オズがいない一日
オズが我が家を去った翌朝。
夏の明るい晴れ空とは対照的に俺の心はどっかりと重しが乗ったように沈みかかっていた。
「トモユキ、なんか元気ないけどどうしたの?」
俺の心情を察したのか、ミラが声をかけてきた。
ダメだダメだ、子供に心配されてどうする。
「なんでもねえよ、なんでも」
「本当に?でも……」
「本当になんでもねえんだ。気にしないでくれ」
ミラの言葉を半ば無理やり遮ってしまった。
大人気なく強がってしまったのはミラの目から見てもわかるだろう。
「じゃあ、仕事行ってくるから。お前も学校遅れるなよ」
「うん、行ってらっしゃい……」
俺は詮索されるのを避けるためにミラより先に家を出た。
気分が沈んでいても仕事がなくなるわけではない。
それに俺を送るミラの声がなんだか悲しそうだったのが心に突き刺さる。
「はぁ……」
家を出てからわずか数秒、大きなため息をつかずにはいられなかった。
オズがあんなにもあっさりと我が家を離れてしまったのがあまりにもショッキングすぎる。
いや、いつまでも落ち込んではいられない。
気持ちを切り替えろ俺……
今日のギルドはいつもと比べて静かなような気がする。
街並みはいつもと変わらないし、商人もいつも通りに商いを行っている。
でも、何かが変わっている。
「今日はなんかいつもみてえな賑わいがねえよなぁ」
巡回中にアレンが独り言のように呟いた。
どうやら違和感を抱いているのは俺だけじゃないらしい。
「やっぱりお前もそう思う?」
「なんだ、タカノも同じこと考えてたのか」
何か事件が起こったのだろうか。
商人たちに聞き込みをしてみよう。
「魔法使いを見ていない?」
「ええ、いつもならここに毎日のように通っている魔法使いの方たちが今日は姿を見せていないんですよ」
魔法使いたちの憩いの場として有名な喫茶店のマスターは確かにそう証言した。
そうか、妙にギルドが閑散としている原因は魔法使いたちがいないからだったのか。
「なぜ魔法使いたちはいなくなっちまったんですかね?」
「わかりません。でもですね、今日姿を見ていないのはそのほとんどがオズ派の魔法使いたちなんです」
そういえば昨晩はオズが招集の手紙を何枚も何枚も書いていたな。
もしかするとオズ派の魔法使いたちはオズの下に集まって行ったのかもしれない。
「オズ派といえば、オズ家の女は何をしてるんだ?」
アレンが俺に目を向けてきた。
それを素直に言ってしまってもいいのだろうか。
混乱を招いたりしないか、それとも早いうちに対策を取るために打ち明けた方がいいのだろうか。
非情に悩ましいな。
「さぁ、何してるんだろうな……」
思わず茶を濁すようなことを言ってしまった。
裏では魔法使いの未来に関わるような大事件が起きようとしているというのに。
その日の夕食は静かなものになった。
理由は簡単、オズがいないからだ。
「ねぇ、お姉ちゃんはどこに行っちゃったの?」
ミラは相変わらずオズの行方を心配している。
やはり本当のことを言うべきなんだろうか。
「オズは用事があるから外出するって言ってたぞ」
「本当?いつ帰ってくるの?」
「えっと……それはだな……」
他意はないであろうミラの疑問に俺は言葉を詰まらせた。
オズがいつ帰ってくるのか、そもそも帰ってくるのかどうかすら俺にもわからない。
「本当は何かあったんだよね?」
子供は時として俺たち大人を遥かに上回るほどの勘の鋭さを発揮する。
本当はオズの身に何か起こったことを理解しているのかもしれない。
やはりこういうことは早めに認知してもらうべきか。
俺は昨日の出来事をすべてミラに語ることにした。
「……ということがあってな。近いうちにオズ家とエルリック家の間で戦争が起こるかもしれん」
「えっ……」
ミラもかなりショックを受けているようだ。
まさか身内が戦争を起こすなんて想像もできなかっただろう。
俺だってそうだ。
「もしトモユキの言ってることが本当なら大変なことになっちゃうかも……」
「そりゃ戦争が起こるんだからな」
「それもそうなんだけど、オズ家もエルリック家も今まで一度も戦争で負けたことがないの!だからすごい大きな戦いになっちゃうかも」
戦争が起こる時点ですでに大変なことだと思うんだが。
ん?
待てよ、今『一度も戦争で負けたことがない』って言ってたな。
ということはこの世界ではこれまでにも何度か魔法使い同士で戦争が起こったのだろうか。
「ミラ、魔法使いの戦争について教えてくれないか」
俺はこの世界の戦争がどんなものなのかを知らない。
まずは理解を深めなければ。
「魔法使いは家同士の中が悪くなったりすると相手の地位を奪うために戦争を起こすことがあるの。ミラが生まれる何年か前にも一度戦争が起きたみたい」
「その戦争はマーリン家が起こしたのか?」
「違うよ、ミラたちマーリン家は今まで一度も戦争に参加したことがないから」
なるほど、如何にも無益な争いを避けるマーリン家らしいな。
「戦争が起こったら、最後どうなるんだ?」
「勝った方が負けた方に好きなことを強制できるみたいだよ。それで家を潰されちゃった魔法使いもいるんだって」
今さらっととんでもないことを口にしたぞ。
『家を潰されちゃった』って……
もしミラの言うことが本当だとしたらエルリック家は力ずくでオズと結婚しようとしているだろうし、オズは自分に仇為すエルリック家を潰そうとしているはずだ。
「どうしよう、オズ家とエルリック家が戦争するなら絶対にすごい激しい戦いになるから近くの国は巻き込まれちゃうかも……」
「なんだと!?」
一大事に一大事が重なってしまった。
最悪の事態だ。
オズの実家の近くの国といったら間違いなくギルドの周辺だ。
だとすれば直接戦争に巻き込まれかねない。
というか身内が戦争するっていうのにどうしてミラはこんなに冷静でいられるんだろうか。
「ミラ、オズが戦争するっていうのにどうしてそんなに落ち着いてるんだ?」
「本当はミラだって心配だよ。お姉ちゃんのことをすっごく心配してるんだよ。でも、ミラにはどうすることもできないから……」
そこまで言いかけたミラの表情が今にも崩れそうになっていた。
やめてくれ、そんな表情を見せられると俺まで辛くなってくる。
「うっ……!ああぁ……あああぁぁ……!」
ミラは言葉にならない嗚咽を漏らして泣き始めてしまった。
俺は黙ってミラを抱き寄せ、気持ちを落ち着けるようにそっと背中をさする。
俺は初めてミラが泣くのを目の当たりにした。
これまで何があっても涙だけは見せなかっただけに俺もすごくショックだ。
しかも涙の理由は自分のわがままなんかじゃない。
オズが心配で心配で、それを自力じゃどうすることもできないのが悔しくて仕方がないからだ。
その晩、俺はミラが泣き疲れて眠るまでずっと抱きしめ続けた。
近いうちに戦争が起こることは避けられないだろう。
今の俺にできることはミラが戦争に巻き込まれないようにしながらギルドへの二次被害を抑えること、そしてオズが勝つことを祈るぐらいか。
残された猶予はあと五日。
この調子で行けばオズはレイジからの要求をすべて突っぱねて戦争に踏み切るだろう。
すでに開戦まで秒読み段階に迫っていた。




