自分が当て馬であることにどう考えても納得がいかない件について
うららかな春の日差しに包まれながら、少女と少年が楽しげに笑い声を上げている。見目麗しいふたりが、美しい庭園で楽しげに笑う光景は、まるで絵画のようだった。
少女の名前はマリア・アンザス。肩にかかる程度の長さのふんわりした金交じりの明るい栗 色の髪と若草色の大きな瞳、長いまつ毛に白い肌の人形のような娘である。通常女性は髪を結うという風習があるのだが、彼女は何もしないで下ろしている。それがまた彼女にはよく似合っていた。
少年はウィリアム・クレメント。銀色がかったまっすぐな長い緑髪を白いリボンで束ね、背中に垂らしている。切れ長の涼やかな金色の瞳は美しく、ほんの少し日に焼けた肌がどこか頼もしい印象を与える。すらりと高い背と均整のとれた体つきと、絵に描いたような美青年だ。
ここは王立クレメンタイン学園。豊穣と戦いを司り、そして建国の女神の名を冠し、王侯貴族の子息令嬢が通う由緒正しい学園である。
魔法も魔物も存在するこの世界では、ひょんなことで国が滅び、他国に侵攻される。治める側には治める側としての幅広い知識が要されるのだ。
マリアとウィリアムはその中で異端の存在であった。とはいえふたりは正反対で、ウィリアムはこの国の王太子、マリアは国境に領地を持つ男爵家の、庶子である。
マリアは昔男爵家に仕え、当時の男爵の子息との間に子を為してからは行方を眩ませた母の元で育てられた。
母を亡くしてすぐ、彼女ら母娘の行方を探していた現在の男爵――当時の子息に見つかった彼女は、愛する女性との忘れ形見を立派に育てるべく男爵によってこの学園に入れられた。
よって、この学園において相当浮いた存在であった。庶民の中では礼儀正しい娘と言えども、貴族の間では全くもってなっていない娘となってしまうのだ。
ウィリアムは正反対に、生まれついての支配層だ。王太子、つまりは未来の国王である。幼い頃から家庭教師がつき、勉学や振る舞いを教えこまれてきた生粋の王族なのだ。
それに加え、彼は見目麗しい青年である。マリア同様、いやそれ以上に目立つ存在なのであった。
「あーらマリアさま、こんなところで殿下とふたりきりでお話ですの?」
不意にマリアの後ろから意地の悪そうな声が放たれた。マリアはばつが悪そうに唇を噛み、ウィリアムは不快そうに眉をひそめた。
「婚約者でもない殿方とふたりきりになるだなんて、あまりにもはしたなくってよ」
嘲笑うように言うのはハイデマリー・ブルームフィールド。整ってはいるがいかにも性格のきつそうな顔立ちとよく通る声、そして見た目に違わずきつい性格と名高い公爵令嬢だ。
彼女の父がウィリアムの母の兄であり、ウィリアムの従姉妹に当たる。王国建国時から爵位を与えられている、由緒正しい家系の令嬢である。
艶やかなピンクブロンドの髪をきつく巻き上げている、いわゆる縦ロールである。つり上がった大きな瞳はすみれ色、肌はマリアに負けず劣らず白い。マリアより細いが、小柄なマリアと比べて背が高い。
美しいのだが、前述の通りどうにも性格のきつそうな顔立ちである。
ウィリアムとは微塵も似ていないが、ハイデマリーは母親似、ウィリアムは父親似と偶然にも全く違う家系の要素が強く出たのである。
「何をしに来た、ハイデマリー」
ウィリアムはマリアを庇うように前に立ち、ハイデマリーを睨み付けた。
「中庭で殿方と話し込んでいる方がいらっしゃると聞きつけ、ご忠告に馳せ参じましたの。わたくし、風紀委員長を拝命しているのですもの」
ほほ、と笑うハイデマリーに、ウィリアムはほんの少しばつが悪そうに顔を歪めた。貴族では基本的に、人気のない場所で異性とふたりきりになることは御法度である。
もちろん次代の国を背負って立つウィリアムもそのことは知っている。
しかし、生まれついての貴族とは感覚の違うマリアとの会話に、肩肘を張らなくても良い――打算のないことによる安らぎを感じ、つい人気のない場所を選んでしまったのだ。
この場合、人々に責められるのはマリアだけである。ウィリアムの身分、そして昔よりは薄らいだとはいえ、根強く残る男尊女卑の考え方によるものだ。
「マリアさま。わたくし、何度もご忠告さしあげたはずでしてよ」
「は、はい…」
「マリアは貴族の風習に不慣れなのだ。そのような言い方をする必要はないだろう」
小さくなって俯くマリアを見て、ウィリアムはハイデマリーに向かって憎々しげに言い放った。
「そうおっしゃるのなら、優しくお伝え出来るウィリアム殿下が教えて差し上げたらよろしかったのでは?」
小馬鹿に笑う顔から一転、ハイデマリーは冷ややかにウィリアムを見遣る。ぐっとウィリアムは言葉に詰まった。状況を作り上げたのはウィリアムだ。ハイデマリーもそれをわかっていてここまで言いに来たのだ。
つまり、マリアと同時にウィリアムへも注意をしに来ている。
「わたくしがお伝えしなくては、誰がマリアさまに教えて差し上げるの?それともご自分でお気付きになれまして?」
くすくすと笑ったハイデマリーを睨み付けながらも、ウィリアムは反論出来なかった。マリアは恥ずかしそうに耳まで赤くなって肩を縮めている。
「おお!ハイデマリー殿!こんなところにいらしたか!」
はっはっは!と、とてもよく通る大きな笑い声が突如乱入した。つかつかと近寄ってくる大きな人影にハイデマリーはうげっと聞こえそうなほどに顔をしかめた。
「アーノルド様」
乱入した青年の名前はアーノルド・ホークショー。古くから続く軍人の家系で、何世代か前に子爵の座を得た、言わば成り上がりの貴族である。
ホークショー家は古くから勇猛果敢で知られ、高名な軍人を何人も輩出してきた。王家の危機には1番に駆けつけ、最も多くの戦果を上げる。
爵位を与えられたとはいえ歴史の古い家からは成り上がりと揶揄されることが多く、ホークショー家が功績にも関わらず軽視されることを憂いていたブルームフィールド家が申し出て、先日婚約を結んだ。
つまりハイデマリーとアーノルドは婚約者なのである。
軍人一家から貴族となった一族の次期当主であるアーノルドは、声が大きく体が大きく剣の腕も乗馬の腕も立ち、公明正大で明朗快活、まさに武人の鑑であった。
焦げ茶色の短髪に琥珀の瞳、大柄な体躯はしっかりと日に焼け、端正な顔立ちは常に笑みを浮かべている。
明朗快活な彼は、同年代の少女たちから密かに人気があるが、本人はそれを知る由もない。この国では、大抵の場合女性から言い寄る事がはしたないとされているからだ。
「探しましたぞ。昼食を共にしようと約束しましたからな!」
「それは貴方が一方的に言い放っていなくなったのでしょう!」
「そうとも言いますな!」
はっはっは!と笑い声を上げるアーノルド。ハイデマリーは額を押さえて大きくため息をついた。
「ところでハイデマリー殿、なにゆえこのような所に?」
「マリア様と殿下がふたりきり、人目につきやすい中庭ですのにまるで逢い引きのようでしたので、ご忠告差し上げに参りましたのよ」
再びほほ、と高笑うハイデマリーを、アーノルドの登場にあっけにとられていたウィリアムはきっと睨み付けた。マリアも恥ずかしそうに俯いた。
ああ!なるほど!とアーノルドはぽんと手を打つ。
「“誰も彼も窓から眺めてひそひそと!陰湿でしてよ!直接お言いになったらいかが!”と教室を飛び出されたというのは、そういうことでありましたか!」
満面の笑みを浮かべひとり納得するアーノルド。
ハイデマリーは真っ赤になって口を金魚のごとくぱくぱくとさせている。ウィリアムは目を丸くし、マリアは驚いたように口元に手を当て、ハイデマリー様、と呟いた。
「本当にハイデマリー殿はお優しくていらっしゃる!」
アーノルドが屈託なく言い放った。
「な、な、ななな……」
言葉が出てこなくなってしまったハイデマリーは、しばらく真っ赤になったまま固まっていたが、ウィリアムとマリアをきっと睨むと人差し指を突き付けた。
「覚えてらっしゃい!」
と如何にも悪役らしいセリフを言い放ち走り去って行った。アーノルドはそれを見て慌てふためいた。
「ハイデマリー殿!昼食は!昼食はどこで!?…殿下、吾輩はこれにて失礼つかまつる」
忙しなく、しかし礼儀正しく挨拶をして、アーノルドはハイデマリーを追いかけていった。
「何だったのだ、一体…」
取り残されたウィリアムは、呆然と呟いた。
かつ、かつ、かつ、と音を立てながらハイデマリーは足早に廊下を歩く。令嬢が走ることは非常にはしたないことだからだ。本来なら早歩きも良くはないのだが、若さゆえに許される。
「ハイデマリー殿!」
たったっと駆けてきたアーノルドにあっさりと追い付かれ、ハイデマリーは肩を落とした。
男性ならば多少走っても許されてしまう。男尊女卑の切なさがそこにはあった。
そうでなくとも、女性にしては背の高いハイデマリーの頭が肩の高さにくるアーノルドは、身長が高く、それにしても足がとても長く、歩幅が非常に広いので早歩きでも余裕で追い付いてしまうのだが。
「…なんです」
「昼食がまだですからな!どこでいただきましょうか!」
「………学食ですわ」
「おお!では一緒に食べられますな!いやはや、実は弁当でしたらどうしようかと」
「貴方が校門で待ち伏せていたから使用人がお弁当を持って帰ってしまったのです」
「そうでしたか!」
それは失敬!と笑うアーノルドに、ハイデマリーは眉間のしわを深くした。
「…どうして中庭までいらしたの」
「ん?教室で聞いたからですよ」
ハイデマリーは立ち止まり、低い声で呟くように声を絞った。
「話が終わるまで待っていてくださればよかったではないですか。それほど空気の読めない貴方ではないでしょう」
アーノルドは優しく微笑み、ハイデマリーの前に立った。
「ハイデマリー殿、貴女はお優しい方です」
「質問の答えに、」
「これから答えますとも」
ハイデマリーはぐ、口を噤んだ。
「あのまま貴女が悪者になれば、殿下とマリア殿は何がなんでもお互いに相応しくなるべく研鑽するでしょう。それは素晴らしいことだ。特に殿下は貴女に対抗心を抱いていらっしゃるので、きっと成し遂げてみせますな」
ですか、とアーノルドは目を伏せる。
「貴女こそ、人目につかない場所でそっとおふたりに教えて差し上げることも出来たはずですな」
ハイデマリーは唇を噛んだ。
「人目のつく場で、あえて声を張ってご忠告なさったのは貴女が悪者になるためだ」
違いますか、とアーノルドはまっすぐハイデマリーを見つめる。
「マリア殿と殿下が祝福されるには、悪者が必要でしょうな。何せ身分が違い過ぎます。男爵家と王族、しかもマリア殿は庶子です。マリア殿が冷ややかな目で見られることは必至――マリア殿がギャフンと言わせる相手がいなくてはなりませぬ」
「だったら」
ハイデマリーは睨むようにアーノルドを見つめ返した。
「そこまでわかっていて、どうして放っておいてくださらないの」
アーノルドはハイデマリーの手をそっと握る。ハイデマリーの軽い抵抗は、体格差のせいで無に等しい。
「吾輩は貴女が冷たい目で見られることに耐えられぬのですよ。貴女が優しい方と出来る限り多くの人間にわかって欲しいのだ」
ハイデマリーは目を見開き、直後ぼんと音がたちそうなほど真っ赤に茹で上がった。
「ははは、は、離してくださいな!」
「何ゆえ?」
「そ、その、やけに優しい話し方もやめてください!」
「どうしてですかな」
「あああああ、もう!ばか!」
「馬鹿で結構!では、昼食に向かいましょう!もう時間は限られておりますゆえ!」
茹で蛸のハイデマリーの手を握り、指まで絡ませたアーノルドの笑顔は輝いていた。
そのまま校内を歩き回ったふたりは非常に優しい眼差しで見守られた。もう中庭の騒動など誰も気にしていなかった。
「本当にあ奴らは何なのだ…」
ハイデマリーたちより先に食堂に着いていたウィリアムは、自分が当て馬にほかならないことに気が付きうんざりした顔でそう呟いた。