3-10. 遠い景色
「はっ………裸………!?」
あまりに狙いすぎた反応をしてしまったのだろう。
それを聞いたパトリックは噴き出すように笑いだした。
何か謂れのない憤りを感じるところなのだが、それ以上に彼女から裸になれと言われること、そのものに驚きを感じた。
それもすべて魔術の為なのだろうが、一体何をするつもりなのだろうか!?
それが彼の正直なところの感想である。
一方、彼女は彼がそのような驚きを示していることに、首を少しだけ傾げて疑問を投げかけているよう。
まるで、私は何かおかしなことを話しただろうか、と言わんばかりの。
表情こそ変わらないものの、そのわずかな仕草でそう言いたいのだろう、と彼には想像がつく。
流石に彼も戸惑う。
何をされるかも分からない、魔力を身体から身体に通すために、裸になるとはどういうことだろうか、と。
「はっはっはははははあ安心しなさいアトリくん、ふっ、既にフォルテは君の裸を見ているから、今更どうこうするものでもないよ」
「なっ………!!」
「上半身だけです」
と、茶々を入れるパトリックを制するように、彼女が強い口調でそのように話す。
目を閉じ、自分は正しいことをしているまで、と言っているかのようだ。
そうだったそうだった、とまた笑いながらパトリックは口に言葉を乗せる。
その時。
確かに彼は驚いていたのだが、それ以上に驚くべきことに気付いた。
今まで無表情だった彼女の姿が、この一瞬はそうでないと直感で思ったのだ。
相変わらずダークスーツを身に纏っているし、堅い表情も消えてはいない。
だが、そんな表情の中でも、彼女の今この瞬間は、何か感情が表出していたように感じた。
パトリックが余計に紛らわしいことを言うから、彼女がムッとして答えたように。
そして、彼女が発した言葉に表された口調の強さ。
今この瞬間は、彼女が内なる感情を見せた瞬間では無かっただろうか?
きっと、そうだろう。
彼の中で勝手ではあるがそう判断した瞬間、なんだか自分の心の枷が緩まったように感じた。
この三日間、彼女と話す機会はあったものの、お互いに牽制しているような雰囲気な否めなかった。
今も会話というよりは、彼女が一方的に彼に知識を与えているようなものであった。
だが、それでも、たった一瞬のそれが、彼にとっては少し嬉しいと感じた。
助けてくれた恩人だ。
本当であれば、自分は死んでいただろう。
彼女が自らの石の魔力を使って、自分を助けてくれていなければ、
今こうしてここにいることもない。
彼女にとっては、赤の他人にそのような力を使うなど、考えもしなかっただろう。
そんな彼女が、僅かにでも違う彼女を見せてくれたような気がする。
嬉しい、と感じたんだ。
いつも頑なに動かさないその表情。
それでも、彼女が彼女自身を表すのに、堅いという言葉以外のものがある、ということに。
「さて、彼のせいで話は逸れましたが、始めましょう。座ったまま、楽な姿勢を取ってください」
「は……はい」
結局裸になるのは上半身だけ。
まさか下半身という訳でも無かろうと思っていたが、それはそれで安心した。
楽な姿勢と言われても、彼女にとってはどの姿勢がやりやすいのかが分からず、彼は取り敢えず
胡坐をかいて両手を両膝の上に乗せ、背中を丸めた。
それを見た彼女は、彼の後ろに片膝で座る。
先程まで笑い散らかしていたパトリックも、彼女がそうするようになってからは、それを真剣に見つめるようになっていた。
すると、まずはじめに彼女は、右手の人差し指と中指とで、彼の背中に触れる。
まるで触診するかのような手の動かし方だった。
同時に、何かを探しているようにも感じられる。
広い背中と逞しい肩幅の、あらゆるところをそっと触れて行く。
1分程度だろうか、背中周りを触れていたその手が、今度右手全部になり、背中の中心から右肩よりの位置に触れる。
「では始めます。とはいっても、今日は一瞬で終わります。今日が一番辛いかもしれませんが、これも鍛錬だと思って我慢して下さい」
「ん………?」
「………!!」
どういうことだろう、と疑問を投げかける前に、それはやってきた。
この時、彼の視界からは見えていないが、彼女の右手は強い魔力を帯びたものとなっていた。
刹那、彼女の右手はまるで稲妻が駆けて行くように、一瞬だけ発光する。
それが向かう先は当然、右手から彼の背中に触れている、彼自身の身体。
光とその感覚が手から彼の身体に伝わる瞬間、彼もまたその感覚を得る。
心臓が、張り裂けそうになるほど強い鼓動。
足の先から脳天にまで響くような、強い痺れた感覚。
そして、視界さえ白く奪ってしまうような、強烈な身体への刺激。
何もかもが、ただ一瞬で覆い尽くされてしまったかのよう。
目の前が、一瞬で白くなった。
…………。
一瞬、という割には、何故か長いようにも感じた。
いや、あるいはこれは俺だけが見ている光景なのかもしれない。
恐らく、そうなのだろう。
何故なら、またあの先に、見覚えのある、あの男がいる。
しかし、前に見た、あの光景とは違う。
確かに男はいる。
だが、あの燃え盛る景色は、今は無い。
まるで地獄にも思える劫火の景色とは、かけ離れた光景。
ただ、明らかに周りの様子はおかしなものだった。
まるで色を失い黒と白しか存在しないような世界。
あらゆる物は存在しているが、本来あるはずのものがない、と言うべきだろうか。
それはそれで、不気味な世界だった。
見た瞬間、少なくとも彼には、これが異質で異常だということが分かる。
全身に鳥肌が走り、その不愉快さが襲い掛かって来る。
だが、それ以上に不気味な何かがそこには見える。
男は一人、重い足取りで、その光景の中を歩く。
彼以外に人はいない。
まるで動かぬ白黒の背景、空虚な荒野を一人歩く青年のよう。
空虚な荒野。
大地、川、建物、あらゆるものがこの自然界に存在しているにも関わらず、
そう言い切れてしまう、そのような光景。
それほどに荒んでしまっている情景。
彼はそこに、何かを気付こうとしていた。
引っ掛かるものがあったのだ。
劫火の光景は、まさに地獄そのもの。
あちらもあちらで荒んでしまった大地、生きているはずのものが死んでしまった、
地獄と言うべきものなのだろう。
しかし。
この光景も、それに劣っていない、異常である。
何故そのような光景を、何度も何度も見てしまうのか。
何が原因で、何がそうさせているのか。
それでも、彼はこの光景こそ何かを訴えているものではないか、と。
そう思い、それに気付こうと、この光景の隅々を知りたくなったのだ。
…………。
「がっ………あぐっ………!!!」
もう少し、あの景色を見てみたい。
不気味であることは分かっている、だが何故かそれを知りたいとも思える。
これは本能が指し示す何かだろうか。
決して誰にも見えていないであろうこの景色を心に抱いたまま、それは訪れた。
突如冷や汗を背中に感じ、寒気を全身が駆け抜けていき、そして心臓部が猛烈な痛みに襲われる。
胡坐をかいて座っていた体勢だというのに、その場に転げ落ち両手を地面につく。
ああ、これは前にも似たようなことがあっただろうか。
幾ら足掻いてもこの痛みから抜け出すことはない。
フォルテが彼に話す、今日が一番辛いかもしれないという言動の理由は、ここにあった。
「流石にやりすぎたか?フォルテ」
「いえ、適量かと。後は貴方次第です」
フォルテはそのように無表情を語り言葉を乗せるのだが、
確かに彼女も一瞬で強い魔力を相手の身体に通すという経験が無い。
第一、魔力を持つ者同士が共闘したり、共に生活をするということ自体、魔術師の世界ではそうそうあるものではない。
本来、魔術師であることを秘匿し、その存在を隠蔽する必要があるのだから。
流石にフォルテも彼の様子を気にしてか、両手を彼の両肩に添える。
触れた時、彼の身体は小刻みに震えており、恐らく全身に痛みと震えが浸透していることがすぐに想像できた。
「はぁっ………ぐっ………」
心臓は熱いし、鼓動も炸裂しそうなほど強く早いというのに、
身体全体は寒さを感じている。
不意に襲い掛かってきた目眩は、最近慣れてしまった症状の一つでもある。
慣れるべきではないと分かっていながら、この感覚にどう対処すべきかも、頭の中で思考が働く。
前に、それこそあのような光景を夢で見た後に、こうした症状に襲われることがあった。
初見、あの時はあの光景に驚き身体の調子が著しく崩れたのか、あるいは別の何かが作用したのかとも思ったが、とにかくあの時はこの変化に上手く対処することは出来なかった。
今回も、あの時と同じか、あの時以上の急激な変化に襲われている。
頭の中は冷静であり続けながら、身体の一部はとても熱く、全身は寒い。
今、彼は両肩を彼女の手が添えられていることを意識することは出来ていても、中々反応することは出来ない。
「………っ、慣れてきました……ある程度、は………」
二人から見るとそう思えるかどうかは微妙であったが、
確かに呼吸は整い始めている。
彼女はその様子を見て、適応が早そうだ、と彼に伝える。
今、自分の身体にある魔力を起こすために、他者の力を借りて魔力を自分の中に通した。
本来であれば、器のみの彼に彼女の魔力を通した時点で、彼女が持つ魔力はその器に入りこんでいた。
だが、彼は元々魔力を体内に持っており、彼女の魔力を受け付けることが無かった。
故に、今回も彼女は魔力を通して今まで眠っていた彼の魔力を起こそうとするが、彼女の魔力が体内に残ることは無い。
余波はあっても滞留は無いのだ。
魔術に対抗するには、魔術で干渉する。
アトリもそれは充分に分かっていたことで、そのために彼女が一気に強い刺激を送り込んだのも理解できる。
「フォルテは手加減というものを知らないからなぁ~……でもまぁ、この場合はこの方が効率が良いだろう。さ、今日はもう仕舞いだ。フォルテ、魔力消費は大丈夫かい」
「私のことなら、大丈夫です。それよりも、彼を頼みます」
「ああ、もちろん。さぁ、肩に掴まって」
彼女はどれほど魔力消費をしたのだろうか。
ただ右手すべてで彼の身体に魔力を、強い刺激を送り込んだだけのこと。
しかし、彼が遠い耳で二人の会話を聞くに、パトリックは彼女の魔力消費を気にしているようだった。
というよりは、心配していると言うべきだろう。
彼女は冷静に大丈夫と返したが、やはりそれなりの消耗をするものなのだろう。
本来の使い方でない、魔力消費であったから。
彼もまた、自分の身体の調子を理解しながら、彼女をその時は心配したのだ。
もっとも、二人はこの時彼女の魔力消費が全く気にせずとも問題ないことを、知らなかったのだが。
「フォルテさん……その、ありがとうございます。このような、者の為に……」
彼はパトリックの肩に掴まりながら、道場の外へ出ようとする。
身体は彼女の方向を向けることが出来ない。今は立っているだけでも精一杯であった。
身体を圧迫され続ける感覚を押し切りながら、掠れかかったその声で、彼は感謝を彼女に言う。
「あ………」
それを聞いた彼女は、一瞬だが何か戸惑うような、そのような声を出した。
不意の感謝に驚いたのか、彼女は右手の拳に少しだけ力が入った。
彼女にとって、彼の手助けをするのは、あくまでパトリックがそのようにしろと言うからだ。
彼女本人の意思ではない。
それは彼女のみならず、アトリも既に自覚していることだ。
この女性は、自らの意志で自分を救い、手助けしてくれている訳ではない。
だからといって、手伝ってくれることに対して謝意を示さない訳にもいかない。
自分の為に手を焼いてくれることに、彼は感謝を示していた。
このような者。
自らの理想を、信条を貫き、現実のものとするために。
そんな身勝手な理想のために、手を出してくれる彼女に。
「………いえ。明日、お待ちしております」
そうして、二人は道場口から離れ、家からも離れて行く。
扉を閉ざす音が、道場の中に響く。
道場に灯された明かりの中、彼女一人がその場に残された。
また、こうして一人だけの夜が過ぎて行く。
今日は、少し賑やかだったかもしれない。
「………」
パトリックは、家に戻ったアトリをそのまま彼に与えた部屋に行かせ、
すぐに布団に横にさせた。
彼も全く身体が動かないという訳でも無く、足取りは確かに重たかったが、数分も経てばあの状況にも慣れ始めていた。
横になると、ものの数分で眠りについてしまった。
彼の容態が落ち着くまで見ていようと思っていたが、何も気にする必要は無かった。
パトリックも自室に戻り、一つの冊子を広げる。
幾つもの紙が紐で束ねられており、中身はパトリックの直筆のメモであった。
農作業の行程や記録を書くものと、まるで日記のような出来事を綴るものがある。
彼は、今日の出来事を書き始める。
―――――――この身が剣となり、多くの人を護るために。
今日も、中身の濃い一日であった。
パトリック自身も少し疲れを感じていた。
だが、色々と進展したことはある。
彼をフォルテの下、鍛錬させるという流れを汲むことが出来た。
はじめ、彼と彼女が初めて会った時には、考えもつかなかったことだ。
だが、この三日間ほどで、大きく状況は変わり始めている。
彼は、多くの人を護るという目的を掲げ、そのためにまずは兵士として平和をもたらさなければならない、と語っていた。
そうでなければ、たとえ安定した国があろうとも、人々が幸せという席に座り続けることはない。
いずれ零れ落ちた人たちも、これからそうなろうとしている人たちも、そうでない人たちも、
彼が目に見えるすべての人を護り、救い、生活できるように支える。
そんな彼の人となりを、また今日も知ってしまった。
とても20にもなっていない男の抱く理想とは思えない、いや思いたくない。
「………はぁ」
そんな彼の理想を、それでも自分は否定しなかった。
あの彼がその理想を追い続け、その果てにどうなるのか。
穢れなき清流のごとく貫き通す理想ならまだしも、
彼の場合はこの世の理、どうしようもない汚点を知ってしまっている。
それでもなお、自らの理想を貫き、実現させようとするその在り方。
それに加担するように、魔力を蘇らせその力を行使しながら役立てさせようとする、自分。
すべて望ましい結果となるかは分からない。
あるいは、望ましくない、理想を前に絶望をするかもしれない。
いつかは離れて行く。
だが、それでも、短い期間でも、見届けよう。
あの時、突然私の前に現れた、彼女と同じように。
………。
そう。
確か、あの日はひどく雨が降っていたんだよな。
3-10. 遠い景色




