3-15. 魔術鍛錬(Ⅲ)
身に覚えがないと言えば嘘になる。
だが、あの時はその存在を信じてはいなかったし、まさか自分にそのような素質があるとも思っていなかった。
現実に存在すると分かっていながらも、それが自身にもあることを否定し続けていた。
そんなはずはない、そんな力を自分が持っているはずない、と。
彼がその違和感を感じたのは、槍兵オーディルと月下の夜に戦闘した時のことだ。
明らかに自分の身体にある能力以上の早さで、一度相手の攻撃を防いだことがある。
体勢が崩れそのままでは相手の槍が自身の身体を貫いていただろう。
だがそれを彼は弾き返した。今まで見せることの無かった、圧倒的な早さを持って。
そう。
あの時は確かにその存在を信じてはいなかったし、初めて見たことで事実かも分からなかった。
だが、今こうして奇遇な出会いをした後には、分かることもある。
「幾度か、そういう場面に遭遇したことはあります」
「それは、どういったものでしたか」
「……上手く言葉には表せないんですが、相手の攻撃が自分に命中する寸前でした。身体が本能的に反応したのか、それとも外から力が乗りかかったのかはいまだ持って不明ですが、その攻撃を弾くことが出来たのです」
なるほど、と一言つき彼女は再び竹刀を握る。
そして自分ひとりだけで何度か素振りを行い、まるで何かを手に取って確かめるようにしていたフォルテ。
彼女は彼が遭遇したであろう状況を竹刀を通しながら分析する。
自分の身体に直撃しそうになった本物の武器を、回避する。
その時に彼が感じた、まるで自分の身体ではないような感覚。
もし彼が元から体内に魔力を持っていなかったとしたら、その現象はあまりに不可解だ。
しかし、今だからこそ説明できる。
「恐らく、その時から既に貴方は魔力による影響を受けていたのでしょうね」
「………」
「当時どのような戦闘下にあったかは分かりませんが、その時から既に貴方の体内には魔力が備わっており、全く扱うことが出来なくとも、危機が訪れた時に咄嗟に反応した。もしかしたら、体内の魔力が無自覚に、自然的に貴方の身体を動かそうとしていたのかもしれません」
彼もその可能性については否定しなかった。
フォルテはその後に、今日の鍛錬で彼が魔力を放出しながら竹刀を振り続けていたことを打ち明け、彼もその話に少しばかり驚いた。
昨日鍛錬したことが翌日に実践できているというのは、決して悪いことではない。
彼女が手加減なく鍛錬を行うことを分かっていて、彼は昨日のように十数度も直撃を受ける訳にはいかないと、はじめからハイペースで鍛錬を進めていた。
その結果、彼が行っていたこととは、魔力を放出させその力を身体に作用させ、彼自身の身のこなしや力加減、素早さなどを強化させていた。
防御魔術の一つでもあるが、身体の強化の部類に入るものを彼は二日目にして、しかも教えられもせずこなしていたのだ。
体内の魔力を体内の能力を強化するために使用する。
それは、とても魔術の存在を確信して習い始めたばかりの人が出来るような芸当ではない。
だからこそ、彼女は本当に彼に覚えがないのか疑ったのだ。
彼に素質があることは窺えるが、それにしても出来過ぎている。
彼の適応が早いことも考えられるが、だとしても驚くべき早さで習得を始めている。
彼女は彼の過去に起きた不可解な現象を知った。
自分の身体が危機に陥ったその時、自分では無いような力の作用を受けた。
彼が不明の魔力適性と自分の身体とを「契約」させていたのは、思う以上に前からだったのかもしれない。
「ですが、無自覚というのは怖いですね。自分で切り替えて放出と収縮が出来るのであれば、ここぞというタイミングで自分の身体を強化させることが出来ます。常にオンの状態だと、その分魔力も消費しますし非効率ですから」
「なるほど……」
「それでも、貴方は既に自分の身体に強化を加え戦闘能力を肥大させようとしていた。昨日の今日だけの話でも無さそうです」
だとすれば、
自分は本当にいつから魔力を有し、それを無自覚に使うようになっていたのだろうか?
彼の中には様々な疑念が湧き上がる。
今でこそ考えられるものだが、自分の身体にそうした不可解な何かを感じ取ることが出来たのは、槍兵との接敵が最初であった。
あの男との接敵があり、そのような意図的な力が働いたような現象が起きたあの時が、恐らく魔術の感知の始まりだっただろう。
だが、彼も彼女も、アトリの正確な魔力の「起源」を辿ることは出来ない。
彼女やパトリックらの分析で彼の魔力がいつから彼の物となったかどうかなど、分かるはずもない。
彼に覚えが無ければ辿ることも確かめることも出来ない。
もし、それ以前に魔力を有していたとするのなら、彼が「死地の護り人」として各地で戦いを経験していた時からその能力を自然的に発動させていた可能性さえ浮かび上がってくる。
そう思うと、彼はこのタイミングで魔力の存在に気付き、そしてこれから扱えるように習得するということに、やはり複雑な思いを抱かざるを得ない。
仮にそうだとすれば、幾つもの自治領地との紛争で、彼はその才と能力を発揮していたことになる。
その時に魔力を隠す、などということを彼が出来るはずもないから、もし相手に魔術師がいたとすれば、彼の存在を知られていた可能性も充分にあった。
そうでなかったとしても、これほど人並み外れた力をはじめから有していることに気付き、それを活用できることを知っていれば、もっと多くの人を護り、犠牲者の数を少なくすることも出来ただろう。
あくまで「もし」という話を基にした、起源を辿る思惑だ。
それが正確であるかどうかなど、今は分からないし確かめようもない。
「………」
そして。
ここで彼は、一つの疑念がある一つの可能性に結びついているのではないか、と気付く。
彼が最後に手にしていたあの剣の破片から、魔力を帯びた石が見つかったという事実。
剣を作ってもらったのは国の鍛冶氏。
もしかすると………。
疑念は解決させる術をこの時には持ち合わせていない。
それが分かるのは遠い先の未来かもしれないし、既にその機会を失っているかもしれない。
だが、そうであってもなくても、鍛錬は続ける。
午前中はただひたすらお互いに竹刀を交え戦闘を行っていた。
彼女の腕前も相当なもので、力さえアトリにも負けず劣らずというところだ。
見た目は細くそこまで体格がガッチリしている訳でも無いのだが、そのような身体から繰り出される幾つもの剣戟は、相手を惑わし混乱させるには充分だったかもしれない。
だが、二日目の彼は昨日よりは格段にあらゆる剣戟に対応できるようになっていた。
力任せでなく、技量と速攻さを兼ね備えたフォルテの剣を受け止められるようになっていた。
フォルテ自身は隙を見せているつもりは一切ないのに、彼はまるで一瞬の隙を狙い澄ましたかのように剣戟を繰り出して来る。
これが彼の戦い方だとすると、復調した後の彼は相当に強い兵士であることが想像に容易い。
それでも、
彼はその力を欲したいと言っている。
誰かの為にその力を使いたいと願っている。
彼にも勝てない相手がいる、だからこそその力を望む。
午後からは魔術の鍛錬。
彼女からすれば、剣の鍛錬をしながら魔力放出さえできてしまっているアトリに対しては、午前中から魔術の鍛錬も併用していたようなものだ、と感じてしまう。
だが数を重ねることに意味がある。
不相応な魔術を無く、完璧に扱えるようにするにはひたむきに努力することが求められるだろう。
あるいはそれこそが、愚直ながら一番近づきやすい方法なのかもしれない。
「なるほど、それでこんなに沢山の枝を集めたのですね」
「はい。知っての通り、木の枝はひどく折れやすいものばかりです。今日は、その魔力を使ってこの枝を強化してみることにしましょう」
「……強化、ですか。しかしこう、どうイメージすべきか……」
物を強化する、ということ自体はまぁ分かるといえば分かる。
もし俺に鍛冶の技術があれば、今まで折り続けてきた剣を強化しただろう。
実際彼が午前中に、フォルテと対等に剣戟をかわすために魔力を放出していたことは、一種身体の能力を底上げするという強化に該当するものである。
だが、彼からすればそれは無自覚で行われていたもの。
過去にそうした瞬間が幾度かあったかもしれない、という確信に近い疑念があった。
その時から既に彼は魔力の放出そのものは行えていたのかもしれないが、いざ実際に意識して取り組もうとしても、そのイメージが中々浮かばない。
魔術鍛錬の二日目にしては、既に幾つかの段階を踏み越えている訳なのだが、まだまだ習得までの道は長い。
「ただ強化するというだけでは具体的ではないので、魔術の行使としても効力の弱いものとなるでしょう。たとえば、木の枝が剣になるような硬度のあるものに構造を変化させる、などはいかがでしょうか」
「ん………」
「つまり、自分が目指したい結果というものを具体的な過程を踏まえてイメージするのです。木の枝を折られないようにするには、貴方が知る中で折られることの無い、破壊されることのない物を頭の中で連想し、それを魔力を通して木の枝で実現させます。といっても、魔力は有限ですし物への強化は硬度が強くなるにつれ行使も難しくなるでしょう。はじめは無理せずいきましょう」
結果を過程と共にイメージする。
言われてみれば大したことないと思えるのかもしれないが、
それを現実に導くためにはどれほどの労力が必要なのか、底知れない過程に複雑な胸中を持つ。
自分の生き方とその言葉とを重ねてしまう。
もし、求める結果を連想して過程を実現させようと努力し、それで結果が現れたとしよう。
だが、欲しい結果などとうの昔に頭の中に考えられている。
それを一度も実現できたとは思っていない。
魔術の世界でも、同じことが言えるだろうか。
完璧な魔術行使を行うために、結果をもたらす過程をイメージする。
あるいは、それも毎回のように試行錯誤の連続なのかもしれない。
彼が一度も手にしていないと思い込む結果と同様に、完璧に遂行される魔術行使などない。
だが、確実にそれに向かっていくための、幾度もの挑戦なのだと。
「………では………」
彼は目の前に置いた一つの木の枝に、その手を触れる。
目を閉じ、そしてゆっくりと自身の内なるものを切り替え始める。
無自覚ではなく、意図的に。
昨日途中から見え始めてきた、その力を意図的に身体の内外へ発動させる行為。
身体の中で魔力を発動させ、身体の至るところを駆け巡るその波に特質を加える。
今回のそれは、昨日のただ放出するというだけではない。
魔力に対し身体や脳が具体的に命令を下し、それを実現できるようにする。
イメージし、結果を創造する。
大切なのは、ただ結果をイメージし頭の中で創り上げることではない。
結果を生み出すための過程を具体化させ、それを現実に流し込む。
「………」
フォルテは、静かにその様子を見届けている。
彼は胡坐をかき、片手を木の枝に触れたまま。
研ぎ澄まされた感覚が、この空間に魔力が広がり始めていることを訴えている。
彼の集中力は凄まじいものであり、緊張感にも似た圧迫が空間に押し寄せていた。
腕を組んでいた彼女が片手で顎の下に手を置く。
時間にして3分程度。
彼が意図的に魔力を発動させ、その結果が現れる。
僅かに3分と捉えるべきか、それとも長いものと考えるべきか。
彼が見せた表情は全く自信が無いというもの。
まるでどのようにイメージすれば最善を導き出せるのかが分からない、と言っているよう。
「お見事です。形的には成功していますよ」
「はぁ………」
はじめての物体強化、鍛錬も始まったばかりというのに、形的には成功していると言われた。
彼はそれでも安心することなく、ただ魔力の発動に費やした身体の疲労を払うように、一呼吸おいた。
集中力を高め神経を研ぎ澄ませていると、余計に疲れている感覚になる。
彼は魔力を通したその木の枝を両手で持つ。
片腕ほどの大きさも無い小さな枝だが、確かに原典よりは固くなっていただろう。
しかし彼には自信がある訳ではない。
それはフォルテとてすぐに分かるものであった。
「ただ、ほんの少しだけ固くなった程度ですね」
「………やっぱり」
「ですが、やはり防御魔術の基本である強化の魔術がこれほどすぐに形に現れるのであれば、何も心配はいりません。こちらの予想通り、貴方は防御魔術の型を基本とした魔術行使となりそうですね」
アトリが集中力と神経を研ぎ澄ませて強化した木の枝は、確かに原物のものよりは固くなっていた。
それは彼自身が意識出来るほど明確なものであり、彼女もまた評価できるものであった。
だが、それはあくまで原物よりほんの少し硬くなったという程度で、まだまだ実用レベルというものではなかった。
彼が頭の中で枝に対しての強化を連想した物は、フォルテが最初に口にしたように、剣であった。
剣とは兵士にとって命と同等であるもの。
それが無くなれば相手に殺される危険性が圧倒的に高まる。
木の枝を武器にする機会が今後あるかどうかは全くもって不明だが、連想するものであれば最も手にしていたであろう武器が良い。
そうして強化を施してみたのだが、形的には出来上がっている。
「フォルテさん、この枝に一度だけ、本気で竹刀を放って下さい」
「………?えぇ、それは構いませんが………」
彼は自らで魔力を通したその枝の効力を確認してみたかった。
はじめての試みとはいえ、それがどこまで通用するのかを知りたかった。
フォルテは彼に言われたように、竹刀を構えた。
彼はその枝を片手で持ち、縦に構える。
そうして、彼女は自分の渾身の一撃をその枝に放った。
結果は見えている。しかし、その結果に至るまでの過程は参考に出来るものがあるかもしれない。
渾身の一撃は、正確に彼が構える木の枝に命中した。
一度。ハッキリとした手応えが身体を振動として貫いていく。
手から腕、腕から身体全身に素早く波打つ鋭い感覚。
木の枝は、彼女の渾身の一撃を、耐えた。
だが一発で形状が変化し、折れかかったような姿になってしまった。
そして二度目の一撃で、木の枝は魔力の効力を失う。
「………」
「一度は耐えましたね。竹刀なので本物の剣とは違いますが……、一度の攻撃を確実に防いでくれるのなら、実戦でも使い道はあるかもしれません」
「っ………」
彼はその感覚を確かめることが出来た。
確かに本物の剣と竹刀とでは力の入り方も衝撃も異なる。
それでも、木の枝一つを相手の剣一撃まで防ぐことが出来るのなら、充分に防御としての役割を持つだろう。アトリは自分でそう考え、フォルテに実践してもらったのだ。
今回は木の枝を鍛錬に用いているが、戦場でそのように都合の良いものは無いかもしれない。
だが今までにこの魔術が行使出来れば役立っていただろうという場面が幾つもある。
特に彼が思い出したのは、あの晴天下に出会った黒剣士との戦闘。
室内戦という中々無い機会だったが、あの時室内にあるあらゆる物をもし強化材料に出来たとしたら、それを武器にすることも、防御の材料にすることも可能だっただろう。
フォルテは彼自身の考えながら魔術を行使しようとするその在り方に感心した。
まだ鍛錬を始めてから二日目だというのに、既に頭の中にある程度の場面を想定しながら、それを役立てるために鍛錬に取り組んでいる。
はじめ、魔力に触れ魔力の扱いに慣れない時には、どのように扱うべきか分からず困惑するのが普通だと思っていた。
これも、彼の魔力を得る経緯が原因なのだろうか。
もちろん、彼の魔術行使はまだまだ初心者レベルではある。だが、明らかに初めて行使する者よりも数段上の段階にいるし、適応力も早い。
「あくまで本での話なのですが、物への強化はやはり使い手が居ないせいか、あまり目にしないと聞きます。前例が少ない分、一から考えるとなると中々大変なものでもありますが……」
「大丈夫です。前例がないのなら、私自身が例となりましょう。……そのためには、まず物体強化を身に着けないといけませんね」
彼はそういうと、再び胡坐をかき目の前の二本目の木の枝を取り、
そして静かに魔力を木の枝に通していく。
防御魔術は強化だけをとっても色々な種類がある。
物への強化、自身の身体への強化、特定の状況下のみに発動させる強化。
だが、これらのものは維持するのはそう簡単なことでは無い。
彼が今取り組んでいる木の枝の硬度を上げるようなものは、その場だけの行使であればさほど魔力を消費することもないが、その状態を維持しようとすると魔力を消費し続けることになる。
ただの木の枝だったものに強化の魔術を加えると、もうそれは魔力で精製された木の枝といっても過言ではない。
外界から封じられた、本来あるはずのないものと思われている力が、自然界のものに接触した時点で、ッ普通の物ではなくなってしまう。
魔力を通した物は、自分からその効力を消すか、外部から遮断されなければ、基本的には残り続ける。
効力を維持するためにも魔力を送り込まなければならず、それによって消費量や行使の方法もやや変わってくる。一口に強化出来たというだけでは、まだ使い勝手が悪いこともあるのだ。
彼は自らに防御魔術が少ないのであれば、自分がその例になるつもりで学ぼうと考えていた。
誰かにこれを教えることがあるかどうかは、今のところは分からない。
だが、まずは防御魔術の行使を一通り使えるように覚えなくてはならない。
そのためには、鍛錬の積み重ねが大事だ。
積極的に魔術への干渉を行う彼の姿は、素直にこの力を手にして役立てたいと思う姿の表れであった。
魔術の鍛錬は3時間ほど行われた。
彼女も本当であれば色々と手伝いたいところなのだが、彼女の魔術の型は防御ではないために、お手本とはなり得なかった。
少なくとも自分ひとりで試していた時には、そう思えた。
いずれこの程度なら、彼が追い抜かしてしまうだろう、と。
鍛錬二日目の今日は、昨日よりも魔力行使を多くして臨んだ。
彼女が用意してくれた木の枝のほぼすべてに強化の術をかけ、彼の中では数十本のうち5本は成功したと多少の自信を持っていた。
彼は彼女にお願いし、自分が強化を施したすべての枝に全力で竹刀をぶつけるようにした。
一つひとつ硬度と魔力量の確認を行う。
強化を加える物や原物となる物の硬度が変化すれば、魔力量も行使も変わってくる。
それだけ奥が深いものであるからこそ、一つひとつを丁寧に確認しておきたかったのだ。
「流石に疲れましたか?」
「はい、それなりには。体力はあるのですが……」
「では、少しだけ、背中をこちらに向けて下さい」
「………??」
すると彼女は突然そのように言い出した。
前にも似たようなやり取りが無かっただろうかと思いながらも、彼は背中を向ける。
剣の鍛錬だけではない、兵士になるためにあらゆる修業を積んできた者の背中だ。
ただ逞しいとか、筋肉質とか、そういうだけのものではない。
彼にはその背中に目には見えない多くのものを背負い込んでいるのだ。
彼女は素手で彼の背中に触れる。
そして何も言わずに十秒程度経過した、その直後のことだった。
彼はすぐに分かった。彼女が魔力を発動した瞬間を。
彼女はその手を彼の背中に触れたまま、魔術を発動させる。
空間の中に魔力の空気が流れて行くのがよく分かる。
そして彼女の手を通して、彼女が施す魔術の効力が自分の身体に広がっていくのが分かる。
得体の知れない目に見えない何かなのだが、まるでそれが内なるものを包み込んでくれるような。
穏やかな、そのような感覚だった。
「これで、少しは楽になるでしょう」
「今のは………」
「ちょっとした治癒魔術です。立ってみるとすぐに効果が分かると思います」
彼女の基本の魔術の型は支援魔術。
思えばその瞬間に立ち会ったのは初めてであった。
彼女はアトリを救う為に石と自身の魔力を使用して魔術を行使したことがある。
だがその時、当然ながら彼には意識が無かった。
なので、ある意味彼女が魔術師であるという確たる証拠を再び目の前で見せられたことになる。
そして、彼女が支援魔術の術者であることを確信する瞬間でもあった。
彼は言われるままに立ち上がる。
すると、なんということか、身体に感じていた疲労感が抜けているように感じられる。
「す、凄いですねこれは」
「いいえ、そんなことはありません。効果は一時的なものです。夜中には恐らく効果が切れるでしょうから、それまでに寝ると良いでしょう」
支援魔術のことを詳しくない彼にとっては、彼女の扱うそれは本当に未知なるものとの遭遇、と大袈裟に言っても良いくらいのものだった。
疲労を除去するという魔術がどれほど難しいものであるかは分からないが、もしこれを常時発動できるとすれば、戦闘における疲労もそう多くは感じられないのかもしれない。
つまり持続力を保ち相手に対応することが出来る。
が、恐らくそう上手い話ではないのだろう。
と、彼は支援魔術の難しさが他の型よりずば抜けていることを聞いていた為に、そう思い直した。
今日の鍛錬はここで終わりとなる。
「フォルテさん。もしかして……」
「………?」
不意に、彼がフォルテに聞く。
「私を気遣ってのことですか?」
「っ………」
その時、彼からそのようなことを聞かれるとは思いもしなかったのだろう。
ピクッと眉が動くのが彼には見えた。
無表情の裏にはちゃんと思っていることもある、感じていることもあるだろう。
彼はそう思いながら、あえてそのような聞き方をした。
僅か数秒ほどの沈黙であったが、彼女は口を開いてそれを破った。
「これも、教える人として必要なことですから」
そう言い、一つ礼を見せたあと、彼女は隣接する自宅へと戻っていく。
道場の出口、残されたのは彼一人。
私を気遣ってのことか。
言われてみれば普通のことなのかもしれない。
同じ鍛錬を重ねる者同士、たとえ手加減は無いとしても、相手の身体を気遣うことは当然だろう。
かつて彼が受けてきた鍛錬も、一部はそうであった。
身体が嫌と言い続けているのに、それに耐え続けながら鍛錬を重ねることは、そう多くなかっただろう。
自分の立場で照らし合わせる。
あの時は、兵士にならなければならないと思っていた自分がいた。
だからこそ、毎日を精一杯修行の時間にあてた。
自分だけの時間など、夜遅くの殆ど誰もいない図書館の中だけ。
状況は異なるし経験も全く違うものだが、彼女もまた教える人間として、彼のことを色々と考えながら鍛錬を指導しているのだろう。
彼女にとっては慣れないことの連続だ。
それでも上手く立ち回ろうとしているに違いない。悪影響を及ぼさないために。
その相手に、気遣いだからと聞いたところで、返答はある程度想像できる。
だというのに。
「……全く、何に期待しているんだ、俺は」
そして彼も道場から出て、パトリックの家へと戻っていく。
夕ご飯までの間は、色々と考え事をしながらも、身体を休めることを第一とした。
彼女に魔術による恩恵を受けたとは言っても、無理をしない方が良いだろうと彼は判断した。
一日目に魔力の放出、二日目には強化の魔術を習い、そしていずれもある程度出来るようにはなった。
少しばかり早く進み過ぎているようにも思えるが、それも復帰の為ならば良いだろう。
……と、思っていたのだが、
早速そのペースを止められることになる。
それは、その日の夜の食卓でのこと。
「明日、すまないが二人で買い出しに行って来てはくれないか?」
「明日、ですか?」
………。
3-15. 魔術鍛錬(Ⅲ)




