プロローグ
気がつくと俺は、かび臭い牢屋のような部屋に閉じ込められていた。
あたりは薄暗い。窓がないから昼なのか夜なのかもわからない。
部屋は円形で床も壁もコンクリート。
オレンジ色の蝋燭の火が等間隔に壁に並べられていて、これから何かの儀式が行われそうな雰囲気を醸し出している。
部屋の中心には椅子が一つ置かれている。
それに座っているのが俺だ。
『座らされていた』というのは、もちろん自ら進んで座ったわけではないからだ。
俺は太めのロープで手足を固定されていた。
結構キツく縛ってあるようで、手足を動かそうとするとギチギチとロープが肉に食い込む。
おかげで頭が痒いのを掻けず、さっきからムズムズしている。
と、まあどうでもいい説明はこのくらいにしておいて。
一番重要なこと。
実は、この部屋にいるのは俺だけではない。
もう一人、いや、もう一匹というべきか。
目の前に大きなソファーが置かれている。
そこに寝転がって、面倒臭そうに鼻をほじっている小動物がいるのだ。
愛嬌のある小動物が気持ちよさそうにホジホジホジホジしている。
小動物って鼻ほじるんですか、というのはあまり問題ではない。
もっと大きな問題があるからだ。
こいつ、喋るのだ。
「人間、ずいぶん暇そうではないか」
しかも、偉そうに。
小動物とは言っても、そんなに小さいわけではない。
全長は1メートルくらい。
体表はふさふさの狐色の毛によって覆われていて、全体的にデブデブしている。
大きな前歯が二本飛び出ていて、頬はどんぐりでも詰めているかのようにぷっくり膨れている。
クリクリまなこに、足の指は結構細め。
......はい、めんどくさい説明はやめましょう。
カ○パラです。
あの世界一大きな齧歯類とかなんとか言われてるカピ○ラです。
まとめると、そのカ○パラが、なんとも偉そうに高級そうなソファーにふんぞりかえり椅子に縛りつけられた俺を見下ろしているわけです。
「俺様が話しかけてやっているというのに無視をするな」
黙っていると、少し機嫌を損ねたカ○パラが眉を潜めた。
相変わらず生意気な態度に俺は顔をしかめる。
「おい、聞いているのか? なんかあるだろ言いたいこと」
「じゃあ、あの、あなた誰なんですか?」
無視するとさらにめんどくさそうなので、とりあえず一番の疑問をぶつけてみる。
「なんだ、貴様ちゃんと喋れるのではないか。 俺様が誰かだと? 俺様は、ソースティー・クリエイタだ。人間にもわかりやすくいうと、天使というヤツだ」
「天使? 頭大丈夫か?」
「なに?」
いかんいかん、心の声が漏れてしまった。
天使ってほざいたかこいつ。
齧歯類の分際で。
でも、よく見ると頭の上に小さな輪っかが乗ってる。
今まで気づかなかった。
喋るカ○パラなんて見たことないし、いったん信じるしかないか。
でも、白い羽もついてないみたいだし。
神聖さが全く感じられないし。
めっちゃだらけてるし......。
「ところで、なんでその、天使? が俺の前に現れたんだ?」
「そりゃ、貴様、死んだら天使に会うだろう」
「死んだ? 俺が?」
「ああ、トンボ捕まえようとしてベランダから身を乗り出して、バランス崩して落っこちてな」
———全然覚えてねえっ。
っていうか、虫捕まえようとして落ちたとかなんじゃそりゃ。
いい歳して流石にちょっと恥ずかしい。
「人生の終わりは記憶に残りづらいものだ。不意な事故なら尚更な。残念だろうが、諦めろ」
「......まあ、死んじまったものは仕方ないか。
ちなみに、ここは天国みたいなところなのか? 見たところ、天国にしては随分と殺風景だが」
「天国? そんなものはない。ここは言うなれば、貴様の住んでいた世界と別の世界を繋ぐ関所みたいなところだ。人間の魂は大抵、死ぬと同時に消える。しかし、貴様みたいなごく一部の人間は死んでも魂が消えずに残っていることがあるのだ。
そういう者に次の世界を用意してやるのが俺様の役目だ」
「異世界転生ってやつか?」
「正確には”転移”だ。貴様は運がいい。なんといっても世界を二つ分体験できるのだからな」
転移は前世の形を保っていて、転生はまるっきり生まれ変わるのだと聞いたことがある。
肉体はそのままで新しい世界に行けるということだろう。
「へえ、それはラッキーだな。退屈な赤ちゃん時代を過ごさなくても済むということか。それで、どうやって”転移”するんだ?」
「ああ、少々待て」
自称天使は、なにやらポケットから白いチョークみたいなものを取り出した。
めんどくさそうにソファーから降りると、床に座った。
そしてチマチマとコンクリートの床に落書きをし始める。
「......なにやってるんだ、そんなところで?」
「魔法陣を書いている」
なるほど。手書きだったのか。
チマチマチマチマチマチマ......。
「大変じゃない?」
「......まあ、そこそこな」
「......縄ほどいてくれたら手伝うよ?」
「馬鹿者、足手まといだ」
確かにこんな細かい文様、素人が手伝っても迷惑になるだけか。
書き間違えて変なところに飛ばされたらシャレにならんしな。
チマチマチマチマチマチマ......。
黙ってれば可愛いな。
見た目はカ○パラだしな。
チマチマチマチマチマチマ......。
———四十分後
「ふいーっ、終わった!」
やっと天使が顔をあげた。
「お疲れ様」
「まったくだ」
「ところで、なんで魔法陣が二つあるんだ?」
天使が魔法陣を書いている時、ずっと気になっていたことだ。
天使は、なぜか俺の周りに魔法陣を描くのと並行して、その隣にも同じ文様を書いていったのだ。
その分魔法陣を描く時間も二倍かかった。
書いているときは集中を邪魔しちゃいけないと思って聞けなかったが、気になる。
「ああ、これか? 俺様が立つ場所もないとな。基本的に転移魔法っていうのは、術者と転送者は対等なものとして扱われる。術者が立つ魔法陣も全く一緒だ」
結構真面目に答えてくれた。
めんどくさそうに突っぱねられるかと予想していたので、少し意外な気もする。
態度は素っ気ないが、根はいい奴なのかもしれない。
「へえ、興味深いね。ちなみにこの魔法陣って、魔法使えなくても扱えるのか?」
「ああ、扱えるぞ。魔法陣によっては自分で魔力を流し込まなくちゃいけないものもあるが、これ場合はもともと魔力の込められた物質で書いてある。だから、その魔力のを動かす呪文だけ唱えれば、あとは勝手に転送してくれるのだ」
てことはさっきのチョークみたいな奴が魔力の塊だったのかな。
「教えてくれてありがとう。意外と親切なんだな、お前」
そういうと、天使は照れたように笑った。
「貴様こそ、案外人を見る目があるではないか。俺様は人ではないがな、はっはっは。
まあ、別れの挨拶はこのくらいにしておこうか。これ以上喋っていると、俺様も、貴様に情が移ってしまうかもしれないのでな」
「それもそうだ。世話になったな、天使」
「ああ。準備はいいか、貴様?」
俺は大きく息を吸う。
何はともあれ、二度目の人生がこれから始まるのだ。
前の人生は、やりたいこともヤりたいこともあまりできなかった。
次の人生では、とりあえず目一杯生きてみることにしよう。
「ああ」
覚悟を決めた俺の表情を見て天使は頷くと、高く声を張り上げた。
「疾風の如く転移せよ、シドレイン!」
「疾風の如く転移せよ、シドレイン!」
「......」
「......」
「......え?」
「やった、噛まずに言えた!」
「......いや、え?」
「あ、天使の魔法陣も、一緒に光ってるね!」
二つの魔法陣の文様に、同じ緑色の光が走っていく。
俺と天使の周りに、ほぼ同時にまばゆい光の柱が立った。
「これで、天使も一緒に転移できるよね?」
俺はにこりと天使に微笑んだ。
天使の顔の色が、みるみる青くなっていく。
魔法陣は術者と転移者で全く同じ。それを聞いた時から、もしかしたら俺が天使を転移させることもできるのではないかと予感していたのだ。
天使の表情を見るに、どうやら予想は当たったらしい。
「どどどっ、どうするのだ、俺様まで異世界に行ってしまうだろうが!」
天使は嬉しそうにキャンキャン吠える。
「せっかく連れてって欲しそうだったから詠唱してあげたのに、なんで怒ってるんだ?」
「謀ったな、貴様あああああああ!」
その断末魔を残して部屋は真っ白になり、二人は姿を消した。