「太歳」後始末 その3
「二人とも、相手をしてやれ」
マダの命令を受け、痩せた男と巨漢が前へ出た。
「自己紹介しておこう。私の名はナーガ」
名乗りながら、痩せた男が首に注射針を突き刺した。
「で、俺はヤクシャ」
続いて巨漢が、大口を開けてカプセルを喉へ放り込む。
変化はすぐに起きた。
痩せた男の手足が縮み、身体は更に細長く伸びると、ヒビ割れのような筋が肌を走り、鱗となる。
巨漢の皮膚は無数のトゲが隆起して硬質化すると共に、全身の筋肉が一回り二回りも巨大化し、黒金色の鈍い光沢を帯びる。
頭からは、二本の角が生えた。
その姿は、紫色の鱗をもつ蛇人と、鎧のような外殻をまとった鬼である。
「これもシャクティの発展系。
蛇の柔軟性と猛毒を与える“ヴァスキ”と、鬼の筋力と強固な鎧を与える“クヴェーラ”だ」
傲岸な表情を崩さず、マダが笑っている。
ヴァスキとは、ヒンドゥーの創世神話『乳海撹拌』にその名を見ることが出来る、世界を焼き尽くす猛毒ハラーハラをもつ竜王。
そして、クヴェーラは七福神の一柱・毘沙門天とも同一視される財宝守の神だが、ヴェーダ時代には悪鬼の王ともされた魔神。
まるで、竜と夜叉と名乗る二人に、それらを統べる王の力が宿っているかのような変異だ。
「カーリーは肉体への負担が強すぎて人間には使えなかったが、これはその欠点を改良し、ヒトを純粋に戦闘用の妖怪へと変える自信作さ。この二人は、特に薬への適性が高い特別な存在だがね」
「そのために人体実験繰り返してるんだろ!!
んなもん自慢してんじゃねえよ殺すぞ!!」
「その通りだ、悔しかったらこの二人を倒して見せろ」
威勢のいい入間の怒号を風に流れる柳のように飄々とかわし、マダが笑う。
「おっと、ドクターに手は出させんぜ!!」
突進をかける入間の鉄槌を、ヤクシャの拳が迎え撃った。
腹に響く衝撃が両者の肉体を伝播し、火花が散る。
続いて二合、三合。真っ向から殴りあう。
「流石にやるねぇ、だが下半身がちょっと疎かだ」
ヤクシャが、口の裂けた鬼相を笑みに歪め、丸太のような脚を跳ね上げる。
巨体に似合わぬ、疾風の速度のミドルキック。
飛び退いてかわす。
だが、逃れたはずの蹴りの間合いが、ぐんと伸びた。
ヤクシャの脚に絡み付いていたナーガが、蛇体をくねらせて宙に首を伸ばしている。
ぐわりと開いた顎が、すさまじい速度で入間の身体に牙を突き立てんと迫っていた。
「うおっ!?」
黒コートの端を、牙が掠める。軌道がそれた。
毒牙を撃ち込まれる寸前、横合いから回転しながら飛来する杖が蛇頭を痛打したのだ。
「やはり、この程度では死んでくれんか……」
シュシュシュと奇妙な音を発しながら、ナーガが鎌首をもたげた。
杖に打たれ流血しているが、不気味な笑い声を洩らしている。
「入間さん、あまり一人で突っ走らずに我々にも任せてほしい」
杖を投げつけたのは依子だ。
その両手では曲芸師の短刀のように、三つ叉の金属棒が回転している。釵だ。
中国から伝来した筆架叉を原型とする、琉球古武術の武具である。
中心の長く鋭利な先端をもつ物打ちと、鍔から左右へ伸びた翼と呼ばれる鉤状の部分で形成された独特な形状ゆえ、それ相応に扱いも難しいが、彼女はこれを得意武器のひとつとしている。
「いくぞ」
そして、鉤の部分を掌で握り込み、柄に人指し指をかける逆手持ちに釵を構えて疾駆した。
「そんなチンケな得物で、我々に敵うとでも!!」
ナーガが一声吠えて、今度はヤクシャの腕に絡み付く。
鬼の怪力で振るわれる蛇体が鉄芯が通ったように真っ直ぐとなり、即席の長槍となる。
「ヒャハアッ!!」
ヤクシャの剛腕に、ナーガが同調した。
中国拳法の演武のように力強くも華麗な動きだが、そこには実戦の苛烈な殺意が宿っている。
長距離から一直線に打突したかと思えば、胴体を鞭のようにしならせ、変幻自在に動く。今のナーガはまさしく、悪意を備える生きた槍だ。
「チンケかどうか、試してみるがいい」
それに対する依子も不敵に笑いながら、釵を鋭く振るう。
掌に握り込んだ部分で手首などの急所を防護しつつ、蛇の鱗の僅かな凹凸や毒牙に翼を引っ掛けては打ち払い、時折隙を見ては正拳突きの要領で柄頭を叩き込む。
突き、払い、巻き込み、受け流し、弾き返す。
格闘技術の粋を凝らした、目まぐるしいまでの打ち合いだ。
鬼と毒蛇のコンビネーションもさることながら、それを攻防一体となった多彩な技で捌く彼女の技量も並大抵のものではない。
「おのれ」
容易に均衡の破れぬ打ち合いに焦れたか、ナーガが大きく首を伸ばした。
頭を丸のみにしそうなほど顎を開き、噛みつきを仕掛ける。
紙一重。円の動きで依子がかわす。
噛み合う牙は、肉を食むことなく空だけを裂き、大きな隙が生まれた。
「はぁっ!!」
好機を逃さず、依子が右手首に捻りを加えながら、掌の内側へ巻き込むように釵を振るう。
今度は肘打ちの要領だ。
ぐちゅん、と肉の潰れる嫌な音と手応えが掌に伝う。
歪曲した翼の先端がナーガの左眼窩へ潜り、眼球を見事に抉っている。
「ぎえ……!!」
「りゃあぁーーっ!!」
怪鳥の気迫を放ち、眼窩に掛かった釵で更に首を捻った。
骨と筋肉のねじ切れる厭な音が鳴り、ダメ押しとばかりの蹴りが迸った。
顎から脳天まで垂直に立ち昇る衝撃に、鬼の腕に絡み付いた蛇体がほどけ、高々と宙を舞う。
「明久、シュレック、出番だ!!」
仲間に向けて檄を飛ばす。
後方では、鳥羽明久が蛾と鳥を掛け合わせたような小型の人形を掌に乗せ、マックス・フォン・シュレック子爵が高々と呪剣を掲げて詠唱を始めている。
「ヅフガェエヂオエル・メブァオッ・ンッセセイル。
ファシデフォ・サンサアテ・サウチエスア・ゲァズッ。
ッギフャ・ヅサオ・セエアヴィ。
サフガフ・ファト・キジョフ・ガウテ・デアフェ。
バゥエ・ィファジャ・デワツァジ……」
舌を噛み切りそうな難解な呪文を淀みなく読み上げていくうち、シュレック子爵の黒衣の周囲に陽炎が立ち昇り、火の粉が舞う。
「行け、袂雀」
そして、夜道を歩く人間の背後に付きまとい、不吉を知らせる妖怪を模した人形が、鳥羽の手元から高速で飛んだ。
袂雀の軌道をなぞって、地面には蹴り飛ばされたナーガとヤクシャを分かつように黒い線が引かれている。油だ。
「ザラマンデル・ゾル・グリューエン(火霊燃ゆるべし)!!」
シュレック子爵が剣を薙ぎ払うと、油の黒線に沿って火炎が走った。
火が怪物の舌のように真っ赤に燃え盛る。
敵を分断する炎の壁だ。
「厄介なコンビネーションは封じた。これで、心置きなく貴様らを一匹ずつ料理できる」
釵を瞬時に逆手から順手へ持ち替え、依子が凄惨に笑う。
ヤクシャに対しては依子と鳥羽の二人が、そして、ナーガには入間とシュレック子爵がそれぞれ対峙している。
「よ、よくもやって、くれたな……」
おかしな方向に曲がった首を強引に元の位置へ戻し、ナーガが怨嗟の声を吐く。
「覚悟しなクソ蛇。毒蛇を喰らう密教の炎、とくと味わえ」
入間の鉄槌が炎を纏う。
ヒンドゥーの霊鳥ガルーダは仏教に取り込まれ、不動明王の背負う迦楼羅焔となった。
そして、ガルーダはナーガを喰らい、蛇の毒から人々を守る神だ。
「小細工は無用だ、一撃叩き込めば良い。頭を潰せば蛇は死ぬ」
「おう、頼むぜシュレックさん」
鉄槌と呪剣が構えられる。
「ほざけ、毒にまみれて死ぬのは貴様らだ!!」
鋭い威嚇音を放ち、ナーガが再び、ぐわりと口を開けた。
牙から霧状の毒液が噴出する。
建物の壁が溶解し、草木が煙を吹いて燃え上がる。
まさしく、世界を滅ぼすヴァスキの猛毒ハラーハラを思わせる光景だ。
「なるほど、たいした毒だぜ。だが、この程度なら耐えられん事はない!!」
だが、密教の炎は毒を退け、浄化する。
迦楼羅焔がナーガの弱点である事実は覆らない。
蛇毒は入間に届くことなく、炎に焼かれて無効化されていく。
「シュア・ツウッデ・ヅアウフ・ウエリュイ・エジゲウィウェ。
シュア・ドフィウ・ルイエウテ・ディオ・ウウアジャ。
エアッファ・デレゴ・イセウ・ゲヴワグ・ウセテサピエウ……」
シュレック子爵も呪剣を手に、呪文を唱えながら毒霧の中へ、臆することなく突っ込んでいく。
「ジェルフェ・ゾル・シュトルメン(風霊吹き荒れるべし)!!」
今度は、風が舞った。
吹き荒れる旋風が毒を散らし、その向こうのナーガの姿をむき出しにする。
「な、なんだと!?」
「コーボルト・ゾル・アウフシュテーエン(地霊立つべし)!!」
呪剣の切っ先が、大地に突き立てられた。
呼応するように地が震え、地面から刃が飛び出した。
鋭利な石が槍のように長く鋭く伸びて、ナーガの蛇体を串刺しにする。
「ぐげええっ」
激痛に蛇がのたうち、血反吐を吐いて悶絶した。
「今だ、トドメは君に譲って差し上げよう」
「ありがとよ!!」
鉄槌を掲げ、入間が地を蹴った。
縫い付けられて身動きのとれない毒蛇へ、ついに必殺の一撃が叩き込まれる。
ゴシャ、と鈍い音がして血と脳症が飛び散り、頭が完全に潰れたナーガの身体が、痙攣しながら地に伏せた。
「チッ、ナーガのやつめ。先に殺られちまったか。めんどくせぇ」
軽い様子で舌打ちし、ヤクシャが拳を振るう。
依子と鳥羽という二人の猛者とも、彼は同時に渡り合っている。
「冷たいんだな。お前の相棒だろう?」
村正の刃を手に、鳥羽が怪訝な顔をした。
ヤクシャの口調には違和感がある。
ナーガの死を、まるで気にも留めていないようだ。
「俺達にゃ、色々あんだよ。てめぇらがそれを知ってどうなる」
飛び退いて、距離をとった。
巨体に似合わぬ軽い動きである。
「ちょっと、武器を用意するぜ」
外殻の両手甲の一部分が、長く伸びた。
まるで歪曲した鎌のようだ。
「ほほぅ、そんな事まで出来るとは、なかなか多芸だ」
口笛でも吹きそうな様子で、依子がそれを眺めている。
戦闘中でも彼女はあまり緊張感がない。
「だから、感心してる場合か依子。真面目にやれ」
「私はいつも真面目だよ、明久。あの刃は私が折ってやるから、あとは好きにやれ」
両手の釵に風を巻き、長髪をはためかせながら、依子が疾駆した。
長大な刃と釵が、視認できないほどの速度で幾度となく激突する。
「お、これは……」
腕力の差によるものか、依子が徐々に圧され始めた。後退し、わずかに姿勢を崩す。
「グオオオッ!!」
好機と見たか、ヤクシャが大きく両腕を掲げた。肩口めがけ、双刃を振り降ろす。
だが、
「かかったな」
その刃が肉に届くことは無く、釵の翼に阻まれている。
甲高い破砕音が鳴り響き、二つの凶刃がへし折れ、虚空を舞った。
釵による武器破壊だ。
「喰らえっ!!」
飄々とした態度を崩さなかったヤクシャの、一瞬の狼狽。
それを見逃さず、鳥羽が真っ向から跳んでいた。
脳天から喉笛まで。
正中線を撃ち抜く斬線が閃き、血飛沫が噴出した。
「ギャアアッ!!」
体表を防護する外殻ごと真っ二つに割れた頭を抱え、重厚な巨体が背中から倒れた。
やがて死を伴う痙攣と共に、動きを停止する。
「柳生新陰流“兜割”……。
正直ギリギリだったが、やれば出来るものだな」
刀身に付着した血を払い、鳥羽が鞘に刀を納めた。
「明久、私はいつもお前をやれば出来る子だと思っているよ。幼馴染みだからな」
「調子の良いことばかり言うなアホ。俺はお前ほど器用ではないんだ」
「んー、好きだ。私はお前のそういうところも好きだぞ明久ぁ~」
死闘を征した二人が、軽口を叩き合う。
この場の戦いの勝利者は、狩人と退魔師の四人である。