一日目の夜
「就職するか……」
そうだ、就職だ。
ミラを養いながらこの世界で生きていくには手に職をつけるしかない。
給付されたお金もどうせ数日で底をつくだろう。
しかし今日はもう活動できるだけの体力は残ってない。
早くても活動を開始するのは明日からになりそうかな。
いろいろ考えてたら俺も眠くなってきたな。
ちょっと寝るか……
買ってきたものは起きてからどうこうすればいいや。
「……起きて。ねえ起きて」
んあ?
気づけば俺はミラに揺り起こされていた。
ぼんやり窓の外を覗き見るともう夕暮れ時になっていた。
ああ、少し寝すぎたかも。
「今何時だ?」
「えっとねー、六時十七分」
マジかよ。
平日の仕事中だったら怒鳴られるどころじゃ済まなかったな。
初めてここが異世界でよかったと思ったかもしれない。
「ねえ、お腹すいた……」
あれ?ついさっき昼飯を食ったばかりだった気がするんだが……
そうか、午後の六時といえばだいたいの世間のガキは晩飯を食ってるような時間だったな。
俺はいつも八時とか九時に食ってたからすっかり忘れていた。
「ん、ちょっと待ってろ。何か作ってやる」
俺は身体を起こして台所へと向かった。
とりあえず晩飯の用意をしてやらないとな。
まさかこんな形で自炊を始めるなんて思いもしなかった。
とりあえず買ってきた食料と新品の調理器具を並べてはみたがどうやって調理すれば食えるのかさっぱりだ。
「なにしてるのー?」
調理場が物珍しいのかミラが足元に寄ってきた。
やっぱりいいとこ育ちの子って調理風景とか見たことねえのかな。
「今から何作ろうか考えてんだ」
とはいうものの何ができそうかはまるで見当がつかない。
最悪の場合は野菜を適当にサラダにして肉類は丸焼きか。
……よし、決めた!
献立が思い浮かんだところで俺は調理にとりかかることにした。
「ん……あれ……?」
あれ?包丁使うのってこんなに難しかったっけか?
使っている場面は何度も見たことがあるのにいざ自分でやってみるとなかなかスムーズに進まない。
「トモユキはお料理苦手なの?」
「うるせえ」
ミラの何気ない指摘に耳が痛くなる。
こちとら初挑戦なんだ、大目に見てくれ。
「ねえまだー?」
「そんなに早く食いたいなら何か手伝え」
ミラの無邪気な催促が俺にドカドカと圧力をかける。
俺は思わずミラに手伝いを要求してしまった。
本当に情けないがミラの手も借りたいぐらいに苦戦している。
料理ってこんなに難しかったっけか。
「何をお手伝いすればいい?」
「そうだな……」
言ったはいいが何を手伝わせればいいのだろうか。
「鍋に水が入れてあるから火を起こして加熱しておいてくれ」
「はーい!」
いいとこのお嬢様っぽいのに嫌味な部分が全然ないなコイツ。
もしそうだったら逆に俺が耐え切れずに追い出してるかもしれねえが。
「うーん……」
ミラは鍋を前にして何かを考えている。
そうだ、ここにはガスがねえんだ。
火を起こせなんて無理なこと頼んじまったかな……
「えいっ!」
待て、今アイツは何をした?
なんかこう……指を向けたら一瞬で火が付いたよな。
「お前……今どうやって火をつけた」
「えっ?魔法を使っただけだよ?」
魔法?
ファンタジーかよ。
どうやらこの世界には『魔法使い』が存在するらしい。
「お前、魔法使えるのか?」
「うん、お父さんも魔法使いなんだよ」
マジっスか。
流石は新世界、俺の常識をはるかに超えている。
「他にはどんな魔法が使えるんだ?」
「周りを明るくしたり傷を治したりかなー。基本的な魔法は一通り使えるよ」
コイツ万能かよ。
もしかすると俺はとんでもない子供と出会ったのかもしれない。
「いろいろできるんだな」
「お父さんが教えてくれたんだー」
ミラがドヤ顔で語ってきた。
元がいいからドヤ顔も可愛い。
「そんなに親父さんとは仲がよさそうなのに、なんで家出なんかしたんだ?」
「うーん……お父さんは大好きなんだけど……」
ミラの言葉がまた濁った。
なるほど、問題はお母さんの方か。
「細かいことはいい。手伝うことはもうないから後は飯ができるまで待ってろ」
ミラを台所から追い返して俺は再び一人になった。
どれぐらい時間が過ぎただろうか。
鍋の中身が音を立てて煮立ちはじめた。
「よし、イケるな」
適当に肉と野菜を詰め込んでスープにしてみたが、なんかコンソメスープみたいな味がする。
普通に食える味だ。
俺、意外とこの手の才能あるかもしれねえな。
こうして俺の人生初の手料理が完成した。
ミラが腹空かせて待ってるし、さっさと持ってってやるか。
「待たせたな。できたぞ」
「遅いよー……」
退屈そうに寝転がっていたミラにグズられてしまった。
そういえばこの家、必要最低限の家具以外は何も置いてなかったよな。
おもちゃも本も、当然ゲームもテレビもネットもない。
ガキの頃の俺だったら退屈すぎて外に飛び出してただろうな。
「これなあに?」
「適当に作ったスープだ。さっき味見したがなかなか美味いと思うぞ」
スープだけだとなんか物足りねえし……一緒に買ってきたパンでも付け合わせにするか。
「いただきます」
「いただきまーす!」
自分が口をつけるより先にミラの反応が気になって仕方がない。
俺のお袋も毎日こんな感じだったのかな。
「どうしてミラのこと見てるの?」
「なんでもねえよ。とりあえず食え」
かなり雑に誤魔化した。
ミラがスープを口に含んだ瞬間、俺は思わず息を飲んだ。
なんでガキに飯を食わせるだけでこんなに緊張してるんだ。
「味はどうだ?」
「初めて食べる味かも」
この世界ってコンソメとかねえのかな。
俺たちにとってはわりと馴染み深い味なんだが。
「美味しいか不味いかで言ったら?」
「美味しいよ!」
そうか。
ならよかった。
「まだスープはあるから食いたければおかわりしてもいいぞ」
「本当!?」
「ああ、本当だとも」
特に問題が起こることもなく晩飯を済ませることができた。
育ち盛りのガキって想像以上に食べるんだな。
三杯も食べるもんだから驚いた。
それにしても退屈しのぎができないっていうのはガキには辛そうだよな。
俺は物心ついたころからテレビやゲームがあったが彼女の場合はそうはいかない。
「ミラ、本は好きか?」
「うん、大好き!」
ミラは魔法使いの家系らしいし、偏見かもしれないが本は日常的にたくさん読んでたのかもしれねえな。
彼女にとっての娯楽は読書か。
「じゃあ、明日はギルドに行って本を買いに行くか」
「やったあ!ありがとう!」
ミラも楽しみにしてるみたいだし明日はまたギルドに行くか。
ついでに俺の就職口も探さなければ。
「ミラはどこに住んでるんだ?」
「えっとね、今は図書館だよ」
図書館暮らしとはまた珍しい。
というかどこの図書館だ。
「図書館?」
「うん。ギルドの中に大きな図書館があってね、そこに住ませてもらってるの」
家出にしてはかなり本格的だな。
とても一人で実行しているとは思えない。
さて、飯を食ったら次にやることは……
「風呂だな」
そうだ、風呂を沸かさねえと。
手短にシャワーで済ませたりとかできねえだろうか。
そういえば浴室はあったよな、もう一度見てこよう。
「まあ、そうだわな」
浴槽はあった、水も問題なく引ける。
なのになんでシャワーがねえんだ。
さらに言ってしまえばガスも電気もないから当然いきなりお湯が出てくるようなことはない。
となればまた火を使って湯を沸かすのか。
「お風呂入るの?」
ミラが風呂場の様子を覗き込んできた。
コイツはどこにでも引っ付いてくるな。
まあ、退屈してるだろうから大人にくっつくのはわからなくもない。
「逆に聞くがお前は入りたくねえのか?」
「お風呂は嫌い……」
マジか、こんなナリしてるのに風呂が嫌いなのか。
流石に風呂に入らないのは不衛生だし、なんとしても入らせたい。
これは面倒なことになりそうだぞ。
「そうか、でも俺は入りてえんだ」
「トモユキって変わってるね」
「お前の方が変わってると思うけどな」
風呂嫌いのガキってどうすりゃいいんだろうか。
俺としてはどうにか入浴させてしまいたい。
汗や体臭が染み付くのはどうも堪える。
「風呂沸かすからまた火を出してくれねえか……?」
俺が頼んだ次の瞬間、ミラは風呂場で魔法を使って発火させようとした。
「違う!ここでじゃない!!」
「えぅ?」
咄嗟に大声で止めに入った俺に驚いてミラは魔法を不発に終わらせた。
なんとか未遂に終わらせることができた。
あと一歩判断に遅れていたら初日からマイホームが火事で無くなるところだったぞ。
浴槽に水を張り、俺はミラを連れていったん家の外へと出た。
たぶん風呂を沸かすための燃料になるものが近くにあるはずだ。
案の定だ、火を焚くための竈みたいなところが風呂の裏側にあった。
確かこういうのって燃やすための薪とかが必要だったよな。
どっかに置いてあったりしないかな。
「おっ、あるじゃん」
役場みてえなところからのサービスは思いの外充実していたようだ。
雨除けの屋根が付いた小屋のような場所に丁寧に割られた薪がたくさん置いてある。
あれを燃やせば風呂が沸かせそうだ。
とりあえず薪をくべていこう。
「ミラはお手伝いできることはある?」
「いいんだよ。こういう力仕事は男のやることだからな。それにこれ、結構重いぞ」
まだ小学生にも満たないような背丈の女の子に重労働なんかさせたくない。
それに高そうな服着てるから汚すと後で怖い思いさせられそうだし。
「これでよし……と。ミラ、ここに火をつけてくれ」
「わかった!」
ミラに火をつけてもらって準備完了だ。
あとは十数分ぐらい待てば風呂が沸くだろう。
そして待つこと数十分、俺は浴室の方から温かい空気が流れてくるのを感じた。
間違いない、もう風呂に入れる。
「よっしゃ!風呂入るか」
「行ってらっしゃい」
どういう理由があって嫌がってるのかは知らんが、身の清潔を保つためにもなんとしてもミラを風呂に入れなければ。
「お前も入るんだよ」
「えー、やだー!」
「やだじゃない。入れ」
「ミラは汚れてないからいいもん!」
そんなわけないだろう。
帰ってくるときに俺は汗でベタベタになってたんだからな。
なかなか強情な奴だ。
「よくない。汗とか臭いとか付いてるだろ」
「ついてないもん!」
「昼にハンバーグ食ったよな?アレの匂い強かったろ」
「うっ……」
流石に言い逃れできまい。
これで決まりだ。
子供相手に理屈攻めは少し大人げなかったか。
「わかったらさっさと服を脱げ」
よくよく考えれば警察の厄介になりそうな発言だが今の俺はミラの保護者だ。
問題ない……問題ないはず……
なんだかんだで渋々ミラも服を脱ぎ始めた。
やっぱり説得はしてみるもんだ。
さぁ、異世界生活初めての風呂だ。
「本当に入らなきゃいけないの?」
風呂が嫌いらしいミラは不服そうにふくれっ面をしている。
悪いが我慢しろ。
俺は湯船の中に手を突っ込んだ。
さて、気になる湯加減は……
「ちょうどいいぐらいかな」
程よく温かい。
これなら熱すぎてミラが入れないなんてこともないだろう。
「まずかけ湯するぞ」
桶で湯を掬い、ミラの背中に流した。
「……」
ただかけ湯が床に落ちる音だけが風呂場に響き渡る。
ミラは何も言わずただただ嫌そうな顔をしているし、俺も特に喋ることはない。
もしかして風呂が嫌いなんじゃなくて身体が濡れるのが嫌いなのか?
「お前、水が嫌いなのか?」
「別にそんなことないけど……」
あ、そうか。
身体が濡れることは問題ないんだな。
じゃあ熱いのが嫌なんだろうか。
「じゃあ湯に浸かるぞー」
ミラを抱えて湯船にゆっくりと足を入れる。
ちらっと覗いたらミラがこの上ないほど嫌そうな顔をしていたが少しぐらいは我慢してくれ。
「あぁー……」
溜まり込んだ疲れが全部出てきたような汚い声を出してしまった。
ここ最近はずっとシャワーだけで済ませてたし、こうして湯船にゆっくり浸かるのは久しぶりだ。
「もう出ていい?」
「待て。まだ身体洗ってねえだろ」
「えー……」
コイツどんだけ風呂が嫌いなんだよ。
反抗して暴れたりしないだけまだ可愛げはあるが。
「身体洗うからいっぺん湯船から出るぞ」
『湯船から出る』という言葉に反応したのかミラの表情が一瞬明るくなった。
シャワーは無いのになぜか石鹸とかシャンプーはある。
相変わらずこの世界の文明レベルがよくわからん。
「まず髪から洗うぞ。シャンプーが目に入ると染みて痛いから俺がいいって言うまで目を閉じてろよ」
俺にそう言われてミラはぎゅっと目を瞑っている。
可愛すぎか。
(コイツ……こんなにさらっさらの髪してたのか)
銀色の髪は俺なんかとは比較にならないほどふわふわしていて手触りがいい。
女の子ってみんなこんな手触りの髪をしているのか?
ああ、俺は幸せ者か。
「トモユキ、ちょっと痛い……」
「ああ、ごめんな」
いつも自分が髪を洗う時の力だとミラは痛いようだ。
自然と力が緩まる。
「これでいいか?」
「うん、ちょうどいいかも」
「そりゃよかった」
一通り髪を洗ってやってシャンプーを流した。
ふと気が付けば宝石磨きをしていたような気分になっていた。
「よし、もう目を開けていいぞ」
ミラに開眼を促した。
恐る恐る目を開ける。
「もう終わったの?」
「髪の毛はな。次は身体洗うぞ」
タオルを手に取り、石鹸とこすり合わせて泡立たせる。
「すごーい!これどうなってるの?」
ミラは興味深々に俺の手元を見つめている。
石鹸が泡立つのが不思議らしい。
「俺もよくわかんねえけど、これを擦ると泡立つんだよ」
「へえー」
「背中は俺が洗ってやるから後ろ向け」
間近で見るミラのその白い肌には染み一つなかった。
恵まれた環境で育ってきたんだろうな。
痣とかもないし、肉体的な虐待が家出の原因ではないのはわかった。
髪に引き続き、宝石を磨くように入念にミラの背中を洗う。
時々ミラはビクンと背筋を伸ばしたりしているがくすぐったいんだろうか。
「よし、背中はもういいぞ」
「お腹の方はー?」
「自分でやれ」
「えー」
そんなこんなやり取りをしながら俺とミラはもう一度湯舟で身体を清めた。
そして風呂から上がるや否やミラは勢いよくタオル一丁で飛び出していった。
「馬鹿!身体を拭け!」
風呂上がりの濡れた身体で家の中を駆け回られたらたまったもんじゃない。
あとで俺が床を拭くことになるんだからな。
「魔法使って乾かすからいいもーん!」
あのガキ……
というか今気づいたんだが電気が通ってないということはドライヤーが使えねえんだよな。
これは髪乾かすのも遅くなりそうだなあ。
「もう夜も遅いし、そろそろ寝るぞ」
「さっきお昼寝してたからまだ眠くないよ?」
そういえば俺もガキの頃は昼寝した日の夜は眠れなかったっけなあ。
今には暇つぶしの手段はねえし……
「とりあえずベッドに入れ」
「えー……まだ眠くないのに」
「じゃあ、俺が時々見る夢の話でもしてやろうか」
「夢?」
俺がこの世界に来る前の話でもしてやるか。
俺にとってはありふれた話でも、こっちなら斬新に受け取ってもらえるかもしれない。
「トモユキはどんな夢を見るの?」
「俺が見る夢の中にはな、たくさんの便利な道具が出てくるんだ」
「道具?」
「そうだ。例えば……遠く離れた人と顔を合わせずに話ができる道具とか」
この世界では無用の長物と化した電話。
現物はここにもあるが通話する相手はこの世界にはいないし、そもそも電波も通っていないから今はただのガラクタだ。
「へぇーすごーい!」
どうやらこの世界には電話は存在しないようだ。
「他は他は?」
「遠くに移動するときには馬車とかを使うだろ?」
「うん」
「俺が見る夢の中では馬車は使わねえんだ」
「えっ!?じゃあどうやって移動するの?」
「少し変わった燃料を使って自動で動く車を使うんだ。馬よりずっとずっと速いぞ」
この世界ではまだ概念すらないであろう自動車。
どうやらこの世界には存在していないようだが。
「どんな魔法を使ってるの?」
「俺の夢の世界には『魔法』っていうのはなくてな、代わりに『科学』ってのがあるんだ」
「かがく?」
「そう、科学の力でたくさんの機械が作られてな、それのおかげで便利な暮らしができる」
「この世界にも『かがく』はあるのかな?」
ミラからとても単純な疑問が飛んできた。
自分が見たことのないものの話をされれば気になるのも当然か。
「わかんねえけど、多分あると思うぞ」
「じゃあどうしてそういう道具ができないのかな?」
「多分、この世界の科学がまだ俺の夢の世界には追い付いてないからなんだ。でもミラが大きくなるころには科学も進歩して今よりもっと便利な暮らしができるようになるんじゃないかな」
というかぜひそうあってほしいものだ。
どれぐらい話をし続けただろうか。
ミラはようやく眠りについてくれた。
時刻はいつの間にか十一時を回っている。
明日はミラを商人ギルドに連れて行って、あと俺の就職口を探して……
それからはまた今日と同じように過ごすんだろうか。
文明の利器に頼れない生活がこんなにも大変だなんて思いもしなかった。
でも退屈はしない。
以前の常識じゃ考えられないような珍しいものに溢れているし、成り行きとはいえミラが一緒にいる。
勝手な思い込みと言われればそれまでだが、今の俺には彼女を護る責務がある。
この寝顔を見ているとますますその意識が高まってくる。
まあ、これまで通り頑張って行けばいいのかねえ……