1-6. 王の丘
王城のある城下町。
「国」と呼ばれる領地の中でもかなり大きな規模を持つ町。
王のいる城がある、そのすぐそばの町であるから、必然的に規模は大きくなり人々もまた集まってくる。
人々が集まれば店も繁盛し、またそれを思って利益を狙う人々も多くなる。
それが繰り返されていくことで、城下町に大きな通りが幾つか出来、その通りの中には実に様々なお店が展開されている。
飯屋はもちろんのこと、万事屋や大工屋、湯屋など多くの商業店が人々の活気を更に勢いづけていた。
他の大きな町にもこのような店はあるのだろうが、王城がすぐ傍にある町とそれらとは、やはり民たちにとって格別の思いがあったのだろう。
必然的に民は城下町に集まっていた。今も城下町は空いている土地に家が建ち続けている。
これからも人々は増え続けるだろう。
しかし、一方で。
城下町から遠い地域で発生している現実から王国は逃れることが出来ない。
自治領地同士の戦闘に巻き込まれる可能性がある、直轄地。
王国が統治する領地として、安全を確保するのは国としての責務であり、義務でもある。
直轄地に対しては王国兵士団が防衛する義務が発生する。
この町がどれほど繁栄していたとしても、そうでない地域も確かに存在する。
両方が相容れることが無ければ、当然王国の体制を良しと思わない人も現れるだろう。
そうなった時。
「国」という規模であれ、平穏が失われる可能性だってあるのだ。
城下町の朝は朝にして昼間と変わらない活気を生み出していた。
流石にまだ多くの民が起きていないであろう、日が昇り始めた朝方は人の姿などあまり見ないものだが、日が昇り暖かくなっている頃には、こうして賑わっている。誰かが何も言わずとも、人々はこうして通りを流れていく。
午前中の時間を使い、アトリはこの広い城下町を回りながら、民たちから色々な話を聞いた。
兵士が民にとってのお困り解決要員である訳ではない。
だが、町の状況を具に知っているのは、何より町に住んでいる民たちである。
アトリもその一員ではあるが、城の外で仕事をする機会はそうそうない。
これはアトリの兵士としての任務でもあるが、個人的に気になってそのように話を聞きだしているというのもある。
特に貿易などを行い各地の産物を売買している商人たちは、地方の情勢に詳しい。アトリや他の兵士たちでさえ知らない自治領地は沢山ある。
そのすべてを知ることなど不可能だろう。
だが少なくとも彼らはこの近辺での情報は知っている。
そういうものを、兵士の立場として聞き出して参考にしている。
これは、アトリが後に自治領地へ戦闘しに行く時にも役立つ。
どのような町や村でどのような状態にあるのかを知ることで、今後発生するかもしれない戦闘を予測し、その対処法を事前に用意できる時もあるのだ。
もっとも、戦いなど起こってしまえば事前の準備など役に立たないのも同然だが。
一通り終わった頃には、昼を過ぎようとしていた。
相変わらず人の流れは収まるところを知らない。
町の活気は郊外にも伝わっている。
それもそのはず。彼は今城下町を一望できる場所にいる。
あれだけの人数があちこち動き回っていれば、態々言葉で言わずともそのような状況は想像できるだろう。
―――――久し振りに来たな。
心の中でそう呟いたアトリは、その丘から城も、城下町も眺めている。
『王の丘』
とても緩やかな傾斜が続くこの道の頂上に、そう呼ばれる丘がある。
丘の周りには高い建物や木といったものは一切なく、ただあるのは色鮮やかな花々と優しい色をした草原だった。
王の丘は郊外にあり、そこから城下町へは十分程度歩けばすぐに辿り着く。この丘に辿り着くと、既に城下町は一望できるので、目に見えていながらその光景が近くなっていくのを楽しむことが出来る。
この丘が王の丘と呼ばれる理由は、ただ一つ。
浅い歴史、世界の片隅にあるたった一つのちっぽけな自治領地が、ある人の手によってここまで発展し拡大した時のことだ。
アトリは、王の丘の頂上に埋められている石碑を傍で眺める。
石碑には短いながらも文字が刻まれており、この石碑が何を意味しているのかが分かる。久し振りに来たアトリはその言葉を見て、改めて城下町に視線を戻す。そうして、石碑に書いてある一番最後の行を、彼自身が口にする。
『すべて民が自由と平等のもとに。先々の未来には、この大地が協調と平和を具現する理想郷であることを切に願う』
そう記されてあった。
王の丘と呼ばれる理由には、この国が「王国」と宣言される過程に解答がある。
そう昔のことでは無い。
不毛な争いが大陸の各地で発生していた。飽くことのない戦いが人々を確実に死に追いやっていた。
遠く離れていても巻き込まれることが多くあった。
理不尽にも強制され服従し命を落とす者も大勢いた。
そんな世の中を救いたい。少しでも改善したい。
この大地に住む者は、自由と平等のもとに時を過ごしてもらいたい。
そうして立ち上がったのが、先代の国王。
その当時はまだ自治領地の一員でしかなく、王と呼ばれるようなことは何一つしていなかった。
だが、誰もが安心して生活していける世界を信じ続け、そのために周りを意図的に巻き込み、また時には戦乱も開いた。
それでもその者に賛同してくれる民が数多くおり、やがて勢力は拡大していく。不毛な争いに半ば共通している「侵略」という行為。
彼らのそれも言葉通りの意味であったが、根底にあるのは「人々のため」という思いや気持ち。
それを妄想でも信じ貫き通し、そしてこの結果を生み出した。
世界の中でも一部分だけ平和になったのだろう。
その時のこと。
ようやく戦いが終わり、人々が町を作り、城を作り終えた後。
この丘のうえで、主導者であったその者は、民に「王」と呼ばれることになった。この丘のうえから、その者を見上げる民たちに声を張り上げ精一杯の気持ちと宣言を伝えていた時のことである。
末文に書かれた言葉に続くようにして、こう書いてある。
すべて民が自由と平等のもとに。先々の未来には、この大地が協調と平和を具現する理想郷であることを切に願う。
フィリップ・フォン・ウェールズ
そう。
その者、フィリップ・フォン・ウェールズこそが、この王国を築いた主導者であり、彼の名を取ったのが、この国の名前「ウェールズ王国」である。
はじめは小さな理想から始まった。
後に周りを次々と巻き込んでいき、その輪を広げて行き、その妄想とも呼べる信条を純粋に貫き、それに賛同する者たちによって、最後にはこの丘で王国の建国を宣言した。
フィリップこそが初代の王であった。
まだ一つの「国」としては浅い歴史である、この王国。
しかし、それでも王国の建国は民たちにとっては待ちわびていた瞬間でもあった。何より王の信条の体現が、王とそれに従う者たちすべてによって得られた、この大地であった。
見渡す限りの素晴らしい大地のうえに、王の城と城を支える町が出来上がる。地方には王の統括する直轄地が設置され、そのもとで暮らす民たちも王国の一人であることを認められた。
長い間戦いや圧力に苦しめられてきた。
人が人であることを否定し、人が過ごしてきた生涯さえ許されなかった苦行の日々。
そんな日々からの脱却。
王の掲げる自由と平等の誕生と成立。
誰もが祝った。王は国のために戦い、民たちをまとめ上げた。
民もまた、国のため、王のために力を尽くした。
その結果が、この領地。
世界のほんの一部の、平穏な大地である。
―――――。
少々複雑な気持ちになる。
当時のフィリップ王は、今このご時世を見ることが出来たら、何を思うだろうか。何を感じ、何を考え、そして何をすべきだと行動するだろうか。
否、もはや考えたところで成す術は無い。
フィリップ王は既にこの世にはいない。激動の時代を己が築き上げ、それに他人を巻き込みながらも、今ある形を実現させてみた、カリスマ的存在。
今もその王を記憶に留めながら余生を過ごすご老体もいる。
誰もが王の姿に心の影響を受けた。
しかし王とて不老不死ではない。常に万全な状態であるとも言えない。
まだ存命の民は言う。
王は、天寿を全うされたのだ、と。
王国を築き上げ、直轄地を設置し、人々が自由と平等のもとに安定した生活を送る。これを見届けた後、王は静かに眠ったと伝えられている。
しかし。
どれほど望み、体現し、そしてまだ見ぬ未来に向けて希望を連ねたとしても、この世界から戦いが無くなることは無い。
まして、今はこの国ですらその渦に飲み込まれている。
貴方が望んだ、願った未来は、まだ完成には程遠いのです。
彼は、そう頭の中で呟く。
そんなご時世に自分が出来ること。自分が民の為にしてあげられること。
そして、その行為がまだ見ぬ未来をどう形作って行くべきなのか。
彼はその時、自分の剣の柄を強く握る。
ウェールズ王国の一日は、夕方以降も賑わいを見せている。
夜は飯屋で酒を飲む民たちが多く、夜町を警備する兵士たちとしては中々好ましくない時間帯である。
泥酔した民を家まで無事に送る、なんてことをする時もあり、最早それは兵士と言うよりは便利屋であった。
民の自己責任とは言え、それを中々見捨てることが出来ないのも兵士たちの考えものである。
それ以外にも、時々事件が発生することもある。人々が集まる町であればそうしたものもつきものである。
民たちを困惑させるような物騒な事件は起きないにせよ、小さな事であれば毎日のように起こる。それに兵士たちが対応する時もあるので、兵士たちは日中と変わらず忙しい。
一方のアトリは、と言うと城下町の警備から外れ、日が落ちた頃には城内へと戻っていた。
彼の任務でよくあるものの一つ、宝物庫の警備と整理の手伝いであった。
「おかえりなさいませ。アトリさん」
「ありがとう。今日もよろしく頼みます」
城に戻り軽食を済ませた後、アトリは王城の宝物庫のあるフロアまで移動する。階段を幾度も上がり、途中キーロックをかけてある扉を開け、その先の狭い通路を進んでいく。
石の壁に挟まれた通路は途中3本ほど別の通路へと通じているが、アトリと男性の使用人が歩いて行きついた先は、ただの狭いフロアであった。
石の壁に囲まれていることに変わりは無く、ただ壁に幾つもの絵画が飾られてある。一番大きな絵は、王の丘から城と城下町を描いたものと思われるもの。
他には、切り立った山の絵や背後に山を捉えた集落を写したもの、などがある。
全体的に山が描かれた絵が多いが、その理由は分かっていない。
誰が描いたかも不明である。
が、今はそれを気にする時間ではなく、この石の壁より更に先の空間へ行かなければならなかった。
そもそもこのフロアに入るための通路へは、専用の鍵を必要とするので普通の人が来ても中へ入ることは出来ない。
さらに、宝物庫のあるフロアは城の中でも上層階にあるため、兵士と言えど近づく人は少ない。
上層階は王家の者が生活をする空間がある。
使用人がある一片の壁を前に押し出す。
すると、部屋全体に「ガチャリ」という音が響く。
まるで鍵を開けた時のような音。しかしその音は大きかった。
使用人がアトリの方を向き視線を送ると、二人はまた移動し、ある一角の壁際に行き、そしてその場でしゃがむ。
そこが、宝物庫の入口となる場所。
アトリは自分の剣を鞘から抜き、床と壁の僅かな隙間にそれを入れようとする。
「アトリさん、剣が…」
「…あ」
そうだ、この剣はもうボロボロになってしまったのだ、とアトリは再び思い出す。仕事をしている間はあまり気にしておらず、また城下町で剣を抜く機会など無かったものだから、この時間まで来ても戦闘後の剣を修復、あるいは交換することが無かった。
刃が欠けたり、先端が折れたりしているが、だとしても殺傷能力は充分にあるだろう。ただ耐久力に優れないというだけだが。
剣を隙間に差し、持ち上げようとすると、石の壁と床の隙間が更に広がる。
二人にはもうそれで充分であった。
剣を抜く代わりに両手の指を入れ、そして力を合わせて一気にそれを上まであげてしまう。
壁が上までスライドするようにあがると、またそこには鉄製の扉があり、使用人がそれに合う鍵を差して開錠する。
「…なんというか」
「いえ、アトリさんの言うことは、私にも分かっているつもりですよ」
こう、仕組み的には大したことは無い。
だからといって大衆がこの仕組みに気付くとも言えない。
壁の至る所に飾られた絵画を見て、この先に宝物庫があるなどと考える者がいるだろうか。
確かに通路を行き辿り着いたフロアがこのような景色であるから、それを不審に思う人はいるかもしれない。
が、このように開ける方法があると気付く者はどれほどいるだろうか。
もっとも、気付かない方がありがたいことに変わりはないのだが。
しかしそれを知ってしまっているこの二人にとっては、この空間というのはなんだか味気ないと言うか、新鮮味も貴重さも無いのだ。
秘密を知った後の気持ちというのはこういうものなのだろうか、と。
とは言っても、既にこの使用人もアトリも何度もこの仕事をしている。
宝物庫は絵の飾られている部屋よりも大きな部屋である。
鉄製の扉を開けても明かりが一つも灯っていないため、まず使用人は手元にあるマッチを使って、壁に取り付けてある松明に火を通す。
幾つかの松明が元気よく明かりを灯せば、ほぼ部屋の大半は見通せる。
宝物庫の中にある物は様々だ。
かつて初代の王が使っていた古びた鎧もあれば、輝く装飾品や大きな鏡、金銀で構成される財宝などがある。
しかし、宝物庫の扱いは殆どの人が行わなかったのか、今も一部では荒れ放題になっている。
「アトリさんは、今日はあの書物の整理をお願いします」
「分かった。埃だらけになりそうだ」
書物もまた、国宝に名を連ねるものの一つとなっている。
紙媒体に文字が書かれているのはよくあることで、この王城の中にも図書館がありそこでも書物は沢山触れ見ることが出来る。
しかし、ここにあるのはいずれも古い書物。
極端に言えば、この浅い歴史が持つ王国とは直接かかわりの無い書物も数多くある。歴史を学ぶ者からすればたまらない一品である。
そのようなものであれば、一般向けに公開するのが一番ではないだろうか、という意見もあるかもしれないが、
中には人々に混乱を与える恐れのある内容の書かれたものもあり、この国の背後や裏面を色濃く描いたものは、国宝と言いつつ国が厳重に管理する対象となっている。
アトリは、城内の任務としてこの宝物庫を警備したり、時にはこうして使用人と共に整理するものを受け持っている。
もっとも、彼が城内にいる時だけで、自治領地へ行っている間は別の人が担当することにはなるのだが。
宝物庫は、国の歴史と財産がある貴重な部屋。
ゆえに、王城に勤めている者たちですら、それを知らない者も大勢いる。
誰にでも親しまれる部屋を、この空間は求めてはいない。
だからこそ、カムフラージュしてやり過ごしていることもある。
アトリは宝物庫の内部を知る数少ない兵士である。そして彼が宝物庫の警備や整理を仕事にしていることを知っている人も数少ない。
この空間の情報はある程度堅持しなくてはならない。
アトリは古びた書物を慎重に、傷つけないように一つひとつ運んでいく。地面に置きっぱなしで傷んでいるものもあるが、それも含めてすべて整頓していく。
その中に、一つ奇妙なタイトルのついた本を見つけた。
「…これは…」
「おっ…実はその類の本、集めていたんですよね。それも同じく、あまり人目に付けたくないもののようで」
タイトルとしてはあまりに小さな文字が刻まれていたのだが、そこには確かに、
『魔術』と書かれてある。
1-6. 王の丘