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Broken Time  作者: うぃざーど。
第3章 ボーイ・ミーツ・ガール
92/271

3-37. “私の望み”





彼がこの世界に復活してから、13日目。

彼があの本家に辿り着いてから、23日目を迎える。

そして、パトリックがサウザンという町に行ってから、6日目となる。

王国領には属さないが、自治領地とも呼ばれない町内議会で成り立つこの町は、それでも周囲の町に比べれば大きいもので、港区画も存在している。

そのため、遠くの土地への行き来が出来る船が往来しており、交通や物資輸入出の要所の一つとなっている。

パトリックが訪れた情報屋が、東の大陸の情報を持ち得るのはこのためだ。

自分ひとりの足では到底大陸を跨ぐことなど出来ない。

だが、船を使うことが出来れば、ある程度の移動をこなすことが出来る。

大陸の険しい道のりや高低差の激しい山々、それによる病気などのリスクを多少は減らせる。

サウザンからも東の大陸に向けて船は出ているのだが、そう頻繁に訪れるものではない。

ここより東の大陸へ行くためには、別の場所、中央大陸なるところの港町に辿り着いてから、乗り換えが必要と言われている。

結局西側から東側へ行くためには、相当な日数を覚悟しなければならない。

それでも、新天地を求めて旅をする者は多いのだとか。



明け方。

日が昇る時に、彼は港にいた。

特段何かをする訳では無く、岩壁に乗って海を眺めていた。

小さな船が沖に出ている。漁でもしているのだろう。

港区画には、それなりに大きな帆船が止まっている。

風を動力源として海を渡る、貿易と移動の要だ。






「………」




呟くことは何もない。

ただそれは、口の乗せるものは無いということ。

頭の中では様々なことを考えている。

彼は、ポケットから煙草とマッチを取り出して、摩擦で火を起こしてそれを煙草につけ、口にくわえる。

普段、本家では煙草を吸うことは無い。

だが全く吸わない人という訳でも無かった。

岩壁から片足だけを放り出し、もう片方の足を折りたたみ、それに腕を乗せて煙草を吸う。

明け方の海はそれなりに輝いていて綺麗だが、考えることはきれいごとではない。






細かな情報など期待できなかったが、これだけあれば充分だろう。

それにしても、随分と荒んだものだ。

これでは、あのような少年が生まれるのも無理はない、か。




あの二人を前にしている時の彼と、この時の彼はまるで別人。

外見は変わっていなくとも、中身はお茶目や天然、または自由奔放などというような気質からは

かけ離れている。

煙草の煙が潮風に乗りながら彼の顔の横を通過していく。

それと、海の輝きをみながら、彼はここで得た情報を頭の中で再生させ、目を細めるのだ。






マホトラスの連中も大概だが、まぁ王国もその点は似たようなもんだな。

元々あの二つは同じだった訳だし、態々敵を作るようなことをしたんだから、無理もねえってこった。


                                             ’





『それで、奴らの狙いは施政を布くことだとでも?』






まぁ、それが無難な考え方だろう。

でなきゃ態々王都を手中に収めようとはしないはずだ。

それに、城下町は一番政治的効果も大きい。

あれが堕ちるっていうんなら、国の民に絶望を与えるには充分さ。

しかも、大きな代償を丸ごと失ったんだからな。



                                             ’




『恨みの籠った因縁の清算か。んで、代わりは今どこにいる』







こっから東に行った先に、カークスって町がある。ここよりちと大きいかな。

大体はそこへ集まり始めている。

もうかつての手段は通用しねえんだ。

純粋な戦力差もあるだろうが、マホトラスも先の戦いでとんでもない犠牲を代償に支払っちまった。

奴らとてそう簡単には南までは来れないだろうよ。

おかげで、こちらは商売を続けられる。



                                             ’






これを知ったら、間違いなくあの男は動き出すだろう。

そうに違いない。

国の危機と分かって、しかも状況がこうも好転しないのだから、尚更だ。

既に前線を離れてから20日を超えている。

魔術や剣術の鍛錬はフォルテに任せているが、その成果も気になるところだ。

あの男がこれからを生き延びるために必要なものは、渡しているつもりだ。

俺たち二人にその清算が行われることはないが、それでも止めることはしない。




………さて。

キッカケは整った。

意味も見出すことが出来ただろう。

あとは、あの二人がどう動くか、だな。


また二週間後に、ここに来なければならない。

その時には色々と変わっていることだろう。




パトリックは、夜が明けて周囲がよく見え始めてきたところで、立ち上がる。

今はもう、この町に用はない。

今から本家に戻り始めれば、伝えた通り10日前後の帰宅ということになるだろう。

彼は煙草を口から静かに吐き出し、もう意味のないそれは海へと落ちていった。

持ち帰り、彼らに開示する情報が朗報か凶報かと言えば、そのどちらも当てはまる。

いずれにせよ状況が刻一刻と変化し続けていることに変わりはない。

パトリックが知りたかった、マホトラスとウェールズとの戦争。

彼の家の近くに合った町さえ巻き込んでいるその実態は、彼が考え得る想像以上に根深いものがある。

そして、解決させるためには遠い道のりになるだろうことも、想像できていた。

だがそのような状況であったとしても、あの男、あの少年は動き出すことだろう。

この情報を聞いて。

それが一人なのか、あるいは、というのは置いておき。

彼は海辺から離れ、元来た道を戻り始める。

行きに来た時とは、別の方法で。





一方。

彼らにとっての今日は、多少違和感があったとしても、いつものように時間が過ぎて行く。

必要な作業をこなし、必要な鍛錬を行い、休息にはお茶を共にする。

彼も彼女も、前まで鍛錬鍛錬と毎日を一生懸命に過ごしていたのだが、今はそこまで張り詰めたものはない。

真剣にやっていることに変わりはないのだが、彼も習得した魔術を難なく行使できるようになっているため、彼女も教えてあげられることが少なくなってきた。

正確には、防御魔術を主体とする魔術はもっと沢山あるのだろうが、もう資料自体がそう沢山記載されているものではない。

とすると、何かを学ぼうにも限界があることが分かってしまっていた。

彼は防御魔術に適性がある訳では無く、ただの傾向をもとに魔術の習得を行っていたので、防御魔術にしか扱えない高難易度のものは覚えることが出来ないだろうと、フォルテは考えていた。

事実、彼が習得した魔術は、確かに防御魔術の型に沿ったものではあるが、比較的低い難易度のものが多かった。

それでも他の型を持つ魔術師がこれらを扱おうとすると、ペナルティを受ける訳なのだが。




「アトリ、今日はこのくらいにしておきましょう」




「ん?しかし、まだ日は明るいけど」




「確かにそうですが、冷たい風が吹いてきた。この後の天気が気になるので、早めに切り上げた方が良さそうです」





言われてみれば、確かに。

アトリは周囲の空気を感じ取り、フォルテの言うように冷たい風が吹いていることに気付いた。

鍛錬に集中していた訳だが、今日もそう切羽詰まるような根の詰め方はしなかった。

だがあまり周りの状況に目がいかないのも考え物かもしれない、と自分の中で考える。

フォルテの提案を受け入れ、その日の鍛錬はそこで終了とする。

時間は午後の3時を回った頃。陽が落ちるにはまだ数時間かかる。

辺りは一見すると天気が良さそうにも見えるのだが、海側から分厚い雲が流れているのが見て分かる。

それに風が強まってくることを想像すれば、このあとの天気も想像がつく。




「よければ、こちらの家で茶などいかがでしょうか?」




「お邪魔しても良いのかな?早めに切り上げるなら、フォルテにもやることがあるだろうに」




「いいえ。それは別の時間にすることです。アトリとの鍛錬の時間でしたが、余った分別の何かに費やしても良い」





それがこの時間における彼女の望みだった。

もしこのまま天気が晴れ続けるのならば、いつも通り鍛錬を続けたことだろう。

だが、雨に当たれば風邪をひくかもしれない。

これから王国領へ戻るというのに、せっかく取り戻した調子を崩させる訳にもいかない。

それに、もう過度に鍛錬をせずとも、彼はある程度の実力としてそれらを行使することが出来る。

だからこそ、彼女はこの時間を有効に使おうと思い、ささやかではあるがその望みを彼に提案した。

彼としてはこれから夕食までの数時間、時間の使い道がない。

放っておけばまた自室の前などで一人鍛錬をすることだろう。

だが、彼女の提案に断る理由などなく、寧ろそのように話を持ちかけてくれたことが、純粋に嬉しかった。




「分かった。そうしようか、フォルテ」




「はい、行きましょう」





はい、と凛々しくも優し気な返事で、彼女はふうっと一息いれてから歩き出す。

鍛錬をしている間と、それ以外の時間とでは、人が変わるようだった。

今まではそうした一面も固定化されていたのだろうが、今はこうして彼女の変化を見ることが出来る。

それが小さなものか大きなものかと言われれば、まだ曖昧なところももちろんある。

だが、以前のそれに比べれば、その変化は著しく表れていると言っても良い。

彼にとってはそれは嬉しいことであった。

確実にあの日のことで好転しているのだから。

いつもの魔術鍛錬の練習場として使っている川辺から、家まで戻る。

天気の変化もどうやら早いようで、風は少しずつ強くなり白い雲が青空を覆い隠すようになってきていた。

彼女の読みは恐らく正しい、この後雨が降ることだろう。

フォルテの住む家に戻ると、フォルテは彼を道場で待っているように伝え、一方の彼は道場のスライドする壁の一部を開けて、そこから外を眺めていた。

風向き的に、雨が降ってきても室内に侵入することはなさそうだった。





「………」




白く覆われた空の景色に、あの日の光景を思い浮かべる。

最近思い出すことと言えば、あの頃のことと、あの夢のこと。

一つは確実に正体が分かっているが、もう一つは全く未知なるもの。

それが現実のものかどうかさえ分からない。

だが、あれほど同じような夢で、同じような景色を何度も見せつけられれば、それがただの夢ではないことを嫌でも感じてしまう。




もし、これを彼女に話したら、何と言うのだろうか。

このことを知っていれば参考になる話も聞けるだろうが、単に夢かもしれないその話をしたところで、何か進展があるかと言えば無いかもしれない。





「お待たせしました。どこか遠くを見ているようでしたが……」



「あ、あぁ。気にしないでくれ。本当に降ってきそうだ」





確かな違和感を感じながらも、それが本当のものであるかどうかなど確かめようがない。

夢で見るものの光景で、現実的でないものなど幾らでもある。

考えればキリがないとも言うが、しかし………。



フォルテは、熱々のお茶を持ってきた。

前回と同じように急須も一緒に盆にのせ、彼女は彼の隣に座る。

彼女もまた外を見てそのように話すが、お茶を楽しむには穏やかな天気とは言い難いものだろう。

とはいえ、あのまま外で鍛錬を続けるという訳にもいかないので、今は今でこの時間を楽しむこととしよう。

はじめ二人は静かにそのお茶の美味しさに心も浸っていたが、やがて話し始めると同時に雨も降りだしてきた。

暗い空が遠くに見えていたのが、ここまで近づいてきたのだろう。

雨の勢いは瞬く間に強くなっていき、本降りになっていく。





「そういえば、アトリは王国領に戻り戦うと言いましたが、剣や盾などはどうするのですか」




「……ああ、実はそれなんだ。今までは王城に腕の立つ鍛冶職人がいたものだから、その人に頼れば良かった。だが恐らく状況はそうはならないだろう。旅先で揃えられると良いのだが……」





とはいっても、盾は持たないよ、と彼は一言付け足して彼女に言う。

もう戦うという以外の選択肢は無い。

だが彼がどこに向かいどこから戦うのかは、その時々の状況次第ということになる。

この言葉からも察することが出来るが、アトリはもう王城が自分たちの手中にあることを前提としていない。

一ヶ月近く間が空き、マホトラスがポーラタウンまで進出していることを考えれば、容易に想像がつくだろう。

もし彼が旅先で武具を揃えるとなると、ある程度大きな町に行かなければならない。





「ですが、そうなると鍛冶屋のある町に一度立ち寄る必要がありますね……」



「そうだね。更に寄り道をすることになるだろう。とはいえ、戦う手段が無いのであればそれも仕方が無い」





彼はもう魔術師としての基礎を確立させ、その実力を行使することが出来る。

だがそれはいつでも行使できるものでありながら、いつも使える状況にある訳では無い。

いかが魔術師といえど、剣や槍、時にはもっと別のもので戦う手段を持つ必要がある。

攻撃魔術を型とする者たちも、それ一本で今まで生きてきた訳では無い。

魔術師には魔術師であることを隠すこの世界の掟があるのだから、それに触れぬよう武器は持っておかなければならない。

これからのアトリも同様だ。

恐らく今回パトリックが行っているサウザンという町には、鍛冶屋もあることだろう。

だがもし、パトリックが持ち帰る情報で、王国の本陣が南部へ下がっていると仮定するならば、その寄り道さえ手間取ってしまう。

彼は必要なことだからと言い、その手段を取るはずだが、効率的ではない。




「本当は自分で剣を打てるような技術もあれば良いんだろうけどね。俺はよく剣を折ってしまう人だったから……一度はそういうものも考えたが、国の鍛冶屋には怒られたんだ。“俺の仕事を奪うな”ってね」




「彼らもそれで生計を立てているのですから、無理もないでしょう」




「確かにそうだ。毎度毎度剣を頂くのが申し訳なく思ってね。この先買う剣は、出来るだけ慎重に使わなければならないな……」





彼がここに来るまでに使っていた剣には、彼も知らなかったが(クリスタル)が含まれていた。

その特注の剣を打ったのが国の鍛冶職人だとは確定しているのだから、彼は自分の身の上を読まれていた可能性がある。

それを確かめることが出来るかは、もう分からない。

だが今となっては手に入らないあの剣も、とても手に馴染むものだった。

防御を主体として戦闘を展開するアトリにとって、剣の強度や軽さは非常に重要である。

次もそのような剣を求められれば良いが、それは期待できそうにもない。

彼も頭の中で考えているし、彼女も同じように思っていることだが、もし仮にこれから向かう土地がマホトラスに占領されていたとする。

そうすると、商人や鍛冶屋が外の人に向けて武器を販売することなどしないだろう。

というよりは、彼らの手中に収められ検閲されるはずだ。

となれば、武器の入手はより一層難しくなる。

しかも、元々持っていた剣よりも出来の悪い剣を手にする可能性が充分にある。

それを何度も購入しては使って、などと繰り返すのも明らかに非効率的だしお金もかかる。

彼も無一文でここまで流れ着いた訳では無く、今パトリックに預けている自分の装備の中に、困らないだけのお金はある。

とはいえ、何度も何度も買いなおせるものでもない、それを考えると少々気が遠くなる。




彼が死地に赴き、自国の国民を護るためには、その過程で必要なものがある。

しかしそれを満足に手に入れられる状況にないことを、彼女も推察している。

特に彼の戦うものに関しては、とても重要なもの。

彼は魔術で剣や槍、弓などを作り出せるような手段を持ってはいない。

というより、現実世界に現実にある物を具現化させるような魔術など、殆どの人が持ちえないものだろう。

だが、彼女にはその手段がある。

彼も一度それに頼ったことがある。

長くは存在出来ない物ではあるが、彼女には魔力を回復する手段もある。

態々お金を使うこともなく、遠回りする必要も無い。

何より、その効力や便利さは彼女が一番知っている。





………。



ざーっと、本降りの雨粒が屋根と地面に落ちて行く、その音が聞こえる。

一つひとつの水滴など聞き分けることも出来なければ、見通すことも出来ない。

だが、それらの自然の音が彼らの耳によく入って来る。

熱いお茶を飲みながら、この間とは違うその光景を見る二人。

そんな時、彼女が口にする。






「………思い出します」




「………?」




「あの日のこと、私がここに来る理由となった時のことです」







………。




あの屋敷を離れて、暫く経った頃。

この手で色々なものを失わせて、もう何もかもを失おうと思った時もあった。

私はこの世に生まれるべきでは無かった。

あの頃そう言われたことが、事実だったのではないか、と。




身体は(クリスタル)で出来ている。

生まれた頃から魔力を捻じ込まれた私の身体は、魔力を常に必要とする身体になった。

それが無くては生きていけない身体になってしまった。

だから、あの石は決して手放すことなく持ち続けていた。

屋敷に行った後も、その存在は絶対に隠し通してきた。

けれど、そんな石をある時破壊されてしまった。

一度壊れてしまった石は、もう元には戻せなくなると聞く。

私の身体は、次の石を求めるか、別の手段によって魔力を得るしかなくなった。

だけど、周りに魔術師がいるはずもなく、石が都合良く見つかるはずもなかった。

何もかも失った、というのは、そういうこと。





私は、死ぬだろう。

このまま何をすることも無く、誰の為になることもなく、自分のことさえ忘れたまま。





どこに行くかも分からず、どこにいるかも分からず、

食べ物も無ければ水もなく、代わりの服も無ければ住まう家さえ存在しない。

本当に、文字通り何かもを失って、最期には自分さえ失うところだった。

だけど。






『何をしている、大丈夫か!?』






気が付けば、私は砂利道の上に倒れていた。

空腹も限界をこえ、魔力の消費も無くなるに底を尽きた。

その日は、雨だった。

空は暗く、分厚い雲に覆われていて、大粒の雨が落ちていた。

身体に打ち付ける雨粒など、もうどうでもよくなるくらい。

ここで倒れたまま、そのまま斃れると思っていた。

あの道がどこだったかも、あの屋敷からどれだけ離れたかも、もう分からない。





『よし………生きてるな………!!』







――――――――堪えろ。お前の望むもの、すぐに渡してやるからな………!!








………。





「パトリックは、その時すぐに分かったのです。私には魔力が必要で、その魔力も枯渇してしまっていることを。このままいけば、私は死ぬ。運命に逆らうためには、どうしても石が無くてはならなかった。私の身体は、他の魔術師のそれとは違います。身体のあらゆる機能を支えているのが魔力で、普通の人とはかけ離れた欠陥的な存在です。パトリックが元から持つ魔力を送っても、効果は薄い。いずれ変わらない運命を辿ることになる」




「………そこで、パトリックさんは、君に石を授けた」




「はい。ですから、この魔術は元々私のものではない。その石には、支援魔術を適性とするものが多く含まれていた。あの雨の日に助けられ、私は元々あった魔力を上書きして、支援魔術を手にしたのです」






………。






『そうか、フォルテさん、と言うんだな、君は』





誰かも分からない人に道端で連れ去られた、とも思った。

ですが実際は私の正体を察して、まるで匿ってくれたようだった。

目が覚めた時はどこかも分からない小屋の中にいて、明かりが灯されて暖かかった。

後からパトリックに聞くと、私は魔力回復のために一日中眠り続けていたそうだ。

その間、目の前にいる謎な男は決してここを離れることなく、看病してくれた。

おかげで、私は助かった。

助けられた当初は思った。

何故、私を助けたのか。

あのまま死んでいれば、きっと楽な道だっただろう。

けど、それをパトリックは赦さなかった。

たとえどのような事情があろうとも、救いを求めている人がいるならば、誰しもが助けられるべきだし、護られるべきだ、と。






「……何故、私を………」




「理由は無い。たとえそれがどんな人であろうと、目の前に助けられる命があるのなら、救う。俺はそう決めているんでね」





お互いに誰かも分からないというのに、そんなものは関係ないと、その人は言った。

それがあまりに衝撃的だったことを、今でも覚えている。

世の中にはそんな人もいる。

私はそれを知らないだけ。

今まで外の世界というものを全く知らずに生活し続け、それを知らないまま死ぬところだった。

だけど、それでは何の価値も無い。

産まれてくるべきでは無かった命とはいえ、棄てられるべき命ではない。

たった一言。

その一言だけ聞いて、私は望んだことがある。





「………を、下さい………」




『ん………?』




「………私に、居場所を下さい」






住む家を下さい。

着替えを下さい。

食事を下さい。



そうしたら、私は何でもします。






………。





「よく思い返せば、あの時の言葉には聞き覚えがあった。アトリに出会ってから、貴方の理想を聞いてそれと似ていると思いました」



「なるほど。パトリックさんはそれを信条にかけている訳か」




ただ。

パトリックが本当になるべきだと考えているのは、

それがすべての人の為になるものだ、ということ。

マホトラスもウェールズも関係なく。

彼の考える理想も行く先々はそれを目指すべきなのだが、それが不可能だと知っている。

彼の理想には、それに対する悪が必要だったのだから。





「ですが、パトリックは“俺はそんな悪いおじさんじゃないから”と言った、と思います。ともかく安心したことは覚えています」



「ははは、でなければここにはいなかっただろう」



「そうですね。そうでなければ、貴方と会うことも無かった」





―――――――――本来そうなるはずの無かった私たちなのですから。






起こるべくして起こったこと。

だが、本来はそうなるはずのなかった道筋。

彼女が自らの手で屋敷から離れなければ、

彼が死を逃れて海へ飛び込まなければ、

二人ともここで出会うことは無かっただろう。

それを思うと、二人が出会えた条件というのは本当に狭いものであったと実感させられる。




その運命は始まりに――――――――。





「私は、このような経緯になって良かったと、思っています」




「………!」





それは、彼女自身の過去を肯定することではない。

どうしようもない人生を歩み続け、その果てが見えそうになったところを助けられ、

そして今を生きている。

過去は過去で起きてしまったこと、もう二度と覆すことのできない事実。

良い思い出とは決して言えず、この手で失わせたものも多い。

だが、それでもそのことがあって、今ここに彼女はいる。

もしこの運命がかみ合っていなかったとすれば、いまだに彼女は囚われの身であったかもしれない。





「パトリックもそうですが……アトリが、色々と私に与えてくれた。だから、感謝しているのです」





自分を大切にしない人に、自分を偽り隠す必要などない、と言われた。

説得力の無い言葉だったかもしれないが、逆にそれで気付かされることがあった。

お互いに気付くことがあったし、それを伝えあえるようになった。

そうして、彼女の今の姿がいつしか出来上がってしまった偽りのものであると分かり、

本当の自分はどのような人なのか、というのを模索出来るようになった。

アトリという少年、良い事例とは言い難いその少年を見て、自分の異質さに気付かされる。

だがそれは、良い意味で間違いなく彼女の転機を生んでいた。

彼とここで出会っていなければ、こう考えることも無かっただろう。

ここでの生活はとても充実している。

あの屋敷に囚われながら、毎日自我を殺してそれを忘れるような生活とは、かけ離れている。

だから、ここでの生活を失いたくもない。

もうこれ以上、失うものを持ちたくない。

だがそれは不可能な願いだろう。

彼女が自ら望むこの道に進むことを選べば、必ずどこかで『失うことの壁』に突き当たる。

それは間違いない。





―――――――――でも、それでも、些細な望みかもしれないけれど、貫きたいと思えることが出来た。





何の望みも持たなかった彼女。

いや、望むことさえ失望の嵐、それを信じることなどただの愚でしかない。

そう思い続けた彼女が、自らの望みを決心するまでに至った。

彼は言う。その望みがやがて自らに訪れ、その機会を得た時、その道が間違いではなかったと思えると良い。

そうだ。

彼もそう信じ続けて、ここまで来たんだ。

たとえその剣が折れ砕けようとも、心は砕けなかった。

身体と心を繋ぎとめるための理想は、どれほど汚染されても消えることはなかった。

絶望を目にした、世の中が不条理なものに満ちている、それが理だと知りながら、信じ続けたものがある。

どんなに叶わない理想だと思われても良い。

その理想が誰かの為になり、それが間違いでないのなら。

理想を前に、自分から逃げることはしなかった。







―――――――――この道は、間違っていないと信じている。





なら、

私もこの望みを貫いて、自らの手で間違いではないと、信じ続けられるようにしよう。












「アトリ。私から、お願いがあります」





「………?」











――――――――――私も、同行させてほしい。あなたの、理想に。






………。






3-37. “私の望み”






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