「太歳」後始末 その2
集合から翌日、四人は登山道から外れた険しい獣道を進んでいた。
「そろそろのはずだが。出てこないな、妖怪ども」
動きやすさを重視した胴着姿の依子が、不穏な事を言う。
いつも使っている杖を持ち、腰には刀と釵を差している。
他の三人は変わり無い、普段通りの服装だ。
山歩きには邪魔であるはずの、裾の長いコートやマントも、彼らにとっては苦にならない。
情報通りなら、この近くに妖怪達の隠れ里があるはずなのだ。
恐らくはそこが現在は百鬼たちの研究施設となっており、太歳もそこにいる。
「んっ?」
ふと、周囲を警戒していた入間が何かの気配を察した。
木々の合間を縫い、猿のような身軽さで宙を飛びまわる者がいる。
額から角を生やし、擦りきれた衣を纏った、青黒い肌の鬼だ。
「おいでなすったようだぜ。どうする、仲間を呼ばれる前に殺っちまうか?」
「心配いらん。彼は味方だ」
鉄槌を掲げ身構えたイルマを、鳥羽が制する。
その言葉通り、鬼は四人の前へ着地すると、跪いて頭を垂れた。
敵意は無いという証明だ。
「ファウストの三幹部の皆様ですね。お待ちしておりました。
私はこの先の案内役を任された者です」
「御苦労。そう堅くならず、楽にしたまえ」
「はっ、ありがとうございます」
鬼が生真面目な言葉を紡ぎ、シュレック子爵が慇懃な口調でそれを労った。
「へぇ、内通者がいるのか」
「というか、ここの隠れ里は元々、人間には好意的な連中の棲み家だ。百鬼に取り込まれてはいるが、内心は不満が溜まっているはずさ。
それに、この辺りは海御前様や長太郎親分の影響もあるしな」
「なるほど、確かにどっちも大妖怪だ」
鳥羽の説明に、入間が頷く。
海御前は、壇之浦で戦死した平家の武将・平教経の妻が死後に変化した河童で、北九州の河童達の総大将とされる。
そして、長太郎も同じく、福岡の宗像の河童達のまとめ役だ。
長太郎は人間に悪事を働いていた同族を懲らしめ、以降は悪事を働かない事を約束させた伝承で知られ、海御前も敵側の源氏の者以外は決して傷付けなかったという。
つまり、どちらも無闇やたらと人間に危害を加える事は好まない穏健派である。
「どうぞ、こちらへ」
鬼が先頭に立ち、四人を誘導する。
ほどなくして、大岩の亀裂に隠れた、小さな通路が現れた。
暗く狭い通路は、五人で歩くには少々息苦しい。
難儀しながら30分ほど歩くと、ようやく出口が見えてくる。
生い茂る木々のなかに、不自然なほど真新しい白壁の洋風建築がいくつも乱立し、それを高く分厚いコンクリート壁がぐるりと取り囲んでいる。
そして、その施設の至るところには、鬼のエンブレムが見えた。
間違いなく、ここが百鬼の研究所だ。
「ふーん、山奥にこんな立派な施設を建てるとはな。それにあの建築も中々洒落ている」
依子が感心したように、目の前の光景を眺めた。
どうやら別件で構成員の多くは他所へ出払っているため、内外の警備は薄くなっている。
侵入するなら今しかない。
「感心してる場合かアホ依子、さっさと侵入するぞ」
「分かってるわ、貴様こそ口の聞き方に気を付けろクソ明久。私を誰だと思っている。さっさと人形を出せ」
罵り合いながら、鳥羽がトランクから飛行能力を有する人形・山地乳を繰り出し、自身と依子を抱えらせて飛び上がる。
二人ぶんの重量をものともせず、ゆうゆうと山地乳は壁の向こうへ消えていった。
「あの二人、仲良いのか悪いのかどっちなんだ……」
困惑を口にする入間に、シュレック子爵が笑い返した。
「幼馴染みだからな。お互い長く共に居すぎたせいで恋愛感情はないらしいが、兄弟のような間柄であり、ライバルさ」
「ふーん、そんなもんかね」
「さて、私たちも行こうか。エスネイビー・ヒークスム……!!」
呪文を唱えると、シュレック子爵の肌に奇怪な紋様が浮き上がった。
全身に塗布した魔女の軟膏が発現し、身体が風船のように浮上する。
西洋魔術の飛行術だ。
「掴まりたまえ」
差し出された手を入間が取った。
無重力状態となったシュレック子爵と入間は高く空を飛び、瞬く間に壁を越える。
「皆様、ご武運を」
その様子を見送った案内役の鬼も、姿を消す。
彼の役目はここまでだ。
手頃な影に身を隠しながら、四人が内部へ揃った。
「では、牢を目指すぞ。地図によると、ここから西の方角の棟の地下だな」
鳥羽の言葉に、残る三人も頷く。
今回の目的のひとつは、百鬼に捕らわれた魔法薬学のエキスパートの救出である。
まずは、それを果たす。
西棟の周囲は、武装した六名の妖怪達が哨戒していた。
頭に角を生やした鬼が五人に、小山のような体躯のトロールが一人。
筋骨粒々とした巨体の持ち主ばかりだが、警戒心は薄く、時折あくびをしたりと、明らかにだらけた様子だ。
「ふぅ……」
下級鬼の兵士が日差しを避けて、手近な木陰に身を寄せた。軍服のポケットから煙草を取り出し、火をつける。
吸い込んだ紫煙を吐き出そうとした瞬間、視界に銀光が飛び込んだ。
「え?」
疑問の表情を浮かべ、煙草をくわえたまま、その頭は首から切断されて林檎のように地面を転げた。
恐らく、自分自身の死にすらも気付かず、その魂は黄泉へ送られたはずだ。
「すまん、成仏してくれ」
血刀を手に、依子が短く謝辞を述べる。
鬼の首を落としたのは、彼女の斬撃だ。
そして、残る四人の鬼にも鳥羽とシュレック子爵が襲いかかった。
「う、うおおっ」
狼狽しながらも、鬼達が銃剣を構える。だが、弾丸を発射するよりも速く、二人の魔剣士が敵へ肉薄した。
シュレック子爵の、ギロチンから造った呪剣がまとめて二人の首を斬り飛ばし、鳥羽の村正が喉笛を裂き、心臓を刺し貫く。
悲鳴すら上がらず、致命傷を与えられた鬼達が血の海へ沈む。
ほんの数秒で、トロールを除く敵が葬られた。
「な、なに……!?」
情況を理解できず、困惑したトロールが呻くような声を出す。
その眼前にも、漆黒の影が迫っていた。
咄嗟に頭を守るように翳された大棍棒を粉砕し、渾身の力をこめた入間の鉄槌が、トロールの脳天に食い込む。
熟しすぎて潰れた柿のように脳ミソと肉片を撒きながら、巨体が倒れ伏した。
「よし、入るぜ」
鉄槌にベットリと付着した血を振り払い、入間がずんずんと前へ出る。
難なく敵を倒し、四人は目的地へと侵入した。
「おかしい、警備がいくらなんでも薄すぎる気がするぞ……」
最下層の地下三階に到達し、鳥羽が呟く。
ここに捕らわれているのは、百鬼にとっても重要な人物のはずだが、警備の兵士達の人数も装備も、あまりに貧相だ。
内部に侵入してからも、彼らは数えるほどの敵にしか遭遇していない。
他の三人もそれは感じていた事である。
これは、罠の可能性が高い。
「でもよ、もう着いちまったぜ」
入間が指差す方向に、重厚な格子で隔離されたスペースが顔を出す。
格子の向こうは、真新しい研究設備や本棚、いかにも高級そうな家具や調度品で彩られている。
牢屋というには、余りにも広々とした快適な空間だ。
その中に、一人の男がいた。
白衣を纏い、オールバックになでつけた黒髪の下には、深い知性を感じさせる整った顔立ちがある。
チョコレートを溶かしたような褐色の肌の、どことなくエキゾチックな雰囲気のする美男だ。
「だ、誰だ……!?」
男が怯えに満ちた顔で、神経質に声を荒げた。
「助けに来ましたよ、ドクター・アシュヴィン。
我々はファウストの首領フォルキュアスの弟子です。そして、こちらは同盟の入間誠殿。私たちの協力者です」
シュレック子爵が、男を安心させるように、落ち着いた声で名乗った。
「百鬼に捕らわれてた、薬学のエキスパートってのはこの人かい」
「ああ、ドクター・アシュヴィン。うちの時田先生の知人であり、シャクティの開発者だ」
「……何だって?」
依子の台詞に、入間が眉を潜めた。
シャクティとは、百鬼が開発した魔法薬だ。
肉体と精神を蝕む中毒作用があり、性欲や破壊欲の増大を経て、最終的に服用を繰り返した者を狂暴な妖怪に変異させる。
見島市と比良坂市では、このシャクティを横流ししていた猿神をはじめとする、百鬼傘下の妖怪達を倒して被害を抑えたものの、現在も全国では中毒者による被害が多発している。
その薬の開発者を助けるとは、どういう事なのかと、入間は当然の疑問を抱く。
「違う、あれを作ったのは私であって私ではないものだ……。
だが、あれはもう私から分離されてしまった。私にはもうあれを抑える事はできない」
「どういうことだよ、キチンと説明してくれねぇか」
要領を得ないアシュヴィンの言葉に、入間が更にイラついたような声を出す。
「話はあとだ。とりあえずここを出よう」
シュレック子爵が牢屋の傍らの端末を操作し、ロックを解除する。
そして、アシュヴィンを連れてファウストの三幹部達が出口へと歩き始めた。
「チッ、しょうがねぇな」
釈然としないものを感じながらも、彼も黒衣を翻して走る。
そして、棟の出入口には、敵が待ち構えていた。
プロレスラーのような巨漢と、背の高いひょろりと痩せた男に、どんよりと濁った目に無表情を貼り付けた小肥りの男。
そして、マスクを被って素顔を隠し、百鬼の軍服に白衣を羽織った男が、五人の前に立ちはだかる。
「チクショウ、やっぱり罠かよ!!」
入間が鉄槌を手に怒鳴った。
直感的に、どの相手もただ者ではない事を悟る。
「蛭子……。
やはりここにいたか。裏切り者め」
依子も、嫌悪と怒りを込めて杖を掲げた。
視線の先にいるのは、小肥りの男だ。
彼こそが太歳を持ち逃げした、ファウストの元メンバーなのである。
そして、アシュヴィンは、マスクの男と睨み合っている。
「お前は……まさか」
「この姿で会うのは初めてだな。兄弟」
嘲笑を漏らして、白衣の男がマスクをはずし、投げ棄てた。
晒されたのは鏡写しのように、アシュヴィンと瓜二つの顔だ。
だが、そこには知的な彼とは正反対の、残忍で傲岸な表情が浮かぶ。
「見ての通り、私はそこのアシュヴィンの兄弟さ」
「……お前は母の胎内で私に吸収されたが、その意思だけは私の中にあった。そして、百鬼のもとでこの世に災いをもたらす秘薬を次々と開発したのだ」
「なるほど、ようやく話が見えてきた。バニシング・ツインてやつか。てめぇが本当のシャクティの開発者だな」
入間にも、真相が見えてきた。
生まれるはずの無かった、悪の心をもつ兄弟は、消えることなく彼の心に潜んでいた。
アシュヴィンは今までそれを精神力で抑えていたが、百鬼は何らかの方法でその人格を彼の肉体から分離させることに成功したのだ。
「そう、私はもはやアシュヴィンではない。そうだな、ドクター・マダとでも名乗ろうか」
アシュヴィンとは、インド神話における医療神。
翼の生えた馬が引く車に乗って天を駆け抜け、蜜のしたたる鞭を振るい、地上に癒しと滋養を与える、見目麗しい双子の神である。
そしてマダは、そのアシュヴィンが正式に神々の仲間入りを果すため、神酒ソーマを飲もうとした際、常に人々に近い位置で駆けずり廻っているアシュヴィンはソーマを飲むには相応しくないと反対したインドラを屈服させるべく、聖仙チヤヴァナが生み出した魔神だ。
名前は『酩酊者』を意味し、インドラを屈服させアシュヴィンがソーマを飲んだ後、その身は酒乱・姦淫・賭博・殺生の、四つの悪徳へ分けられたという。
その神話のように、アシュヴィンを完全な善の存在とする代償に、マダという悪徳の化身は完全に彼と分離し、ブレーキが外されてしまったのだ。
「しかし、これは逆に好都合だ。ドクターの救出も、太歳の始末も、ここで同時に決着をつけさせていただこう」
「同感だ、シュレック」
鳥羽とシュレック子爵も、剣を構える。
状況は、一触即発だ。