3-2. その運命は始まりに
兵士は王国領内で仕事をする時は、兵士としての顔を持ち合わせる。
ごく普通のことである。
兵士としての仕事は様々だが、町や集落を防衛する役目を持つ者も、城で勤務する者も、仕事をするときには仕事をするうえでの姿勢、構えを持ち得るものだ。
しかし、ひとたびそれが仕事以外の、自分だけの時間や他人と過ごす時間になると、兵士としての顔は持ち合わせなくなる。
たとえば、城下町や隣町に買い物に行くとき、それが仕事時間で無かったとしたら、兵士が装着するような防具も身に着けないし、まして武装もしないだろう。
兵士という立場を悟られてはならない時がある。
自分が兵士であることを知られると、それが自分にとっての弱点となり得る。
あの人は国に仕える兵士で強力な武器を持っている。
顔や名前で覚えられる範囲は出来るだけ小さく留めておきたいのが、一般的な考え方だ。
アトリも、外部では出来るだけそのように対応したいと考えている。
だが、彼の場合は死地の護り人としての任務が多く、あらゆる自治領に自らが兵士であり派遣されたことを告げたうえで仕事に取り掛からなくてはならない。
よって、私的な時間を身分を隠して行動することが少ない。
移動している間は人との接触があまりない。
移動を終えた後では、王国からの派遣者として、兵士としての振る舞いをしなければならなくなる。
だから。
今日会ったばかりのこの男、パトリックに自分のことを晒すのは危険ではないか、とも考えた。
しかし、パトリックの目や洞察力を考えれば、恐らくこの人は鋭い勘を持っていることだろう。
恐らくこの人に助けられたのだろうし、今もこうして目の前にいる。
それを相手に自分は名乗らないというのも、失礼な話だろう。
「私は、ウェールズの兵士です。本来は王城に勤めています」
なので、まずはそのように回答した。
彼はパトリックという男の問いに対して、端的にそう答え兵士であることを告げる。
それを告げられたパトリックはと言うと、真剣な表情を少しだけ緩めて、会話を続けて行く。
「王城勤務なのに、なんだってこんなところにいたんだ?」
「そこ、なのですが…ハッキリと言いますが、自分は今どこにいるのかが分かりません。その、地図か何かで現在地を教えて頂けるとありがたいのですが……」
「おおっと、そうだったな。それが正しい。地図は~地図は~っと……」
本棚のある方へパトリックが歩いていると、アトリが見たことの無いような柄の本を取って来て、それを机の上に広げた。
一体いつの地図を使っているのだろうか。
地図を書く人も実は勤勉なもので、数ヶ月に一回は地図の更新を行うために各地を転々とするようだ。
もちろん一人がすべての大陸をカバーすることなど出来ないので、必然的に各地の人々が協力することになるのだが。
そして、更新情報があれば記載しそれを販売できるように準備をする。
無ければまた次の更新調査まで伸ばす。
といったようなことを繰り返している。
地図は購入資金がそれなりに必要の為、何度も買うとその分高値となってしまう。
その点、王城勤務をしている時、よく私的な時間を図書館で過ごしていた彼は、常に新しい情報が記載された地図を寄贈されていたので、こういったところで生活の違いが現れていることに、少し新鮮味を感じた。
地図を確認してみると、現在地は変わらず西海岸の周囲。
近くにアデナウの森という天然の深い森があり、ウェストノーズからはかなりの距離があることが分かった。
歩いて行くには相当な時間を要するだろう。
パトリックに説明されたことをまとめると、彼が助けられたのは川の石辺で意識を失っていたとのこと。
つまり、ウェストノーズの崖から飛び降りて、海に落ちた直後に川の流れに入り込んだことが考えられる。
沖合に流されていれば、今頃命は無かっただろう。
ウェストノーズの周囲から伸びる川は幾つかあるが、海に引き寄せられることなく流れ続けたというのは、とても運が良かったのだろう。
改めてこの決断の甘さを思い知ったのだが、気になるのは現在地。
北に行けばアデナウの森があり、東側に進めば王国領や王城へと進むことが出来るのだが、その距離は激しく遠い。
王城から見ると、この位置は南西部地方にあたる。
大陸から見ても西側の地域となり、本国からは遠い位置にあるこの場所で、自分は救助されたのだ。
王国領や山岳地帯に向かう東側のように廃れた土地が続いている訳ではないが、ひと気はあまりない地域だ。
だからこそ、このパトリックという男性は、一人で農作をしているのだろう。
生きていくために必要な食糧を確保しなければならないから。
「でも、そうか。ウェールズ出身と聞いて、安心したぞ」
「え………?」
「俺もかつては王国領で暮らしてた身だからな。今となっちゃ離れで暮らしてるが、まぁあの頃も色々とありながら楽しかったもんだ」
パトリックも、もとは王国の民。
その話を聞いて少しアトリも驚いた。
だがそれ以上に、何故このようなところに、しかも一人で、更に大きな家で暮らしているのだろうか、という疑問が浮かび上がる。
一人が住むには大きい家で、部屋も幾つもあるようだ。
先程縁側から外を眺めた時には、周りに家は見当たらなかった。
特定の方向しか見ていなかったために、まだ詳しい状況が分かった訳ではない。
何故。
この人は王国から離れて、一人で生活することになったのだろうか。
「さぁて、少し腹ごしらえだ。お前さん、料理は出来るか?」
「…、はい。小さい頃よく一人で作っていましたので、多少は」
「そうか。まぁまだ身体はよく動かんのだろう、ちょいと手伝ってくれ」
本当にこの場の主導権を握られている。
まぁでも、料理をするというのも久々で悪い気はしない。
それに、恐らく時間の経過と見つかった場所、流れ着いた行先と経緯のことを考えれば、少なくともこの人にここ数日は迷惑をかけていたのだろう。
それを何らかの形でお返し出来るのであれば、嬉しい限り。
それで喜んでくれるのなら、少しでも手助けが出来るのであれば、今まで受けてきた救いの分、返すことも出来るだろう。
彼とパトリックは台所に立ち、パトリックの言われるように料理を手伝うことにした。
彼はそう、子供時代はよく一人で料理をしていた。
それは、兵士になる前の過去の話にさかのぼることになるのだが……。
「意外と手先は器用だな。腕に自信は?」
「ありません」
「そんなきっぱり言うこと無いじゃないか~冷たいぞ」
と、笑みを浮かべながら話していたパトリックは、手作業をしながら横目でアトリの身体を見る。
腕は先から肩にかけて筋肉がしっかりとついている。付きすぎず、痩せすぎず。
肩幅は広く背中にも丈夫な身体が作り上がっていた。
男は考える。この少年は元々が兵士だという。
少年という殻を破れば、少年が直面したのは幾多の戦場の有り様。
この身体つきも、この性格も、この人となりも、その多くが戦場によって培われてしまったものなのだろう、と。
「兵士であるのなら…まぁ、預かっている装備を見たから分かるのだが、お前さんはここに来る前は戦闘に参加していたのだろう?」
「…は、はい。そういうことになります」
「そうか。話は聞いておる。ウェールズとマホトラスの争いな。ここ数日は詳しい話は聞かなんだが、今日の夕方には少し分かるだろう」
「………?」
話しながら料理を続けて行くパトリックだが、少しずつアトリから話を聞き出そうとしているのが、アトリからでもよく分かる。
あくまでペースはこの男が握り、彼がそれに付き合うという構図。
一気にすべての話を聞くのではなく、時間をかけながら相手のことを知ろうとする気持ち。
まるで不届き者を調べる探偵のようなものだが、それがこの男性なりの彼に対する配慮であったのかもしれない。
彼自身、城や軍の様子が気にならない訳ではない。
元々そういった生活しかしてこなかったのだから、剣を置いてこのような日常生活に少しでも足を踏み入れること、それ自体が違和感だらけであった。
しかし、何故夕方頃には分かるのだろう?
なんだかんだ言いつつ、簡素ではあるが野菜を沢山使った料理が出来上がる。
キャベツ、ニンジン、キュウリ……などなど。
これらすべてこの家の近くで作られているものなのだろうか。
そう思いながらも、彼は何もない胃袋に食糧を通していく。
手伝い程度の料理でも、自分がそれに携わると味わいも少しばかり変わってくるだろうか。
パトリックも一緒に食べながら、とにかくもその時間を過ごしていく。
「なるほどなぁ…ウェールズの兵士か。あの様子だと色々と察するが…?」
「はい。残念ながら…戦いには敗れました」
「それでお前さん一人あの場所まで流れ着いた、ということか。何にせよ無事にこうして居られる、良かったじゃないか」
彼に取っては今日初めて会ったようなもの。
それでもパトリックは、見ず知らずの男を助けここまで良くしてくれる。
特に、今自分の命があることに感謝すべきだろう、という見解を何度も彼に話した。
それは決して間違いではない。
確かにウェストノーズの戦いでは、あの槍兵にも、マホトラスの軍勢にも敗れた。
恐らく生き残っている兵士は殆ど居ないだろう。
だが、そのような悲惨な結果であったとしても、命があればまだ出来ることもある。
パトリックは笑みを浮かべながら、目の前の少年とそう話すのだ。
まだ機会はある、と。
「さて、飯が済んだら少し手伝ってもらおうか」
「?」
「外に出よう。せっかく男手が二人なのだ、今のうちに済ませておきたいことがある」
食事が終わり、食器を片付けて整理した後、パトリックは彼を外に連れ出した。
外とは言っても家のすぐ近く。ほぼ敷地内と言っても良い。
家の外に出て改めて外観を確認すると、辺りに住宅はこれ以外に存在しない。
強いて言うのなら、パトリックが住む家と少しだけ離れた位置、視界の中に別の家が見えているくらいだろうか。
いずれにせよ地図で確認しても人里離れた位置であることに変わりはない。
何か買い物をしにいくために何時間もかけて町まで行かなければならないほど。
家の周辺は決して広くない農地が広がっていて、これをすべてパトリックが管理しているという。
既に何年もこのような生活をしているとのことで、日常生活をする時に食料に困ることはあまり無いという。
だが、大きな家や農地を管理、維持するのは大変なことで、それらの作業だけで一日を費やしてしまうことも多いという。
なので、パトリックは彼を連れだして農地の手伝いをさせたのだ。
彼としては厄介になっている分、手伝えることがあれば何でもしたいという構えだった。
自分がどのようにして助かったのかはいまだに分からないことだらけだが、とにかく生きていることに変わりはない。
「今までこういった経験は?」
「いえ、ありません」
「そうか。兵士としてはもう長いのか?」
「……、そうですね。もう4年以上は」
見た目はまだ少年。
確かに普通の子供と比べれば落ち着いているし、一人称がその歳で私などと少し生意気そうな性格もあるのだろうが、それが着飾ったものではなく、彼の内なるものなのだろう。
パトリックはそう思いながらも、彼に指示を与え仕事をこなさせる。
兵士として4年以上。
まだ剣という重たい物を持てないような頃から、兵士としての訓練を積み重ねてきた。
多くの戦闘が彼をこのような姿にさせたのであれば、その経緯はどうであったか。
パトリックにはそれが気になったが、そう簡単に聞き出せるようなことでもないだろう。
彼にとって自分はほぼ初対面。
経緯はどうあれ助けた本人。
だとしても、知らず他人にそう易々と教えてくれるほど、緩い経験ではないだろう。
ただの民、普通の人間には、ごく普通の少年にしか見えないのかもしれない。
しかしその内面がどのようになっているのかは、もう想像できる。
だがそれを聞くのは少し怖いというものもある。
「にしては、随分と手馴れているようにも見えるな。器用な方か?」
「どうでしょう。自分自身で器用と思ったことは……」
「というよりは、順応が上手く早いという感じかな。だが無茶はするなよ」
それからのこと。
作業は農地や倉庫や家の中のものまで続き、時間にして4時間ほど。
休憩を挟みながらゆっくりと進めて行ったために、気付けばもう夕暮れ時であった。
アトリの体調を考慮してパトリックが時間をかけたものの、それでも一人で作業をするよりは遥かに効率よく時間短縮にもなっている。
目覚め起き上がったばかりの男性にそこまでの労力を期待してはいないし、無理もさせられないと思っていたが、思った以上に身体の回復は良いのか、パトリックが思う以上に彼は働いた。
「お疲れさん。ほら、水だ」
「ありがとうございます」
作業終わり。
陽が沈みかけ空が赤く染め上げられている。
風が吹き自然の鳴き声があらゆるところから聞こえてくる。
パトリックからタオルと水の入った容器を受け取り、彼はホッと一息つく。
彼にとってはこのような作業は殆ど経験したことが無い。
というよりは、彼の人生でそれらを必要とする理由が何一つなかった。
この身体は兵士として鍛え上げられたもの。
それ以外の目的に使われる機会というものは、もとよりあまり存在していないのだから。
「起きて早々色々と手伝ってもらってすまないなぁ」
「いいえ。ご飯も頂きましたし、これくらい当然です」
「はは、そうか。大体こんな感じで生活をしているんだ。どうだ、こういった気分は」
正直、悪くはない。
何と言うか、何と言うべきか、このような感覚を今まで得たことはあまりない。
戦いに身を置く者としては、剣と共に生き、馬と共に駆け、求められればすぐそこへ赴き、人を護る為に人を殺し続けてきた。
だが、この場所にはそういった焦燥感は一切存在しないのだろう。
自然に囲まれ、時間の流れを感じることが出来る。
だが一方で、彼にはやらなければならないことも沢山ある。
このような場所での生活は恐らく心地よいものなのだろう。
しかし、いつまでもここにいる訳にもいかない。
今もウェールズ王国の兵士たちは、マホトラスの兵士たちと戦い続けているだろう。
自分一人戦いから遠ざかる訳にもいかない。
今のこの身体では恐らく何の役にも立たない。
だが、それでもいつかは戻らなければならない。
それを彼は短くパトリックに伝えたうえで、こう話す。
「お願いがあります。少しだけ、ここに厄介になりたいのです」
「?」
「今話したように、私はもとより兵士。その殻を破ることは出来ません。しかし今の自分には何の力もない。せめて戦えるだけの調子を取り戻せるまで…ここにいても良いでしょうか。私の一方的な勝手で物を言うのは大変失礼だと分かってはいます。ですが、私に出来ることはします」
確かに一方的な話でもある。
だがパトリックにとって不都合ばかりな話でも無い。
農作をしている以上作物はかなり多く揃えてあるし、食料の不足はまずない。
それに、彼が体力を回復させ万全の状態にするまでの間、普段手の回らない仕事を彼にお願いすることも出来る。
一人分生活費が増えたとしても、マイナスとなるものが先行する訳ではない。
パトリックとしては断る必要もないし、寧ろこの状態で彼を放っておくことも出来ず、少しでも彼の為になることがあればぜひ協力したいとも思っていた。
初見の相手、少年に対しここまで思うことが出来るのも、ある意味自分の人となりなのかな、とパトリックは心の中で自分に対し笑いながらも、一つ確認したいことがあり、それを彼に聞いた。
「…アトリくん。お前さんは兵士として、強くなりたいと思っているのか?」
「…、それもあります。ですが、まだ私は未熟なところが多いです。今まで様々な経験をしてきましたが、まだまだ人間的には弱い。力も、精神も、人間性も強くしたいとは、思っています」
「そう思うのは、何故?」
男は聞く。
力も、精神も、人間的にも強くなりたい。
それは兵士として求めるもの、当然のことだとは思う。
強くなりたいと願うその気持ち、そう思った経緯、その理由を、知りたい。
だがそれをストレートに聞くことはしない。
いや。
この時のこの言葉から、もうそのように聞く必要もなくなったのかもしれない。
少年は答える。
――――――自分が強くなることで、より多くの人を護れるのなら。
男は、その言葉にどれほどの意味が込められているのかを感じ取る。
何も知らない、何も聞かされていない、それでも鳥肌が立ってしまうほどに、強く感じ取ってしまった、彼の内面。
強くなることで、より多くの人を護ることが出来る。
自分の力を他人を救うことに使いたい。
その精神力、その目的は立派なものだった。
しかし、それは高々十代後半の少年が思うものとしては、あまりに重たすぎるものであった。
「よし、いいだろう!色々と事情があるのは分かるし、一度にすべて聞くことはしないよ。暫くここに居なさい。それで復帰できるように過ごすと良い。もちろん、やることはやってもらうけどな」
「はい。ありがとうございます」
だが、一方で思うこともある。
少年が持ち得るものにしては重すぎるその考え方、その思考を、もっと柔軟に考えさせられないものかと。
今まで兵士として4年以上、それ以前の生活はどのようにしてきたかは分からない。
子供でも料理は出来るほど教育は受けていたようだし、親との間柄で何かあったのかもしれない。
だが、少なくともこの少年は、兵士としてのこの4年以上を、ここにあるような生活でない、過酷な世界で生き続けてきたはず。
その果てに誰かの為になるのなら自分の力を思う存分発揮したい、と考え着いたのなら。
もっとこの少年が柔らかくなれば、彼が思う以上の力というものを、得られるのではないか、と。
それは、純粋に彼に秘められた能力的な力のみならず、
人として、人間としての力。
戦いのみならず、生きていくうえで必要な、蓄えとしての力になるものとしても。
「お?……、そうだ。一つ言い忘れていたことがあったよ」
「ん?」
「俺の家の仕事だが、実は俺一人で今までやってきた訳じゃあないんだ。流石にこれを一人ですべてこなすのは無理があるって、もう思っていただろう?」
「………ん??」
『ちょうど、帰ってきたみたいだしな』
そういうと、パトリックは視線を彼から別の方向に変え、両手を腰にあてて「その者」の帰りを見た。
彼にとっては疑問ばかり。
言い忘れていたこととは何だろうか、と思い、でもパトリックはそこで口を閉ざした。
その表情は笑みを浮かべており、歳の差を感じていながらも、男前の笑顔に見えた。
その視線の先に見えてきた、ある一人に対しての、まるで親として無事に帰ってきた子を見るような、そんな明るい表情だった。
彼も、その視線に合わせて先を見る。
両手に袋を提げ、こちらに歩いてくるシルエット。
人であることは間違いないが、はじめは遠くて顔も姿もよく確認できない。
だが、パトリックが帰ってきたと言うことは、ここの住人なのだろう。
やがて近づいてくると、少しずつだがその表情が見えてくる。
「っ………!」
お互いの距離が、もうお互いの表情を窺えるほどに近づいた。
その距離、およそ10メートルほど。
男二人で並ぶ一方、一人で荷物を持ってその場に帰ってきた、一人の姿。
彼は、その姿を見て、自然と少々の驚いた表情を浮かべつつ、目を見開いた。
――――――目が覚めたのですね。
それが、アトリの聞くその人の第一声。
夕暮れ時、やがて訪れる闇夜を前にハッキリと見た、その人の姿。
シルエットから本当の顔へと変化していくことで、その姿をようやく見ることが出来る。
小顔ながら整った顔立ち、無表情ながらどことなく凛々しさを感じる表情。
背丈は自分よりも小さく、だが身体は背丈に見合い丈夫なように見える。
セミロングほどの髪の長さを、後頭部でまとめ下ろしている髪型。まとめあげられ、下げられた髪の丈はその人の首に達するくらいだろうか。
そして服装は、彼が今までに見たことのないもの。
だが全体として言えるのは、全身が黒を基調とする服装で身に纏われているということ。
丈の長いコートを着て、その中に黒いジャケット、グレーのシャツを上にまとっている。
グレーのシャツの上から黒いネクタイが結ばれていて、全身をクールに表現している。
下もジャケットと同じ黒色、ストレートパンツを身に着けていて、細身の身体だった。
彼の生活圏では見ることの出来なかった、スーツと呼ばれる服装が、今の彼女の服装。
手提げ袋を持つ両手には黒いグローブが身に着けられている。
「……、君は……」
彼の目は見開いたまま。
驚いたような表情も、見せたまま。
ただ、静かに、その一人に向け問う。
「お初にお目にかかります。私は、フォルテと言います」
風が吹き靡く。
赤く染め上げられた空の下。
少年は、その少女に出会う。
彼は暫くその場を動くことをせず、ただ目の前に現れた黒髪の少女を見ていた。
それに対し、その少女は名乗ると深々とその場で一礼して見せた。
彼にとっては赤の他人。今まで一度もあったことが無い、ただの女性。
しかし、そのような考えは、今この瞬間にはない。
目の前に現れた彼女に対し、彼の心はその場に留まった。それが行動にも影響を与えた。
歳はそう離れていないようにも見える。
ただ、そう思いつつも、一つ、これだけは言える。
その姿は、どこか凛々しくも、美しい。
これが、彼と彼女の初めての出会い。
二人にとって、あるいは二人を含んだ環境にとって、これが大きな変化を迎える「運命の日」になるなどとは、この時は誰も考えてもいなかった。
3-2. その運命は始まりに




