3-35. 気付かぬ本音
彼女の今までの生活を否定する訳じゃない。
今まで多くのことを経験してきて、それで苦しんだ過去もある。
それは事実だし、今からやり直しなど出来るはずもない。
だから、事実は事実として受け止めて欲しい。
だとしたら。
今度は、自分の為に生きて欲しい。
自分が思うように、望むように時間を過ごして欲しい。
今までそれが出来なかったのだから、これからそういう望みがきっと出てくるはず。
何も、毎日のお茶だけが望まれるべき生活だとは思わない。
もっと、もっと広い視野で物事を見られるようになって欲しい。
「俺の場合は、自分でその道を選定した結果、良くも悪くも沢山の経験を積んできた。だけど、フォルテは自分の歩む道を選ぶこと無く、誰かが決めた道を自分で歩き続けた。だからこそ、フォルテには自分の目で、自分の望むものを確かめて欲しいんだ」
「自分の目で、ですか………」
「そうだ。きっとこれから、何かしらの望みが生まれることだろうから。理想とは言わない。自分が望むもの、思うものを大切にしてほしい」
何故このような話を突然したかと言えば、彼自身感じていたからだ。
彼女に対しての違和感とかそういうものは置いておき、
いずれここを離れなければならないという現実が、近づいてきたから。
パトリックは、早ければあと3~4日でここへ戻ってくるだろう。
そうなれば、彼は一週間程度でここを離れることになる。
既に前線から離れて一ヶ月近くが経ち、状況は大きく異なっていることだろう。
フォルテとの生活も、自分がもとのいるべき場所へ戻れば無くなってしまう。
新鮮味の強い、彼の普通からかけ離れた生活。
それでも、ここで学ぶことは多くあった。
気付くものもあったし、多くのことを得ることが出来た。
だが、それもあと少し。
彼女が今まで時間を割いて自分にしてきた分、残りの時間で彼女の為に何かが出来れば、と思う。
そう思った時、自分に出来るのは、彼女のこれからを思って、気付いたことを少しでも教えること。
それが正しい道であるかは分からないし、彼女に話したからと言って彼女がその道を選択するとも
限らない。
だが、その選択肢は沢山あっていいはずだ。
何も一つに限定されたものでなくてもいい。
「そして、出来るならその選んだ道が、自分にとって間違いでなかったと、言えるものが良いな」
「っ………」
――――――――――この道が、間違いではないと信じている。
私は、選択肢というものを与えられなかった。
はじめからそのような言葉など要らずの生活で、見つけることもしなければ手に入れる機会さえ無かった。
あの時を除いて。
だけど、今はもうその縛りに囚われる必要は無くなっている。
もとより、ここの生活を始めてから、そのはずだったんだ。
私はずっと、私を助けてくれたあの人の為になればいい、と思い続けていた。
それは、私のこれまでの生活の延長線上の話。
アトリが言うように、私が私の道を選択することはなく、偽りの私が選ぶことさえ遠のかせたため。
私であって私でない何かが、ずっと逃げ続けていただけ。
………けど、こういう選択肢もある。
自分で、自分の為に出来ることをする。
その中で………。
その言葉は、彼女が心の中で最近抱き続けていた、ある望みを明確に浮き彫りにさせる。
今までモヤモヤとしたものがその望みに覆いかぶさっており、それを中々見つけられずにいた。
いや、正確にはこの時点で既に、彼女の望みというものは決まっていた。
だが、それに対しての迷いがずっと彼女の中に在り続けていた。
彼女は、彼の言葉を借りて、自らの望みを後押しする。
それが今は赦されるし、自分の為にもなるし、そして他の人の為にもきっとなる。
そう信じることが、間違いだとは思わない。
彼女の中で一つ、明確な回答と方向性が示された。
後々に明かされるその“キッカケ”が、この瞬間にあったのだ。
「私も、復習をお手伝いしましょう」
「え?」
「……ええ。私にとってはむしろ、そのほうが好ましい。貴方と何かが出来るその時間が大切だ」
アトリと過ごす時間全般を指してそう言ったフォルテ。
その彼女の表情がとても強く凛々しいものだと、彼は改めて感じる。
だがそれ以上に、あまりにも直球なその言葉に反応せざるを得ない。
すると、彼女が少し時間が経って、そのことに気付いて疑問を投げかける。
「アトリ。顔が赤いようですが……大丈夫ですか」
「あ、あぁ。全っ然大丈夫だ」
フォルテの気付いた望みとは、裏腹に。
フォルテの為に何かが出来ればと思う一方で、その時間が迫っていることを考えると、なんだかな。
戻って国の為、人の為に戦わなければならないと分かっていながら、フォルテのその後が見られなくなるのは、少しばかり気になるというか。
あと少し。
この時間を大切に過ごさなければ。
けど………。
「………」
どこか、寂しい気もするな。
何を思っている。
何を意識してしまっている。
そう自分の中で強引に整理をつけさせようとするが、それでも心の内で思うその気持ちに、
偽りなど存在しなかった。
12日目。
その日彼らが住む地方は少しばかり雲に覆われて、日差しとは無縁に近いような天候だった。
風がやや強く吹き、雲の動きがとても早く見える。
風の強さと流れに比例して、自然が鳴り立てる音も今日は騒々しい。
彼らの住む地域はそうだが、南部は状況が異なる。
一度も止まらず3日間以上を要する町まで行くと、自分が住んでいた場所の天候と異なるものがあっても
おかしくはない。
もっとも、それを確認する方法など無かったのだが。
パトリックがサウザンという町に旅立ってから、5日目。
そして、既に彼はその町にその足で辿り着いている。
予定よりは遅く到着し、昨日の夕方頃にサウザンに辿り着いた。
大陸の西南部の町ではあるが、温暖な気候に恵まれた海を見渡せる町で、
人口もそれなりに多い。
ただ、町の規模が大きいかと言われればそうでもなく、城下町などに比べれば小さいものだ。
サウザンの周りにある町が大きなものではなく、東側へ進めば王国領の直轄地となるが、幾つか大きな町がある程度で、サウザンの周囲で最も規模が大きいのはこの町だった。
王国領と近いとはいっても直轄地とは言わず、王国軍が駐留することも無いのだが、自治領地とも呼ばれていない不思議な町だ。
ここを維持するためには、治安維持を目的とした組織が存在しており、彼らが町の護衛役となる。
町を運営していくための取り決めは、町内議会というものが設置されており、一部の人間は議会の固定化された人員で、それ以外の一般役員の役割に、町の住人たちが交代で参加していく仕組みである。
そのため、施政は全員で取り決め実行するのが鉄則となっている。
ここからは、王国の象徴たるウェールズ王城までは北東に遠く離れている。
歩くなどどのくらいの時間が掛かるか分からない。馬でさえ数日から一週間を要するのだから。
「おや、お前さんこの辺りじゃ見かけない顔だな。新顔かい?」
「いや、生憎地方客でね~。後ろが詰まってるから、買うもの買って退散する身なんだ」
「ならどうしてここに来たんだ。ただの買い物客が来るような場所じゃないんだぜ、ここは。それに、表街道にもない裏の道だっていうのに」
パトリックは、昨晩到着した足で、この場所の存在について突き止めていた。
どうしても家に戻る前にあることを済ませなければならなかった。
いつもそうしていた訳だが、前のポーラタウンの一件があって以降、状況は変わった。
またこの町に来るとすれば、ある程度場所を把握しておかなければならないし、
手に入れるものも確かでなければならない。
そうして彼が訪れた場所は、所謂情報業を仕事とする者の家だった。
信頼できる内々の情報をお金でやり取りするというもの。
情報屋と呼ばれる存在である。
「………ああ、でもその目をみれば分かる。ま、取り敢えず座りなさいな」
「察しが良くて助かるよ」
この情報屋が頼れる者かどうかは、確認してみなければわからない。
彼は無暗に自分の望みを伝えない。
相手の存在を見抜き、相手にとってそれが必要であると思う情報を提供してくれるのなら、金を払ってでも厄介になる存在として認められる。
パトリックの鋭い眼光は、どうやらその情報屋にも理解というのを呼び起こしたものらしい。
男は机の傍から大きなポットを持ちだし、一つの湯飲みにその中身を注ぐ。
とても黒ずんでいて何が入っているのかが分からないようなもの。
「お前さん、コーヒーっていう飲み物は知ってるか?」
「こーひー?……さて、何だったかな」
「まぁいいさ。東の文明が進んだ大陸の特産品らしくてな、俺は気に入って飲んでる。苦いのがイケる口なら問題ないが、どうするね?」
「じゃあ、頂こう」
発音さえ微妙なパトリックだったが、そこは興味本位で頂くことにした。
東の文明の進んだ大陸の特産品、と呼ばれるコーヒー。
よく分からないがその黒ずんだ液体はとても苦い。
ごくごくと飲み干せるような、そんなものとは到底思えない。
だが、まずいとも思わない。
熱々のその液体は、少しずつ喉の奥で味わいながら飲むものなのだろう。
勝手にそう思いながら、パトリックは本題に入ろうとする。
しかし、先制したのは男の方だった。
「さてお前さんの求めるものは、こっちの大陸の話ってこった。お前さんみたいに多少歳を取っても衰えない眼光を持った人間はそういるもんじゃあない。それに、この話はあっちの大陸よりもタチが悪い。間違ってなかろう?」
「確かに。それ次第ではここさえ危ないですからな」
「その通りよ。困ったもんだ。でもまぁ、たまにこっちの話をするってのも良いだろう。んで、コーヒーの味はどうだい」
「………まぁ、いいでしょう」
まずいとは思わないが、果たしてこれは何から作った飲み物なんだ?
そう思いながらも、少しずつ口をつけていく。
正直なところ、自家製の茶葉があるパトリックからすると、あれに勝るものは無いのではないか、と思えるくらい別物の飲み口であった。
それも楽しみがいがあると言えばそうなるのだろうが。
情報の話に関しては、面白い事情があるようだった。
この男が言うには、大体皆が金を払ってまで求める情報というのは、異国の話。
つまり、この西側の大陸でない東側の大陸の話だという。
無理もないことだ。
ここより遥か遠くにある土地の話を知る者がいるのなら、誰でも知りたがるだろう。
西側大陸にはウェールズ王国という大きな国家が存在していることになっているが、東側はまた別の国家があることだろう。
ここより文明が栄えている可能性も充分にある。
だが今のパトリックにとって、それは大して必要な情報ではない。
「………やはりな」
「なんだ。お前さん想像してた通りか?」
「ある程度は。だが、まだ生き永らえていると聞いて少しばかり安心したさ」
そして。
パトリックは、二人に持ち帰るための情報をあっという間に仕入れることが出来た。
果たしてこれが彼らにどのような影響をもたらすものだろうか。
あるいは、これもキッカケの一つとして、アトリは受け取ってもらえるだろうか。
パトリックはそう思いながら、代金をその場に出す。
だが、情報屋としての情報提供は殆ど無かった。
何もこの男が全くの無知であった訳でも無く、ただ要点だけを先に伝え内々の事情を伝える前に、
パトリックが納得してしまったというのもある。
「こんなにもらえんよ。大したことは話してないんだ。お前さん、一応こんな身なりな俺にもプライドってのはあるんだぜい?」
「いや、もう一つ尋ねる。というより、やってもらいたいことがある。これは極秘でお願いしたい。その分の前金だと思ってくれれば良いんだ」
「………?」
その男にどの程度のプライドがあるか、など関係ない。
だが出来ることは先に手を打っておきたい。
この場所には中々来ることが出来ない。対策は打つが、そう何度も来られるものではないだろう。
既にパトリックはこの先の展開を頭の中で推論立てていた。
現在の西側大陸の現状と、先日ポーラタウンで発生したこと。
彼ら二人の状態や、これからの大陸南西部の状況。
これらを総合して、パトリックなりに考えることがあり、その結果の情報屋への依頼だった。
――――――――ある人を探して欲しい。期間は2週間。2週間後に、またここに来る。
………。
一方。
朝から昼間にかけてどんよりとした空だった様子が変わり、
今は雲が所々に浮かんでいる程度で綺麗な晴れ間になっていた。
アトリとフォルテは、いつものように魔術鍛錬を同じ場所で行い、
夕刻その帰りを迎えていた。
今日は期待できないであろうと思っていた夕陽を今、二人は見ながら本家に向かって歩いている。
真っ赤に染め上げられる綺麗な空を見上げながら、二人は他愛のない話をする。
「………ってね。あれはよく好かれる人だったのさ」
「そのような方がいたのですね。アトリは、その友人を見てどう思ったのですか?」
「え、俺?」
話は、アトリの兵士時代の話。
果たしてこれを他愛のない話と呼んでいいのかどうかは分からないが、少なくとも穏やかな心持ちで二人は歩きながら話をしている。
雰囲気的には、何気ない日常のひと時というものだろう。
話の内容は、とある同世代の男の話。
剣の腕が達者で冷静沈着なところもあれば、活発的で明るい一面も持ち合わせる少年。
上がり下がりと言うべきか、切り替えがとても上手な男で、男性兵士からはよく慕われた。
だが、話の本題はそこではない。
その少年が女性からよく交換を持たれていた、というものだ。
フォルテがその話に少し興味を持つような反応を見せたので、彼もその人に無許可でその話をすることにした。
「俺は何も。仲が良いのは良いことだよね」
「そ、それはそうですが、アトリの方へはどうだったのですか?」
「なに、その女性たちが俺に、ということ?」
「はい。隠さずに教えて下さいっ」
その少年の名は、グラハム。
アトリが信頼を置いている少年の名前で、彼が死地の護り人としての役目をこなしている間、
グラハムもまた自国の領内を転々としながら警備活動を務めたり、王城直属の派遣者として、地方の
状況確認をしていた。
今でこそ戦時下のため、離れ離れとなってしまったが、城内で会う機会があった時は、グラハムと立ち話で花を咲かせたものだ、と彼は思っている。
そこへよく乱入者が現れるのだが、それがグラハムに好感を持つ女性だ。
女性にも色々と種類があって、同じ女性兵士や召使、食堂の専属女性調理人など、ありとあらゆる女性がグラハムのことを知っている。
アトリがフォルテに話した内容は、グラハムのことを知った多くの女性はグラハムを好きになってしまうのだという。
彼が凛々しい姿に優しさを兼ね備える、無敵の存在だったから。
城内で一目置かれる存在ではあるが、それ以上にグラハムを知りたがる女性も多かったのだと言う。
と、勝手にグラハムの話を持ちだした彼であったが、
何故か話の流れはアトリの方へ行く。
それも、彼女が主導権を奪うような形で。
「隠さずって言っても、なぁ………俺は地味だったのか分からないが、好感を持たれたことは無いな。話しかけてくれる人はいたが、それは立場あってのことだろうし」
「その、グラハム殿を見て、羨ましいとか思ったことはないのですか」
「んー……ない、かな。それは彼らの関係であって、俺に係るものではないだろうから」
ある意味で気配りが出来ているというが、ある意味で全く興味を持たなかった可能性がある。
彼女はそのように考えていた。
これは単純にアトリが自分に対しての評価や思い、気持ちに対して疎いだけなのだろうか、と。
そうでなければ、自分より他人などと言わないとは思うが、今はその話は置いておく。
「なんだかアトリは変です」
「そんな直球に言わずとも……」
「普通の男性なら、そんな友人の姿を見て羨ましいとか、自分も、とか思うのではないのですか。私はそのように聞きました。それが普通なんだ、と」
………待て。
因みに、それは誰から教わったんだ?
と、彼はほぼ確信しながらも念のため確認する。
「パトリックです。彼の人生観が妙でなければ、普通はそれでいいんだ、と」
だろうな。絶対そうだと思った。
一体あの人はフォルテがここに来てから何を教えているんだ………?
つまりパトリックはそういう人の姿を見て、自分もあのように、と思ったのだろう。
何となく婚約者がいない今を生きている彼の事情が分かってきたというか、察するものがあるというか。
パトリックワールドがすべてではない、ということをフォルテに伝えると、彼女はくすくすと口元を手で隠しながら笑顔を見せた。
確かに、それもそうだと。
実際は彼女の考える通り、彼が自分のことに対して疎いばかりである。
彼のことを気にする女性が全くいなかった訳では無いが、彼にはそういったものが上手く伝わっていないらしい。
無論、気遣いや心配といった点では、それらが自分に向けられていることを感じることはある。
だが、日常生活に至るものについては中々思いつかないし、気付かない。
彼に対するそういった評価は、フォルテに限らず他の人たちもしていたことだ。
直されるものでもなく、直らない理由も分からない。それは、彼の根源を知ること以外には。
「ま、まぁ……パトリックさんはそれなりの人生だったということで。でも万人がそうとは限らないぞ」
「そう、ですか。単純そうに見えますが、色々と複雑なのですね。ところでアトリ、貴方は――――――」
――――――――誰かに恋することなどは、なかったのですか?
………。
それは、あまりにも偏見を被った考え方だった。
男性としてよりも、人として目の前にいる少女を見縊っていたとも言えるだろう。
その言葉にまるで時間が停止し、呼吸を忘れたくらい。息を飲むことしかできないその最中、
心の鼓動が一つの単語に反応しているのが分かる。
その言葉が彼女から発せられたものだと知ると、それがあまりにも意外だと思ってしまった。
前にも別の内容で同じように、彼女に対して意外だと思ってしまった一面がある。
フォルテという存在の過去を知って、そのイメージに反すると。
だが、逆に考えよう。
彼女も人並みのことはもちろんある。
寧ろそれを教えてくれたある人に感謝しなければならない。
彼のように、かつて恋というもの、いや、人を好きになるということそのものを知らなかった、道具とは
違うものなのだから。
あらゆる感情の中でも、一つの気持ち、思いが疼く。
内なるものに秘められたそれが、外から何か痛みを伴うような刺激を受ける。
その内面がもし、そのある一つの正体だとするのなら。
そう思い始めたのは、果たしていつの頃だろうか。
………。
3-35. 気付かぬ本音




