1 コロセオみたいなとこ
気がつくと俺は、空中にいた。
「へっ?」
凄まじい高さ。
一瞬夢かと思った。
俺は一瞬にして悟る。
これは死ぬなと。
マンションから落ちて死んだ奴が、生きていられる高さじゃねえ、これ。
さっきの天使も転移されていたようで、隣で真っ青な表情をしていた。
二人で一緒に落下し始める。
胸を圧迫する空気。
顔面を殴りつける風。
耳がキンキンいう。
血管の一本一本がブワッと湧き立つのを感じる。
「おい天使、俺に捕まれ! 二人で落ちた方がいい!」
俺は空中でうまく体勢をとりながら、手を伸ばす。
天使も納得したように、俺に手を伸ばした。
それをやっとのことで捕まえる。
「で、どうするのだ?」
俺の服にしがみ付きながら、天使が聞いた。
強風に当たっているせいで、カピパラの口がどんぐりを詰め込んだみたいにぶくぶくしてる。
「どうにかするのはお前だろ」
「は? 貴様、何か策があるから俺様に手を伸ばしたのではないのか?」
天使の素っ頓狂な声を、俺は鼻で笑った。
「この高さをごく普通の人間である俺がどうしろっていうんだ? むしろなんとかできるのは仮にも天使であるお前の方だと思うんだが? っていうかそんなことできないならお前に手なんか伸ばさなかったし」
何を当たり前のことを。
少し考えればわかることだ。
しかし、なにを思ったか天使はキレた。
「なっ、なななななななんなんだ、貴様わああああああああああっ! さっきから人間の分際で天使を馬鹿にして! 何様のつもりだああああ!」
「文句言うくらいなら天使らしく働けよ」
こちとら椅子に座ってただけで、魔法陣を書いたのは全部天使なのだ。
天使が床に書いている間、俺はずっと邪魔しないであげたのだ。
何かエラーが起きたとしたら、それは全部天使のせい。
まあ、俺まで呪文を唱えてしまったことで多少の不具合が起きたのかもしれないが。
というか、その可能性が一番高いのだが。
今回はそれは目を瞑ることにしよう。
なぜかって?
都合が悪いことは考えても意味がないか・ら・だ・ヨ。
天使は憎々しげな表情をこちらに向けたが、俺を見て仕方がないとため息をついた。
「はあ、本来なら俺様は、貴様の命など虫の死骸ほど興味がないのだがな。しかし、天使様のありがたさというものを理解してもらわないと、俺様としても困るのでな。……仕方がないから安心させてやろう。
本来、こういう異世界転移というのは、転移者を殺そうという目的では作られていないんだ。だから、空中から落下するタイプの転移というのは大抵、転移者が地面に落ちるすれすれで何かクッションになる魔法が発動し勢いを殺してくれると相場が決まって……」
ズゴオオオオオオオオオンッ!
物凄い勢いのまま、俺と天使は地面に墜落した。
土煙が立ち上がり、視界が灰色に染まる。
あ、これ死んだな。
———と思ったら、俺は二本の足でしっかりと地面に着地していた。
「ケホッ、ケホッ、あれ、生きてる!?」
あの高さで?
俺って生身の人間だったよな。
「おう、無事か人間……」
隣で天使がのっそりと起き上がった。
どうやら天使も奇跡的に無事だったようだ。
「なんで俺たち生きてるんだ?」
毛皮が守ってくれそうな天使はまあいいとして、人間が空から落下して助かるなんて話は聞いたことがない。
天使も、首を傾げているようだ。
足で着地したから、腰がじんじん痛い。
でも、それだけだ。
血の一滴も流れていない。
もしかして、俺の体って結構頑丈なのか?
転移前は結構病弱で、引きこもっていたせいで筋力もなかったはずだが。
転移の特典か何かで進化したってことなのかな。
あ、畜生、目に砂埃が入って痒いな。
体は丈夫だけど、目は普通の人間て事かな。
目に入った小さい小石を出そうとして、地面を向いてまぶたをパチクリやっていると、ザワザワという声とともに甲高いマイクの実況アナウンスが耳に響いた。
『おおっと! これは新たなる刺客の乱入か!? 空から何者かが、このバトルロワイヤルに登場した! 』
あまりの音量に、俺はとっさに耳を塞ぐ。
なんだこれ、テレビにでも中継されてるのか?
キーンという音とともに、灰色の霧が晴れ、俺と天使が眩しいライトに照らし出される。
ワーッと歓声が上がる。
俺は辺りを見渡してギョッとした。
何千人もの観客が、俺たちを見物していたからだ。
俺たちが今立っているのは、砂の上。
その砂の土台は、丸く縁取られた壁によって隔離されている。
そして、その壁の上にだんだんになって観客たちが座って、俺たちを見下ろしているのだ。
コロセオ……みたいなイメージ。
明らかに戦ってる俺たちを高みから見物するために作られた建物。
……ここ、闘技場なのか?
よくみると、周りにゴロゴロと、気絶した戦士達が転がっていた。
数十体はあるな.....。
少し現代風でちゃんと整備されていてスポットライトとか当たってるけど、そこは、俺の憧れて止まなかった闘技場だった。
「人だよ、やっぱり人なんだ!」「見て、他にも誰かいるみたい!」「小動物? あいつの使い魔か何かかなあ」「きっとペットなのよ! まるまっこくて可愛い!」
観客が、ザワザワと騒いでいる。
疑心暗鬼や、期待の入り混じった目だ。
『さあ、突如現れた侵入者! 残念ながらフードをかぶっているせいで顔がよく見えません! 男か! 男なのか!? そして、イケメンなのか!?』
アナウンスされているのは、どうやら俺たちのようだ。
声質からして実況者は女だろう。
「俺様、人気者なのかなあ!」
天使が嬉しそうにデレデレしている。
この状況でなんとも呑気なものだ。
まあ、気持ちはわからなくもない。
かくいう俺も結構嬉しかったりする。
たくさんの人の視線が集まるというのは、こそばゆいものだ。
油断しちゃいけないと分かってはいるが、知らず知らずに頬が緩んでくる。
うわあ、みんな俺見てるよ。
そりゃそうだよな、空から人が降ってきたら俺見るよな。
なんかみんな期待の眼差しで見てるし、ヒーロー惨状って感じなのかなあ。
だって、空からだもん。
「とりあえず、手振ったほうがいいのかなあ?」
天使はやれやれと首を横にふった。
「馬鹿いえ、みんな俺様の登場に湧いてるんのだ。貴様なんかに興味などない!」
「何いってんだ、どう見たって俺に沸いてるだろ! お前は俺のペットって言われてるぞ!」
「はっ、誰が人間なんぞのペットになるか!」
「————貴様ら、何者だ!」
天使と雑談していると、不意に後ろから声をかけられた。