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Broken Time  作者: うぃざーど。
第3章 ボーイ・ミーツ・ガール
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3-30. 残滓





元より、それが無である訳が無い。

はじめから無になっていたのではなく、意図的に無になったのだと。




アトリは、今まで一切聞くことの無かった、彼女の過去に触れた。

恐らくは他の人にさえ殆ど話したことの無いであろう、彼女の記憶の一部。

パトリックは知っていることだろうが、それ以外に打ち明けることになるとは思わなかっただろう。

彼女自身、自分の過去を打ち明けたところで、何も変わる訳では無いと思い込んできた。

彼は思う、確かにその通りなのだろう、と。

だが肝心なのはそこではなく、自分のことを誰かに話し、その何かを誰かと分かち合うことで、その誰かを頼ることが出来るだろう、ということ。

自分と言う存在を塞ぎ込んだ果てに、根源を失い偽りの自分が完成されてしまった。

そんなことをすれば、もとの自分は自分では無くなる。

自分を殺し、新たな偽りの自分を作り、その自分があたかも自分本体であるなどということは、あまりにも辛く苦しい話だ。

もう、そんなものに追い詰められなくても良い。

今までが間違いなく辛く苦しい道のりだったのだ。

それは、これからも続くことかもしれない。

彼は彼女からその記憶の一部しか聞いておらず、その記憶はたとえ一部であっても事実は消せない。

だとしたら、今度は彼女が彼女自身の為に、自分の時間を使って行くことが大切となるだろう。

自分を塞ぎ込み、封じ込んでいた分、今まで以上にあらゆる物事に敏感になるはずだ。

その過程で、思いがけないようなことも起こるかもしれない。

だが、願わくばそんな過程の中で、今まで得ることを拒否していた、楽しさや嬉しさ、怒りや悲しみといった感情を得て、表に出していってほしい。



………そして。

笑い合い、過ごしていく時間を、得て欲しい。

それを護り、支えることが出来たらと、思う。








その日は時間が過ぎるのも早く感じた。

鍛錬をいつもより少なくして得た、代わりの時間はとても大事なものとなった。

願わくば、この時間が彼女にとって良きものであったと言えるよう。

今の時刻は、夜の9時を過ぎている。

それからの二人は、夕食を共に作り食べ、そして今は解散して自由行動としている。

これはいつもと変わらない日常と言うことが出来るだろう。





「アトリは、食事の腕も良い。感心します」



「はは、フォルテには及ばないな。俺は作らない時期が暫く続いたから、今も自信は無い」



「自信がないのは、私も同じです。ですがこう、貴方の料理は食べていて心地良くなる、そんな気がします」





夕食時には、そのような会話をすることもあった。

そして彼女が今日二回目の、少しだけの笑みを彼に向けた瞬間でもあった。

今まで笑ったような素振りさえ見せることの無かった彼女だったが、今日はもう二度目。

彼はそれがいつもとは違うものだと思うのも失礼ではないか、と心の中では感じていた。

しかし、彼女がこれから笑みを見せてくれるようになるのであれば、それは喜ばしいことだ。

決して他人事ではない。

世の中には笑うのに苦労する人だっていることだろう。

彼は死地でそういった人々を何人も見続けてきた。

余裕のない人ばかりだったから、無理もないことではあるが。

それと比べると、フォルテは確かに悲惨な過去を過ごしてきたようだが、

今の環境が彼女にとってはそう悪くないものだと彼は思っているので、もしかしたら復調も新発見も早い段階で訪れるかもしれない。

彼はそのように考えていた。




食事の後は、彼女はいつものように風呂場へ行き、

彼は自室へと下がる。

自室の前にある廊下は、縁側の役割も担っている。

肌寒い季節になってきた。王国領の北側は、雪が降っていても不思議ではないだろう。

もっとも、その地に戻ることが出来るかどうかは、彼にも分からない。





「さて………少しばかり復習はしておかないとな」





まだ彼女はこの家に残っているだろうが、彼は縁側から出てすぐの庭で、

魔術の復習を行う。

彼女の鍛錬を始めてから、こうして毎晩その日行ったことをもう一度振り返り、その力を確かなものにしようとしているのだ。

今日は昼間のことがあったので、大した鍛錬はしていない。

だが、それでも昨日の復習ということも出来る。

彼は新たにフォルテが行使していた攻撃魔術、魔力弾を作り出すことが出来るようになった。

今まで防御魔術の型に沿ったものばかりを習得していたので、自ら攻撃手段を用いる機会を得たのはこれが初めてだった。

とはいっても、もしかしたらこれが最後の習得になるかもしれない。

元々防御魔術寄りの型を持つアトリにとっては、攻撃魔術は専門外。

魔力弾であれば、魔術行使の基本中の基本であるために、誰でも扱うことが出来るだろう。

そういった類のものが他にもあれば良いのだが、フォルテのように魔力から武器などを作り出すといったことは到底できそうにもない。

彼女はとても簡単そうに魔力弾を手の中で作り、それを射出していたようだった。

だが彼にとっては攻撃手段はまだ慣れないものの一つで、そして彼女と射出方法が違う。

彼は腕全体に魔力を通し、射出したい方へ腕を伸ばして魔力弾を形成する。

やや時間のかかるもので、あまり実戦的ではないと彼は自分の中で思っていた。

流石に敷地内で魔力弾を飛ばす訳にもいかないので、それを作る過程だけを復習する。

威力も彼のものは大したことは無い。

深手を負わすことは出来ないだろうし、直撃した場所にやけどを作り出すくらいなものだろう。

であるのなら、はじめから攻撃手段として用いるのではなく、間合いを作る際のけん制などに役立てようと考えていた。




すると。





「鍛錬ですか?」



「っ………」






鍛錬に集中していた時、縁側に彼女がやってきた。

一人庭で鍛錬している姿を見られた彼は、少しばかり恥ずかしいという気持ちを持ちながらも、

集中力を解いて彼女の方を見る。

だが、彼女の方を見た瞬間に、心の中でドクン、と鼓動が一瞬強くなるのを感じてしまった。

考えても見れば、状況は思いつくだろう。

彼女は服装こそジャケットを着ていないスーツ姿だったが、いつも後頭部でポニーテールのように縛っている髪をすべて下ろし、首元にタオルを巻き、左手でジャケットを手にしていた。

その姿に彼の心の中が少しだけ反応した。

あのように優れた魔術師で桁違いの強さを持っていようと、女性は女性なのだと。





「あ、あぁ。昨日今日の復習、と思ってね」





いかんいかん、言葉に乗りかかっている。

動揺というようなものでもなかったが、彼の微妙な気持ちの変化が口に乗せる言葉に出かかっていた。

変な意味に捉えられても申し訳ないと思うので、出来る限り隠して平常心で話そうとした。





「フォルテこそ、何故ここへ?」



「いえ、魔力の残滓を感じ取りましたので、こちらにいるのかと」



「あぁ、なるほど」






彼女は、彼が一人庭で鍛錬をしている姿を見るのは、これで二回目だった。

前は昼間に剣の鍛錬をしていた時で、彼女はあの時に強い魔力の気配を送り込んで、彼がそれに反応するかどうかを確かめたことがあった。

思えば、既にあの時からこの鍛錬は始まっていたのだ。

穏やかな表情をしているアトリと、こんな夜更けにも鍛錬をしていることに感心するフォルテ。

風呂場と彼が借りている部屋はそう近い訳では無いのに、確かに魔力の残滓を感じ取ってここまでやってきたフォルテ。

まさか風呂上がりに来るとは思わなかったが。






「毎晩このように復習しているのですか?」



「あぁ。その方が身に着くと思ってね。晩は軽く、だけどね」



「立派ですね。ですが、あまり根を詰めないように。無理は身体に毒ですからね」





自分ではまだ行けると思っていても、実は身体の方が拒否しようとしている、というのは無い話でもない。

彼も実際戦場ではそのような経験をしたことがある。

魔術の世界においてもそれは同じことで、前にフォルテも話していたが、万全の状態でない時の魔術行使は効果も薄くなるし、負荷は大きくなるばかり。

それにアトリの場合では、適性が不明という他の魔術師とは異なる欠点を抱えているために、なおのこと状態には気を付けなければならない。

明日も鍛錬を行うことだろう。今はそう集中せずとも良い。





「ありがとう。確かに、それもあるね」



「はい。お風呂が空いていますので、どうぞお使い下さい」



「そうさせてもらうよ」





魔力を収縮させると、アトリはフォルテに言われホッと一息つき、

そして風呂場へと向かっていった。

その場に残されたのは彼女ただ一人。






「………あの人を、成り立たせるための支え、か………」





彼女は突然、そう一人で、誰にも聞こえないほどの小さな声で、呟いた。

それを、彼女は何度思ったことだろうか。

あの人がもし、懸念されている事実を知った時、どんな顔をするのだろうか。

ウェールズ王国の象徴たる王城が、どのような状況になっているかを、知った時。

それを知るのは、正直辛いものがある。

けれど、当事者の彼はもっと辛いことだろう。

知らなければならない。だが知ってしまえば、その気持ちに激しく亀裂が入り込むことだろう。

自分の手で護れる者を護ることが出来なかった。

その手が未熟だったから、力不足だったから、どうすることも出来なかった。

そうして彼はきっと、自分を責めることだろう。

今まで何度もそうした経験を積んできた。だが、今回のはそれと状況が異なる。




もし、自分があの時敗れていなければ、状況は変わっていたかもしれない。

彼一人が戦争に与える影響はそう大きくはないのかもしれない。

だが、それでも彼は戦争の只中において、その中心人物としてあり続けていたはずだ。





「分からないことばかり」





もし、私が聞けば、彼は話してくれるのだろうか。

それを知ることさえ不安に思う私が、何をすることが出来るだろうか………。







――――――――言葉を交わさなければ、分からないこともある。相手の懐深いものなどは、特にな。







分かっている。

そのようなこと、分かっているつもりだった。

今まで彼女自身がそのようなことをしてこなかっただけ。

無理やりな生活環境に懐柔させられ、逃げたいと思う気持ちを隠すことで逃げ続けてきた彼女。

自分のことを打ち明けることも、誰かに頼むこともしなかった生活が、昔確かに存在していた。

その反動は、彼を気遣う今でさえ発生している。

パトリックは、彼女に踏み込まなければ分からないこともある、と教えた。

無論、それは彼に対しての姿勢を言うものであった。




一歩、前に進むことが出来ない。

今日はいつもと違う日常となったが、明日は、また明後日は………と、彼女は心の中で思う。

そう思いながら、無力さを感じつつ彼女は自宅の方へと戻っていくのだ。













………。




今日は、いつもの夢ではない。

夢を見ていることに変わりはないが、この夢はかつての記憶。

あれとは違い、確かに現実に起こったものの姿だ。


時折、こうして昔の姿が夢となって現れる。

起きている時は、過去の記憶として思い出すこともある。




なんだか、最近はこうした光景を、

過去の時間に生きていた自分の姿を、もう一人の姿を見ることが多くなった気がする。

それは、何故だろうか。




あの奇妙な夢でなら、

自分の姿を見ることは無い。

誰かも分からない青年の姿を見ることはあっても、それが現実でないとすれば、

自分は登場しない。


だが、この夢は現実に自分が経験したこと。






――――――――――――それは、雪の降る寒い日だった。






朝も昼も、静かにただひたすら雪が降り続けていた。

雨のように音をちらつかせる訳でもなく、風が吹いて木が唸るようなこともない。

本当に、暗い空から雪が落ちてくるばかりだった。

大地は凍え、気温は下がり、道路には凍った跡も見られた。

草に雪は被り、生物は姿を消し、木はまるで樹氷のような景色を形作っていた。

寒いのは慣れている。

生まれも育ちも、決して暖かなものではなかったからだ。

暖かいところへ行ってみたいという気持ちもあったのだが、それ以上にもっと身近な温かさが欲しかった。




今日は、いつもとは違う。

いつもは、こう………一人で過ごすものだが、今日はそれに違和感を感じる。

家に、もう一人の住人であり、本来の主がいるからだった。




主は、昨日の夕方に、数週間ぶりに家に帰ってきた男性。

だからいつもとは空気も雰囲気も異なるのだ。

アトリからすれば、その人は「普段はいない存在」。

大切な人であることに変わりはないのだが、他の一般的な家庭と比べ、極端に接触量が少ないだろう。

だがそれは、その男の人となりと仕事上、仕方のないこと。

彼もそれを理解していたし、その男も彼がひとりで生活できるように育て続けてきた。

実際には、その男の言う「隣の人」の助けが無ければ、彼とて困ることが多々あっただろう。

昨日の夕方に仕事から突如戻ってきたその男は、一週間程度はここで休んで再び仕事の為に家を離れるのだという。



たまに戻って、すぐにいなくなる。

そんな生活が何度繰り返されたことだろうか。





その日も、いつものように朝食を済ませ、日課の掃除を行い、洗濯を済ませて、

隣の家の人と会うはずだった。

その男が家にいない間は、自分ひとりで勉強する時と、隣の友人と勉強をする機会がある。

それも一つの日課だった。

ただ毎日、与えられた日課をこなしていき、非日常的なことは送らなかった。

寧ろ、非日常と呼ぶべきは、主が家に帰宅している時だったかもしれない。









――――――――――なんだいまのは!!?





――――――――――町が………燃えている………!?








確かに、その日は雪が降っていた。

気温も低く、風は吹かないものの冷気が立ち込めているようだった。

けど、あの瞬間にすべて変わった。

まるで町全体が他の空間からかけ離れた存在になったかのよう。

雪が降る町は、瞬く間にほかのものに浄化されてしまった。

決して大きな町とも言えない、人口が多い町とも言い難い、そんな小さな町。

それでも生まれ育った故郷として、毎日を生き続けてきたところ。

そんな町が、たった一日にして変貌してしまった。





夢で見る記憶とはいえ、それはごく一部のものに限られていただろう。

あの日のことは、一部を除いてもう思い出すことも難しい。

そうか、もしかしたらこの夢の絵は、今思い出すことのできる、記憶の断片。

時間と当人とが共有出来ている部分の一つなのかもしれない。





町は燃え、雪はただの水となり融けていく。

ハッキリと覚えていることは、幾つかある。

その幾つか、この記憶の断片でも見ることが出来る。

そう、あの日。

町が燃え盛り、人々が炎の渦に巻き込まれ、命を削っていった、あの日。






―――――――――護るべき人々の為に戦うその男の、背中を見た。







もしかして、これがその男の仕事だったのだろうか。

いや、仕事場で成している事だったのだろうか。

その話は何度も聞いているし、凄いと思ったこともある。

何も知らない、何もわからない他人の為に、命を賭けて護る。

大人たちの馬鹿げた争いのせいで、幸せを奪われてしまった人々を、助ける。

その人たちが幸せになるために、幸せを邪魔する争いを排除する。




あの炎の中で、その男はそれを実行していた。

襲ってくるものと戦い、多くの人々を護ろうと身体を動かす。




記憶は断片化し、ハッキリとしたものを覚えていない。

だが、あの男の背中は、今も鮮明に焼き付いている。

「あの日」のことを思い出す時は、決まって最初にあの男を思い出す。






もう、会うことのできない、あの男を。








………。









「………?」





気付けば、朝になっていた。

深い眠りにいたことも、あの頃の現実の夢を見ていたことも、覚えている。

夢の中で過去を見せられ、もう二度と会うことの無いあの男と再会する。

現実ではもう会うことが無い。にもかかわらず、夢でばかり再会する。

それは、何故だろうか。

あの頃の記憶を一部思い返すことはあるが、もう現実にあの男は目の前には現れない。

多くのものを失ったことに、変わりはない。

だが今もこうして、あの頃の夢を見ると………どうしてか………。





「ようやく目が覚めましたか。アトリ」





………。

朝だと気付くのは早かったのに、この場に彼女がいる理由が全く分からなかった。

ここはパトリックの本家、彼女は寝泊まりは別の自宅で行っている。

確かに朝だし、朝食はこちらで済ませ………




………?

いま、何時だ?





「全く、こんなところで寝て風邪でも引かれたら、私も困ります」




「ん、しまった………」





気が付けば朝、そして気が付けば彼女が目の前にいる。

何故このような状況になっているのか、彼は昨晩のことから思い出す。

フォルテと会った後、彼は風呂場に行き湯に浸かり、戻ってきて再び縁側に座った。

そこまでは良い。

ただ、気付いた今いる場所が、縁側から変わらなかった。

つまり、自室に戻ることなく、そのまま縁側で彼は眠ってしまったということだ。

しかも窓は開いたままで、辺りに冷たい空気が立ち込めている。

幾ら西南の地であろうと、朝晩の冷え込みに土地はあまり関係しない。

昼間が暖かいとしても、朝晩は空気が冷え身体には堪えるものだろう。

フォルテはそれを心配した。

いつの間にか縁側で腕を枕にして寝ていた、彼を。





「おはようフォルテ。どうやらここで寝てしまったらしい」




「そんなことは見れば分かります。それより、身体の具合はいかがですか?」




「あ、あぁ、それは大丈夫だ」






彼女は彼を起こしに来た訳では無いのだが、いつもの時間にこの家にやってきて、周りを歩いていたら、縁側で寝ている彼を見つけたのだ。

彼女はその場から立ち上がると、両手を両方の腰にあて、立った状態で彼に言葉を投げかける。

まだ調子が戻っていないのに、こんなところで寝られては困る、と。

怒っているようにも見えるその言葉の数々、だが同時に心配してくれているものだと、彼は理解する。





「少しは、自分のことも考えて下さいね」




「………そうだな。さて、それじゃ食事にしようか」




「はい。行きましょう」






自分が自分を気にすること。

あるいは、ここにいるからこそ、そういったものにも気を遣える時間があるのかもしれない。

これが死地にいる時は、自分を優先することが出来ないのだから。

自分よりも遥かに辛く苦しい思いを抱きながら生活をしている者たちがいる。

その事実を前に、王国暮らしの自分が弱音など吐くべきではないし、考えるべきでもない。

そう思いながら、自分で自分を遠ざけていた。

少しは自分のことも考えるべき、彼女はそう言うし、それはもっともなことだろう。

だが実際に、この後再び行くであろう死地で、果たしてそれが出来るだろうか。




少しばかり上の空、

アトリはその日の朝を迎えた。






………。






3-30. 残滓





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