恋するケンタロウ
今回は三人称視点の話です。
忘れられない、あの銀色の髪が。
忘れられない、あの空色の瞳が。
忘れられない、あの白い肌が。
空想の世界からそのままやって来たような、あの妖精のような少女の姿が少年には忘れられなかった。
「はぁ……」
ある夏の夜、ケンタロウ少年は自室で一人頬杖をしながらため息をついた。
勉強机の上に積まれた夏休みの課題は大半が片付いている。
しかし、今の彼にとっては課題の進捗などどうでもいいことだ。
「ミラちゃん……だっけか」
海水浴で出会った少女、ミラのことが鮮烈に脳裏に焼き付いて離れない。
彼女のことを考えるたびに胸が焦がれる。
ケンタロウにはこの感覚が理解できなかった。
ケンタロウはおもむろにスマートフォンを取り出し、SNSを開いた。
SNSにつくられたグループに明日のことを確認する。
『明日何する?』
当たり障りのない書き込みで会話を切り出した。
わずか数分で二件の既読が付き、一件の返信が来る。
『明日の天気あんまりよくないらしいぞ』
友人の一人リョウタからだ。
メッセージを見たケンタロウはアプリで明日の天気を確認した。
明日は午前中から曇り、夕方からは雨が降るらしい。
『じゃあ遠出はしない方がいいな』
シンジから意見が出た。
確かに雨が降る前に速やかに帰れる方がいいだろう。
『近くで遊べる場所ってどこかあったっけ。公園じゃすぐにやることなくなるだろうし』
ケンタロウは具体的な意見を求めた。
『ミラちゃんたちが携帯持ってればいいんだけどね』
エリカからの何気ない一言にケンタロウは大きなため息をついた。
今ここでミラに直接意見を聞くことができればどれだけ楽だろうか。
『あの子って携帯持ってないのかな?』
『見た感じ持ってないっぽいよね』
『明日聞いてみるか』
『じゃあ明日の十時に公園に集合っていうことで』
『OK』
『OK』
『りょうかーい!』
結局、いつものような他愛もない雑談をしている内に時間は流れていた。
夜ももう遅い。
『そろそろ寝る、おやすみ』
ケンタロウはそう書き残すと既読を確認することもなくスマホの電源を切り、ベッドの中へと潜り込んだ。
そして翌日。
シンジ、ケンタロウ、リョウタ、エリカの四人は時間通りに公園へとやってきた。
他の子供たちがまばらに遊んでいるがミラたちはまだ到着していないようだ。
「そういえば時間確認してなかったなぁ」
シンジがぽつりとぼやいた。
今日とは言ったものの、何時に待ち合わせるかは確認していない。
もう少し細かく打ち合わせができていればとその場にいた四人は後悔の念に駆られる。
「ねえ、あれ」
エリカが指さした先を三人が見ると、そこには金色の魔法陣が展開されていた。
魔法が空想の産物とされているこの世界でこんなことができるのは彼女しかいない。
「ヤバッ!遅刻してない!?」
遅刻を気にする一言と共に陣の中からクラリスとミラの二人が同時に現れた。
二人はかなり急ぎで来たようで息が切れ切れだ。
「あれ?シンジ?それにケンタロウも」
「おーっす!待たせちゃった?」
四人の存在に気が付いたミラが声をかけた。
クラリスも意気揚々と挨拶をする。
「いや、俺たちも今来たとこだから…」
眼前で起きたありえない現象にシンジたちはただ唖然とさせられた。
「さて、今日は何するの?」
合流するや否や、クラリスは話題を切り出した。
今日はまだやることが決まっていない。
「家でゲームやろうぜ」
「おっ、それいいな」
リョウタの提案にシンジが食いついた。
彼の家には大量のゲーム機とソフトがある。
ジャンルも豊富で飽きることもない。
「えー、それならいつもやってるから別のことがいいなー」
エリカが異を唱えた。
ミラたちにとっては初めての体験かもしれないがシンジたちはほぼ毎日のようにゲームをしている。
「じゃあ、映画でも見に行かない?」
「えいが?」
「って何?」
ケンタロウが口を開いて意見を出した。
初めて耳にする単語にミラとクラリスは首をかしげる。
「もしかして、映画知らねえの?」
「マジかよ……」
「今までどうやって生きてきたんだ……?」
シンジたちは集まって耳打ちしあった。
普通の人間なら馴染み深い存在である映画を知らないということが彼らには信じられなかった。
「じゃあ、映画館まで行こう。ここからでもわりと近いから」
「よし、行くか!」
「えいが!えいが!」
こうしてシンジの一声によって今日のプランが決定した。
初めての体験にミラは目を輝かせている。
歩みを進めて十数分。
一行はショッピングモールへと到着した。
「ここがえいがかん?」
「ここはショッピングモールって場所。映画館はここの中にあるんだ」
「へぇー」
建物の中に入り、進み続けることさらに数分。
何やら雰囲気の違う場所へと変わった。
「なーんか薄暗い場所ね」
「ここが映画館ってやつだ」
「見て見て!何かやってる!」
ミラがモニター画面を指さして興奮した様子で伝えてきた。
画面には現在上映中の映画の告知映像が映し出されている。
巨大な怪獣に人間たちが立ち向かう特撮映画だ。
ミラとクラリスは画面の中の派手な映像に目を釘付けにされた。
「マジで映画知らないんだ……」
「それはそれで面白いかも」
シンジたちが耳打ちしあう中、ケンタロウはモニターを眺めるミラのことが気になって仕方がなかった。
彼女の一挙一動からあふれる純真無垢さが彼の目を引き付けて離さない。
「ケンタロウ、おいケンタロウ?」
肩を揺すられ、ようやくケンタロウは自分を呼ぶ声に気が付いた。
「えっ、ああ」
「どうしたんだ?さっきからミラちゃんのことばっかり見ててさ」
「なんでもねえよ」
「ケンタロウまさか……」
「だからなんでもねえって!」
何かを察したようなにやけ顔を浮かべたエリカを前にケンタロウは慌てて取り繕った。
少なくとも本人の前で知られるわけにはない。
「これがえいがなの!?」
告知映像を見たミラが目を輝かせながらケンタロウに尋ねた。
「さっきのは宣伝用の映像だよ。スクリーンならさっきの映像も含めてもっとたくさん見れるよ」
「じゃあそのすくりーん?とかいうのでさっきのやつ観ましょう!」
ケンタロウの説明にクラリスが食いついてきた。
どうやら先ほどの映像がよほど気に入ったらしい。
「さんせーい!」
「意義なーし」
「それなら早くチケット買わないとね」
シンジたちも賛成し、鑑賞するタイトルが決まった。
すぐにチケットを購入し、上映時刻を確認する。
「あと十分ぐらいあるな」
「トイレ済ませてジュースとポップコーンでも買おうぜ」
「いいねー。二人はポップコーンって食べたことある?」
「ないよー」
「それって美味しいの?」
エリカからの問いにクラリスがさらなる疑問を返した。
予想通りの言葉にエリカはクスリと笑う。
「ポップコーン、うすしおとキャラメルのMサイズを一つずつ」
エリカは味の異なる二つのポップコーンを購入した。
一つは自分の分、もう一つはミラたちの分だ。
「はい、どっちか好きなほうあげる」
「どれどれ、ちょっと食べ比べさせて」
クラリスはポップコーンを一つずつ手に取ると交互に口の中へと放り込んだ。
ミラも続いて食べ比べする。
「うーん、アタシはこっちがいいかな」
「ミラもこっちがいい」
二人は揃ってうすしお味を選んだ。
エリカは快く容器ごとポップコーンを手渡した。
ミラたちはシアターへと入場した。
上映開始五分前、中は暗くなっている。
チケットで指定された列に入り、スクリーンに向かって左からケンタロウ、ミラ、クラリス、エリカ、リョウタ、シンジの順にシートに座る。
「どうしてここは暗いの?」
「周りが明るいとスクリーンに映ってるのがわかりにくくなるからだよ」
などと話をしているときだった。
一瞬シアター全体が闇に包まれ、突如として全体に大きな音が鳴り響いた。
ミラとクラリスは驚いて周囲をキョロキョロと見まわす。
「な、ななな何今の!?」
「スピーカーっていう機械で全体に響く音を出したの」
慌てふためくクラリスにエリカが説明した。
機械慣れしていないクラリスはこの手の現象に弱い。
「大丈夫、大きい音は鳴るけど何も起こらないから」
「本当に?」
「本当だよ」
シアターに鳴り響く大音に不安がるミラを宥めながらケンタロウはさりげなくミラの手を握った。
白い肌はイメージに違わず粉雪のように柔らかい、少し力を入れれば崩れてしまいそうに錯覚するほどだ。
ケンタロウはずっとスクリーンに映し出された映像に夢中になっているミラの横顔を眺めていた。
シーンが切り替わるたびに一喜一憂する彼女の表情の一つ一つが愛い。
時に驚きのあまりに漏れ出る嘆声も彼にとってはとても魅力的に感じられた。
映画の内容など何一つ頭に入らない。
ケンタロウにとって、ミラを隣でずっと見ていられる今は至上のひと時だった。
エンドロールが流れ切り、約二時間にも及んだ上映は終わりを迎えた。
同時に劇場内の照明が徐々に明るくなっていく。
「いやー、よかったわー」
「たまにはこういうのもいいな」
劇場前で待機していたスタッフにポップコーンの空き容器を引き渡し、クラリスたちは映画の感想を並べ始めた。
「この世界の人間ってああいう風に怪物と戦うのね」
「お姉ちゃん本物の怪獣と戦ったことあんの?」
「あるわよ。あんなのではなかったけどね」
「すっげー!」
「流石魔法使いは違うなー」
「ねえ、ミラちゃん」
そんな中、ケンタロウは少し緊張した様子でミラに声をかけた。
「なに?」
「ミラちゃんたちって、携帯持ってるの?」
ケンタロウは勇気を出してミラに連絡先を確認した。
そうすればいつでも連絡を取り合える。
「『けいたい』って?」
「こういうヤツ」
やっぱりというか、予想通りの反応が返ってきた。
ケンタロウはポケットから自分の携帯を取り出して提示する。
「あー、トモユキが持ってるやつだ」
携帯をじっくり眺め、ミラは気が付いた。
タカノが持っているものにそっくりだ。
それと同時にケンタロウはミラたちが携帯を持っていないことを悟った。
ケンタロウは広告を一枚手に取ると、持っていたペンで広告の裏に何かを書き始めた。
「これ、俺の電話番号。おじさんの携帯でこの番号につなげればいつでも俺と話せるから」
「そうなんだー。ありがとう!」
ミラはケンタロウに無垢な笑顔を向けた。
ケンタロウは思わず膝から崩れそうになるがなんとか持ち堪える。
「あー、お前だけずるいぞ」
「私たちのも教えるね」
その光景を見ていたシンジたちが次々に自分の番号を書き込んでいった。
一枚の広告裏に一瞬にして四人の番号が集まる。
「今日はありがとね」
クラリスはシンジたちにお礼を告げた。
「俺たちいつでも集まれるから、遊びたいときは電話してくれよな」
「うん!」
「じゃあアイツに携帯の使い方教えてもらわないとねー」
「よかったなーケンタロウ」
「お、おう……ってうるせえよ!」
「じゃあ、アタシたちはもう帰るね」
「また今度会おうねー」
ミラたちは一瞬で金色の魔法陣の中へと消えていった。
その異様な光景に周囲の人々は目を奪われ、その視線の中心には四人の少年少女だけが残る。
「やっぱり魔法使いってすげえや」
リョウタが独り言のようにつぶやいた。
――――――――
「携帯の使い方だぁ?」
「そう、せっかく番号教えてもらったんだしさ」
その日の夜、タカノ家にてクラリスたちはタカノに携帯の使い方を教わっていた。
「えーっとだな、まずはこれをタップして」
「タップって?」
「まずはそこからか……」
一晩かけ、ミラたちはタカノから通話のやり方をじっくりと教わった。
――――――――
『ケンタロウってさ、ミラちゃんのことどう思ってるの?』
同日同時刻、ケンタロウに向けてエリカからSNSでメッセージが届いた。
ケンタロウは返答に困った。
自分の思いを彼女たちに打ち明けてもいいものなのだろうか。
『もしかしてミラちゃんのことが好きなの?』
立て続けに送られてきたメッセージに一瞬でケンタロウの顔が赤くなっていく。
もしかして気づかれていたのだろうか。
『実は』
ケンタロウはただ二文字を返信した。
これだけで察することだろう。
あと十二日。
一人の少年の儚い恋はたったそれだけで終わってしまう運命にあった。




