3-6. 刻まれた感覚
彼が目を覚ましてから三日目のこと。
相変わらず体調が優れない日々が続くが、それにも耐性がついた為か、さほど苦しく感じることもなく、調子の悪さにさえ適応してしまった。
今まで何度も戦場に出て戦闘を経験し、それによる疲れや傷を受け疲弊する機会はあった。
だが、今回のそれは幾多の戦場で経験したものとは違う。
本当に死にかけていた、ということを思うと、今ここに身体があることが不思議に思えることもある。
しかし生きていることが事実であるのなら、生きている人はそれなりのことをしなくてはならない。
彼はそう思いながら、それでもどのように身体を調整していくかが見当つかず、悩ましいとも思っていた。
いつまでもこの家に居候になる訳にもいかない。
彼らとて本来の仕事、生活があるだろう。
それを邪魔してまで自分の為にここを使うべきではない。
出来るだけ早めに調整を整えてしまった方が良いだろう。
目覚めて初日にここに厄介になると願ってから、毎日このようなことばかりを考えていた。
この日は午前中から昼過ぎ、時間にして15時頃まで農地の手伝いを三人でしていた。
パトリックとの会話も初日に比べれば頻度が多くなり、より彼の人となりも分かるようになってきた。
今ハッキリと言えることは、この男性は彼が今まで会ってきた男性の中でも、5本指に入るほどお人好しな性格の持ち主だということ。
しかもそれが偽りのない善意のもとに行われており、自分に対する態度も気遣いも必要以上にかけてくれる、優しい存在なのだろうと彼は感じていた。
もちろんパトリックとしては、アトリを使うことで自分の作業をより進めるという目的などがあるだろう。
それにしても、殆ど見ず知らずの少年を自宅で世話させるのだから、その器量も大きいものであった。
少なくとも、彼が感じる程度には。
一方。
フォルテの方は相変わらずと言うべきか、淡々と作業をこなしている。
特に会話をする訳でも無く、アトリとパトリックの会話に入って来る訳でも無い。
パトリックがフォルテに話を聞く時には、それに答えるのだが、自分から会話に参加したり、発話することが無い。
また、服装もダークスーツ。
幾つも替えがあるのだろうと確信するくらいに、ここ三日間は毎日同じ服装を見ていた。
彼が一瞬でも考えたこと、このダークスーツが彼女の心象を表しているものなのではないだろうか、という疑念を持って以来、日数は経過していないが、彼女に対して思うことも少し変わってきた。
意識しようとは思っていないつもりだったが、気になってはいた。
結局のところ意識していることにもなるのだが、彼自身はそれに気付き得ない。
いや、意識していると思っていない、単にそれを否定しているだけなのかもしれない。
「取り敢えずここで切り上げるかあ~っ。二人ともお疲れさん」
思ったより作業が進んだのか、パトリックは満面の笑み。
うんうん、と頷きながら自身の持つ農地を眺めて、両腰に手をやる。
その背中はまるで誇らしげに、語っているかのように。
アトリは首を少し傾げて苦笑いをしたが、フォルテは相変わらずの無表情ぶり。
一切の反応も見せなかった。
農地の作業が終わり、三人はパトリックの自宅まで戻る。
アトリはてっきり彼女は自分の住まいの方に戻るのではないかと思っていたのだが、何か別の作業でもあるのか、パトリックの家の方までついてきた。
アトリとフォルテ、二人並んで歩き、先頭をパトリックが行く。
が、そこに自然の穏やかさに比例するような楽し気な、穏やかな会話というものは存在しない。
ただ並んで近い目的地に向けて歩くだけであった。
パトリックからすると、何か重々しい空気を背後に感じる。
二人の間に何かあったのだろうかと思うところだが、主に彼女がその口を開けないためだろう。
彼も話しづらいと感じているに違いない、とパトリックは思っていた。
家に戻ると、パトリックは別の作業に。
アトリとフォルテは自由の身になり、彼は一度自室まで戻る。
フォルテがその後どこへ行ったのかは分からない。
「さて、今日も……」
出来るだけ早めの復帰を目指す。
そうすることで、国の為にも、国にいる民の為にもなるのなら。
ということで、彼は身体の柔軟を始める。
身体の怠さはいまだに残り続けているが、慣れ始めている。
少しずつ身体に対する負荷をかけていくことで、更に負荷にも耐性がつき今までの状態に近づくだろう。
本当であればまだ安静にしているべきなのかもしれない。
だが、出来るだけ早めに復帰したいという思いが彼の中にはあった。
身体の柔軟で、今まで休んでいた筋肉を起こし、柔らかく俊敏な動きを出来るよう目指す。
しかし、正直身体をほぐして筋力トレーニングを重ねるだけで元の身体に戻ることはない。
というのも、暫く手に持っていない、彼の兵士としての武器、剣の扱いが上達しなければ、あの魔術師、槍兵に追いつくことも、元通りの状態に戻すことも叶わない。
彼が流れ着いたところに剣がまだ残っていれば話は別だが、パトリック曰く、その剣は一部の残骸を残して原形をとどめていなかったと言う。
初めて兵士支給品以外の、特注で作ってもらった剣をいとも簡単に失ってしまった。
武器を簡単に失くしてしまうあたり、まだまだ自分も未熟なのだろうと思いながら、身体への負荷を続ける。
そんな時、ある一つのことに気が付いた。
「……そうか、剣が無くとも剣の代わりになるもので……」
至って単純なことであった。
確かに剣で鍛錬を積み重ねられるのなら、これ以上のことはない。
だが今この場には剣がない。
本当であれば、剣の扱う上での勘を取り戻せたらと思う彼であったが、無いのであればそれに代わる何かで感覚を取り戻せばいい。
そう思い付いた時には、既に身体が行動に移っていた。
たとえば、木の棒でも何でもよい。
剣に似たような長さを持つ長物を見つけることが出来れば、それを使って身体の調整をすることが出来るだろう。
彼は縁側から外に出て、敷地内すぐにある倉庫の中に入り、そのようなものを探す。
倉庫の中は若干暗がりが多いが、石造りの壁に開けられた穴から、陽の光が入って来る。
そのため見えないという訳ではない。
石造りの壁に穴、この光景を見ると、ウェールズ王城の自室を思い出す。
「……何かの資材、か。これでも代わりにはなるだろう」
倉庫の中で、剣と似たような形状、長さを持つもの。
彼は幾つかの木材を見つけ、出来るだけ細身のものを持ちだす。
恐らくは何らかの資材として、この家か他の作業に使われているものだろう。
彼が手にした木材は長さがおよそ1メートル。埃を被っていたが、倉庫を出て外で払う。
この木材が使われているような様子は見受けられない。
彼は、今までの、幾多の経験を思い出す。
初めての戦闘の時、戦闘と死地の関係に慣れが生じた時、そしてただ一人が生き残ったあの戦場の時。
あらゆる記憶を思い出しながら、その木材を両手で握る。
握る手に力が入る。
これの何倍もの重さの剣を持ち、その剣で多くの人を斬ってきた、その時間を思い出す。
まるでこの木材が彼に今までの記憶を蘇らせる手助けをしているかのようだ。
そう、長物は常に彼にとって凶器の扱い。
剣は一度鞘から抜かれれば、血を見ずして収められるものではない。
現に、彼の経験上それが殆どであった。
ブンッ。
一振り、両手でガッチリと構え、上から下に振り下ろす。
風を、空気を斬る音が庭に響き渡る。
細身の木材が音を立てながら空気を断ち切るその感覚が、剣と照らしあわされる。
たとえ感覚で鈍っていたとしても、この手がその事実を忘れることがない。
剣は剣としての生き方を強要され、それ以外の生き方を享受されない。
兵士は、単一の目的、相手を殺すという明確な目的を持った武器、剣を持ち相手の肉を断ち切る。
その感覚は、決して忘れられるものではなく、逃れられるものでもない。
両手を握る感覚に、剣のグリップ部分を握り締めるあの感覚を思い出す。
両手剣の重み、一つひとつの太刀筋、切っ先から全身に伝わる、人を斬るという感覚。
木材を握り締めながら、一呼吸つく。
「………」
目を閉じ、周囲の音を聞き分けるように、集中力を高める。
両手に握られた木材を、頭の上で構える。
二度目の太刀。
より強く、より研ぎ澄まされた感覚を解き放つように。
目を閉じていても、周囲の音が彼の情報源となり頭の中で回廊のように回り伝わる。
静かな大地が奏でる自然の音。
その情景を思い浮かべながら、一つ情景の中に対象を思い浮かべる。
過去の経験、幾多の戦場を乗り越えてきた彼の、心の中での演出。
相手よりも早く、一歩でも先に行き、攻撃を加えること。
その時々をイメージし、情景に映し、頭の中で再生し、そして現実に解き放つ。
「はっ!!」
剣気。
それは、兵士であればそれを持ち得ることもある。
武器を扱い相手と対する、当人の気迫や雰囲気にも似たようなもの。
強い剣気であればこそ、その者が強者であることを窺い知ることが出来る。
彼自身の持ち得る剣気が木材に集中し、まるで糸を通すかのように意識が伝わり、
気迫の籠った声と共に二度目の太刀が下ろされる。
一度目よりも遥かに重く、圧し掛かるような、交わされることのない剣戟。
木材の軽さに反比例し重厚感に満ちた、音。
すべての演出は、彼の持ち得る木材、幾多の戦場で得た経験、そして彼自身の時間が記憶するものとで構成されていた。
両手の感覚は、たとえ今持っている物が偽りのものだとしても、決して本物のそれを忘れてはいない。
「ん………?」
その時だった。
三度目の素振りを行おうと準備したところで、背後に気配を感じる。
それも彼の背中がすぐに彼の脳内に感覚を叩き付けるほど、強く。
この家の中でそれほど大きな感覚を得たことは無い。
思わず、勢いよくその場から感覚の示す方向へ振り向く。
「っ………」
そこにいたのは、フォルテ。
縁側の開いているガラス戸の縁を片手で掴み、彼を見ていたようだ。
一体どのくらい前から彼女がそこに佇んでいたのかは分からない。彼が集中力を目の前に向けていた時からなのか、あるいは今来たばかりなのか。
彼は一瞬で感じられるほどの、強い気のようなものを感じた。
まるで戦場で強い敵と対する時に感じるものと、似たような感覚であった。
もっとも、フォルテを敵視している訳ではないし、彼自身何故そこまで強く気配を感じとることが出来たのかが疑問ではあったが。
フォルテに見られていることが分かると、彼は表情を堅いものから緩め、その場に剣代わりの木材を置いた。
そうすると。
「……強き剣士なのですね」
と、アトリに声をかけた。
強き剣士。
彼女の目にそう見えただけのことだろうが、何故そう思ったのだろうか。
彼自身は自分が強いなどと思うことはあまりない。
多くの人々を相手にしてきた、その経験はいまだ活き続けている。
だが、万人に対抗し得る剣術などそうあるものでもない。
もしそのようなものがあるのなら、魔術師を相手にしても充分に太刀打ち出来たことだろう。
思えば、彼女からアトリに声をかけた機会は、本当に少なかったな。
珍しいこともあるのかもしれない、と彼は心の中で思う。
「すみません。勝手に持ち出して」
「いいえ。パトリックなら笑って事流すでしょう」
彼女は縁側の外、庭に立つ彼を見ても離れようとはしない。
服装はコートを脱いだだけ、相変わらずのダークスーツ。
表情も一変することなく真顔であったのだが、言葉を交わす機会が出来た。
そのまま素振りを続けても良かったのだが、せっかくの機会だ。
ここは、彼女と話してみることにしよう。
彼女が偶然彼を見つけたのだろうが、それもまた奇妙な運命の作用なのかもしれない。
「フォルテさんは、ここで何を……」
「私は偶然通りかかっただけ、です。そうしたら、貴方がそこで木を持っていたものですから」
なるほど、目に留まったという訳か。
それはそうだよな。
俺の身分を知らない誰かが同じ光景を見れば、あいつは一体何をしているんだ、と言われるだろう。
と、心の中で思うアトリ。
彼女の言葉、偶然通りかかっただけ、というところの後、僅かな時間差で文を区切ったのだが、その間の空き方に妙な違和感を感じたアトリ。
些細なことではあるが、今この場では何もしなかった。
「パトリックから程度話は伺いました。その足で何度も戦場を経験した、と」
「………はい」
「何故貴方は、兵士になろうと思ったのですか」
――――――――何故、兵士になりたいのか。
彼が兵士としての人生を始める、あの時のことが思い出される。
兵士とは国の為に尽くす者。その生涯は決して明るいものばかりではない。
寧ろ、国の民が引き受けられ無いような汚れたものを処理する、それが兵士である。
何故それを、君は率先して引き受けようとするのか。
あの時自分は子供だった。
今も子供であることに違いは無いし、兵士になりたいという動機の変化も多少は存在しているだろう。
だが、それでも、あの時から変わらないこともある。
「この手で、護れるものがあるのなら。誰かの為になれるのなら。それで、多くの人が幸せでいられるのなら。だから私は兵士として、国を、民を、救いを求める人々を護りたいと、決めたのです」
それだけを聞くと、中身はあまりない発言かと思われるかもしれない。
だが、そう思わせられない一面が、彼の表情に出ている。
彼は彼女に向かって、そのように言う。
誰かの為になれるのなら、それでいい。
それでその誰かが幸せになれるのなら、それでも構わない。
彼女はその場で少しだけ固まった。
表情をはかり知ることは出来ないが、僅かながらの沈黙を持って彼に示した。
その道は決して簡単なことではない、と。
「人を護るために人を殺す……それが、貴方の導き出した答えですか」
「……答えにしたくはない。けれど、そうしなければ何も始まることもない、と思っています。今のこのご時世では、いつどこで争いが勃発してもおかしくはない。それを鎮めないことには、人々の安息は訪れないと」
もし、ウェールズ王国が今よりもっと巨大な、膨大な大陸の国として周囲を統括していたとしよう。
今でさえ自治領地としては一番の大きさを持つ。少なくとも今いるこの大陸の、この地域の中では。
だが、それでもウェールズに反し叛意を示した者たちがいる。
大きな国がその理想のもとに民を従え、国と民の為に働こうとも、すべての人が報われる訳ではなく、幸せになれるとも限らない。
戦乱が多く発生するこのご時世、その戦乱に巻き込まれ幸せを永遠に失う者も少なくはない。
自治領地同士での争い、死地の発生。
本来あるはずだった幸せという席から零れ落ちた者たち。
救われない者たちを護り助けたいという気持ち。
その理想を以てしても、今の荒んだ時代は訪れてしまった。
彼は知っている。
パトリックも話していたことだ。
本当であれば、何の境界線も関係なしに人を護れるのなら、と。
だがそれは絶対に訪れない。
戦いは絶えることがなく、戦争が続く限り、相容れない両者は両者を最期まで食い尽くす。
戦いを鎮めない限り平和は訪れない。
だが、それでも明確な敵を倒し続けることで、護られる命がある。
だから、彼はまずは戦わなければならない、それが自分の居場所であり兵士としての理由を貫くために必要なことだと考えているのだ。
そこまでの話は、フォルテには説明されていない。
しかし、フォルテが察する部分は彼が説明せずとも、彼の考えている部分の多くに的を射ていた。
争いの無い世界を望み、争いの無い世界を生み出すために、争いを起こす。
その果てに人々が護られるのであれば、この身は剣士となり戦おう。
「なるほど。それで強くなりたいと、思っているのですね」
「………」
この時。
フォルテはこの男性がこの言葉を口に乗せるに相応な経験をしてきたことを、悟った。
ただ単純に兵士として強くなりたいと思っている訳ではない。
そして、その強さが自分に対して向けられたものでもない。
自分が強くなることで、他人である誰かを護ることが出来る。
この男性はそれを目指そうとしているのだと。
「話があります。今晩、食卓の後にでもご案内します」
「………?」
それを言うと、彼女は縁側から室内の方へと戻ってしまった。
今晩、話があると彼女は彼に言う。
それがどのような話であるのか、彼には想像がつかない。
今までの、たった数分もの時間の中で、一体何を思い付いたと言うのだろうか。
彼がこの真意に辿り着くまでには、もう少し時間が掛かる。
だが、夜を迎えることでその意味を察するところまでは辿り着く。
話があります。
その言葉を聞けたこと、アトリは彼女がいなくなった後で少し驚いた。
あの彼女が、自分にそのような言葉をかけてくれたということ。
明確な理由があってのことだろうが、まさか話す機会が訪れた先、このような展開になるとも思わなかった。
「………、何の話だろうか」
疑問を晴らすことは出来ないが、やがて訪れるその時を、彼は待つことにした。
3-6. 刻まれた感覚




