1-8. 死地への警戒
「奴らも間違いなく侵攻してきているし、最近はそのペースも早いように思える。アトリは遭遇しなかったか?」
「いや、遭遇までは…」
「そうか。俺たちも奴らとは会わなかったが、別に出兵している兵士たちは、奴らと遭遇して相当痛い目を見ているらしい」
ウェールズ王国の兵士たちは、見習いから一人前になるまでに多くの訓練を受けている。生半可な気持ちでは最終段階には辿り着かない。
しかも、兵士になることがゴールではなく、そこが始まりと言っても過言ではない。
兵士になるために相当の訓練を受け、そうしていくうちに自分たちを護れるほどの力を持つことが出来る。
だが、兵士になるということは、国からその生涯を保障されつつも、国に忠誠を尽くすということと同義である。
国のための剣となり身命を果たす。
それが国の危機に直結することとなれば、尚更立ち向かわなければならない。
どのような理由で兵士になるのかは個人の自由だが、根底にあるのは国の為に戦い抜くことである。
国とは強大で広大な力を持つ自治領地。
他の地方とは比べものにならないほど、規模の大きい集団社会。
それを護るには、兵士たちの力がどうしても必要だった。
だからこそ、兵士を養成し一人前にしなければならない。王国は今その段階を出来るだけ早めに進めている段階だ。
それには理由がある。
国という大規模な集団がある。国の傘下に入る直轄地は、当然国の意向に従いながらその生活を保障される。
自治領地の場合は、国に対し支援を要請することで、一時的に兵士を派遣することが出来る。当然それに掛かる資金や物資などの提供は受けるのだが、人の命と自分たちの領地が取られることに比べれば、遥かに安いものであった。
それを理由に最近では自治領地も王国の支援を受けようとする動きが目立つようになってきた。
だが、同じようなタイミングで、王国にとっての「脅威」が自国の領地まで迫りつつある。
それが、奴らと呼ばれる者たち。
「強い、のか…」
「あぁ。対人戦では俺たちよりはるかに上だ、とか。人間離れした動きをする、だとか。とにかくいろんな噂がある」
相容れない自治領地が自治領地を襲撃するのと同じように、王国の体制などを良しと思わない勢力がいるのも、確かなこと。
居ても不思議ではない。誰からも好かれ憧れるような人がいないのと同じようなもので、国として認めたくない人々がどこかに居てもおかしくはないのだ。
王国としては、そうした人々を相手にするのではなく、基本的に受け身姿勢を保ったままでいる。態々相容れない者たちを自分たちから追い払うことはしない。
が、自治領地や直轄地の防衛、またはこの先間違いなく脅威となる相手の接近時には、それに対応しなければならない。
兵士たちが奴らと言う存在は、確かに王国にとっては敵対する存在であり、脅威でもあった。
しかし相手にしている兵士がどのような特徴のものであるのか、それがどの程度の人数で編成されているか、などといった詳しい状況は今も正確には分かっていない。噂は一つの情報源にはなるが、それを鵜呑みにすることは危険も伴う。
「戦ってみないことには分からないことも多いが…とにかく警戒するべきだ」
「…その方が良さそうだ」
死地へ赴く時は、相手が自治領地の人間だけとは限らない。
そのような状況が任務を更に困惑させる原因にもなっている。
いずれにしても死地での戦闘は今後苛烈さを増していくだろう。
その予測は充分に立てられていた。
「あ、グラハム様お疲れ様です!アトリ様も」
と、二人が会話していたその時。
夜遅くながらもまだ働いている小柄な女性召使が通りかかり、二人に声をかけてきた。
二人の会話内容を聞けば恐らくこのように笑顔を向けて挨拶をすることも躊躇ってしまうのではないかと思われるが、
どうやらそれは聞こえていなかったようだ。
逆に彼らとしてはその方がありがたい。
グラハムが声をかけてお疲れ様、と言うとアトリはその場でごく浅く一礼した。
正直召使だけでもかなりの数いるので、すべての人の名前などを覚えることは難しい。アトリにはその人との面識がほとんど無かったが、グラハムにはどうやらあるらしい。
その証拠に親しく話しかけている。
「相変わらずこんな時間まで働いているのか。全く…仕事熱心だなお前は」
「いえ!楽しくやらせてもらってますので!今日はグラハム様も戻られたと聞いて…無事で良かったです」
「俺はいつも何とかなっている、気にするほどではないさ」
二人が話し始めると、もうその少女にとって自分は眼中にないのだろう、とアトリはその場で思ってしまった。
その少女の目は輝かしく、男性を前に見せる仕草も清楚な女性のイメージで、まるで乙女のような振る舞いであった。
よっぽど戦場から帰ってくるその兵士を心配していたのだろう。
安堵の表情と喜びの気持ちが姿に現れている。
兵士たちが城を空けて各地に出征しているという話ぐらいは、この城に仕えている使用人や召使たちの間では知れている。
戦いに行くために出撃していく。そのため、ある時は悲しい話もしなければならない。知らなければならない。
そう思うと、今の自分の身がこの世に存在しているだけでも、まだ良いのだろう。
グラハムとその少女の話は続いているが、アトリはその場を静かに去る。
実を言うと、グラハムはその容姿や性格の良さから、女性たちの間では人気である。誰に対しても親しいその立ち振る舞いや気遣いがポイントになっている。そのような話はアトリも聞いたことがある。
もっとも、グラハムは誰に対しても優しく接しており、それ以上の関係を築こうとはしていないようだが。
そう。
誰かの為に誰かのことを思ってくれることは、嬉しい。
それは純粋な気持ちとして認めても良いだろう。
時にはそれがお節介だと言われることもあるかもしれない。
だが、その果てにその人たちが求めているものを、成就出来るのなら。
救いが訪れるのなら。
そのために行動することは、喜ばしいことだろう。
こうして、アトリの一日は終わりを告げようとしている。
グラハムと別れた後、またフロアを回りながら宝物庫の通路の警備を行っていたが、それから時間が経過しても特に異常は発生しなかった。
それが当然と言えば当然なのだが、念には念を、という言葉もある。
その後、夜更けとなり上士へ報告しに行く。
「そうか。この時間までご苦労だった。もう皆は寝ているか?」
「はい。フロアにはほとんど人はおりません」
相変わらず完全武装の男、アルゴス。
威厳のあるその姿には部屋の空間そのものが緊張感のある空気に満たされていた。
もとより上士とはそう言う存在なのだ、と言われると少々語弊があるかもしれない。
だが、少なくともアルゴスはそのような人物だ。
確かに部屋にいる時も外に出ている時も、完全武装をしていて仕事を忠実にこなしている、というのがアルゴスの本来の姿なのだろうが、彼とて人間。そればかりではない。
幾ら非武装姿を見せないとは言っても、常に仕事のことだけを考えている訳ではない。
「お前は若いのによくやる。他の連中もだが、最近は若い者が活発になっている」
「…」
「働く者としては、若くても全然いいのだ。だが戦う者として働くことになれば話は別だ。戦う時が必要となれば死地へ人を送り込まねばなるまい。たとえどれほど若く経験の浅い兵士であっても、それが国の危機ともなればな」
―――――兵士とは戦う道具。もとより、人を護るために人を殺す道具だ。
それは、アルゴスの声ではない。
彼の記憶の中で再生された、彼の中だけの言葉。
いつの日かその姿を見て、その姿をした当事者から教えられた一つの教訓。
その断片的な記憶を、確かに彼は持ち合わせている。
昔も今も、そしてこれからも。
遠い昔から今に向けて発せられているような、そのような言葉を彼は忘れることは無かった。
そんな光景がふと、頭の中に情景として蘇る。
アルゴスも、アトリのようにまだ人間的にも成熟していない若い兵士を死地へと向かわせるのは、あまり好ましい状況であるとは考えていなかった。
出来るのなら歳を取り経験豊富な兵士たちが死地へ出向いた方が安心もする。
しかしそれでは若い兵士は育たない。
国が安定的に防衛力を築き維持させるためには、戦う兵士が必要。
兵士となった瞬間に役割の大元は決まってしまっているのだ。
「アトリ。また一つ、頼まれてくれ」
「…?」
そういうと、アルゴスは机の上に大きな古びた紙で描かれた地図を広げる。
一体どのくらいの間これを使い続けているのだろうか。
地図の端が所々破れている。
地図を出されると、アトリは無意識に今自分たちのいる王城の領地に視線を向けた。
広大な大陸。恐らくは正確に記されてはいないすべての地域も、この王国の領地はハッキリと地図に記載されている。
古びた地図であっても、人が新たにその地図の上に道を書き足すことなど容易い。
ウェールズ王国の領地は確かに広いのだが、人が回ってすべてを把握できないことは無い。
「まず一つは、お前が数日前まで戦っていた相手の領地を偵察して欲しい」
「偵察…それは…」
「ああ、分かっている。敵として戦った相手のもとにノコノコと顔を出せば、殺される危険性はあるだろう。しかし奴らはお前と領地の民と戦い、その戦力を失った。いわば死に体だ。そこに住む住民に変化があれば、知らせて欲しい」
アトリは今日帰って来てアルゴスに死地での戦闘を報告した。
結果は両方の領地の自警団、防衛を担う民たちは全滅。生き残ったのはアトリのみ。
そしてアトリは死地での戦闘後、領主のもとを訪れ、領主は王国の直轄地としての認定を頂きたいと要請してきた。
その要請を受諾するかどうかは、彼らが戦い続けた敵となる自治領地が、今どのような状態にあるのか、にもよる。
たとえば、二つの自治領地が同時に戦い、どちらかが敗れたとする。
飽くなき殺し合いの結果、片方の自治領地が敗北し直轄地としての認定を受けるべく要請をする。
その片方の要請を受諾すれば、自治領地の戦いで勝利した敵の民たちは、次に王国を敵に回すことになる。
過去、死地での戦いにおいてこのような例は存在している。
まだアトリやグラハムが遭遇した事案とは異なるものであるが、戦いが続いていく以上そのようなことも起こり得る。
さらにたとえるなら、自治領地から王国に支援を要請され、その領地に兵が派遣される。兵士たちと自警団などの活躍により、相手の自治領地の兵士たちを倒すことが出来た。
その時、相手の自治領地から王国の直轄地としての認定が来る場合がある。
しかし、この場合には王国はその相手に手を出すことが出来ない。
あくまで死地での戦いは、自治領地同士の戦い。王国はその支援をするというだけで、施政には干渉しないというのが常。
よって、勝利者となった自治領地側に、相手方の処遇を担当する権利がある。
このように自治領地同士での戦いはやや複雑な関係が挟まれることになる。
王国としても直轄地として管理するかどうかは慎重に判断しなければならないことで、故に兵士たちはその判断を下す立場にはなく、本国にその報を持ち帰って判断を仰がねばならないのだ。
兵士たちに自治領地の体制を変える力は、基本的には無い。
直轄地としての認定は、必ずしも通る訳ではない。
「もしそこに民がいるのなら、接触する必要は無い。今も生活し続けているようであれば、それを報告してくれれば良い」
「はっ」
「そしてもう一つ。新たに自治領地から要請があった。ここに出向き指示を仰ぎ、民たちの力になってもらいたい」
二つ目の任務は、死地にある民の防衛であった。
今日戻ってきたばかりだと言うのに、早くも別の自治領地から要請があったのか、と彼は心の中では溜息をつく。
だが呼ばれているということは、そこに助けてほしいという人が間違いなくいる、ということでもある。
行かない訳にはいかない。
アルゴスから場所を示される。
場所は一つ目の任務で訪れる地域よりも、更にずっと奥深く。
王城から東側に抜けて遠くまで行くと、大自然の中に存在する自治領地が数多くある。
馬を走らせても2日程度はかかるだろう、という場所からの要請であった。
王城を北側に向けたとして、その土地から大陸の東側に向かっていく地方は途中大きな川ややや荒れた荒野を通り、その奥には山地がある。
平地の大自然とは違い地形も異なるため、行き辛い場所となっている。
特に山岳地帯は小さな集落、それも自治領地と呼べるかどうかも怪しい小規模な集団が生活する場所という認識が共通してある。
東側には直轄地があまり無く、死地として戦闘が行われている地域が多い。
要請があった自治領地については、まだアトリは詳しく知らない。
そういう場合には図書館にある情報を参考にするといい、とアルゴスは常に言っている。
図書館には大陸の中のあらゆる情報が報告された書類がある。
少なくとも自治領地の規模や地形などは把握できるし、どのような生活をしているのか、相手の規模はどのくらいか、などは情報から想像することが出来る。
いずれにしても一度確認する必要はあるようだ。
「既に別の部隊がその近くの自治領地にいる。4日後までには合流し、まずは偵察の報告を伝令役に済ませること。それ以降は現場に任せる。…もっとも、お前が辿り着いた時には戦闘が始まっていた、とならないことを祈りたいが…」
アルゴスは要件を言い終わり、彼に退出を命じた。
このような夜更け、しかも仕事がちょうど今終わったばかりと言うのに、新たな仕事がこうして入ってくる。
そして、今の彼にとってそれは本来の仕事の一つであっただろう。
この任務は移動時間がかなり長い。地図で見た感じ、馬を走らせて休憩などを挟んだとしても、2日程度は掛かるだろう。
ここを離れて4日後に到着しなければならないとすれば、最悪でも明後日には出発しなければ間に合わない。
アルゴスは時間を指定してくるが、それは現地で戦闘が発生してしまえば時間など間に合わなくなってしまう。
この場所から準備などを含めて、出来るだけ早く合流する必要がある。とすれば、出来るだけ無理のかかりすぎない程度に、短い時間で到着しなければならない。
そのために目安を示している。
その後、疲れた体を引きずって、彼は自室に戻る前に図書館に立ち寄る。
王城の中でも下の層に大きなフロアを使用している図書館。
兵士たちはもちろん、王城に勤める者たちであれば誰でも利用することが出来る。
図書館への扉を開けると、視界の奥まで高々と連なる本棚が並んでいた。左右に並ぶ本棚に、中央には椅子や机などが置かれている。
もっともこの景色は見た目だけで、もっと奥まった空間もある。
至る所に火が灯っていて、フロア全体を明るくしている。
こんな夜更けだと言うのに、まだ2名の司書が受付近くで作業をしている姿が見られる。アトリは挨拶をして中へ入っていくと、早速大陸の報告書類を探し出す。
本の数は膨大で、文学などの教養から学習面を支援するもの、そして歴史などを書き連ねたものもある。
大きな棚の中から該当するものを選び、アトリは奥の閲覧スペースへと行く。
―――――さて、どうするか。
今回派遣されることになった地域の地図をまずは見始めるのだが、その時。
―――――こんな時間まで勉強熱心だこと。アトリくん?
突然、背後で彼の名を呼ぶ女性の声がした。
1-8. 死地への警戒




