大人の常套句イズ『記憶にございません』
お久しブリーフ。
あれ、前もこんな感じの前書きでしたっけ。
快晴で澄み渡る空。
森の中に差し込んで来る暖かな日の光。
吹き抜ける風は森の息吹を孕んで爽やかな匂いを届けてくれる。
「さあ、知ってる事を洗いざらい話しなさい」
そんな森の木の下で、イケメンに壁ドンされてるあたし。……いや、この人が手を付いてるのはコンクリートの壁じゃなくて森の木だからこの場合は樹木ドン……?
(ひっ、耳元でカサカサって音がした…この木、絶対樹皮の中にムシがいる……!)
幾ら目の前にイケメンがいたって、顏の真横に虫の気配があるんじゃおちおちドキリともしてられない。
「あら、だんまりなの?……あんまり黙ったままだと痛い目をみるわよ?」
しかも目の前の人、イケメンだけどオネエだから女性には興味無いだろうし。
「あんな風に……ね」
そう言いながらオネエさんが流し目を向けた先には、オネエさんにトドメを刺されたデンスの死骸が転がってるし!
(げ、現実逃避していたかった…!)
認めたくないけど、森の息吹には爽やかな匂いと共に焼け焦げたデンスの血肉の臭いが混ざってる、し……!
「え……っと……」
「……」
あたしの視線とオネエさんの視線がぶつかる。
オネエさんの目は透明度の高いパープルの瞳で、その綺麗な目が余裕しゃくしゃくって感じに細められてる。だけど同時に「情け」とか「容赦」とか、そういう温かいものは一切なくて、やる時はやるわよって書いてある。
さっきの脅しはウソじゃないぞって。
(……殺しまでは、しないだろうけど……)
多分。
ごくり、とあたしの喉が鳴った。
「……あの…………あたし、ですね……。…さっきまで倒れてたみたいで…。……ちょっと、その」
オネエさんの目がじっとあたしを見てる。
ウッとたじろぎそうになるのをこらえ、あたしは覚悟を決めて言葉を発した。
「な、何を言われているか、記憶にございません!」
オネエさんの右眉がスッ……と持ち上がる。
「……」
「……」
「…………」
「………………」
半眼になったオネエさんの表情が『は?』って言ってる……無言の圧力を掛け続けて来る……『ねえマジで言ってる?そんな馬鹿な話をマジで言ってるの?』って……。
(美形の顔面威力って凄い!威圧感が強い!)
でも、あたしだって伊達に日本の政治家(ダメなタイプの方)を見てたわけじゃない!
スマートに言い逃れてみせるぞ!
「えっと……気が付いたら、この森にいて、そうしたらあの獣?動物?がいて、あたし驚いて、怖くて、えっと……そしたら急に動物が倒れて、それで、やっぱり驚いたけど、とにかく逃げようとして……」
(くっ……せ、説明が下手過ぎる……もうちょっとスムーズに言いぬけるつもりだったのに…)
あたしの予定では政治家張りの演説張りに堂々と朗々と、淀みなく説明をするつもりだったのに、実際の言い訳はしどろもどろのつっかえつっかえ。うう、これじゃ疑いが晴れないかもしれない……。
「…………」
案の定、オネエさんの目線があたしの身体を舐めまわすように見ていく。
……あ、エロい意味じゃなくてね。多分、頭の天辺からつま先まで、不審な所が無いかチェックしてるのね。
うう、悪い事はしてないけど、どうも緊張する…。
やがてオネエさんがふう、と息を吐いた。
「なるほど……少なくとも、アンタが原因じゃないのは確かね。…アンタの魔力、普通の人間並みだもの」
その言葉に安堵の溜息が漏れた。
(魔力量を見てたのか…よ、良かった~…………って、いけない、)
溜息と一緒に表情筋まで緩みそうになったけど、「倒れてた」って設定を思い出して慌てて顔を引き締める。
ここからどうしようか。
ここでこのオネエさんと別れるべきか、それとももう少しくっついて、様子を見るべきか…。
この世界がかつてあたしの召喚された『異世界・パーム』だっていうのは……多分、合ってると思うんだけど。……情報が少なすぎる。
何であたしが再びこの世界に飛ばされたのかとか、現在の情勢とか……正直、全く分からない。情報のアップデートが一切行われてない状況で、下手に動くのはヤバいかもしれない……?
(だとしたらこのオネエさんと行動して情報を手に入れる?それならこっちの事も聞かれるだろうな……どこまで話す?この現状をどう誤魔化す?)
「……うん、やっぱりどこからどう見てもアンタ、平々凡々の魔力量だわ。たま~に森に入り込む人間と同じぐらいね。この程度の量じゃあんな高威力の魔法なんて使えやしないわね」
「……。……あの」
あたしは恐る恐る手を上げてみせた。
「すいません……魔力って、何ですか。魔力の量って……」
「は?アンタ何言って」
「ど、どうもさっき倒れた時に頭かどこか打ったかもしれなくて……記憶がちょっと曖昧で……」
口籠りつつ、必死に言い募る。
(どうか通用して、伝家の宝刀!)
「ここはどこですか、森?あたしの知ってる森ですか?それに貴方は誰ですか?」
「……はああ?」
脈々と続いているライトノベルの歴史。数多ある、異世界召喚モノ、異世界転生モノ。
その中で描かれている、あたしの先達にあたる勇者や聖女達。或いは村人やら魔王やら精霊やらハーフになった諸先輩方。
これは事故や前世の記憶を復活させた事によって、突然異世界に放り出された彼ら彼女らに、昔から伝わる……秘儀の一つ!
「あたし……記憶喪失にでも、なっちゃったんですかねえ……」
『記憶喪失で詳しい事は記憶にございませーん!』戦法!ちょっとそこ!『目新しさが無い』とか言わない!昔から使われているんだから、それだけ安定してる作戦なのよきっと!他に良い考えも思いつかなかったんだししょうがないでしょ!
(それに、余計な嘘を吐かなくても済むしね)
「倒れてた」のも、頭を打った「かもしれない」っていうのも、間違ってないでしょ。「記憶喪失になっちゃったんですかね」って曖昧に濁してるから、いざとなったら「『記憶喪失になった』とは言ってない」って逃げられる……と思うし……。詭弁かしら?
ともかく、オネエさんの視線に耐えるべく、全力で「困ったな~」という顔をしてみせた。
「……はあ…」
あ、オネエさんが溜息吐いた。
「……全く……魔力なんてこの世界の基本じゃない。いい?自然動物人魔族神族あらゆるものに宿り、その流れを操る力。存在し続ける為の力。意志の力……そういったものをひっくるめたのが魔力よ。生活から戦争まで、全ての事柄に使われる魔法や魔道具が、魔力によって発動する。この、デンスを焼いたのもそう……炎の魔法」
でも、とオネエさんが空を見上げる。
森の枝葉が頭上高くを覆って、どこまでも鬱蒼と広がっている。
その少し先には、あたしが空へと逃がした「炎舞」によってぽっかりとくり抜かれた穴。こんもりと生い茂る樹々を焼き切って出来た丸い穴からは、爽やかな青空が見えてる。
「あんな大きさの炎、並の人間じゃ作れない。大量の魔力が必要だもの」
「大量の……って、どれくらいですか」
「そうね、人間なら五十人分ぐらいじゃない?」
からっからになるまで魔力全部絞り出して、と付け加えて、オネエさんは再びあたしを見下ろす。
「だから、アンタには無理でしょ」
オネエさんの紫の瞳があたしをじっと捉えている。正確にいえばあたしだけじゃなく、あたしの周りの大気ごと。
「アンタの周りに見える魔力は大した事ないからね」
(あー…魔力を抑える習慣が残ってて良かった…)
心中で安堵してると、「とはいえ」と接続詞が降って来た。う、嫌な予感。
「アンタが来る前に何者かが魔法を使ったのかもしれない。その『誰か』が立ち去った直後にアンタが来たのかもしれない」
「いやあ……直後とは、限らない、んじゃないでしょうか……」
「おだまり。決めるのはアンタじゃないのよ。……もしかしたら、アンタが気付いていないだけで『誰か』の手がかりを見てるかもしれない」
「………………」
「だから、アンタを連れてく」
……これは下手に言い逃れ出来ないかな。これ以上怖がったり嫌がったりしたら、勘繰られる可能性があるかも。
せめて……と思って「ど、どこに……ですか?」と恐る恐る聞いてみた。
「クロステル」
「くろすてる?」
あ、やっぱりそこに行くんだ……あそこ苦手なのよね。どうも堅苦しくて、息苦しいっていうか……。
「くろすてる、って、どういう所ですか?」
「クロステルはこの森の長老たちがいらっしゃる場所よ。アンタの処遇はそこで決まるわ」
何も知らないと分かれば釈放されるし、そうでなければ……って事か。
「あの……何でこんなにあたしの事を気にしてるんですか?その……魔法?を使った人はそんなに危ない人なんですか?」
確かに炎舞は一般的なものに比べたらずっと強力だろう、あんなのが森の中でぶっ放されたら「強い魔物と戦士が戦ってる!?」って驚くと思う。
特に、この森は危険かどうかで言ったら比較的安全な場所だし、だからこそ大量の魔力が発露したっていうのは……珍しいだろうしね。
だから、様子を見にくるまでは分かる。あたしだって近所で大きい音がしてたり、煙でも上がってたりしたら「何かあったの?事故?火事?」って気になるもの。
……でも、何でここまでピリピリしてるの?
だって今は平和でしょ?どこかの国同士が戦争をしてるにしても、この森は人の多いところじゃないし――。
「魔王の手下の可能性がある」
「………………え?」
「あれだけ強い魔法なら、魔物じゃなくて魔族クラスかもしれない。最悪、魔衛隊かも……元々この森には静かに暮らしたい連中が多いのよ。だから余計にトラブルの種にはピリピリしてるって訳」
「……え?え?ちょっと待って…」
何で魔衛隊が動いてるの。
「何よ、聞いてなかったの?それとも聞こえなかった?理解出来ない?あーあ、これだから人間ってのは……いい?魔衛隊ってのは、魔王直属の部下の事よ。魔王の支配の下、それぞれ独自に動く……魔王に次ぐ恐るべき実力の持ち主達」
「ま、おう……?」
そうね、魔衛隊の連中はほとんどが桁外れに強い。
それでも魔王の実力の前には比べるべくもないけど……それぐらい、魔王には圧倒的な力がある。その力によって、魔王は魔衛隊を集め、束ねて自分の部下にしている。
魔王がいなければ魔衛隊は存在しない。
……逆に言えば……魔衛隊が存在するという事は……つまり……。
「ええそうよ、この世界には魔王がいるのよ。分かった?で、その部下が森にちょっかいを掛けに来たのかもしれないの。だから……」
「何でっ!?」
気付いたら、オネエさんの胸倉を掴んでいた。
「何で魔王がいるの!?」
魔王は勇者が倒したハズだ。
勇者が……あたしを見殺しにした勇者が、瀕死の魔王と一騎打ちしていたのを覚えてる。
湖に落ちる寸前に見たあの光景は、今も未だ思い出せる。
あれは最期の一打だった。魔王にとってトドメの一撃となる攻撃だった。
(だから……だから、魔王は死んだハズでしょ……!)
余りの驚きに、他の事に頭が回らなくて……オネエさんが目を丸くしてあたしを見てるのに気付いて…………それで、やっと自分の失態を理解した。
(やっちゃった…)
あたしってば……自分が記憶喪失かもしれないってオネエさんに伝えたのに、異世界の事情にやたら食いついてたら「この世界の事は良く知ってまーす、魔王関係詳しいでーす」なんて紹介してるようなもんじゃない。
ゆっくりと両手を、オネエさんの服から引き剥がす。……震えるんじゃない、あたしの指。
「あ、あはは……ちょっと、興奮しちゃった。だって……」
魔王なんて、いるんだ。
そう言って誤魔化し笑いを浮かべたら、オネエさんは呆れたように口を開いた。
「アンタ、本当に常識知らずなのね。魔王なんているに決まってるじゃない。……数年前までは伝説の存在だったんだけどね。ある日……全世界に、魔王復活の宣誓が広まったのよ」
「…………!!」
「尤も、かつて勇者に殺がれた体力や魔力は、未だ戻り切っていないようだけど――」
「…………」
「あの恐ろしい宣言があった日から数年……魔王は確実に、傷付いた身体を元に戻している筈よ。魔王の力が強まれば強まるほど、闇が世界を侵食していく。そうなれば凝り固まった瘴気溜まりが力を得て、そこから魔物が」
「……なる、ほど」
あたしは辛うじて返事をした。
マジかよ。魔王復活かよ。
「そういうわけだから、どんな場所でも安全とは言えないのよ。魔物ならともかく、魔族や魔衛隊がいつ現れるかも分からない……だから、少しでも不穏な事があったら、アタシ達は長老に報告しなくちゃいけない」
「あはは……それなら、仕方ないですね。わっかりましたー」
「……アンタ、随分ふざけてるわね」
オネエさんの呆れたような口調の中に、微かに苛立ちみたいな気配を感じる。
でもさ、こっちも虚脱状態というか、あっけに取られてるっていうか……あの時の戦いは何だったの、っていう気持ちがね。
え、あの時の旅やら何やらをもう一回やれっての?って気持ちがね…。
「……大人しくおねーさんに着いていきますよ。クリスタルまで」
「クロステルよ」
オネエさんは肩を落としたあたしをチラリと見て、それから……事切れてるデンスを見下ろした。
「アンタ――なんで殺さなかったの」
「え、……このモンスターの事ですか?」
「ええ、こいつ……デンスを。アンタ、手負いのまま、放って行こうとしたでしょ。……死ぬまで、苦しませるつもりだったの」
淡々とした言葉。そこには悲しみも怒りも非難も無い。オネエさんの紫色の瞳も凪いでいた。
だからあたしも、躊躇わずに答えられた。
「あたし、殺さないんです」
「…………」
「…………」
むごいわね。
オネエさんはそれだけ零すと、あたしに背を向けた。
「こっちよ、足元に気を付けないと転ぶわよ」
「はい」
そこからえっちらおっちら森の中を散策……といえば聞こえは良いけど、実際は山歩き状態で……何度か転びかけたりしながら、あたし達はクロステルに辿り着いた。
白い糸が紡ぎ出す洞穴。巨大な菌糸が寄り集まって建造された館……ピルツの森の、きのこの精霊が集う場所、「クロステル」。
「さ、行くわよ。……ちょっとアンタ、何遊んでるの」
うん……今のあたし、生まれたての小鹿みたいな動きしてるもんね。山に慣れてる人からしたら、遊んでるように見えるかもね。でもね。
「あたし体力無いんです……今まで歩いた分の負担が…太腿が限界を迎えてる……」
太腿めっちゃプルップルしてる…ふくらはぎパンッパン……。
「普段デスクワーク…あ、いや机仕事ばっかりなものですから……」
足腰がヤバい。痛い。
絶対明日、筋肉痛になる。
デンスの遺骸は動物や虫に食われ、分解され、やがて森に還るでしょう。