3-28. 起源と根源(Ⅰ)
これが、彼女の始まり。
今に至る彼女としての存在が始まった瞬間。
元々あったものが失われ、新たな価値が見出される。
その瞬間こそが起源であり、とうの昔に根源は失われていた。
それに気付いた時、自分はどんな顔をしたことだろうか。
彼女という存在がどれほどの境遇に満たされ生活していたことか。
だが、大事なのはそこではない。
彼女が、その境遇を受け入れ、認め、そしてそれを背負って生きてきたことだ。
「まず、はじめに一つ話しておきたいことがあります」
「………」
彼女はいつものように、無表情で冷淡に話をし始める。
たとえそれが自分の過去の話となったとしても、いつもの様子は変わらない。
少なくとも彼女自身はそう思っていたのではないだろうか。
彼が感じ取る僅かな違和感。
それは間違いなく彼女から発せられているものなのだが、彼女自身もそれに
気付いていないのではないだろうか。
“貴方がそう望むのでしたら”と、あくまで他人の希望に応える形で話し始めた、彼女。
その、第一声が―――――――――。
――――――――――――私の身体は、石によって生かされています。
それは、あまりにも唐突過ぎるもの。
だが彼女から間違いなくそのように言葉が発せられたと、アトリもよく分かる。
身体は石で出来ている―――――――――――。
はじめに伝えておかなければならないことと言われ、何の話が出るものかと想像もつかなかったが、
あまりにも唐突過ぎるその言葉に、彼は驚愕の表情を浮かべた。
というよりは、意味が分からず疑念の方が驚愕よりも上回ったことだろう。
石
それは魔術師にとって魔術を行使する、あるいは魔力を回復するために必要不可欠なもの。
この世界の魔術師は、石を媒介として魔術を行使する者と、
魔術を伝承され魔術を行使する者、二人に分かれる。
特に前者であれば、石の存在は絶対的なものであり、決して失ってはならないものだ。
石にはそれぞれの適性があり、一度体内と適合させてしまえば、次の適性を簡単に得ることは出来ない。
つまり、魔術師にとって初めに得た石は、その者の生命線とも呼べるもの。
適性を上書きするようなことがあれば、その人にとって身体への負担は極大なものとなる。
「身体が、石で………?」
「はい。魔術師の多くが持つであろう、石。これが私の身体を維持するものです」
そんな石を、彼女は自らの命と同等のものだと言ったのだ。
自分の身体は石によって生かされている。
つまり、それが無くなれば彼女という存在を維持することが出来なくなる。
あまりにも唐突過ぎるその話だったが、まだそれだけでは経緯が見えない。
つまり、そのような状態になる根源がいつの話か、ということが必要となる。
「それはいつから………」
「………先程、私がある目的の為に身体を利用されていた、というお話をしましたよね」
「あ、あぁ………」
「それこそが、私の魔術の始まりです。私はその目的の為だけに生まれ、石を使われた。記憶には殆どありませんが、相当に幼い時だったと思います」
それからの話は、彼女の過去に通じるものばかり。
フォルテという身体を維持するためには、石が絶対に必要。
そのような身体に「仕立て上げられた」のは、うんと幼い頃の話。
既に記憶の彼方に存在し、今にもその燈火が消えて生きそうな、そんな遠い記憶。
だが、それが事実であることに間違いはない、と彼女は言う。
だから、たとえ記憶が消えてしまったとしても、その事実を消すことは出来ない。
彼女の送ってきた時間も、それと同様。
否定することになったとしても、時間を消すことは出来ない。
確かに事実として、その時間軸は存在しているのだから。
「私の生まれは、魔術師の家系だった」
………。
魔術師としての能力を持つ男と、そんな未知なる力など知らない女。
私はその間に生まれた子供でした。
生まれた身体そのものは健康だったと思いますが、ある一つの目的の為にそれは削がれてしまいました。
少なくとも、もうその時には普通の身体ではなくなったのだと思います。
「その目的とは、一体………」
その目的は、いたって単純です。
魔術師であったその男が、自らの魔術を残すために子孫が欲しかった。
ただ、それだけのためです。
「………」
不思議なことでは無いと思います。
普通の人間たちが、自分たちの苗字を残すために、他の人と結婚をして子供を産む。
その子孫が同じように将来、自分の家系を維持させるために、また結婚して子供を産む。
だから、その男にはその程度のことは何ら不思議なものでもなかったのだと思います。
だけど、その男には他の普通の人間たちとは違う現状があった。
「違った現状………?魔術師として?」
はい。
前にも話したかと思いますが、この世界の魔術はマナとルーンで成り立っています。
魔術師はこの世界に流れる見えない未知なる力を媒介にして、人には成し得ない奇跡を起こす。
その男も魔術師であるから、その一人でした。
しかし、その男には魔術師としての器に欠けているものが多くあった。
私も後になって気付かされたことですが、その男はそもそも魔術の適合自体が曖昧だった。
石を持っていたにも関わらず、その適性にそぐわないものばかりを行使するような人間だった。
自分の適性にはない魔術が全く使用できないということではありませんが、その男は根本から魔術を間違っていた。
だから、他の魔術師とは大きく異なり、男の身体は深刻な傷害を負っていた。
魔術師としての力を手に入れたにも関わらず、それを充分に行使することが出来ず、ただ行使の度に自分の身体を傷つける。
ですがその男は、それでも魔術師として出来た身体を、何とか繋ぎ止めたかったのだと思います。
「そうして生まれたのが、私です」
「………」
男は考えた。
この身体はあとどのぐらい持つかは分からない。
けれど、せっかく手に入れたこの力と石を失わせる訳にはいかない。
次代にも継承し、魔術師としての家系を築くことが出来るのなら、後年はもっと優れた魔術師が生まれるかもしれないし、その過程で自分の名前も広がるかもしれない。
人間らしいことですが、人間とはかけ離れた目的を持つ男。
なので、その男は私という魔術後継者を生ませるために、女を連れて来て性交に奔ったのです。
そこに、愛情などという人間らしい感情は存在しない。
ただ自分の残された力を他人に伝承させるために、子供を作らせた。
そうやって生まれてきたのが、私です。
「………!!」
私は生まれて、自力歩行できるようになった頃に、その石と出会いました。
まだ男が存命で、しかし確実に死期が近づいているだろうと、私でさえ思うことが出来ました。
毎日生きることに必死で、薬を飲み続け、それでも身体を維持することが困難で。
男は先走り、私に魔力を石から伝承させた。
ですが、そんな小さな子供に石を通じて魔術を伝承させることなど、危険以外の何物でも無い。
自力で生活することも出来ない人間に、その力を操ることは難しい。
しかし、それでも私は魔力を得ることが出来ました。
「貴方もご存じの通り、魔力を得るだけでは魔術師になったとは言えない。魔力を得た時点で他の大勢の人々より一歩先に進んだことにはなりますが、それでは足りない。しかし、男には死期が確実に近づいていた。間違った魔術を行使し続け、腐敗した身体はもう手遅れだった」
「分不相応の魔術は、身を破滅させることになる………確か、そう言っていたな」
「はい。男の末路はまさしく、それです。ただ魔術を得てこの力を使い続けたいが為に、自分の身体を傷つけ、その力に溺れてしまった」
男は、そんな魔術を私にも教えた。
間違った魔術を子供に教えることで、魔力の波は相当に乱れてしまったことでしょう。
私は、魔術が行使出来るような子供ではなく、逆に教えられたことに従い魔術を行使することで、私自身も体を傷つけていった。
いつの間にか、私の中には不純な魔力の塊が蠢くようになり、石を無くしては生きられない弱者になった。
「………」
魔術をまともに行使することも出来ない、ただの魔力を持つだけの私に、男はこう言いました。
―――――――――お前は、生まれてくるべきではなかった。
『お前は、生まれてくるべきではなかった』
大人の成すがままにされ、小さな子供の頃から魔術を強制させられ、その果てに石を無くしては生きることの出来ない身体になってしまった。
分不相応の魔術を持つ主の力を強制的に介入させられ、同じく分不相応の魔術を手に入れてしまった子供。
魔術の継承を望んで産ませた子供のはずが、それが出来ないと分かった瞬間に手のひらを返された。
望まれて産まれてきた子供が、望まれない子供に成り下がった瞬間だった。
魔術の継承が不可能で、その素質さえも無い少女に、最早男がこだわる理由もない。
男はその女にフォルテを産ませたが、女は果たしてどうだっただろうか。
男の真意に気付いていたものだろうか。
魔術師は魔術師であることを隠す。
端くれだとしてもその男がその道理に従っていたとするのなら。
男は、ただ女と性行為をして、女はその果てに子供まで産ませられたのではないだろうか。
そう。
彼女という存在は、望まれない子供として産まれてきた。
この世界に産み落とされただけだった。
鳥が産む卵を誤って巣から落としてしまうような、そんな儚い命。
儚くて、一切の尊さもない、ただの一つの命。
利用されるだけされて、それが自分の理想に成し得ないものと分かった時、用済みにされた。
それが、彼女。
しかし、彼女の話はここでは終わらない。
「もし男に僅かな良心があったと言うのなら、その男は私に石を授けたことだと思います。石が無ければ生きることも出来ない。だからせめて、と男は石を私に渡してくれたのです」
「………」
彼は思う。
何故、彼女は魔術の教えを拒むことが出来なかったのだろうか、と。
彼女を産んだ女との関係は、容易に想像できる。
ただ子供を産むだけの存在となった女が、産まれてきた我が子に愛着を抱くはずがない。
当然、彼女もまた愛着を知らず生活をしてきたことだろう。
この時点で既に、彼女の『自我』は壊れ始めている―――――――――――。
私は身売りされました。
男が私に石を持たせたのは、その身売りで売った子供に害があることを隠すため。
ですがそれも必要なことだったと思います。良心的な判断とは言いませんが。
男は生きるためにお金を得て、私は小さな子供ながら奉公人として、別の家系の屋敷に行きました。
暫くは、そこで生活することになります。
「魔術の教えからは、逃れることになったのか………」
「はい。ただ、間違った不純な魔力は何もしなくても、身体に害を与えるものです。そうなれば、たとえ石で魔力を供給していたとしても、身体は次々と悪性に囚われていく。子供ながら私も悟ったのです。これでは生きることは出来ない、と」
フォルテは、生きようとした。
望まれない子供で与えられるはずの愛着もなく、ただ一つの命として産み落とされた、その命を。
彼女自身で護ろうとしていた。
それはまだ、彼女自身に明確な自我があった時のこと。
今までの生活が、あまりにも苦しかった、辛かった。
なら、せめて売り飛ばされた次の家では、何とか楽しい生活が出来ないものだろうか、と。
「しかし、私はその家で自由を奪われました。所詮、他所からやってきた子供など、邪魔者にしかならない。なら、邪魔者なりに働いてもらおうと、相手方は考えていたと思います」
彼女に待っていたのは、あるいは更なる苦痛の日々だったのかもしれない。
高い金を出して買い取った少女なのだから、それを使わない手はない。
もうこれは、自分たちの所有物だ。
そういった考え方が、更に彼女を追い詰めて行くことになる。
「………だから、私はただひたすらその人たちの為に、尽くすだけでした」
「………」
「あの男の下に居続ければ、もっと早くに私は死んでいた。しかし、こうして身売りされたとはいえ、毎日それなりの食事を頂くことは出来る。だから、相手方は“自分たちは命の恩人だぞ”と、私に働くことを強要したのです」
考えても見れば、当たり前のことでした。
命の恩人なのですから。
恩人に対し奉公し、少しでもその人たちの為に尽くすというのは、当然のことだったのでしょう。
相手方もそのように考えていましたから、私自身もそれが普通のことなのだと思いました。
少しでも、私を助けてくれた人たちの為になることがしたい。
そうすることで、その人たちが毎日を良く生活してくれるのなら。
それが、助けられた人の成すべきことだ、と。
アトリは気付く。
助けてくれた人たちの為になることがしたい。
そうやって、屋敷でこき使われることさえ受容し取り組んでしまう彼女。
でもそれが命の恩人に対する奉公の道筋としては、正しいことなのだと。
それは、奉公とは言わない。
ただの奴隷であることを、彼は気付く。
「我儘を言えば、蹴られる、殴られる。嫌と言えば、その嫌なことを何倍もやらされる。だから私は、そんな顔をしなければ、そんなことを言わなければ、せめて苦しさを軽減させることが出来ることに気付き、そのようにしました」
奴隷は、奴隷なりに工夫をする―――――――――――。
身売りされやってきた屋敷の中で、彼女の居場所は一つしかない。
その居場所も、殆どいることがない。
屋敷の為に、屋敷に住む人の為に働かされ、それを拒むことなく取り組む。
そうすることで、その人たちが良い思いをする。
助けられたのだから、助ける。
そんな奴隷となった彼女は、もう何を思うこともなくその人たちの為に尽くした。
――――――――――彼女の、「起源」となるもの。
彼女という存在を形作ったのは、恐らくこの時だ。
そして同時に。
本来あった根源は、この瞬間に失われた。
それからのことを話すのは、たとえ表情一つ変えないフォルテとはいえ辛いものがあるのだろう。
しかし、そのように尽くすことが当たり前のことだと思い込み、それを拒否すれば仕打ちされる。
躾の度合いも相当なものだっただろう。
少しでも苦しくなくするためには、彼女は絶対に拒否してはならない。
あらゆる物事を当然のように受け入れることで、認めることで、自分という存在を少しでも成り立たせる。
彼女の心は、もうこの時には折れ砕けていた。
本来あったはずの彼女は失われ、本来無かったはずの彼女を手に入れた。
それが望まれない子供の末路というものか。
彼女自身もまた、望まれずして産まれて来ながら、望まれない生活を送りながら、それが自分の命である限り自分の生なのだと、まっとうに過ごしてしまった。
もう、何もかもが手遅れだった。
間違いを正す人など、どこにもいない。
本来望まれるべき生活を与える者も、どこにもいない。
それが“間違い”であることを、伝える人もいなければ、気付く時も無い。
正しさを貫くために間違いをし続ける少女の顔に、もう表情とか感情とか、そういったものは必要ない。
彼女はそうして、自らに壁を作ったのだ。
自我を棄て、ただ身体を動かすための存在に。
「家の中で唯一の自由な時間は、就寝時間でした。私は日の光も当たらない壁に囲まれた、牢獄のような場所で寝泊まりしていました。豪勢な屋敷とは全く考えられ無いような、石に囲まれたところです。周囲の音も届かない。でも、逆にこの部屋なら私は好き勝手出来る。外から音が聞こえないのであれば、内からも音は聞こえないはず。私はその部屋で、ただひたすら汚染された魔力を改善させるために、鍛錬を続けました。同じように、身体を鍛えることで何とかこの状況を覆そうと、その部屋にあった木の棒やボロボロの弓を使っていたものです」
正しいものを教えられなかった彼女。
だが、それが間違いだと分かり、改善を図り続けてきた。
自分の身体を鍛え、ひっそりと魔術鍛錬を行うことで、少しでも良くすることが出来れば。
小さな子供が抱いたものとしては、あまりに重すぎるものであった。
しかし、それでも彼女は不純な魔力を純粋な自分の物にし始めたのだという。
与えられたものは決して良いものとは言えない魔術だったが、自分が手ずから事を成すことでそれを改善させる。
彼女の剣術や魔術、弓術のはじまりはここにある。
屋敷に売り飛ばされ、奉公人のような奴隷の扱いとして日々を送りながらも、自分だけの時間で自分の為に尽くしていた。
そうして、自分だけで暫くは鍛錬を続け、月日が流れて行く。
本当に大事な、間違いというものに気付かずに。
「そうやって、私は生活を続けた。しかし………そんな私にも、転機というものがありました」
「っ………」
彼女の話は、まだ続く。
少々と言ったのはアトリの方だったが、話のポイントを握るのはフォルテ。
その彼女が、自分から自らの過去を話している。
誰かに何かを打ち明けるという姿勢を持っている。
その、彼女の表情は、いつにも増して悲しそうに見えてしまった。
「それももう、遠い昔の話。今となっては会うことも出来ない、ある男性がいました」
「ある………男性………」
3-28. 起源と根源(Ⅰ)




