叶わぬものと知りつつも
今回は三人称視点の話です。
十四日目の朝。
ケンタロウは単身タカノたちの生活するアパートの一室を訪れていた。
もちろん事前に彼らにアポは取ってある。
ケンタロウはインターホンを鳴らした。
およそ十数秒後に玄関が開き、中からミラが現れる。
「ケンタロウ!」
「お待たせ。じゃあいっしょに行こうか」
今日はミラとケンタロウ、二人で図書館デートだ。
このことはシンジたちには知られていない。
「行ってきまーす!」
「おう、楽しんで来いよー」
「いってらっしゃーい」
タカノとクラリスに見送られ、二人は図書館へと向かっていった。
「ミラもこういうことをするような歳になったのか……」
「まだあの子には早いような気もするけどねー」
「お前はこの歳になるまでしたことなかったのにな」
「うっさい」
図書館へ向かうケンタロウとミラを見送りながらタカノとクラリスは会話を交わしていた。
二人はケンタロウの胸中をそれとなく察していた。
恐らく気づいていないのはミラだけだろう。
こうしてケンタロウにとって僅かで、特別な時間が始まった。
図書館へと入るとミラは早速本棚に羅列された無数の書物に目を付け始めた。
彼女はこの数日で勉強を重ねたおかげで日本語はある程度なら難なく読みとれる。
数ある書物のタイトルに目を通し、一冊の本を手に取った。
それは世界史の歴史書であり、ケンタロウは思わず目を疑った。
ミラは自分の胴体ほどはあろうかという分厚く大きな歴史書を机にドンをと置くとそれを開き、記された文を読み始めた。
本来別世界の出身である彼女はこちらの世界の歴史に関して興味津々だ。
その歴史が事細かに記された書物とあれば彼女が目を輝かせるのは当然だ。
そんなミラの知識欲に驚かされながらもケンタロウは夏休みの課題と筆記用具を取り出し、手を付け始めた。
「ねえケンタロウ。これってなんて読むの?」
順調に読み進めていたミラが本をケンタロウの方に押し出し、文章の一端を指さした。
示された場所には難しい漢字がいくつも並べられている。
(なるほど、まだ漢字は読めないところもあるのか)
事情を推し量ったケンタロウはミラに漢字の読みを教えた。
最近の本は難読漢字に読み仮名が付いていることが多いが彼女が読んでいる本にはそれがない。
ケンタロウはミラに尋ねられては読みを教えてを繰り返した。
「ところでケンタロウは何してるの?」
ケンタロウの課題に視線が移ったのかミラが訊ねてきた。
「あぁ、英語の課題をやってるんだ」
「えいご?それってどこの国の言葉なの?」
この世界の言語は日本語しか知らない彼女にとっては初めて耳にする言語だ。
「主にアメリカっていう国で使われてるんだ。他にもイギリスをはじめとしたいろんな場所で使われてる。この世界で一番多くの国で使われてる言語なんだよ」
「えーっ!この世界ってそんなに言葉が多いの!?」
「静かに、声が大きいよ」
「あっ、ごめんね……」
言語の多様性を知って驚き大声を出すミラをケンタロウは諫めた。
ここが図書館であることを思い出したミラは慌てて平静を取り戻す。
「タカノさんやあのお姉ちゃんとミラちゃんはどういう間柄なの?」
ケンタロウは課題を進めながら何気なくミラに質問した。
タカノやクラリスの容姿とミラの容姿はあまりにもかけ離れている、血縁関係とは思えない。
「えーっとねー……トモユキはミラのもう一人のお父さん、お姉ちゃんはお姉ちゃんかな」
「へぇー」
ケンタロウは『もう一人のお父さん』という言葉が気になって仕方がなかった。
なら本当のお父さんは何をしているのだろう。
「じゃあ、ミラちゃんの本当のお父さんは何してるの?」
「ミラのお父さんはね、ここよりもーっと大きい図書館の司書をやってるんだよ」
「じゃあ、お母さんは?」
「お母さんはね……」
ここまで言いかけたミラの表情が一気に暗くなった。
関係が悪いのだろうか、それとも何かあったのだろうか。
そこまではわからない。
「お母さんは?」
気分を損ねるのを承知でケンタロウは訊ねた。
「お母さんは、ミラが生まれた国で王子様の教育係をしてるの」
「王子様の……?」
ケンタロウは話のスケールにただただ圧倒されるしかなかった。
父は大図書館の司書、母は次期国王の教育係。
どう考えてもエリート中のエリートの育ちだ。
「お母さんはミラにすごく厳しいの。ミラをずーっとおうちの中に閉じ込めてしたくないお勉強ばかりさせて!お外に出られたと思ったら図書館へ行って別のお勉強なんだもん!」
ミラはふくれっ面になりながら過去の出来事を語り始めた。
その内容はケンタロウの半生からは想像もできないほどに壮絶なものだった。
自分よりも三つも年下なのに、経験があまりにも違いすぎる。
(そうか、ミラちゃんはいろいろと大変な思いをしてきたんだな……)
ケンタロウはどちらかといえば勉強好きな少年である。
だがミラの場合はわけが違う。
ケンタロウは自分がやりたい勉強をやりたいようにしているがミラはこれまで自分の意志に反する勉強ばかりさせられていたのだ。
自分だったらとっくに狂っていてもおかしくはないだろう。
「ミラちゃん……」
そこまで言いかけてケンタロウの口が止まった。
あと一歩を踏み出せず、不安で下顎が震える。
「どうしたの?」
呼び止められたミラはページをめくる指を止め、ケンタロウの顔を覗き込んだ。
「え、えっとね…ミラちゃんって、好きな人はいるの?」
ケンタロウは思い切ったことをミラに質問した。
緊張で顔が一瞬で熱くなり、みるみるうちに紅潮していく。
「ミラの好きな人かぁ……」
ミラは顎に手を当てて考え込んだ。
静かな図書館に心臓の鼓動だけが響き渡りそうなほどにケンタロウの胸は高鳴る。
「たくさんいるよ」
ミラからの回答にケンタロウの心臓は破裂しそうなほどに膨れ上がった。
「そ、それは誰?」
震える思いでケンタロウは質問を続けた。
ここまでこればもう開き直ってとことん突き詰めてみることにしたのだ。
「まずはお父さんでしょー、それにトモユキでしょ、あとお姉ちゃんもそうだし、ミラに優しくしてくれる人は皆大好きだよ」
「そっか、あはは……」
ケンタロウは気づかされた。
自分の思う『好き』とミラの思う『好き』はまるで別のものだったのだ。
きっとこの想いは理解されることはない。
そう考えると一気にむなしさが込み上げてきた。
「泣いてるの?」
ミラの言葉で気が付いた。
ケンタロウの目からは自分でも知らないうちに涙が流れていた。
「泣いてないよ、全然」
ケンタロウは精一杯の強気を見せた。
その真意を、ミラに悟られることがないように。
「でも、涙が出てる」
「なんでもないよ、本当になんでもないから」
「そう……」
二人は夕方になるまで図書館に居続けた。
昼食を忘れ、ひたすらにそれぞれの勉強に明け暮れた。
気が付けば閉館時刻も近い。
ミラとケンタロウは図書館を退出し、あの公園まで戻ってきていた。
「今日は楽しかったよ!ありがとう!」
「どういたしまして」
夕暮れの公園で二人は落ち合った。
「あ、あのねミラちゃん」
別れ際、ケンタロウはもう一度ミラを呼び止めた。
彼に呼ばれ、ミラはゆっくりと振り返る。
「俺、ミラちゃんのこと大好き」
最後の最後にケンタロウは告白を果たした。
その結果がどうであろうと関係ない。
自分の想いを伝えられればそれでよかったのだ。
「ありがとう!ミラもケンタロウのこと大好き!」
「じゃあねー!」
ミラは無邪気にそう返し、手を振ってアパートの方へと帰って行った。
「は、はは……ははは……くぅ……!」
乾いた笑いとともにミラを見送るとケンタロウは踵を返し、声を押し殺して涙を流しながら己の帰路についた。
結果は最初からわかってはいた。。
でも、彼にとってはそれでよかったのだ。
こうして、少年の十日間の恋は終わった。




