番外篇1. 死地の剣
「………」
大地は静まり返っていた。
はじめは鉄の交差する音や何重にも忙しく動き回る足音で満たされていた。
だが今はもう、その音はどこかに消えてしまっている。
空は暗く、太陽の光が大地に照らされるその恩恵を殆ど感じられない。
灰色と黒色、混合した厚い雲が空を埋め尽くしている。
それを前に、光など無に等しい存在だった。
辺りは昼間につき明るいと言えば明るい。
だが、そんなものはただの理屈。
昼間はたとえ雲に覆われていても、太陽が雲の奥から光を照らして大地を見せているというだけのもの。
この光景を前にして、誰が「光」や「輝き」などと思うことだろうか。
元々この世界は美しい自然に満ちている。
平原も木々に囲まれた森林も、様々な色で踊る山間部も、音を立てながら弾ける川のせせらぎも。
はじめから存在していたこれらは、誰が何を意識せずとも常に美しい姿を保ち続けていたし、
汚れてしまえば自然的に浄化するようにも思えた。
荒れ果てた荒野やもう色づくことの無い砂漠も存在しているが、どれも自然があらゆる過程の中で築き上げた、文字通り自然な姿。
あらゆる条件のもとで、その自然は様々な形を作り上げていく。
だが、人間という存在を目の前に、この自然もあらゆる姿に変えさせられていく。
この光景もそのうちの一つと言っても良いだろう。
これを誰が見ても美しい姿だとは思わないはずだ。
「………終わった」
その言葉の直後、刹那。
骨や肉を断ち切り中身が粉々に交わるような、鈍い音が鳴る。
感情を殺し、冷静というよりは冷酷に、冷淡に、動作をする。
少年が手に掴んでいたそれは、相手を殺すために鞘から抜き出された、剣。
一度これが鞘から放たれれば、何もせずに仕舞われるということはあり得ない。
少なくとも、その少年が行い続けていることでは、そのような考え方が当然だった。
その少年が目の前にしているのは、彼にとっては“排除しなければならない敵”。
ヘッドヘルムを装着し、重装甲の防護服を身に纏い、大剣を装備し腰に鞘を巻き付けていた一人の男。
そのような男は他にも何十人もいた。
装備品や背格好、ヘッドヘルムの種類はそれぞれ異なるものだったが、共通して言えるのが、その者たちは皆それぞれに武装し、少年を含む他の人間たちを殺害しようとしていたことだ。
彼にとっては、何度目になったかも分からない。
いや、もはやこれが何度目かを意識する必要すらない。
男が持っていた大剣は地面に落ち、突き刺された剣は根元まで深く相手の身体を犯し、そして抜かれた剣先には多量の血が流れていた。
少年の顔面には微量の血液が飛び散っていたが、何も気にすることは無かった。
臓を貫かれた男にもう意識は存在しない。
ただの躯と化し、この世に生み出される新たな死体として、後はこの大地の上に斃れ風化するだけだ。
剣を抜き取り、少年は周りを見る。
周りには、同じように身体を欠損したり、引き裂かれたり、貫かれたりと、致命傷を負ってそのまま死亡した人間の身体が数え切れないほど転がっている。
夥しいほどの屍を作り上げ、数え切れないほどの剣が落ちている。
意思あるものから手放されたその剣たちは、もうどこへ行くあてもない。
この躯たちと同じように、いつかは大地の中に埋もれて消えて行くだろう。
たとえその心が永久に記憶された剣の光景を、思い出させたとしても。
もう覆ることのない、事実だ。
だが、こんな光景はいつものこと。
慣れているものだし、自分の手でしてきたことだ。
剣を抜き取った少年は、
その場で剣を一度大きく振り払い、剣先についた血を払う。
大地にハッキリと線上に払われた血の跡が浮かび上がる。
血塗られた剣は刃こぼれが激しく、何とか原形を留めているというくらいだ。
少年はその剣を自分の持つ鞘に仕舞い、この光景を前に直立する。
「やった………やったぞ、やったぞおおおおお!!!!」
「俺たち遂に勝ったんだ……!!」
「これでもう、異民族を気にすることも無くなる………やっと報われるんだ………!!」
直立していた少年の後方、10メートルといったところか。
背後でこの光景を目の前に、喜びを爆発させる者たちがいる。
邪魔臭いと言わんばかりにヘッドヘルムをその場に脱ぎ捨て、その喜びを素顔として表す。
生き残った者たちは、少年を含めて十数名という程度。
失ってしまった者たちもいることは確かなのだが、それでも生き残った者たちは、自分たちが生きているということと、この戦闘が発生する諸悪の根源を叩き潰すことに成功して、感極まっていた。
彼らは“異民族”などという呼び方をしているが、正体はただ別の土地柄の人間が自分たちの地域に侵攻してきただけのことだ。
喜びを爆発させるもの、感極まって涙を流す者、ようやく終局を迎えた苦しい日常に安心する者。
その人たちの姿を見つつ役目を果たし続けてきた、少年のその姿。
「良かった、君も無事だったか!!」
「いやぁ、子供だと思って疑っていたが、君本当に強いんだな!」
その土地に住み、異民族からの侵攻に耐え続け、何とか
占領を免れようと必死に努力し続けてきた自警団の男。
それに対し、彼は本職の兵士であり、努力という言葉一つでは語れない過程を送り続けてきた。
前の戦いも、この戦いもそう。
自警団の男たちは奮戦したが、実際の「殺戮数」では少年との比ではない。
大人よりも子供の方が、敵を圧倒的多く殺してしまうという状況であった。
本職だからそれも当然、と言えばそうもなるだろう。
だが男たちは、あたかも自分たちの戦果として大袈裟に取り上げ、子供が無事で良かったなどと言う。
もし、この少年がこの土地に派遣されていなければ、この土地に未来は無かった。
「貴方たちだけでも、無事で良かった。戻りましょう。領主に報告しなければ」
未来が潰えていたであろうその土地の民たちを、救う。
それがこの少年が派遣された理由で、少年が抱き続ける理想を目指す行動の一つ。
その役目は完全に果たされることは無かった。
そもそも、この派遣の目的が果たされたとしても、少年が抱く理想は果てしなく遠い道のり。
誰がそれを知る訳では無いが、少年にとっては幾度も数えられない戦争の、一つ。
何度戦ったかも分からないし、この光景を何度目にしたかも分からない。
だが、それでも少年は戦い続け、ここまでやってきた。
喜ぶ人たちの姿を見て、感極まる人たちの姿を見て、特に表情を浮かばせる訳では無い。
寧ろ、感情とか表情とか、そういったものは表に出さなかった。
自分以上に、喜び合いたい人がいるだろう。
自分よりも遥かに苦しい思いをしてきた人がいるだろう。
だから、遥かに恵まれた生活を送っている自分が、そのような顔をしてはいけない。
するべきではない。
彼らが護られ、救われ、この先も生き続けることが出来る。
その機会が整えられたのなら、この一度の派遣の目的は満たされるだろう。
出来ることなら、今後争うことなく幸せになってほしいし、それを護ることが出来れば。
その結果が訪れるまで、少年はその身を剣とする。
この土地でもそうだった。
どんなに子供だと思われても、少年は子供らしからぬ戦果を挙げてしまった。
失わせてしまった命もあるが、それでも生きている者たちがいる。
護られた命がある。
それを大切に、ここでの目的から次への目的へと移っていくことになる。
その少年が今まで多くの死地での戦闘行為や救援要請に加勢し、
あらゆる結果をもたらした後で、民からの反応はその土地によって異なるものが多かった。
少年の働きを称賛する者、子供でも大量殺人をやってのける王国の愚かさに失望する者、
助けてもらったというのに感謝もしないで追い出す者、助けてくれた御恩を返そうという者。
感謝の言葉を面と向かって大勢から言われたこともあった。
だが少年はそのすべてには応えない。
自らは喜ばないし、嬉しいような姿も一切見せない。
ただ、一生懸命に戦ってくれた、その時限定の友や大人たち、必死に耐え抜いた民たちに少年から称賛することはある。
「よく頑張りました」「これからの時間に幸あれ」と。
出来ることならずっと護り続けたいところだが、少年がずっとその土地に留まることはない。
すぐに次の目的を果たすために城に戻っては、また移動を繰り返す。
護り続けるためには、自治領地ではなく王国の直轄地になり、部隊を派遣しなければならない。
それを望む自治領主は、そう多くはない。
だから、せめて事が過ぎた後で王国の兵士である少年が出来ることと言えば、
ここでも同じ。
「どうか、今後ともご壮健で」
その派遣での役目を果たし、
そのように無事を祈る言葉をかける。
後に出来ることなど、それくらいだった。
………。
その土地での役目を終え、
帰還の途につき数日が経過する。
既に陽は落ち、周りを見渡すのに必要な光は月から照らされるもの。
それを頼りに、愛馬を駆けて無言で少年は道中を移動し続けた。
一度、少年が務める場所、この国の象徴ともいえる場所へ戻り、次なる命令を受けるため。
時刻は夜中の2時。
少年は、王国の中枢ウェールズ城に戻ってきた。
「誰だ……?こんなじかっ………って、アトリ殿ではありませんか……!」
「お疲れ様です。遅くなりました」
真夜中のウェールズ王城。
そしてその周囲に広がる城下町。
いかが国の繁栄を第一に想像させるこの町と言えど、夜中にはひと気が無い。
まるでもぬけの殻のような状態だ。
今の時間は既に就寝時間。
そして少年は愛馬を所定の場所に預け、城へと帰還した。
帰還を出迎えている、というよりは来る人間を監視しているのは、衛兵と呼ばれる兵士。
城の入口すべてに衛兵が配置されており、交代で24時間の監視と管理を行っている。
もっとも、城に入る入口などそう沢山ある訳では無いのだが。
「遅くなりましたって………もう2時回っていますよ。お身体は大丈夫ですか?」
「気にしないで下さい。見ての通り、歩けます」
衛兵が言いたいのはそういうことではなかったのだが、言っても変わらないことだろう。
とにかく衛兵はすぐに大きな扉とはまた別に設置してある、人が二人通れる程度の出入り口の扉を静かに開けた。
大きな扉の方を使えば、人が何人も横に並んでも余裕で通れるくらいの広さと高さがある。
だがこの大きい扉を開ければ城内に音が響き渡る。
既に大勢の就寝時間を越えている現状では開けず、小さな扉から入ってもらうのが一番だった。
「とにかく……まずはゆっくりお休みになられて下さい。今日くらい休んでも、誰も何も言いませんよ」
「ありがとうございます」
少年に表情はない。
流石に疲れているのだろう、と思わずにはいられない衛兵。
彼が静かに声を殺しながらそう感謝を述べると、城の中へと入っていく。
ウェールズ王城は内部の構造が非常に大きく、兵士たちの駐留拠点でもある。
大勢の兵士や召使たちが寝泊まりできる宿泊棟や、国の研究者や学者があらゆる調査を行うための研究棟、城の上層階へ行けば兵士の中でも上士と呼ばれる、階級の高い者たちの階層になっていたり、王家が利用する空間や玉座の間といったものも、上層階にある。
少年が時々警備を任される宝物庫というのも、限りなく最上階に近いところに隠されている。
王城は大きな規模の建物で、これを越える大きさの建物は王国領には存在しない。
類似するものはあっても、これよりも大きなものを建てることを自然と避ける風潮がある。
当然と言えば当然だが、城より大きな建物があればそれが目に見えて目立ってしまう。
自然と王国の象徴たる王城が最も大きな建物として存在し続けているのだ。
そんな大きな城なのだが、少年が戻る先は本当に小さな部屋だ。
「………」
少年は、ボロボロで傷だらけの防具や武装を、石の壁で覆われた自室で解く。
元々軽装が好みな少年で、防具という防具はそう数多いものではない。
胴体に着込むものは、すべて普段着の下にして隠している。
後は手の甲やひじ裏、膝や足首、必要に応じて肩などを防護するものを装着し、ヘッドヘルムのような視界の悪くなるものは一切身に着けない。
移動時も軽装にこだわり、極力荷物になるものは持ち歩かない。
なので、自室で解く武装や防具といった類も殆ど無い。
彼はそのまま腰を折り、硬くて冷たい石の壁に背もたれをつける。
疲れていない、というのは嘘だ。
本当は身に余るくらい疲れているはず。
ゆっくり休みたいところだが、考えることも沢山あった。
考えることもあれば、あの感触を常に思い出す日々。
自らの剣で、相手の頸動脈を斬り裂いた瞬間の、血の雨。
心臓を貫いてその動きが止まり、筋肉が硬直していくその瞬間。
手足、胴体、首、顔面、あらゆる箇所を斬り刻む一撃の重さ。
だが、自分がやらなければ誰かがやられていたし、
自分がやられていた可能性も充分にある。
それを前に、手加減や慈悲などと言っている場合ではないのも、事実だ。
だからこそ、少年はいつも非情な手段を取っていたことだろう。
戦わずして滅びを回避できるのなら、もちろんそうしたい。
だが、人間とは常に争う者、争いを求める者、争いに巻き込んでいく者。
出来るのなら初めからそうしているし、出来ないから戦争などという卑劣な手段が横行するのだ。
その手が卑劣な手段を、その感触を思い出させる。
ヘッドヘルム越しに聞こえる、恨みの籠った言葉を思い出させる。
―――――――――――死ね。
―――――――――――死ね。死んでしまえ。
――――――――――――消えて無くなれ。
だが、少年はもうそのような卑劣な言葉にさえ、慣れを感じてしまっている。
何故かと問うか。もう聞き飽きるくらいに聞かされた言葉だからだ。
誰かを殺すことで誰かを生かすという極端な理想を持ち合わせる少年。
少年が理想を追い続けるごとに、その理想の名の下に殺される人間が多数存在する。
そういった、誰かを犠牲にすることで成り立たせる理想を、知る人もいれば知らない人も大勢いる。
それがもし人の耳に入るものであるのなら、誰もがこう思うだろう。
そんな極端な理想、達成できるはずがない、と。
悪辣な正義が少年という形を作り上げ、司り、そして何もかもを動かしていく。
理想を前にして少年は留まることもしなければ、引き返すことも無かった。
たとえどのように罵倒されようと、どれほど否定されようとも、
少年は立ち続ける。
自分が殺した人の数より、救った数、護られた数の方が圧倒的に多く、
少年を褒め称える声さえ多く聞かれた。
誰かを護り、救い、その先に幸せを求める機会があるのなら、失うこと以上に求める価値がある。
脳裏に鮮明に記憶された死の淵の言葉、もはや人間のものとは思いたくも無いその身体を思い出しても、
少年が留まることは一切ない。
それが、『死地の護り人』として、
未来までもが決められてしまった少年の姿なのだから。
これは、マホトラスという一大勢力が、ウェールズ王国に本格侵攻する、前の話。
アトリという少年が魔術を手にし、とある少女と運命的な出会いをする、前の話。
月下の夜や晴天下で対峙する、あの槍兵や黒剣士と戦うよりも、遥か前の話になる。
少年の姿を追うと共に、その少年の姿を見続ける周囲の物語でもある。
混迷の時代を迎えてから、3年後。
少年は、既に国に仕える兵士の誰よりも、戦闘経験な人間となっていた。
………。
番外篇1. 死地の剣
番外章突入です。
出来るだけ一日1回、可能であれば一日2回の更新を目指したく思います。




