2-31. 長い一日
バンヘッケンの内部とその周囲は混乱に陥った。
動揺を隠しきれず逃げ惑うウェールズ王国軍と、それを追撃するマホトラス軍。
両者の戦いは日暮れ近くまで続き、殺して、殺して、殺し続けた。
もはや人の命などどうでもよくなるくらい殺し尽して、なおそれでも戦いは続いた。
戦いは町の中にも及び、兵士でも無い民たちもがそれに巻き込まれた。
この戦闘が開始されてからは、どちらかといえばウェールズ王国軍が有利な状況が続いていた。
兵士の数は拮抗しているか、僅かにウェールズ王国軍の方が多いくらいであった。
しかしながら、技量や力量において両軍がぶつかり合った結果、甚大な被害が及んだ。
美しい大地に積まれていく多数の死者。
顔を斬り刻まれ、身体の一部の部位を切断され、もう誰の遺体だか分からないほどに、歪んだ景色。
農地として栄えていたはずの面影は、たった一日で潰れてしまった。
ウェールズの兵士であるグラハムは、対峙するマホトラスの二人の魔術師から逃げるよう、同じ兵士であるヒラーに言われ、彼に背中を向け走った。
その後、何とか他の敵兵士たちを斬り殺しながら町へ戻ると、既に作戦指揮を行う味方の上層部は撤退をし始めていた。
対して、それを追従するようにマホトラス軍が町内へと侵入してきた。
兵士も民も巻き込んだ戦闘が発生している。
最前線にいた兵士たちは、皆口を揃えて「ありえないほど強い奴がやってきた」と兵士たちに伝える。
それは一時期グラハムも聞いた噂の一つで、たった一人で戦況を変化させられるほどの実力者がマホトラスにいる、というもの。
現に彼はその脅威と対峙したのだが、その場はヒラーが引き受けるといい、彼は一つの黒い巾着を渡した。
それ以降、ヒラーの姿は見ていないし、あの二人の姿も見ていない。
今も戦っているのかもしれないし、もしかしたら既に………。
結局のところ、それでこの戦いはほぼ終結したようなものだった。
バンヘッケンでの戦い、ウェールズが絶対防衛線と位置付けて、兵力を総動員して臨んだこの戦いは、両軍ともに多くの犠牲者を出し、恐らくは今後の行動に影響を来すであろうところまで、お互いに戦果をあげたことになる。
だが、最終的にはマホトラス軍の猛攻にウェールズの兵士たちが押され続け、一方的に数を減らす危険を生んだ時点で、町を放棄することになった。
一部のマホトラス軍の部隊は敗走するウェールズの兵士たちを追跡し攻撃を加えてきたが、所謂殿と呼ばれる、最後尾で味方の退却を援護する役目は、グラハムも含め上層部の兵士と他の兵士たちとで務め、味方の撤退に成功させた。
そのメンバーの中には、自分の担当では無かったが、アトリの上士であったアルゴスの姿も含まれていた。
とにかくも、味方の退却を援護し、最後まで敵と戦い続けた。
その頃には、高く存在していた太陽も西へ沈み、東の空から漆黒の闇が死地を覆い隠そうとし始めていた。
バンヘッケンの町並みを背景に、彼らは撤退するしかない。
本当ならばもっと戦う手段もあったのかもしれない。
しかし、グラハム個人は、それは出来ない。
あの男、ヒラーに託されたものがあるのだから。
疲弊した身体を何とか動かし、長距離を移動し続け撤退していく。
足を止め休息を取ろうと立ち寄った小さな小さな集落。
辿り着いた時、既に周りは真っ暗。
兵士たちは皆それぞれ疲れ切った身体を地面に置き、外だというのに構わず横になった。
とにかく、休みたい。
一時間でも二時間でも睡眠がとりたい。
その欲が勝り、彼らはほぼ全員が行動不能に陥った。
集落は何名かのご老人がいるだけで、他の人たちは既に南に逃げている、という。
ご老体の人たちも、このような兵士たちの姿を見れば、どのような状況になったのかはすぐに分かる。
それでも戦い続けたことに、彼らは感謝していた。
集落は静まり返る。
戦いから遠ざかり、少しは落ち着いただろうか。
しかし、この集落に来られた残りの兵士は、50人といなかった。
「………」
皆が眠りに落ちる中、グラハムは集落の外に出て、大地の上で一人岩の上に座っていた。
眠気はある。身体も疲れているし、休もうと思えばすぐにでも休むことが出来るだろう。
しかし、それが出来ない理由が、今自分が手にしている、黒い巾着にあった。
何か硬い物が入っており、黒い巾着の生地からでも分かる、ひんやりとした感覚。
ヒラーに託され、これを誰にも見えないところで触れるようにと言われた。
今は戦いからやや遠ざかり、ひと気も無い。
集落からは僅かにしか離れていないが、皆は疲れて寝ている。
ならば、確認するタイミングとしては今だろう、とグラハムはしまっていた黒巾着を取り出して、今手にしている。
時間は、23時50分。
もうすぐ、一日が終わろうとしている時。
星の大海が空を覆う中で、彼は一人、その包みを開ける。
「………これは………?」
黒巾着の口を開けた瞬間、突如光を放ちながらその存在が明らかになった。
夜の暗闇の中でハッキリと自発的に光っている物は、見た目は輝かしく光っているものの、
ただの透明感のある石に見えるだけであった。
夜に光る石、というものに覚えがない訳ではない。
世の中にはそういった珍しい石があることは、図書館などの書物で見ることが出来る。
たとえば、洞窟の中で特定の条件下に輝きを持つ、鉄光石など。
そういったものが世の中に全くない訳ではなく、この石ももしかすると珍しい類のものなのかもしれない。
…だとしても、何故このような石を俺に預ける必要が…?
グラハムはすぐに疑問に思った。
渡されたものが一体どういうものなのか、と気になりながら逃げ続けてきた。
だが、あのヒラーという男が意味も無くこれを渡すとは思えない。
確かに彼の私物だろうし、それが遺物となった可能性も捨てきれない。
だとしても、託されたものには一体どれほどの意味を持たせているのだろうか。
「確か、直接触れるようにと言っていたな…」
意味が分からない。
けども意味を持たせているであろう、この透き通った石。
確かめるのなら、今だろう。
そう思って、グラハムはその石に右手で触れる。
―――――――その瞬間。
「っ………!!!」
………。
これは、その少年の物ではない、一つの記憶。
一つの固体が一人の人間に告げる、この世の断片。
見るものには何が見えているのかが分からない。
何故なら、自分自身に関わる記憶とは全く関係の無いものだからだ。
ただ、それでも、僅かながらにその光景を見ることが出来る。
情景しか分からないままでも、その様子から色々と伺うことが出来る。
どの地域かも分からない。
誰かもわからない。
それでも、何をしようとしているのかは分かる。
二人の親と子が向かい合っている。
親である大人は椅子に座りながら。
もう一人の小さき子供は、立ちながらその右手を親に差し出している。
潔白でまだ何も知らない、何もわかっていないその少年に、親は一つの知恵を授けた。
触れた瞬間、二度と取り戻すことは出来ない世界。
何も知らない方が良かったと思える時が来るかもしれない。
だが、それでも。
子が親に憧れるのはごく普通のこと。
その延長線上の話であったのだろう。
知恵を手に入れることになったのも、その物を得ることになったのも。
………。
その直後。
自分のではない記憶の断片が突然見え、それが静かに去っていった時のこと。
今まで何ともなかった身体に激しい頭痛が不意に襲い掛かる。
頭が割れそうになるほどの痛みと目眩にも似た症状。
あまりに突然すぎて、グラハムはその場に体勢を崩して地面に手をついた。
「……なんだ、これは……!」
間違いなく、この光る石を触った直後から。
それも妙な景色を見終えた瞬間から来たものだと、グラハムも確信した。
頭痛以外に、心臓部がとても熱をもっている。
いつもよりも激しく鼓動し、更に熱も高くなっている。
今まで身体が疲弊するようなことは何度もあったが、このように不意に訪れるものはそう多くはない。
しかもその要因が目の前にある石であるのなら、尚更だ。
一体ヒラーはこの石に何を仕込んでいたのだろうか。
全く持って分からないが、とにかくこの痛みや熱さから早く抜け出したい。
深呼吸をしても、風を仰いでも状況は変わらない。
「……、これは暫く治らんかもな」
突然訪れた不可解な症状とはいえ、耐えきれないほどのものではない。
頭痛や身体の熱さ、今回で言えば心臓部が特に熱く呼吸もしづらいのだが、この症状に全くの覚えが無い訳ではない。やや重いと感じるところもあるが。
そう、グラハムは今自分が感じているこの症状が、風邪のものと似ている、と感じていた。
熱が上がり頭痛を起こし目眩を発生させる。それに抵抗するように汗をかき始める。
これらの症状は今も子供だが、昔に経験したこと。
それだけならば特に驚くことも無い。
しかし、奇妙なのはこの石を触ってから、そのような症状が出たということ。
黒巾着の表面が冷たかった時から、何か妙な物が入っているのではないかと思っていたが、この光る石がそのような、身体に作用する何らかの物を持っているとしたら、驚きである。
とにかくも、暫くはこの状況を抜け出せそうにない。
集落にいる兵士たちのほとんどは寝ているし、自分も少しばかり休めば落ち着くだろう。
そう諦めて、立ち上がろうとした、その時。
――――――その石に触れたのか。
「っ………!?」
誰もいない、そう勝手に思い込みながらこの黒巾着を解放した。
だが突然背後から声が聞こえてきて、彼はそれに敏感に反応した。
瞬時に心臓の鼓動が強くなるのを感じて、自然とその方向を見た。
反応は早く、視界に入ってきたのは、一人の鎧男。
鎧や武器が重なり合う音が聞こえる中で、ハッキリと聞こえた一つの声。
暗がりの中から現れるシルエットは大きな男の姿で、ゆっくりとこちらに向かっているのがよく分かる。
だが、グラハムはすぐにその正体が何であるか理解した。
何も身構える必要は無い。というより、今はその余裕がない。
しかし身体の向きは変え、傍にやってきた一人の男にやや頭を下げる。
「……アルゴス、さん……」
そう。
大男に見えてしまうような鎧のシルエットの正体は、アルゴス。
この戦いにおける指揮官の一人。
彼らの上士にあたる存在である。
何故この場に来たのかも分からず、考えることもままならず、ただそれでも相手の存在が分かるなり一声かけた。
アルゴスは、片膝と手をついて苦しくするグラハムの目の前に立ち、見下ろす。
面識のない相手からこのようなことをされれば、流石に警戒もするだろう。
しかし、この二人は王城で何度も会ったことがある。
普段アルゴスは王城勤務であり、外部に出る機会はあまりない。
だが、グラハムは他の上士が担当とは言え、王城にいる期間もある。
そういった時、お互いに見かけることがあるのだ。
とはいえ、あまり多くを話したことは無い。
何しろ、アルゴスは口数がそう多くは無い、いつどこでも完全武装をしているような人。
まるで形式とはイコールこの人を示すのだ、と言わんばかりの堅さはよく知られている。
「……い、石………」
「苦しいか?」
「は、はい……少々。ですが大丈夫です、これくらい…」
訳も分からず、ただそれでも上士の前でみっともない格好は出来ないと一瞬で悟ったのか。
グラハムはその場に再び立ち上がろうとする。
何が原因なのか定かではなく、ただ憶測だけで石に何かがある、と決めつけた。
しかし。
「まさか他にも石を持つ者がいたとはな」
「え……?」
先程は石と話していたアルゴスだが、次にそれを石と呼んだ。
紛れもなく今グラハムが手にしている光る石のこと。
それを見るアルゴスの表情は、どこか深く重たいものであった。
その瞬間。
グラハムの中で昼間の記憶が一気に流れ込んでくる。
あのマホトラスの二人と対峙した時、ヒラーは言っていた。
「魔術師」という言葉を。
そのような存在がいるとも思わず、作られるとも思わず、ただ小説の中だけの存在だろうと決めつけていたグラハム。
だが、何故かあの時、ヒラーから聞いたその言葉は、偽りなく真実であると訴えているようにも思えた。
聞きたいことが山ほどある。
しかし、聞く前に走り去るように言われてしまった。
一つの可能性。
もしそれが事実であるとすれば、その可能性は石に秘められているのだろうか。
「お前と共に撤退支援をしていた時から感じていたのだ。これほどまでに至近で強力な魔力を感じることはそうそうない」
「魔力………って………」
「授かったのだろう。戦場でその巾着ごと」
―――――よく覚えておくがいい。それは石、外界から隔絶された魔術師が持つ代物だ。
石。
幾ら小説の世界がどれほどの世界観を内包していたとしても、この事実は語られることが無かった。
まさかそれが現実に存在する魔術師の持つ物などと、考えるはずもなかった。
自分がそれを授けられ、託され、そしてこれからを生きて往くのだとしたら、どう扱うべきなのだろうか。
考えることは山積みになり、今この瞬間は身体も上手くついていかない。
だが、これだけはなんとなく分かる。
もう後戻りは出来ない。
何の確信もなく、本質に気付くことなく、ただそれだけを託された。
しかし、魔術師なんてまがい者が現実にいるのだとすれば、最早それは人ならざるものなのではないだろうか。
こんな光って透き通るような石にそれだけの意味が込められているのだとしたら。
それを託されたということは。
――――――だが挫けるな。諦めなければ、決して未来は潰えない。
「今この瞬間、お前は魔術師に必要な魔力を強制吸収した。それを使うかどうかはお前次第だ」
「ではアルゴスさん、貴方も…」
「………、…」
静かに、だが険しくその表情を向けるアルゴス。
魔力を近くで感じ取ることが出来たというのであれば、アルゴスもそのうちの一人と考えていいのだろう。
今は分からないことだらけだ。
正直なところ、魔力を得たからといって何かが変わったかと言われると、すぐには気付かない。
ただただ体調が著しく悪く、早くこの気怠さから抜け出したいという気持ちもある。
しかし、やがてこれに耐性がついてしまえば、自分は本当に魔力を扱えるようになってしまうのか。
不思議と縁が繋がったこの道中を活かすかどうか。
そうして、グラハムが出した言葉。
「…知っている限りで構いません。教えて下さい、魔術のことを。いざという時に役に立つものなら」
妙ではあるが、もし本当にその力を使えるのだとしたら。
使わないというのももったいない話ではある。
そして、その力を手に入れることで、自分やその周りにいる人たちに活用できるのなら。
もっとも、グラハムはこの時点で魔術師の掟たるものを全く知らなかったため、後に公に出来ないことを知ることとなる。
だが、それでもいつか役立つ時に、必要な時に使えるようにしておくのも良いだろう。
ヒラーという男が恐らく自分の秘密を打ち明けてまで託された物は大きい。
だが、その重みをすべて引き受けることもない。
託されたものの価値はこれから分かってくるだろうし、その想いは捨てられない。
自分に出来ることを、順々にしていく必要があるだろう。
そう思いながら、グラハムはアルゴスにその真実を確かめるために、教えを願ったのだ。
今日一日、何が起こったのかを振り返るのも時間が掛かるほど、今日という一日は長かった。
戦って、救われて、殺して、逃げて。
混沌とした状況の中、それでもまだこの身体は生き続けている。
今はその一日を、無事とは言い切れないがとにかくも終えることが出来るのを、良しと思うことにする。
そう、グラハムは心の中で少しだけ安堵しながら、考えたのだ。
マホトラスとウェールズの、お互いの意地と意思がぶつかり合った死闘。
死地と成り果てた美しい大地。
人の生がどれほど儚く、惨く、残酷なものであるのかを示した戦場。
語るべき言葉もなく、ただ戦いに身を投じることで自身を証明するという愚行。
相容れない者同士が潰し合い、どちらかが斃れるまで、その矛先は決して下ろされることはない。
ウェールズ王国軍は、まとまった戦力をバンヘッケンでの戦いで失った。
後続に控える王城および城下町を防衛する部隊と、敗走している残党部隊を含めても、最早マホトラスの侵攻を防ぐことは出来ないだろう。
その見方は、敵味方のみならず、多くの民たちによって判断されていたことである。
このままでは、国のシンボルたる王城さえも奪われてしまう。
そうなれば、国としての機能の多くを失い、王国は滅亡への道を歩むことになる。
ウェールズ王国建国以来、最大の危機。
国が滅ぶか、それとも国民が先に亡ぶか。
今後のことを考えた選択肢の決定をしなければならない。
そして、その決定をする時間の余裕は、ない。
時代は大きく変化しようとしている。
両国の戦争が混迷の時代を生み出し、そしてパワーバランスを変えつつある。
国も、人々も、関わる者すべてに、時代の波は襲い掛かろうとしている。
………そして。
2-31. 長い一日
「……、君は……」
「お初にお目にかかります。私は―――――」
その時。
少年は、ある少女と出会う。
混迷の時代が変革を迎える中―――――。
「俺には、幸せな生き方をする自由も権利も、何一つとして無かった。そのはずだった」
―――――――彼らを取り巻く時の運命も、変化していく。
次章 『ボーイ・ミーツ・ガール』




