3-11. 手合わせ
誰かを護るための剣。
その誰かがどのぐらい存在しているかも分からない。
人を護るために、人を斬るその生き方。
外敵を排除しなければ、幸福という席は存在しないこの世界。
………。
そのようなものの為に、剣を振るうあの人。
確かに、誰かを護るという理想は叶えられるかもしれない。
だが。
―――――――お前は生まれてくるべきではなかった。
「………」
……だが、そんなものは………。
翌日。
彼が目を覚ましてから、4日目のこと。
彼自身、この時間の流れと展開の早さには少し驚きを感じている。
不思議な縁とも言えるのかもしれないが、彼は自身が魔力を持つ身体であることを知り、
パトリックとフォルテによってそれを引き出すための鍛錬を受けることになった。
4日経っても、いまだ二人の正体がいまいち掴めないアトリ。
ただ、昨日のこともあり、特にフォルテというあまり歳の変わらなさそうな少女に対しては、
恐らく相当な手練れの魔術師であると彼は判断していた。
だが、その経緯は不明。
何故この二人は魔術の心得を持つことになったのか、それを受け入れることになったのか。
はじめ、彼は身体の調子が戻り次第ここを早々に離れるつもりでいた。
今もその気持ちを棄てきれていないのだが、彼は魔術を教わるために、恐らくは想像以上の時間を
この二人と過ごすことになるだろうと考えていた。
ただの人間関係という訳にもいかない。
流れ者の不始末とはいえ、暫くは共に生活する仲だ。
その日はフォルテ、パトリックと共に朝食の準備をし、食事を済ませ、
少し時間が経ち彼女と鍛錬を行うことになっていた。
パトリックはいつものように農作業へ。彼女は少し休憩してから来るように、と先に道場の方へ準備をしに行く。
一体どのような鍛錬をすることになるのだろうか、と彼は思いながら、朝食後身体をほぐし始める。
昨日、あれだけ自分の身体に襲い掛かっていた圧迫感や熱は、今朝になってかなり落ち着いていた。
あの状態だと、一週間ほどは苦労するかに思えたが、意外と効力に適応しているのかもしれない。
ともかく、魔術を扱うということは、危険を伴うことだ。
分不相応の魔術は身を滅ぼし兼ねない。
道半ばで諦めるつもりもない、この機会を最大限に活用するまでだ。
彼の決心は固い。
彼は朝食後に身体をほぐし、出来るだけ身体の様子を整えたうえで、外に出る。
彼が城などで鍛錬をする時には、必ずストレッチを行ってから励むようにしていた。
元よりこの教えは、同じ兵士で女性であるクロエからのもの。
彼女からの教えを受け、そうするように何年間も続けていたのだ。
その日の空は、少しどんよりとした様子。
白黒、色の明暗がつくほどの雲に覆われ、太陽の光は少し遠い。
今日も農地とその周囲の大地には風が吹き、綺麗な自然が音を立てながら踊っている。
光が遠いというものの、自然は活き活きとしているようだ。
兵士としての訓練を受け、兵士としての生活をしていた頃には、中々感じられなかったものかもしれない。
思えば、兵士としてこのような大地を穢し続けてきたのだから。
「どうぞ」
彼は道場横の入口に辿り着き、扉を数回叩いて合図をする。
彼女は既に道場の中に入っており、どうぞという声がした後で、彼は失礼しますと言い、入っていく。
昨日見た道場の光景。
ここで何故彼女が訓練をしているのかが気になるところではあるが、時間が経てばそれも分かることだろうと思い、自分から聞くことはしなかった。
「改めて、今日からよろしくお願いします」
と、彼が彼女に対し一礼する。
彼女の服装はたとえここが道場であろうと、向こうの調理場であろうと、ダークスーツ。
これから鍛錬をする者の格好には思えない。
彼女は道場の中央で正座をして彼を待っていた。
彼女の両脇には、竹刀が置いてある。彼も鍛錬で世話になった、剣代わりのものだ。
目を閉じ、まるで精神を集中させているかのようなその佇まいは、どことなく綺麗にも見える。
そして彼がそのように言葉を発すると、彼女もその場に立ち上がって礼をする。
これから、彼の魔術師としての機能を発揮できるようになるための、鍛錬が始まるのだ。
「身体の調子はどうですか?」
「少なくとも、昨日よりは幾分も楽になりました」
「そうですか。安心しました」
………と言うのに。
何かこう、ぎこちなさを感じる。
彼女は相変わらずの無表情ぶりなのだが、どことなく手をこまねいているというか、
どのように進めるべきかを考えているというべきか。
具体的な方法は既に頭の中にあるのだろうが、それに至るまでの過程があまりに急すぎるのも、考えものだろう。
そのために、鍛錬に入る前の前座が欲しかったのかもしれない。
それが、お互いに敬語を使って話し合うという会話になった。
少し沈黙が生まれそうだ、と思ったところで、彼は思い切って聞いてみることにする。
先程まで考えていた、時間が経てば分かることもある、という考え方からは全くの真逆。
「その姿で、動き辛いのではありませんか?」
「いえ、そのようなことはありません。鎧や兜といった類のものを付けるより、遥かに軽くて動きやすいでしょうから」
もしかして、フォルテさんは
戦場に出たような経験があるのだろうか。
あるいは、俺が兵士だから鎧などを着込んでいると思い込んでの言葉だろうか。
「私も、戦場ではあまり鎧などの重たいものは着込まない方でした」
彼は出来るだけ戦闘における防御を剣に集中させ、
身体への直撃を絶対に防ぐようにしていた。誰も彼もが当然のことではあるのだが、
彼の場合はそれだけではなく、防御を取り続けて相手の隙を突くという攻撃先方を用いている。
そのため、実際に攻撃動作に入る際に鎧などの防具が錘となり鈍らせるのを嫌っていた。
もし彼女が兵士でなくとも戦う術を熟知している女性であるのなら、彼と彼女は傾向が似ているのかもしれない。
どちらも素早さを重視するからだ。
「では、ある程度の速さには対応出来そうですね。鍛錬は、手加減抜きです。充分に身体を鍛えないと魔術行使に耐えられないかもしれませんから」
「はい。お願いします」
フォルテという女性が竹刀一本でどれほど立ち回れる人なのか、ここで見る機会となる。
彼としてはその辺りも気になるところであった。
彼は王国の正規兵として、しかも王国兵士の中でも数少ない、幾多の戦場を経験する男。
身体の調子は良くないし、剣を持つ手の感覚や身体のこなしも鈍っているだろう。
それでも、兵士を相手にするということがどういうことなのか、彼女は分かっていて鍛錬を指導すると言ったはずだ。
彼女が全力で来るというのなら、彼も持てる力を発揮してそれに全力で応えよう。
それが彼の中での考え。
少なくとも、今この瞬間に決心がついている、彼女に向けた考え方だ。
お互いの間合いは10メートルほど。
竹刀を持った二人の人間が、防具も無しに向かい合っている。
鍛錬といっても、フォルテはただ試合形式のようなもので打ち合う、と話した。
それが身体の鈍さを普段のものに戻すための最良の方法だと。
彼もそれは理解できなくはない。
今まで長い間、戦場で戦い続けてきた彼の身体は、戦闘に対して彼なりの施政が既に型として身に着いている。
まずはかつての自分のように、通常通り戦える身体に戻す。
そのうえで、強化できるものは強化し、魔術行使にも耐えられるような身体を身に着ける。
1ヵ月。
先の長い話ではあるが、欠かすことのできない必要なこと。
今、彼と彼女との間には、まるで戦場さながらの張り詰めた緊張感と圧迫された空気が漂っている。
お互いに竹刀を持って構えているだけ。
だが、それでも真剣な表情はその空気感の発生を物語っている。
「では………いきます」
フォルテがそう静かに言った、その刹那。
「………!?」
全身を黒に染められた格好の竹刀を持った女性は、一気に間合いを詰めて彼の元に飛び込んでくる。
その動き方、足全体に込められた力の入り方と、それに乗じた瞬発力の高さ。
彼は僅かな時間で懐に接近してきたフォルテの動作に、驚愕する。
だが驚いてばかりでもいられない。
すぐに彼もガッチリと竹刀を構え、彼女の初撃に反応しようとする。
しかし、彼の反応のそれを上回る一撃を、彼女は瞬時に繰り出した。
彼は相手の切っ先が自身の胴体中央ではなく、脇腹、側面を狙ったものとすぐに気付いて、
咄嗟に身体の反応を変える。
フォルテの一撃が突き技の形で、彼の脇腹を掠めて行く。
初撃で間合いを一気に潰してからの突き技。
現実の戦闘では見たことも無いような攻撃であった。
というのも、剣と剣を相手にするとき、突き技を繰り出すのには利点も欠点もハッキリしている。
突きとは、攻撃範囲が剣の長さに頼られることなく、相手の身体目がけて一点で迫って来るもの。
通常の剣戟のように交わされるようなものではなく、早ければ早いほど防ぐ手段が難しくなる。
相手の身体のどこかを狙い澄まし、その一点だけを命中させれば良いのだから。
だが、欠点としては隙が大きいことにある。
突き技を繰り出した、第二撃目が相手にとっては体勢を立て直すところから始めなければならない。
アトリはこれを知っていたし、このフォルテの攻撃を見逃すはずもなかった。
身体の一部には命中したが、現実で言えばまだ軽傷と言える範囲。
アトリの初撃は、フォルテの第一撃目の直後に瞬時に発せられた。
「はっ!!」
基本動作は、防御姿勢。
硬く、堅く防御を貫き、相手の隙を貫いて攻撃を加える。
それが今まで彼が身に着けてきた、彼の基本動作。
初撃からその隙を伺うことになるとは思わなかったが、彼は初撃を左から右へ竹刀を振り、フォルテの右脇腹を直撃させるような一撃を繰り出した。
だが、フォルテはそれに対応して見せた。
突き技で体勢がそれになっているにも関わらず、すぐに身体を動かして、腕を身体の後方に持って行きながら地面に竹刀を立て、直撃するであろうアトリの攻撃を防いだ。
それだけでも、彼としては驚きの光景であった。
確実に一撃が入るところであっただろうが、彼女はそれを難なく乗り切ってしまった。
フォルテの二撃目は、アトリが繰り出した攻撃の竹刀を絡めて、竹刀を勢いよく振り上げるところから始まる。
構えていた腕がまるで操られるように、相手の振り上げに乗せられて頭の上に持っていかれてしまう。
彼としてはそのまま竹刀を振り下ろして二撃目、といきたいところだったが、構えていた腕が頭の上に瞬時に弾かれてしまった状況では、振り下ろしに力は入るが繰り出すまでの時間が掛かる。
当然、彼女はそれを見逃すことは無かった。
「ぐっ………!!!」
彼女は、本当であればアトリの竹刀ごと弾き飛ばしたかったのだろうが、
それを彼は許さなかった。
剣とは兵士としての身を護るものでもあり、これが無くなるということは命を投げ出したも同然。
剣を失うことの欠点を知っている彼は、それだけはさせないと粘り強く持ち続けた。
構えを上に跳ね除けたにも関わらず、彼女の次なる攻撃は素早く、そして容赦なく胴体に入る。
一瞬にして上半身に駆け抜ける痛みを覚えたアトリは、咄嗟に構えを解き全力で後ろに間合いを取る。
ダークスーツの彼女は、その一撃が入ったのを手の感触で確かめるようにし、そして再び彼にその竹刀を構え直す。
表情も眼差しも、真剣そのもの。
そして一切の容赦もない、躊躇いもない、ただ目的だけを果たそうと構える、少女。
………これは、強い。
想像していた以上だ。
いや、もしかしたら例の、魔力の加護というものがあるのかもしれないが、
それにしても生身でこれほどの打ち込みが出来るとは……。
彼の鍛錬を城で担当してくれた女性、クロエに対してもその強さを知ったときは驚愕したアトリ。
本当にクロエが強い存在で、剣戟で引けを取らないことを知ったのは、そう昔のことではない。
いや、もしかすると、目の前にいる彼女はクロエ以上に衝撃的かもしれない。
少なくとも、このレベルの人間が戦場に現れたとすると、並の人間では太刀打ちできないかもしれない。
たった数度の打ち合いだけで、彼の内なる勘が彼の全身に向けてそう言い放っている。
「………!!」
更に彼女は彼が広めた間合いを一気に詰めてくる。
一度落ち着いて構え直す時間を与えず、度重なる剣戟が彼の懐を目がけ襲い掛かる。
ただ相手の一撃を防ぎ、受け流すことは、彼も今まで何度も経験してきたことだ。
しかも、魔術師を相手に出来るだけ自分の身体に直撃を受けないように、防御し続けたこともある。
結局その防御は突破されたが、それでも有用であると彼自身は判断している。
が、彼女の剣戟はそれをも凌駕し、彼の防御姿勢は崩れて行きながら、それでも彼女の攻撃を受け続ける。
右に、左に、上から下へ、左下から右上へ、あらゆる攻撃が繰り出されていく。
彼は反応できるか出来ないか、の瀬戸際で彼女の攻撃を受け続ける。
本来であれば受け流し、その隙を突いて逆撃を加えるという手もあるのだが、彼女の動きには全くの無駄を感じられない。
大きな動作は、初撃に彼女が繰り出した突き攻撃だけだっただろう。
思えば、あの瞬間がやはり最大の隙であったのかもしれない。
といっても、その隙も針に糸を通すほどの小さなものであったが。
それから、どのくらいの時間が経ったかと言うと、僅かに10分。
僅かと言うのは、後で彼が時計の時間を確認して、それもまた驚いたことだった。
あれだけの打ち合いをしておきながら、短時間しか進んではいない。
この10分間に、彼は五度も身体に直撃を受けた。
通常であれば、既にその身体は死んでいると言えよう。
「………はぁ」
溜息の一つや二つ、出ないはずがない。
幾ら身体の調子が元通りでなかったとしても、兵士が一般人に五度も取られるなどと。
本来であれば、あってはならないことだ。
そもそも、あの人を一般人と捉えるのももはや無理な話なのだが………。
10分程度、真剣に打ち合った二人は、フォルテの進言により休憩をすることにした。
彼は汗をかきながら必死に防御を続けていたにも関わらず、フォルテは汗一つかかず無表情だった。
流石に動きが激しかった為か、休憩と言われると、彼女は乱れたスーツを自分の手で整えていた。
彼は道場の壁を背もたれに、座って休憩をする。
一方彼女は、その彼の前、数メートルほど間隔をあけて、彼に向かって正座をしていた。
これもまた、妙な距離感だと感じずにはいられない。
「流石に兵士だけあって、手強いですね」
「……いえ、何本も取られてばかりで、何と言うか」
「まだ本調子ではないのでしょう?それが当たり前です、気を落とさずに。ですが、今の状態でもパトリック以上の戦いは出来ていますよ」
恐らく、彼女の言う手強いという比較の対象が、会話に出たパトリックとのことなのだろう。
ここで彼は彼女がパトリックを相手に試合をしたことがあることを確信した。
パトリックも魔術師であるのなら、戦闘はかなり優れているのではないか。
というのが、昨日からの彼の考え方であったが、どうやらそう決めつけたものでもないようだ。
「それは、どういう……?」
「はい。パトリックも確かに強いのですが、彼は根本的に剣を扱うことに慣れていません。時々、私の鍛錬に付き合ってもらっていますが、今は貴方の方が為になりそうだ」
「……なるほど」
今は貴方の方が為になる。
そう言われると、これが自分のみならず、彼女の為にもなっていることを理解できる。
休憩時間、鍛錬の合間に彼女との会話で、色々と状況が見えつつある。
何故彼女が鍛錬を必要とするのかは分からないが、これほどの手練れなのだから、勘を鈍らせないようにしているのか、あるいはもっと別の理由があるのか。
ともかく、パトリックと日常的に鍛錬をしていることは分かった。
この道場はそのためのものだろうが、果たしてはじめからそうした意図があって建てられたものだろうか。
彼はそのように思いながらも、話を受け入れる。
どうやらパトリックは魔術師ではあるが、剣使いという訳では無いようだった。
魔術師だからといって、皆が皆剣を扱うことが出来るとも限らない。
それを例外と捉えるのも、またおかしな話ではある。
彼は既にその実例を見ている。黒剣士は確かに剣を扱う者であったが、初めて彼が魔術師の心得がある者と対峙した、その相手は槍使いであった。
今でも覚えている。あの圧倒的なまでの力と武器の長さを使った攻撃の数々。
「それにしても、調子が戻っていないにせよ、貴方の防御は見事なものです。今なら、貴方の魔力の傾向が防御魔術に向いているのが、よく分かります」
「戦い方一つで、やはり分かるものですか?」
「ええ、それなりには。正直、少し気になってはいたのです。貴方の魔力適性が私たちでは分からなかった。ですが、貴方の魔術の型は防御魔術のそれを示している。ですから、どのような戦い方をするのか、気になっていました。適性が分からないのは魔術師にとって痛手ですが、それでも型さえハッキリしてしまえば、基本的な魔術行使は他の人が同じ型を使うよりも勝ります。貴方が魔術を行使できるようになれば、さぞ役に立つことでしょう」
防御魔術の傾向が自分にはある。
なんてこと、意識しても彼にとっては全く分からないことだ。
少なくとも今の時点でそれを把握できるほど、優れた能力を有している訳ではない。
今の彼は、ただ体内に他の人の魔力では書き換えられないほどの魔力を保有しており、
その魔力が防御魔術を用いるものである傾向がある、ということが分かっているだけ。
発動も投影もすることが出来ない。
だが、それでもフォルテは彼の戦い方に感心していた。
「フォルテさん、その――――――」
「冷たいお茶を持ってきます。貴方は、ここで休んでいて下さい」
自然と、会話の中に自分の言葉が入りこもうとしていることが分かる。
自然な流れで色々と分かるものだと思っていたが、何故こうも崩れてしまうものなのだろうか。
聞きたいことがあるから、知ってみたいことがあるから、それが何かの為になることだから。
そう思って、彼は自分から彼女に話しかけようとする。
しかし、彼女はお茶を持ってくるために、一度道場から離れて行ってしまった。
タイミングが合わなかった。
「………」
午前の鍛錬は、まだ続く。
3-11. 手合わせ




