悪魔と罵られ、ちょっと可愛いと思った女剣士には初対面で憎悪の目を向けられる始末だ。



 幸が薄い。

 ———このままでは、困るのだ。



 前世、お世辞にも幸福な人生を歩んでいたとはいえなかった。

 

 もちろん、奴隷にされることもなかったし刑務所に入れられることもなかった。

 中学も、高校も、けっこうレベルの高い進学校に通うことができた。

 でも、それだけだった。

 自分の幸せはいつの間にか日々の雑多に埋もれて見えなくなっていた。


 中学時代、高校時代、ずっと親には受験勉強を強いられていた。


 部活に入ることもなく、青春を謳歌することもなく、勉強を続けた。

 難関大学に入って将来いい職業につくことだけを考えていた。

 だからか、友達と言えるような友達は一人もできなかった。

 ずっと勉強漬けで、これからの将来、自分どんなエリートな人生を歩んでいくのかを考えることだけが俺の生きる指針だった。

 

 結果から言うと、その先には何もなかった。

 なぜか、目指していた大学には合格できなかった。

 試験の時指が震えだし、まともに頭を働かせることができなかったのが理由だ。

 不合格がわかった時、俺は泣くこともなかった。


 あ、終わったと思った。

 

 何もなかった人生が、本当に何もなくなってしまった。


 俺の勉強にかなりお金をつぎ込んでいた親は、俺を見捨てた。

 勉強以外取り柄のなかった自分の手元には何も残っていなかった。


 その後、俺は滑り止めで受けて合格した大学に通うことになった。

 親の実家とは離れた場所に、安いアパートを借りた。

 アパートの家賃だけは仕送りしてくれたが、親の期待はもうない。


 でも、なんだか肩の荷がおりた気がした。

 自分は本当に空っぽになってしまったけど、逆にスカスカの自分を見るのは嫌ではなかった。

 俺は今まで、スカスカの自分を認めることが嫌でムキになっていたのだと理解した。


 それから、俺の切り替えは早っかった。

 俺は、これからの人生を好きなことをして生きていこうと決意した。

 今まで自分のために何もしてこなかった分、今なら自分のためになんでもできると思った。


 まあ、その夢は大学二年生で途切れることになったのだが。

 幸せとは何かを発見する前に、俺はトンボの誘発した事故で死んでしまったらしいのだ。



 しかし、幸運な事に目の前に現れた天使が異世界転移をさせてくれ、あれよあれよという間に異世界のベットで眠りにつこうとしている。


 人生、わからないものだよな。


 その夜、天使のいびきを聞きながら、俺は密かに決意した。


 この世界で、俺は幸の多い人生を送ろうと。

 今度こそ、本当の幸せを見つけようと。






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