表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Broken Time  作者: うぃざーど。
第3章 ボーイ・ミーツ・ガール
89/271

3-34. 二人の距離感(Ⅱ)






11日目。

パトリックがサウザンの町へ行ってから4日目となる。

順調に進んでいれば、今頃もう町の中にいるか、限りなく町に近づいている頃だろう。

流石に買い物だけをしてすぐに帰って来るのであれば、長い行程がもったいない。

恐らくそれ以外の目的を持ちながら、そしてその目的を町で遂行することだろう。

とにかく今はパトリックの無事を祈るだけだ。

一方、昨日までの二日間は、アトリとフォルテにとっては意味のある、とても深い一日となった。

お互いがお互いを知る機会を得て、どのような立場に立たされ、どのような経緯でこのような姿になったのかを分かることが出来た。

それは、聞いているのも辛いことばかり。

壮絶な経験を積みながら、それでも二人はここにいる。

お互いに「自分という存在を軽視し続けてきた」ようなもので、似たようなところが幾つもあった。

だからこそ、お互いがお互いの異質さに気付き、分かり合うこともあった。

新しい発見と言えるのだが、元から本当は存在していた、ごく当たり前のことだったのかもしれない。

自分のことを大切に、などというものは。





「おはよう。フォルテ」




「おはようございます、アトリ。今日もいい天気ですね」




「あぁ、そうだな。作業にはぴったりだ」






今日もまた、一日が始まる。

もう既に二人が本当の意味での出会いを迎えてから、20日以上が経過している。

彼は彼女に助けられてから目覚めるまで、10日もの時間が掛かった。

それを含めると、既に最前線から一ヶ月近く離れていることになる。

完全に遅れた立場を取らざるを得ないのだが、逆にそれを利用して調子を取り戻すどころか、

今まで以上に力をつけることに成功している。

彼の調子はもう殆ど戻っており、魔力のコントロールも万全な状態に近づいていた。

自然回復の方法もしっかりと理解し、魔力の貯蔵量を自分の中で感じることも出来つつある。

あとは、これらすべてをいかに万全な状態を保ち、最前線に戻るか、だ。

彼は昨晩、彼女に伝えた。

パトリックがこの家に戻ってきたら、自分はいるべき場所へ戻る、と。

つまり、もうあと一週間程度で彼はこの家を離れて行くことになるだろう。

いざその時が訪れると、彼女の中では様々な思いが募って来るのだが、その時が来ることは

容易に想像できていた。

彼はここに留まるような人ではない、と。

ここでの生活は新鮮なことばかりだが、同時に違和感でもあるだろう。

彼の理想の点からいうと。

だが、その生活も彼の中ではもうすぐ終わりを迎えようとしている。

本来いるべき場所――――――――死地となるであろう場所に、彼は戻らなくてはならない。





彼女はそのことに対し、自分の中でも納得の出来ない何かを感じ、心の中でもやもやしていた。

このままでは良くないと思いながらも、それが何かと言われると分からない。

そんな、今までに経験したことの無いような、妙なもどかしさを彼女は感じていたのだ。

それは、彼にとってのこの11日目でも、多く感じることになる。





「あ、フォルテ。その荷物は俺が運ぶ」



「で、ですが」



「いいんだ。重たい物は男が持つってね。フォルテは使った道具を洗ってきてもらえるだろうか」




「………は、はい。ありがとう、ございます」






ん?



と、彼は道具をまとめて井戸水のある方へ歩いて行った彼女の姿を見て、何かふと疑問に思う。

本当に相変わらずの黒スーツ姿。髪もいわゆるポニーテールというもので、後頭部で縛って尻尾を下ろしているよう。

彼は彼女の返答がどことなく曖昧だったような気がしたので、思わず彼女の顔を見た。

彼女の目は髪で少しばかり隠れていて、その顔を窺うことは出来なかったのだが、何かいつもとは違うものがあった。




………?

何か変なことでも言っただろうか。





いつもとは違う顔。

彼女は少しばかり頬を赤らめていた。彼はそれを一瞬だが見ていた。

何か、顔を赤くするようなことでも?

と、素直過ぎる疑問が彼の頭の中に生まれるが、とにかくも作業を進めることにする。




その日は午後から剣と魔術の鍛錬をしようと、彼から彼女に提案した。

彼女も「アトリがそう言うのでしたら」と快く受け入れ、午前中は掃除や倉庫の整理、農作業などを行った。

この日は本当に天気が良く、少し気温が低く感じて逆に空気が澄んでいるように思えた。

風が吹き、大地が風で踊る。

彼が彼女に対して「いつもとは違う何かの違和感」を感じたのは、同じ日に次の一件があった時だ。





「この魔術は付加価値ですが、これと同じ魔術を行使できる魔術師も、世の中にはいると聞きます」



「実物の具現化を?」



「はい。私が出すものは簡単なもので、しかも長持ちしない。ですが、この道に長けた魔術師であれば、長い時間具現化していられる。1日や2日など」



「それは凄いな……投影は現実世界と干渉するから分不相応になりやすいって聞いたのに。それが出来る魔術師は相当に優れているんだろう」



「私も優秀な魔術師を見習うべきですね。ただ私も劣っている、と思っている訳ではありませんがっ……」






それは、午前の時間から飛んで午後に入った後のこと。

予定通り作業を終わらせ、いつものように鍛錬が出来る場所へと向かっている時のこと。

何十分もあるくような道中ではないが、二人は会話をしながらその場所へと向かっていた。

いつもの川沿いのところ。

彼女が自分の魔術の付加価値、世界に実際にあるものを現実世界に投影して具現化させるものを

彼に説明していた時のことだ。

いつかアトリにもこうした型にはまらない魔術の付加価値が、見つかるかもしれない。

実物の具現化は大した参考にはならないが、その可能性があることを彼に話していた時。





「あっ………」




「………!!」





彼女にとってはほんの一瞬の出来事だったが、彼にとってはそれが妙に遅く感じられた。

彼は彼女の左斜め後ろに僅かな距離を取って歩いていた。

確かに、それが起こる可能性はあっただろう。

自分たちは今、いつもの川沿いの練習場へ向かうために、全く整備のされていない自然の上を歩いている。

自然の上だからこそ、人の手の行き届かないものがある。

つまり、整った道を歩いているという訳では無い。

だがまさか彼女がそこでそのようなことになるとは、彼も予想していなかったのだ。

彼女は自分の右足が地面に取られ、体勢を崩した。

「あっ」と声を発した時には、既に手遅れ。崩れてしまった体勢は回復不能なところまで落ち、

そのまま地面へ身体の全面が激突するかに思われた。

だが、アトリがこれにすぐ気付き、彼女のいわゆる「うっかり」に驚きながらも、

倒れて激突する前に左肩を掴んでそれを止めた。





「っ………!!」




「……ふぅ。大丈夫かフォルテ。君にしてはめずら―――――――」






………???




あ、いや。

俺が掴んだところも悪かったのかもしれないが。

そんな顔をされると、どうすればいいものか、少し考えてしまう。




彼は彼女の転倒を彼女の左肩を掴んで止めた。

その後言葉を発しながら、今度は両肩を掴んで体勢を元に戻させる。

戻させたはいいのだが、妙にフォルテはだんまりしてしまっている。

いつもの君にしては珍しい。

彼はそう言いかけたのだが、その言葉が途中で思わず止めてしまうほどの、違和感を感じた。

何も彼女の調子が悪いというような違和感ではない。

フォルテは、表情こそ薄いままであったが、その頬が赤くなっている。

無論そばで見ていたアトリもこのことに気付く。

俯き加減でアトリの方を見ようとはしなかった。

そのまま何もしなければ間違いなく転倒していたので、すぐに手を出してしまったが、

彼はその顔を見るなり――――――――。





「あ、あぁすまない」




と、両肩に置いていた手を放す。

自分の迂闊さに悩まされているのか、あるいはもっと単純なことか、あるいはもっと複雑なのか。

彼には彼女の今ここで思っていることが、よく分からない。

だが、そこに間違いなく違和感があるというもの、何か考えていることがあったのだろう。

彼は特段深入りすることはせず。

ただ、彼女の言動からその違和感は更に続く。





「い、いえ。ありがとうございます。その、助かりました」





………妙だな。らしくない、というか。






――――――――それともこれは、何か女性っぽいということなのか………?





その言葉は当然自分の中だけで発せられたもの。

そう考えるだけでも失礼に値するものだから、決して発言として口に乗せられたものではない。

アトリから見て、今この瞬間のフォルテというのは、何か今まで見たことの無いような姿であった。

先日の件もある。何か心境に変化があってのことなのだろうか、と考えなくもないが、

彼女に対するイメージとは違うものが垣間見える。

それは悪いことではないが、妙と思えるものではあった。

アトリは、彼女の良さを自分で見出した限りは理解しているつもりだ。

確かに今までの生活が尾を引いており、性格的にはまだ控え目なまま。

だが本当はもっと違う一面があるだろうと信じながら、彼女の為に何か出来たらと思っている。

女性的な魅力と言うのであれば、彼ははじめて彼女を見た時、思わず思考が止まってしまうほどだった。

家事も出来て剣術魔術に長けた能力の持ち主。細身ながら背もそう低くはない。

勉学にも励み、内心では人思いの強い人だろう。

だが、今日見る彼女の姿というものは、まるでこのイメージに新たに追加されていくようなもの。

ああ、そうかこういう一面もあるのか、と。

しかし、それだけで納得できない何かがアトリにはあったし、恐らく彼女も何かモヤモヤとしたものを

抱えているのではないか、とアトリも考えていた。





実は、もっともっと単純なことだったのだが。






その後の鍛錬はいつもと変わらぬ様相だったが、

何となくその違和感というものは残り続けていて、彼女自身何かおかしなものを感じていた。

張本人であるにも関わらず、その中身がよく分かっていない。

だがこれだけは言える。

何かこう、意識し過ぎている気がする、と。

アトリと過ごす時間は恐らくもうほとんどない。

あっても精々一週間程度だろう。そうすれば、彼はいるべき場所へ戻る。

それが現実味を帯びてきた今だからこそ、より一層意識してしまっているに違いない。

今自分がやらなければならないこと、このままでいいのかということ、様々な要点を含んでのことだ。



さらにその後。

鍛錬を終えた二人は本家まで戻り、食卓の準備をすることになるのだが。





「アトリ。今日は私が準備します。少しゆっくりしてきて下さい」




「え、しかし良いのか?二人分とは言っても……」




「構いません。今日は、色々と世話になっていますから」





彼女はそのように話してきた。

彼は今日もいつものように、一緒に夕食の準備をするものだと思っていたのだが、

フォルテは食事まで少し休んでいて欲しい、と彼に話したのだ。

今はパトリックもおらず、二人分の食事を用意するのに彼女ならそんなに手間取らないだろう。

しかしそう言われるとは思っておらず、驚いた。

だが、そんなものより何より驚いたのが、彼女の表情だった。

色々と世話になっているから、そう言い彼に顔を向けた彼女は、少しの笑みを見せ、何か

感謝を示しているような顔をしていた。

自分も手伝おうという気持ちはもちろんある。だが、そんな顔をされると、逆に彼女のそれに

応えなければならないのではないか、という思いも生まれる。

彼女のせっかくの厚意なのだから、と。





「そ、そうか。分かったよ。先に湯でも沸かすとしよう」





彼は彼女の提案に応え、先に風呂に入ることにした。

時間的にもちょうどいいくらいだし、彼女もいつもなら食事後に風呂へ入るのだ。

今入っておいて不都合なことはないだろう。

先日、その風呂場で危なげな展開があったが、先に入っておけばそのようなこともない。

彼は礼を言い、居間から離れる。

それにしても………。





こんなにも早く、表情が生まれてくるとはな。





昨日までの二日間が、彼女にとっても大きな影響を与えることになったのだろう。

正直彼は、彼女が自分というものを出し、表情を見せるのには時間が必要だと考えていた。

今まで何年もの間、自分自身を封じ込めてきた人が、そう簡単に自分を表すはずがない、と。

自分勝手な思い事ではあったが、恐らくはそうだろう、と。

だが、意外にも彼女は自らのことに気付いて以降は、今までとは比較にもならないくらいに表情を出すようになった。

今までが無に近かったのだから、その変化は見るだけですぐに分かる。

ささやかな望みや願いなどを口にするようにもなっている。

これほどまでに早く彼女に変化の兆しが現れるのなら、もっと新しい発見も彼女にとって刺激的になるはずだろう。




出来るなら、それがここだけではない世界で、見て感じて欲しいものなのだが。




彼女はまだ、閉鎖的な空間ばかりを経験し続けている。

このパトリックの家や関わりを閉鎖的だとは言いたくないが、正直限定された世界であることに

変わりはない。

ここや元々あったポーラタウンだけでは、外の世界というのを知らないに等しい。

それが、彼の考え方。

逆に言えば、彼が死地の護り人として各地を渡り歩いている分、知りすぎているというのもある。

彼女がより感性を豊かにさせるには、もっと多くの世界のことを知るべきだろう。

その中には、アトリの生き方のように、死地で必死に生きる者を見て、その者たちを護る人の姿を

見るのも、一つの材料となるのかもしれない。

もし、多くのことを知ることが出来れば、きっと彼女にとってもプラスになるはずだ。



そこで。

彼はふと気付いた。




自分は、フォルテにもうすぐここを離れる、と伝えた。

伝えることは必要だし、いつまでもここに居続ける訳にもいかない。

魔術の鍛錬は大詰めを迎え、あらゆる魔術を行使できるようになった。

身体の復調も強化も、今まで以上に進んでいる。

だが、もし自分がここを離れれば、再び彼女はパトリックと二人の生活を築くことだろう。

あるいは、この二日間での出来事をきっかけに自立するかもしれないが。

しかし、少なくとも彼が彼女の為にしてあげられること、というのは、彼がここにいる間に限定される。

彼が彼女に何かをしたいと思い願ったとしても、彼が死地に戻ればそれは出来なくなる。

マホトラスとの戦いに備えなければならないし、その過程でまた多くの人々を護るために、彼は動くことになる。

そうなれば、彼女の為にしてあげたいと思う気持ちの反面、もう彼女には何も関わることが出来なくなる。

果たしてそれは、自分以上に彼女の為と言えるのかどうか。

彼は湯船に浸かりながらそのようなことを考えていた。

いずれは戻らなければならない。その時は確実に近づいている。

そうしなければならないと分かっていながら、それを実行すればこの手から離れて行くものがある。





「………」





彼は一つの可能性を見出した。

だがそれは、心から肯定できるようなものではない。

水の中で彼は拳を握り締め、自分の考えに整理をつけようとしていた。



彼が風呂からあがる頃には、既に彼女が夕食の支度の大半を整えていた。

食卓に入る前から廊下に良い匂いが伝わってくる。

居間に戻ると、「あと少しで終わりますから」と、彼に伝えて待っているように言った。

彼はそれに返答して、そのまま待つことにする。

その声色が優し気なものであった。

そうだ。言われてみれば、少し声にも変化が出ているような………?

などと、一人で考える。





「うん。相変わらずいい腕だ」



「そ、そうですか?」



「あぁ。俺は城にいる時は大食堂で食事をしていたものだが、それより遥かに立派だよ」





前にも何となくこんなやり取りをしたような気がするが、まぁ今は気にしない。

フォルテの手料理が美味しいことに変わりはないのだから。



フォルテは今日の鍛錬の内容によって、どれほどエネルギー消費をしているかも考えながら、食事を作っていた。

彼女とてまだ少女の身でありながら、家事は本当によくこなす人である。

彼も人並みには出来るのだが、彼女のそれは数歩も上を行っていた。

出来るならその料理の手腕を見習いたいほどに。

疲れた身体に美味しいご飯というのは、とても格別な思いを受けさせるものだった。

心から美味しいと思い、これを食べられることを嬉しく思う。

そんな心の中の思いが顔に現れてしまっていたアトリだが、それを見たフォルテが話す。





「それは良かった。アトリに喜んでもらえるのなら、私も嬉しい限りです」





と、彼にそう言葉を返したのだ。

その言葉を聞いた瞬間、思わず彼は反射的に彼女の顔を見てしまった。

彼女はまるで自分だけに視線を向けているような感じだった。

彼を見ることもせず、ただ片手を少し胸からなでおろすようにしていた。

その表情、その姿がどれほど美しいものであったかなど、言葉で表すことも難しい。

見たままの姿だ。

ただの一枚絵であったとしても、それで伝わるものが充分にある。

思わず早くなる心の鼓動を感じながら、彼も彼とて彼女に感謝しながら、ご飯を食べる。





「片付けは任せて。フォルテはいつものように、風呂へいくといい」




「分かりました。お言葉に甘えさせていただきます」





料理を一人で作ってもらったんだ。

これくらいのことはしなければ。



二人は食事が終わると、アトリは片付けは自分がやると言い、フォルテを休ませることにした。

お互いがお互いを気遣うその距離感。

フォルテも、彼がそう言うのならそうしようと思い、いつものように食後の風呂へと行く。

一人でせっせと片付けをし、落ち着いた後は、今日の鍛錬の復習でもしよう。

もうすぐいるべき場所に戻らなければならないのだから。

片付けを終わらせ、少しだけ落ち着いていても、まだ彼女は風呂からあがって来ない。

特に意識することも無かったのだが、彼女は長風呂をする方なのだろう。

アトリは自室前の縁側から外に出る。





「………さて」





基礎は何度復習しても構わない。

大切なのは、それを応用に活かせるかどうか。

誰にでもできることを反復練習しても、成果は期待できない。

だが、反復練習した結果、それが次なるものに活かせるのであれば、効果的と言えるだろう。

アトリは、自身の中で魔力を発動させる。

心を静かにし、周りの音を遮断し、自分だけの世界を作り出す。

これが敵となる対象がいる場合には状況が大きく変わるが、今はその心配はない。

魔力をかけるのは、両足。特に利き足となる右足に強く強化をかける。





「………はっ!」






魔力による強化をかけ、魔力による能力上昇の加護を受け、具体的な魔術行使のためのイメージを施し、それに見合うだけの魔力量を引き出し、そして現実世界にそれを表す。

彼は利き足で思い切り踏み込み、高く飛び上がる。

普通の人間には到底出来ないような高さで飛び上がり、彼は家の屋根まで行く。

そして着地する瞬間、今度は両足に別の魔力効果をかける。

両足に強化を施し、着地する時のダメージを無力化させる。

着地する感覚は確かに衝撃を発生させるが、痛みは伴わない。

屋根の上に着地すると、右ひざをその場で折りたたみ、姿勢を安定化させた。

そこで一度魔力を拡散させ、効力を解除させる。

ふぅ、と一息ついて、周囲の光景を目で確認する。

もう夜が深まっており、目視できるものなどそうそうあるものではない。

ただ、銀色の月が放つ光が、大地を照らしている。その光越しに見えるものはある。

よく見ると、本当に自然豊かなところにいるのだと、再確認させられる。

少し周りを確認したあとは、再び強化を行使して地面へ着地する。

家や地面に傷をつけないように、慎重にしながらも復習は行われる。



と、その時。





「また今日も復習ですね」





と、やってきたのはもちろん彼女。

数日前にもこうしたやり取りがあったはず。

確かその後、俺が風呂に行って………。





「っ………」





今の彼女の姿は、まぁいつものようにスーツ姿であることに変わりはないのだが、

上のジャケットは着ていない。

頭には白いバスタオルを被ったまま。

時折髪をくしゃくしゃとさせるところが、何と言ったら良いのだろうか、という感じだった。





「今の貴方なら、復習せずとも覚えた魔術の大半を難なくこなせるでしょうが……勤勉ですね」



「まぁ、そうだね。フォルテからいまだに一本とれないようでは、まだまださ」



「そんなことはありません。最近では私もより一層本気で励むようにしています。アトリの剣戟は見事なものですし、以前にも増して上達しています」





フォルテは、彼が剣を学ぶ前から、剣を知っていた。

それがいつどこでどのように使われるのかが分からないまま。

純粋な経年で述べるのであれば、フォルテは明らかにアトリより剣術では年上になる。

フォルテもアトリの技量は素直に認めていた。

防御中心の戦闘態勢とはいえ、その踏み込みも力も素晴らしく、特に素早さが桁違いだ、と。

ここ最近の鍛錬では、アトリが優位に立つ場面も多く、彼女は一本取られないようにするために、

今まで以上に力を入れ励んでいたのだ。

まだ彼女に余力があるのかと感心する一方で、まだまだこれからだと思う彼。

良い意味で、鍛錬の相手として不足は一切ない。




いつも、彼女は自分の為に手伝ってくれる。

魔術も教え、剣の鍛錬にも付き合う。

以前までの献身的すぎる彼女とは状況が異なりそうだが、それでも彼女はいずれ来るその時のために

出来ることをし続けてきた。

だから、アトリとしても気になったことがある。

それは、かつて彼女に一度聞いたことがある。

ポーラタウンという、今はもう死地の成れの果てとなってしまった町に行くときのこと。

あの時の、話の続きだ。





「なぁ、フォルテ」




「?はい。なんでしょうか、アトリ」




「改めて聞くのもおかしいかもしれないが、フォルテは自分のためにこれからの生活を過ごそうと思うことは、あるだろうか」




質問の中身として、回答を求めることに対しては不適当な聞き方だったことだろう。

彼女がその回答に悩ませるものと知っていながら、彼はそれを聞いたのだから。

彼女の個人的な、それも小さな望みは聞いたことがある。

だがそれは、彼女の生活と言うより、彼女が過ごす時間の中で彼女がしたい細やかなこと、であった。

アトリが聞いているのは、もっと大きな規模の話。

今後に繋がる話のことだ。

彼が思うこと、考えることに対し、彼女は今の時点でどのように考えているのかが、聞きたかった。





「……、前は自分を護ってくれた人の為だけに尽くそう、そう考えていました。ですが今は、確かにその気持ちに変わりはないのですが、その考えに縛られ続けようとは思わなくなってきたと、自分では思います」





前に彼女にこれとほぼ同じことを聞いた時、彼女はこう言った。

自分にはそのような自由を得る権利などない、と。

この身は助けられたのだから、助けられた人の為に尽くすのだ、と。

その対象がパトリックなのは分かっている。

彼女の経緯を聞けば一目瞭然だ。

だが、今はその縛りを一身に受ける必要もなくなったのではないか、というのが彼女の考えだった。





「……でも」



「?」




「私自身、何をすべきなのかが、よく分かっていません」





いや、違う。

すべきことは分かっている。

そうすることで、きっと見えるものもある。

だけど、そこへ踏み込むことは果たして本当にいいのかどうか。

入ったら入ったで、迷惑をかけることに違いない。

しかし、このまま見送れば、もうその先は何も見えなくなるだろう。



それが、今の彼女の心の内。

その場で明かすことのできなかった、彼女の思い。

明確な方法に近づいているにも関わらず、それが果たして正しいことなのかどうかが分からず、

理解しているが実行することが出来ずにいる、このもどかしさ。






「そうか。これは俺と似たようなものか。幸せを、長い時間かけて見つけていくのと似ていて」




「そう、かもしれませんね」




「ただ、そうだな……もし俺から言えることがあるとすれば、それは」






彼は動きを止めた。

そしてタオルを首に巻いて彼を見ている、彼女の方を向く。

その表情を見れば分かる。

自分のことが分かって来て、でもどうするかに悩んでいて、困っている、その表情を見る。







「出来るなら、自分の望みで、自分の視野を広げてもらいたいな」






………。





3-34. 二人の距離感(Ⅱ)





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ