3-1. 復活
ならば、その運命に抗ってみるがいい。
人間、誰しも等しく死というものは訪れる。
ただ違うものといえば、死が訪れる時間やその方法が違うというもの。
生後間もなく死ぬ者もいれば、老いて天寿を全うする者もいる。
その人の生活や人となりによっても変化してくるだろう。
そう、今この時代を覆っている、戦争によって死ぬ者も大勢いる。
戦いにしか身を置けず、戦いでしか証明できない、そのような悲惨な時代が今だ。
そこに和平も共存も存在しない。
どちらかが斃れるまで、お互いがお互いを殺し尽すしかない。
そのような荒んだ時代の中でも、強く生きようする者たちは大勢いる。
自治領地で毎日を生活する者。
その自治領地を外敵から護るために自警団を組む者。
農作や漁業、林業に勤しむ者。
人の生活様式など無限に存在している。そこに際限など無い。
だが、それもひとたび戦争が始まってしまえば、彼らにも等しく危機が訪れる。
武器を持たない民であろうとも、武器を持ち戦う兵士であろうとも、等しく現れる。
自治領地での戦闘、所謂死地の発生に赴く者の仕事は、そうした荒んだ時代の中で生き続ける人、助けを求めている人を救う為に、戦いに身を投じることであった。
子供であろうが大人であろうが関係ない。
それが国として求められた問いに対する答えだ。
だが、そのような捨て身の任務を行う兵士などそう多くは無いし、本来望まれるべきものでもない。
それでも、彼は自らを剣として求められる度に戦い続けた。
たとえどれほど悲惨な光景を目にしてきても、多くの人を犠牲にしてしまっても、求められた問いに答えを出せるよう全力を尽くした。
彼が敗れたことはない。
傷つき、激しく疲弊しても、決して斃れることは無かった。
他の人がすべて死に絶えても、自分だけが取り残されても、結果として彼自身は敗れたことが無い。
それは、戦争全体における彼の戦闘を示しているのではない。
多くの犠牲が出て、身体を引きずりながら撤退したことはある。
だが、彼は彼が持ち得るすべての信条にかけて、それを前にして一度も負けたことが無かった。
何度も残酷な現実を叩き付けられながら、人の世の理という醜い考えも理解しながら、それでもなお人の為に剣を振り続けていた。
だから。
もし彼が死ぬようなことがあれば。
その時は、彼自身が、彼の持ち得る信条に対して………。
「………」
静かだった。
まるで自然の中にただ一人取り残され、横たわっているかのような空気。
視界は白く光が入り込み、両耳から水の音や自然の鳴く音が聞こえてくる。
鳥のさえずりも聞こえてきて、緩やかな風も吹きこんでくる。
これほどまでに自然に溶け込んで生活した日があっただろうか。
いや、これは単純に、ごく普通の人が経験している日常なのだろう。
ただ自分がその日常からかけ離れた生活をしていただけのこと。
毎日朝起きて朝食を取り、農作物を育て、買い物へ行き、のんびりと過ごしながら昼食を取る。
午後には昼寝をするのも良いだろう。
運動して汗を流すのも良い。
そうして日が暮れれば温めた湯に入り、身体を洗って夕食を取る。
あとは、星でも見ながら夜を過ごして、やがて寝る。
そんな一日が、恐らくは普通の、日常と言うことが出来るのだろう。
夜中、剣を抱きながら寝なければ落ち着かない、いつ襲われても対処できるように構えて休まなければならない、などという日常は、本来無かったはずだ。
いや、そうではない。
無い方が良い、と言うべきだろうか。
そうだ。
こうした日常を送っている者たちを、護ろうとし、護るためにそうした日常を送っていた人を、殺してきたんだ。
誰が何と言おうと、それが事実。
剣は殺人をするために使われ、一度抜かれたその剣先は相手の血の色を味わうまでは引けない。
その身が剣であるのなら、戦いにしか身を投じられない。
では、何故このような感覚を今味わっているのだろうか。
確か………。
『それでもおめえの理想が間違っていないって言うんなら、そのすべてを果たせるだけの力を手に入れて来い。そのうえで、その結末を知るがいい』
「ハッ………!!」
…と、静かに、ようやく男は気付く。
あまりにも外界の空気に溶け込み過ぎて、あたかもそれが自然の光景であると感じ取ってしまうところであった。
目を開けた時、そこには知らない世界が入りこんでいた。
まるで自分がどこかに飛ばされて、全く知らない土地に来てしまったかのよう。
記憶を振り返り、ここが自分のいるべき場所でないことを、すぐに悟った。
だが、何故だろう。
この空気を温かく感じる。
気候や気温のことも含めて、今までにないくらい、時間の流れが落ち着いているように感じてしまう。
よほど焦燥感に駆られながら生活をしてきた、その反動がこの感覚なのだろうか。
確たる証拠など掴めないし、それ以前に自分は何でここにいるのかを、確認したい。
視界に入ってきたものは、正面を見れば木造の屋根。
背面は柔らかな布団が敷かれており、左を見れば窓も扉も開いたまま、縁側を通り越して外の景色がうかがえる。
そこからは、すぐ近くに川のようなものも見える。
自然の彩りが実に美しく、なだらかな草原が目に映る。
右を見れば広い、室内。
「……家の、中……?」
目が覚めたばかりだというのに、意外と頭が働くものだと僅かながら感心して、彼はその場に起き上がろうとする。
まず、布団をよけて上体を起こす。
「ん……これは……」
次にやってきた違和感は、自身の服装だった。
全く見慣れない服装を身に纏っていることに気付き、上体を起こしつつ確認する。
彼が身に着けていたのは和服と呼ばれるもの。
自分が身に着けていた戦闘用の服とは全く違い、その風格など一切感じられない。
まるで普段着のような格好であった。
ここにいることも不思議だが、このような服装になっているということも不思議である。
というより、自らこうしたのでないとするならば、もう次に起こすべき行動はただ一つである。
「……、誰かいないかな」
流石に身体は気怠い。
酷く疲れているような、そんな重たい感覚が全身を駆け巡っている。
気を抜けば目眩を起こして倒れてしまいそうになるほど。
だが、それでも男は立ち上がり、少しだけフラフラとしながら、まずはその部屋を出る。
傍が縁側であったが、まずはそこから別のところに行く通路に入る。
通路の脇には何かを収納しているであろう箪笥が何個か置かれていた。
それ以外は、陽の光が入りにくく少し暗いということ以外、何の変哲もないただの通路だった。
しかし、歩いていくとその両脇に幾つかの引き戸があることから、かなり大きな家であることが予想できた。
どこかの町にでもいるのだろうか、とも思ったが、それにしては縁側の時に見た景色があまりに遠くまで見渡せるものだった。
もっとも、あまり調子が良くない身体で何かを見た、と言われても疑心暗鬼を生ずるのだろうが。
「………」
幾つかの部屋を、静かに開けながら確認しようと思い、幾つかの通路を抜けた先に見えた空間に入っていく。
迷路というほどでも無いが、元いた縁側は果たしてどう行くのだろうか。
そう思いながら、中を確認しようとした時。
「目が覚めたか」
「………!!」
色々と確かめなければ、と最初に足を踏み入れたその部屋が、当たりであった。
まさかはじめの部屋に誰かがいるとは思わなかったから、彼は突然聞こえてきたその男の声に咄嗟に反応して、構えさえしてしまった。
だが、すぐに気付く。
今自身が持ち得るものなど、何もないのだと。
「ハッハッハ、まぁ無理もない。起きてすぐなのだから、少しばかり混乱しておるのだろう」
「あ………い、えっと………」
そう言われると、彼は声の聞こえてきた方に視線を向ける。
視線を向けた先には、座布団の上に座りながら茶を飲む一人の男の姿があった。
見た目はご老体とまではいかないが、中年男性に見える。
上口と顎の周りにハッキリと分かる髭を生やし、目元は濃い一方で目はどこか穏やかで優しいような視線を描いている。
髪は黒いが目立つほど白髪が生えているのが見て分かる。
服装は彼と同じく色の違う和服。服の外から出も、逞しい身体つきがよく分かる。
いきなりやってきた男に対して笑顔を見せるほど余裕なのだろうか。
彼は咄嗟に反応してしまったことに対し、やり場のない空気を作り出したことを恥じた。
だが、男はそんなもの仕方が無いだろう、と吹っ飛ばしてくれる。
「良かった良かった。無事に目が覚めたようで。身体の具合はどうだ」
「い…今は、特に。少し気怠さはありますが、動くのに支障はありません」
「そうか。思ったより効果はあったようだ」
「ところで……」
もとより彼はこの大きな家に誰かいないかを探していた。
するといきなり遭遇した中年男性であったが、彼は幾つか確認しなければならない。
「私は、一体……」
「ん…?」
お茶を飲みながら話でも聞こうか、というような体勢を取っていたその男性であったが、彼がそのようなことを話すから、ある一つの可能性が浮かんでその場に立ち上がった。
すると彼の近くにトコトコと歩いていき、身体を近づける。
流石に見ず知らずの男性にいきなり寄って来られたら、警戒しない訳が無い。
何も持っていない彼だから何もすることは出来ないが、その男性は彼の目をじっと近くで見続けた。
「もしかしてお前さん、自分が何者だか分かっていない?」
「私は………、あぁいいえそんなことは…!私はアトリと言います…!」
明らかにこの男性にペースを持っていかれている。
そう感じながらも、ただ今はそれに乗せられるしか他にない。
もとよりこの場所がどこであるかも分からず、自分が何故ここにいるのかも分からない。
元々この場の主導権は目の前の男にある。
冷静に考えればそのようなことすぐに思い付くのだが、今の彼にはそれが出来なかった。
ホッと一息ついた男性は彼の傍から離れ、やがて台所の方へと行く。
「流石に俺も記憶喪失の少年を相手にするのはちと難しいのでな。でも安心、その心配はないようだ。心配すると言えば…まぁ、この場の空気を握られ焦って自身の名前を打ち明ける、ということは、他所ではしない方が良いだろうよ」
「っ………」
もっとも、本来のお前さんの身分ならそのようなことは絶対しないだろうけどな。
そう付け加えて、その男性は小さな箱の中から湯飲み茶碗をもう一つ取り出した。
――――――この男、中々に鋭い。
彼、アトリがこの男性に対してまず思ったことが、それであった。
確かに自分が迂闊であったことは思い返せばよく分かる。
だが、この男性はこちらが考えていることも同時に見透かしているようにも思えた。
この場の主導権は常に相手にあること。
そのうえで対応しなければならないということ。
そして、男性の言葉にあった、本来ならそのような対応はしないだろうという意図の発言。
「まぁ色々聞きたいこともあるだろうが、まずはそこに座るといい」
「……は、はい」
そして、完全に誘われるようにして、彼はもう一つの座布団の上に正座をする。
男性は急須に入ったお茶を湯飲みの中に淹れ、それを彼の前に差し出す。
机の上に置かれたそれを、彼は暫く見続けていた。
「安心せい。毒など入っていないから。うちで育てた茶葉はいいもんだぞ」
「………、いただきます」
言われるがままに、成すがままに、というところだろうか。
完全に客人としての立場となってしまっているアトリだったが、出されたものを拒むほど人が出来ていない訳でも無く、またこの男性に対しては鋭いと思いつつも激しく警戒する必要を持たずとも良さそうだ、と判断した。
もっとも、警戒したところで対処する術はなく、そのような体力もなさそうだったが。
湯飲みの中に入った茶葉は、どうやらこの男性が自ら栽培しているものらしい。
口を付けてまずは一口。
はじめの味はとても苦く香ばしい香りがする。
だが口当たりはとても良く、特に喉に抜けて行く茶の温かさと味わいがとても深みを帯びている。
実に美味な茶である。
それが分かると、もう一口飲む。
起き上がってから気怠さに苛まれながらも、空腹や水分不足という感覚にも遭遇していた。
決して万全の調子ではないし、この気怠さは暫く続くだろう。
「美味しいか?」
「はい、とても。実に私好みの味です」
「しっかしお前さん、一人称が”私”なのかい?なんでまたお前さんのような少年が、そんな」
「いえ、これは自分の知らない人と対する時の話し方の一つですので」
――――――うむ、少し調子を取り戻したようだな。それでいい。
と、その男性も再び座布団の上に座り込み、また湯飲みの茶を飲み始める。
身体は相変わらず怠いが、それでも茶を飲む前と飲んだ後では彼自身落ち着きが現れていることに気が付いていた。
お茶を飲み、ようやく話せるような態勢が整ったところで、彼は口を開ける。
「…その、色々とご足労をかけていることだと察しますが、貴方は一体……」
「お前さん、本当は歳ごまかしてないかい?実は十代になり切っていて、本当は三十代とか…」
「十代です」
先程に続いて、再度アトリの年齢を確かめるような発言をした男性。
一度目に比べるとその表情は一瞬どこか曇ったようなものを見せたが、対して彼はきっぱりと十代であると言い切った。
その辺りは何も隠す必要が無い。
見た目もまだ少年と言えるものだろうし、偽ったところでどうこうなる話でも無い。
彼は自分でこのような話し方をする時は、自分の知らない相手と話す時だ、としているが、このような話し方が身に着くキッカケとなったのは、当然彼が兵士としてあらゆる人に仕えていた経験からだろう。
この時点でこの男性はそれを知らないし、まして彼でさえ自覚があるかどうか微妙なところであった。
「さて、まぁそれは置いておくとして。俺の名前はパトリック。この辺りでのんびり暮らしているただの王国民だ。俺の話を色々と話す前に…まず、お前さんのことについて色々と確認しておきたいんだ」
「パトリック…さん」
「まず、今のお前さんの状態だが……」
――――――どうみても、死んでいたようにしか見えなかったんだがなぁ。
どのぐらいの時間が経過しただろうか。
時間の経過に関係しなくとも、取り敢えず彼は今もこの世に生き続けている。
だがパトリックという目の前の男性から言わせてみれば、最早あれは死んでいたも同然だと言う。
一体どのような状態で見つかったのかは、本人にも分からない。
彼には前後の記憶はあったとしても、あの崖から飛び降り今ここに至る、その間の記憶が無かった。
ゆえに、この場所がどこであるかも分からないし、このパトリックという男性が何者なのかも分からない。
マホトラスに関係する人であれば、このようなところには居られない。
間違いなく自分を殺しにかかる追っ手が現れるだろう。
彼はあの日、槍兵である魔術師でもあるオーディルという男に身体を貫かれ、致命傷を負った。
更にマホトラスの兵士に囲まれ、他の多くの味方兵士は命を落としたであろう。
彼も、目の前の敵兵に串刺しにされ死ぬよりは、崖に飛び込んで生きるという可能性を見出した方が良いと考え、その行動に至った。
どちらとも正解とは言えない判断だろうが、結果的には今も生きている。
その時。
彼はその経過に関する重要な部分の記憶を思い出した。
確かに身体は怠い。疲れも残っている。頭痛もあるし目眩に似た症状もある。
だが、身体への極端な痛みを感じない。
彼はすぐに自分の右手を穿たれたその部分に触れさせる。
感触は至って正常。確かに何か違和感のようなものはあるものの、身体に目立った外傷を感じるものではない。
…何故?
それがおかしいのだ。
あれほどの槍の一撃を身体に受けて貫通したにも関わらず、何故自分は平気でいられたのか。
しかも、その傷を殆ど感じられないほどになっている。
「…これは、一体……」
「ん、やっぱり身体に何かあるのか?」
「…はい。私は傷を負っていたはずですが……」
「そうだったか?俺が見た時は確かにお前さんは衰弱しきっていたが、傷なんてもんは……」
パトリックは少しだけ表情を曇らせながら、そして目線を上にあげながらそのように語る。
これは事実だ。あの槍兵に身体を貫通されたのは間違いない。
だというのに、傷が無いなどということ、あるはずがない。
明らかに何らかの要因が今の状態にさせている。そうに違いない。
まさか夢でも見ているのだろうか、と疑いたくなるほどであったが、しかし突き刺された部分に微妙な違和感を感じながらも、確かに全身を駆け抜けた痛みは感じない。
あまりにも不自然すぎる。
傷が勝手に治るなどということが、あり得るのだろうか。
身体への擦り傷や切り傷は、治癒が働いて治すことも出来るだろう。
しかし、身体を貫通し得るものの傷を、身体の機能だけで治せるものなのだろうか。
彼は、すぐに今の日付を聞いた。
自分がウェストノーズにいた時から、今どのくらいの時間が経っているかを確かめるために。
そうしてパトリックから得た時間の情報で、その日からちょうど10日経過していることが分かった。
たった10日でこのような傷が治るはずがない。
疑問に思いながらも、パトリックとの話を進めることにする。
「まぁ、何にせよ復活したことを良しと思うことだ。命あっての人生、だからなぁ」
「…はい。助けていただきありがとうございます」
「さて、ではこの話は一旦置いて…アトリくん、と言ったな。確認したいことは色々あるが……」
―――――――君は、どこかの国の兵士、ということで間違いはないのだな?
命あっての人生。
確かにそうとも言えるだろう。
この身が誰かの為になる、そのためにはこの身が存在し続ける必要があるのだから。
そして。
先程までとは変わり、真剣な表情を向け、パトリックはアトリに言葉を放つ。
…。
3-1. 復活




