水面に揺れる泡(ことば)
―――ざばん。
体が浮いた感覚がした後、すぐに落下し始めたことが判った。水に打ちつけられた衝撃に、一瞬意識が遠退く。次に目を開けた時、水面は遥か頭上にあった。
自分から落ちたわけでもないのに、私はひどく落ち着いている。むしろ、自分の冷静さに逆に驚いた。間違いなく助からないと解っている。しかし、あれほど恐れていた死も、今なら受け入れられそうな気がした。
体が沈むにつれて、水圧で息が苦しくなっていく。辺りも次第に明るさを失っていった。
――あの本、読んでおけはよかったな……。
そのはずなのに、次々と心残りが浮かんでくる。母親や友達には出かけるとも伝えていなかったし、やり残したことがたくさんあったのに……。
―――ごぽ……。
口から、少し空気が漏れる。さすがに、苦しくなってきた。
――そう言えば、ここに来たのも何年ぶりだろう。
すると、今度は今までの記憶が次々と呼び起こされてきた。母につれられて行った幼稚園や、今までに経験した数えきれないくらい多くの光景が、浮かんでは消えていく。
頭上に見える私の足から、履いていたサンダルが脱げ、水流に押されて浮かんでいった。
決して長くはなかった人生で出会った人たち、中には既に亡くなった人の顔が浮かんでくる。そこに、死ぬのかと、他人事のように考えている自分がいた。
―――がぼっ。
ついに、水圧に負けて大半の空気を吐き出した。冷たい水が口の中に入ってくる。息苦しさと水圧に、再び意識が遠退く。
ふと、あの人の顔が浮かんだ。いつも、どこか悩んでいるようなあの人の顔は、水面に叩きつけられる直前、私が地上で最後に見た光景の中でも、苦痛に歪んでいた。後悔の顔だったのかもしれない。
『あなたに笑っていてほしいの』
よくそう言っていたのに、結局最期まで聴いてくれなかった。もう、逢うこともできそうにない。
――
「どうして」なんて言わないから、どうか、悲しんだりしないで……。
水圧と酸欠に意識を失う寸前、あの人を想って、私は残された空気で言葉を紡ぐ。
“さようなら”
――怨んでなんていません。
そう言った私の言葉が泡となり、地上に向かって上っていった。
―fin―




