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Broken Time  作者: うぃざーど。
第2章 混迷の戦時下
48/271

2-24. 退場




この町―――――ウェストノーズでの戦いの意味は既に明らか。

それは敵から見ても、自分たちを見渡してもすぐに分かることだ。




「チッ………まぁ何とかなっているが………」




ウェールズ王国の兵士、ジャスタは唇を噛み締める。

この町に到着してから三日後の朝、今日遂にマホトラス軍がこの町に侵攻してきた。

それに対処するのは、相手よりも数の上で少なく初めから劣勢を強いられている残党部隊。

彼らの目的は、町にいた民たちを出来るだけ遠くへ逃がすこと。そのための時間稼ぎをすることだった。

はじめは町の外で戦闘が行われ、数十分間彼らは剣戟を交わしながら町への侵入を防いでいた。

その間に、町にいた殆どの民たちは次なる町へと離脱して行く。

だが、やがて劣勢の状況が覆らないほど追い込まれていき、町の中まで戦闘が及んでいた。

既に見知った顔が動かぬ躯となり倒れている。

それを見ると、ここまで追い詰められた自分たちの運命に後悔さえ感じてしまう。

だが、当初の目的は殆ど果たされた。

今この町にいるのは、残った残党と呼ばれる兵士たちのみ。

それに対してジャスタは、何とかなっていると評したのだ。




「アトリさん大丈夫だろうか……」


「ジャスタさんこれ以上は押さえきれません!!」


「馬鹿言うな!!まだまだこれからだ」




ジャスタもアトリと同じように、ここにいる兵士たちを引き連れてきた、長に近い立場の人間。

もっとも、彼自身がそう望んだわけではなく、城からやってきた兵士アトリが必然的に全体を統括しなければならなくなった時、彼に頼まれて一緒に事をこなすことになっただけのこと。

アトリは自分自身で誰かを統率するような人間ではない、と否定しながらも、ここまで民も兵士もまとめ上げて逃避し続けてきたのだ。

向いていないと自分で言いながら、最善の手腕を見せ続けてきた少年。

敵の主力部隊を大きく避け、残党部隊となった自分たちを討伐するだろうことを予測していた彼の手腕や判断能力は、とても少年のそれとは思えなかった。

ジャスタは純粋にアトリの補助をしようと、頼まれたが進んで協力していた。

疲弊している中でもまとめ上げて行くアトリに様々な助言を渡し、判断の材料にしてもらっていた。

今、この場ではアトリはいない。

兵士からの情報を得て、アトリが恐らくは敵部隊の隊長たる者と戦闘中であることを告げられたジャスタは、町にいる兵士たち全員を仕切る立場となった。



が、それも今となっては混乱状態。

何せ、相手の兵士の数よりも自分たちの方が人数が少ない。

そして戦いに敗れ殺されていく味方を大勢見て、ジャスタとて心身の動揺を感じているのだ。

誰にでも起こり得るごく普通の、自然的な反応だろう。





「町全体を使って移動しながら戦え!そうすればまだ時間は稼げるだろう…!!」




既に民たちは離脱しているし、敵戦力の殲滅に集中しても良いのだが、それでもジャスタは時間を稼ぎながら戦うように指示を出し続ける。

結局のところ劣勢であることに変わりはないので、であるのならちょこまか動き回って相手を攪乱出来た方が都合が良いと考えたのである。

しかし、これも相手の数にかかればいずれ包囲されてしまう危険もある。

戦争とは数だ、とよく言われる理由がここにきて身に染みるほど実感する。

ジャスタは既に10名近くの敵兵士を斬り殺していた。

これは町で戦う兵士の中では最多の数であり、ジャスタが強い兵士であるという認識を相手の兵士たちに植え付ける大きなキッカケとなっていた。

強い敵を複数人で包囲し狙うのは、上策とも言えるし当然の選択だ。

本来アトリもそのようにされていたのだろうが、部隊長らしき男との戦闘が長引いているのだろうか。

あるいは、それとも。




「………はぁ……っ………」




敵に追われながら、町の建物の角に隠れるジャスタ。

町全体で剣戟が交わる激しい音が聞こえてくる。

彼の周りでも忙しくそうした音が聞こえてくるのだが、それよりも近づいてくる足音に彼は注目する。

町の通りから中の角に、息を殺しながら待ち伏せをする。

建物の壁に背中をつけ、右後方から聞こえてくる音を頼りに、準備をする。

このまま走って来てくれれば、と願うばかりだ。

彼は剣を右手で持ち、そして足音がすぐそばまで近づいてきたその瞬間、壁から剣だけを地面に対し水平方向に繰り出した。




「うがっ……!!」




という、やや間抜けな声が聞こえてきたが、それは致命傷となる一撃であった。

決して彼が剣戟を浴びせた訳ではないのだが、猛烈に追いかけてくる敵に対し、角から剣だけを出すことで、敵はそれに対しての反応が遅れ、顔面ごと剣の刃に突っ込んだのだ。

切れ味が多少鈍っていたとしても、その感触と鈍い音、そして飛び散る血の有り様で状況は容易に想像できよう。

鼻の下からすっぱりと入刃された顔面には、剣の刃がほとんど埋まるほど挿入される。

痛みを感じると共に急いで後ろに仰け反ったその兵士に、ジャスタは一発の突きを心臓部に入れ絶命させる。

返り血を浴びながら、後ろから迫ってくる次なる敵に剣を構え直す。

このように町の建物を使いながら、彼は一人でもと戦果を挙げ続ける。

しかし。




「ぐはぁっ!!」


「おごっ…!!」




次々と耳に残るのは、味方の兵士たちが殺されていく、絶命する瞬間の叫びにもならない声。

それを聞く度に彼の視界が歪む。眉間にしわを寄せ、その不利な状況に抗い続けるも、それが多勢に無勢であることを実感させられ、悲痛な気持ちになる。

それでも戦い続けなければ、今他に戦っている兵士や、先に死んでいった友人たちに何と顔向けが出来ようか。

そして、ここまで引き連れてまとめ続けてくれた、アトリという少年に申し訳が立たない。

年上である自分が彼に出来たことは何だっただろうか。

いや、せめてこの場で出来ることは最後まで尽くしたい。


そう思い、願った男の剣は嵐のごとく敵を斬り刻む。

荒れ狂う剣戟は、身体が思う以上に力が入り制御が出来ていない証。

力任せに剣を振り続け、額に多量の汗を流し、少しばかり気が遠くなるような感覚を掴みながら、それでもと敵を倒そうと剣戟を交わす。




「こいつ……まだやれるのか……!?」




恐らくはそれが、ジャスタという敵兵士に対する最大の賛辞であっただろう。

敵から見るにその男の剣戟は、もはや剣と身体とが一体化したかのようなもの。

全身を使って全身で斬り刻む、そのような幻視さえ浮かんでくるほどのものであった。

だがそんな状態のまま、いつまでも戦いが続けられるはずもなく、やはりジャスタの周りには彼を仕留めようと兵士たちが3人、4人と集まってくる。

建物の角などを使いながら戦いを続けていた彼だが、追い込まれると広い道に出てしまい、複数人に包囲されてしまう。

そこでようやく、男の荒れ狂う剣戟が止まった。

身体から蒸気でも見えるかのように、その姿は少しだけ消沈したように見える。



「いい加減諦めたらどうだ?もう残ってる奴なんて、お前入れても10人程度だぞ」


「………はは、それは出来ない相談だな」


「………」





…まぁ、しかし、こんなところじゃないかな。

為せば成る、そう信じたいところだが…残念ながらそれを見届けることは出来なさそうだ。




戦う者が一番、自分自身の身体をよく知っているだろう。

他人に言われるよりも前に、自分のそれに限界が近づいていることは明らかであった。

それでも相手から追い詰められ、せめてもの情けをかけられたのだ。

ある程度善戦したと言うことが出来るだろう。

戦闘が始まって一時間が経過しようとしている。

短い時間だったのか、長い時間だったのかは正直分からない。

だが、民たちが逃げてからそれなりの時間を稼ぐことが出来ていた。

意識の片隅に、アトリさんが今どのような状況にあるのかが気になっていた。

まさか、相手の長と一時間あまり戦闘を継続している訳ではないだろう。

少年が劣勢であったとしても、30分が限界ではないだろうか。となれば、今頃は勝ちがついたか、負けて斃れているか。




「いかが覆せない現実だったとしてもだ。俺たちは最後まで戦い続ける。そう、お前たちがウェールズを転覆させようとする目的があるように…俺たちにもな、譲れないものがあるんだ」



「………」



「お互いそれで命を賭けてんだろ?」





ハッ。

まさかこんなことまで、俺はあの少年に教えられていたとはな……。



他の兵士たちが彼に影響を受けたように、ジャスタも彼の在り方に影響されていた。

道中、何度も厳しい思いを、苦しい思いをしながら、それでも前に進み続けてきた自分たち。

正直諦めかけていた人も大勢いただろう。

何をどうしたって勝ち目がない、運命さえ定められているこの道中に、それでもと彼は価値を見出し続け、誰かの為にと必死になり続けていた。

ヤヴィノスクであの大量の敵に囲まれた時であっても、可能性を棄てぬその背中が結果をもたらした。

やってみなければ分からない。結果が分かってしまっていても、諦めることをしない。


それがいずれ。

誰かの為になるものと、彼が信じ続けていたように。

きっと、ここで戦ったことは、後々逃げた民たちや後ろに控える者たちの、為になるだろうと。




「ふんっ………!!」




ジャスタは、再び兵士として、その剣を構え直す。

直後、複数人が一斉に取り囲んだ獲物に食らいつく狼のごとく、突進してきた。

彼はそれをすべて見ることはしなかったが、視線の合った目の前の男に向かって、その剣を突き刺した。

一閃された剣は直線を描いて相手の懐を貫こうとする。

しかし、それよりも前に後ろからやってきた男たちの剣戟が、彼の身体に直撃した。

三つの刃がそれぞれ背中に直撃し、多量の血を噴出させながら、それでもジャスタは目の前の一閃を諦めずに貫き通そうとした。



「痛っ……!!」



しかし、やはりそれが限界だったのだろう。

ジャスタの一閃は相手の懐には命中せず、脇腹を掠めて行っただけ。

相手の兵士から反射的に漏れ出した言葉を聞いたものの、致命傷とはならなかった。

防具を貫いたその一撃で、剣が半分に折れた。

そして血の噴出を見た兵士たちが、思わずその場から距離を置いた。




「………!!」




それでも、ジャスタはまだ動き続ける。

折れた剣など復活するはずもない。

だがそれが戦いの道具とならない訳ではない。

流れる血で下半身の色は変色し、皮膚や肉の塊が地面に転げ落ちて行く。

最早痛みなど感じられない。恐れる必要もない。狼狽える必要も、ない。


折れた剣と未だ縫い合わされ折れない心を一つに、再び彼は剣戟を相手に向けた。

その速度は、目でハッキリと追える、回避できるほどのもの。

他人から見ればそのようなもの、何の攻撃にもならないと思われながらも、彼に取ってはただ一つの剣戟であった。

逆にその姿を見て、マホトラスの兵士たちが恐れるほど。

ここまで傷を負いながら動き続け、なお戦い続けようとする男を見たことが無い。



だが、それも終わりを迎える。

背後を取った一人の兵士が、ジャスタの身体中央を貫く一撃を加える。

マホトラスの兵士の幾人かが、それを見て思わず目を見開いた。

彼の動きが止まり、彼を突き刺した兵士は自身の剣から手を放した。

間合いを開け、最早動きそうにもないその身体を、その場の全員が見続けていた。

静かに、ただ静かにその時を迎えるだろう、と。

声一つ出さず、醜態を見せることもなく、ただ一人の兵士としてあり続ける、その男。




「………」




少しだけ笑みを浮かべ、ジャスタはその場に片膝と片手をついた。

折れた剣は地面に寝転がる。しかし、彼の身体は今も崩れることがない。

そして、マホトラスの兵士が「その瞬間こそが絶命の時」だと分かるまで、1分以上を要した。

それが分かるまで、彼の戦いは終わらなかった。





一方。

彼らの戦いからは時間はやや遡ることになる。

ジャスタが言うように、一対一の戦いが一時間も続くはずがない。

彼はその存在を知ることが無かったのだが、彼の言う部隊長は部隊長でも何でもなく、ただの槍兵。

見立ては少なくともそうであるはずなのだが、ある彼の前には魔術師という言葉を付け加えなければならない。

ある彼とは、ジャスタではなく、アトリ。

彼は今まではあまり自覚することが無かったが、オーディルは彼に面と向かって「少しは危機感を持った方が良い」と伝えた。

態々敵である槍兵から態々そのようなことを言われる、というのに意味がないはずがない。

それを聞いた時、彼自身それがどんな意味を指し示しているのか、全く分からないという訳でも無かった。ただ、よく考えれば、オーディルが自分を狙い殺しに来るだろう、その理由に全く覚えが無いというほどでも無かったのだ。

彼は自分自身で不可解な現象が起きたものと感じ取る瞬間があった。

決まって魔力を持つ者が目の前に現れた時、それを警戒するかのように心臓の鼓動が早く激しくなる。

更に奇妙な夢を見るようにもなり、敵意を察知するようなおかしな真似も現実に出来るようになっていた。

オーディルはそこまで含んで危険な人物だと認識したのだろうと、アトリは思っていた。

でなければ、勝負になるはずの無い相手と態々戦うこともあるまい、と。




ガキンッ!!!





「はあぁっ!!!」



「ぐっ………」




だが、実際のところは全く勝負にならないということでは無かった。

オーディルは遂に意図的に槍に力を籠め、瞬間的に体内と槍を共感状態にして魔力の表出を行った。

魔術師としての恩恵を受けながら、魔力など持たないであろうアトリとの勝負に切り替える。

今まではただの剣戟を打ち交わすだけのもの。

だがこの段階で、オーディルはその一撃を相手に心底叩き付けるように、高速かつ胴体を狙う正確な攻撃をアトリに向けていた。

一方で、アトリは確実に押されながらも、後退しながらも相手の攻撃を見て受け止めていた。

獣の如き敏捷さで、何度も何度も一閃貫かれる。

が、その度に何とか直撃だけは防いでいく。

剣と槍とがぶつかり合う時、槍はそのリーチの長さが強みとなる。

槍の穂が突き動作を繰り出した時、アトリの腕や脇腹をその一撃が掠めて行く。

無論傷も入るし出血もするのだが、致命傷には至らない。

それが何度も続き、オーディルはアトリへの攻撃を決めきれない時間帯がやや続く。

アトリも、どこかに隙が生まれないものかと伺いながら、超高速の、常人には理解できぬほどの力と速さの剣戟を防いでいく。

自信を持つことのないアトリだが、魔術師を相手とした剣戟に対抗出来ているのは事実。

だが、今はそればかりを意識することも無い。




互いの武器がぶつかり合う度に、火花が飛び散る。

音が鳴り響く。

それぞれの武器が空を切る音が激しく鳴り止まない。

奔る槍を防ぐ剣。

だがその槍に僅かながらの隙が生じた。




「はっ………!」



アトリはそれにすぐ気付いた。

オーディルらしからぬ、それはミスであっただろう。

アトリを押し込むあまり移動しながらの戦いであったのだが、その彼が一度グッとしゃがみ込み、オーディルの一撃を空振りさせた。

瞬間、彼は脚力を最大限に発揮し横方向へ飛び退く。

それを追いかけようとしたその時に、足の向きと攻撃する方向とがかみ合わず、その場で体勢を崩しそうになる。

アトリは、それを見逃さなかった。

相手が僅かの時間で体勢を整え次なる一撃を放つ前に、こちらが一撃を加える。

剣を振る手に力が入り、その剣戟は高速で表出した。




「っ………!?」



「………!!」





それが恐らくは最大の好機だっただろう。

アトリが放たれた一撃は、左から右上に振り上げるような一撃。

オーディルとの間合いを詰めて繰り出されたものは、そのままいけば彼の胴体に深い切り傷を入れるものとなっていただろう。

アトリの視界の中に、僅かながらの血が飛び散る。

だが、それはオーディルの胴体から発せられたものでは無かった。

この槍兵は体勢を整えていたのだが、攻撃を加えることを瞬時にやめ、回避行動を取ったのだ。

一方的に押し続けていたオーディルが、この戦いで見せた回避行動の一つ。

アトリの攻撃も早かったが、それ以上にオーディルの回避も素早かった。

剣の刃は、彼の左頬に斬り込んだだけのもので、少量の出血を発生させたが、傷というには浅すぎるものであった。

彼が一太刀浴びせた、という事実に変わりはないのだが、それでもオーディルはその瞬間驚いた表情を隠すことが出来なかった。



アトリが再び後方に下がり、間合いを取る。

一方のオーディルは、傷の入った左頬をなぞり、血を確かめるようにして見た。




「………」




確かに一撃加えることには成功した。

だが、それは状況を好転的にさせるものでは一切ない。

彼の心境は非常に複雑であった。

この好機を仕留められない、それが今の自分と相手とを隔てる壁なのだと。

一方、オーディルは少しだけ間合いが開いた状態で、自身の傷を確認した。

驚いた表情は今こそ見られないが、直撃を受けたその瞬間はハッキリと記憶できるほど。


だが。

やがて槍兵は口を開く。




「この俺に一撃を入れた奴は、久しいな」




そう言い放った瞬間の彼は、今まで以上の鳥肌を身に感じていた。

声のトーンが、先程までのそれとは違う。

戦いを楽しむような、笑みさえ浮かべるような槍兵は、もうそこにはいない。

その目は間違いなく、明確な敵意と殺意を兼ね備えたもの。

相手が危険であるが故に、本来自分に勝手に与えられた任務をこなすために戦う。

冷たい汗をかくほどの感覚が溢れ出る。


瞬間。

オーディルは少しだけ開いていた彼との間合いを、一気に広くした。

二人の距離はおよそ15メートルほどだろうか。

どうあれ剣と槍が交差する可能性の一切ない間合いにまで広がる。

アトリの眉間にしわが寄る。




槍とて届かないのに何故そこまで間合いを開く必要があるのだろうか。

このような中途半端に戦闘が終わるものとは考えられない。であれば、別の何か………。




「はっ………!」




冷静に考えようとしていた頭の中で、一つその可能性が過った。

だがその瞬間には、既にオーディルの動作は始まっていた。

槍兵は姿勢を低くしながら、両手で槍を持ち自分の頭上から地に下ろす一撃を地面に加える。

その一撃があまりに勢いがあっただろうか、周囲を取り囲むように、一気に砂埃が舞い石や土の破片が飛び散る。

急に視界を奪われたアトリ、目に襲い掛かる砂埃。

だが、ここで目を閉じてはいけない。

目を奪われた後、あの間合いの広さから攻撃する方法と言えば、一つ。

魔力があっても無くても攻撃できる手段であることに変わりは――――――――。





「…………!?」







その可能性は思いつかなかった。考えもしなかった。

彼の予想を反する攻撃であった。

突如、身体全体に痛みよりも強い寒気が襲い掛かる。





「がっ………っ………!!」





少し視界が開けたその時に、ようやくすべての状況を理解した。

砂埃が僅かな時間だけこの目を奪っていたが、今では霞む程度、ハッキリと認識できるほどに見える。

そのうえで、彼はそれが予想もしない攻撃だったと、振り返った。

多くの剣戟が発生し、その度に激しい打ち合いの音が鳴り響いていたのだが、最後に彼が聞いたのは、鉄が弾ける音の直後、実に鈍い音であった。

彼の身体はその場で止まる。額には汗、表情は驚愕そのもの。

右手には剣、刃の根元には鉄さえ抉っているほどの白い大きな傷が見えていた。

口から少量の血を吐き出す。

出したくもないのに勝手に出てきたそれを吐き出した。

だが、地面を見ればそんな少量の血以上に溢れ出る血だまりが出来ていた。



彼は瞬時にその攻撃方法を理解した。

だがそれは、槍だけが自身の身体、腹部と胸部の間を穿つ一撃を受けた後に気付いたのだ。

その時点で、この槍はあの男が刺したものではなく、槍が自らの身体に向かって飛んできたことと理解することが出来る。

彼が予想した攻撃、砂埃で視界を奪いその隙に突進する攻撃ではなく、視界を奪った直後に、槍兵は自身の武器を彼の身体に投げ入れ、そして穿ったのだ。

自らの武器を自らの手から離すことなど、普通では考えられない。

まして、剣士であれば尚更そう。

剣とは人の手で持たれてこそ戦う効果を発揮し得るもの。

槍の穂は確かに人の身体などの対象を貫くには適した形をしているのだが、それを手放すことなど想像もつかなかった。

もし外れていれば、武器を持たない者はどう戦おうと言うのか。

あるいは、この心配は少し距離を開けたところで真剣な眼差しを向けるこの男には、必要のないことだったのかもしれない。

この男は、そう、魔術師なのだから。




「うっ……ぐっ……っ…………!!」




両膝が地面に勢いよくつく。

だが決して倒れることはしない。

剣を持つ手を地面につけ支えにし、もう一方の手で自信を穿った対象を掴む。

自分の視界からは槍の穂が見えない。

ものの見事に身体を貫通させられたのだろう。

内部は恐らく傷だらけだ。というよりは、誰の目にもこれが致命傷であることは明らか。

しかも彼は防具を身に着けていない。

動作が重くなるのを嫌う彼は、胴体に防具を装着しないで戦闘をする機会が多い。

槍が穿つ前にこの剣に直撃したのだろうが、剣は槍の投擲を防ぐほどの防壁とはなり得なかった。


片手で、力いっぱいその槍を抜き取る。

全身に寒気が走りながら抜いたその槍は、もう一度内部から外部へ抜け出すその時に、体内に傷を植え付けた。

出血多量、気が遠くなり始めていたというのに、またその痛みで現実に戻された気分だ。

抜かれた槍を彼はオーディルのもとへ投げた。

最早奪ったところで、自分が手に持ったところで、結末は変えられない。

これほど深く抉られてしまっては。

致命傷を受けながらも彼は冷静に考えることが出来ていた。




「これがお前の現実だ」



「………何………」




まるで火の中で喉を焼き切ったような、掠れた声を出すアトリと、ハッキリと聞こえるオーディルの声。





「確かにおめえは強くなったが、それでもまだ足りねえ」



「足り……ない………?」





一体何に対して実力不足であるのか、と彼は槍兵の言葉に耳を傾ける。





「己が理想を叶えたいって言うんなら、今のおめえでは到底無理だ」



「………俺の、理想………」





何度も何度も、頭をよぎる。幾つもの光景、幾つもの言葉が。





「その甘ったれた考え方は理想であって現実には反している。理想を成就するってのがどれほど難しいことなのか、身を以て知れ。それが分からねえなら、おめえはここで死ね」



「………」





甘ったれた考え。自身が求め続けていた理想、叶えようとした現実、それに程遠い今この瞬間。





「それでもおめえの理想が間違っていないって言うんなら、そのすべてを果たせるだけの力を手に入れて来い。そのうえで、その結末を知るがいい」





………。



そういうと、槍兵は彼に背を向け町とは正反対の方向に歩いていってしまった。

薄れゆく意識の中で聞いたそれらの言葉は、意識とは裏腹にハッキリと脳裏に焼き付いていた。

まるで刻印のように刻まれる、嫌でも思い出すほどに。

彼を貫いていた槍は、いつの間にか目の前から消えていた。

持ち主が回収した訳でも無く、彼が所持した訳でも無い。

空間の中にその存在ごと消してしまったのだろう、恐らくは魔術を通して。





―――――――……駄目だ、力が上手く入らない。





槍で一突きされたその体内は激しく損傷し、既にこれ以上流してもどうでも良くなるくらいに、血を流した。血だまりを足で踏みつけ、最早戦う武器という役割を失ったその剣が杖替わりとなり、痛むよりも気が遠くなるのを必死に我慢しながら、彼はすぐ近くに見える海を目指す。

そうか、確かに海が近いと言ったが移動し戦いながらここまで来ていたのか。

ウェストノーズから少しだけ離れた場所。

複雑な地形をしている海岸線沿いの、すぐそばに向かっていく。

槍兵が見えなくなり、彼が亀のような遅さで歩いて時間は刻一刻と経過していく。

この状態で町に行ったところで、どうすることも出来ない。

戦うことも、助けることも、護ることも出来ない。

今何故自分はこれほどの傷を負いながら行動できるのか、それが不思議に思えるくらいであった。

ここではもう、どうすることも出来ない。

であるのなら、少しでも遠くに逃げて再起を図るのが得策だろう。



「おい!誰かいるぞ!!」



「男だ!剣を持っている!!」





ああ、まずい。

槍兵とは違う方向、だがそれでも同じように町からは離れていたはずなのに、誰かの忙しい声が聞こえてくる。

マホトラスのそれだとするのなら、もう町は陥落してしまっているだろう。

戦い始めてから、どのぐらいの時間が経っただろうか。

あの槍兵と別れてから、まだそう何十分も経過した訳じゃない。

だが、確かに戦闘が始まってから、結構な時間が経っただろうか。




「こいつも兵士のようだな?」


「ひでぇ傷。町から逃げ延びたのか…?」


「けど残念だな、こんなところで見つかっちまうなんて」






剣を杖にして歩きながら、兵士たちに背中を見せながら、歩き続けた先。

風が町の近くにいるときよりも強く吹き付けている。

しかも、時々水しぶきのようなものも当たる。

ああ、そうか。確かに海のすぐ近くには来たが…ここは崖になっている。

崖下はただの海中だ。

この位置には砂浜も無ければ港もない。どこに行っても辿り着くのは、こんな崖ばかりなのだと。



「兄さん?」




直後。

背後から前方に押し出されるようにして、彼はその場に転倒してしまった。

後ろにいたマホトラスの兵士の一人が、最早瀕死状態である彼の背中を蹴り飛ばしたのだ。

ゴテゴテした地面の上に滑るように転倒した彼。

当然利き手に持っていた剣は持ち主のもとを離れて地面に転がる。

前面を強打し、再び全身を鞭打つような激しい痛みが駆け抜けて行く。

彼の顔が歪み、同時に視界も歪んでいく。

先程よりも、声が遠くなっている。



いよいよ、これまでか。




「おい、殺れよ。どうせ敵だろ?」


「あぁ。斬るってことで、いいんだな?」


「その方がこいつの為だぜ。一瞬で殺っちまいな」










………。






俺は、何もかもが中途半端だったのだろうか。


力も、技量も、この思いでさえも。


己が理想を成し遂げるには、力が無いと言われ、


誰かの為にこの身を剣とし戦おうとすれば、そんな人生はただの道具だと言われる。





これが、その結末だと言うのか。

どんな時でも決して譲れない、そう信じ思い続けてきた信条の結果が、これか。

その程度のことしか出来ない、その程度のことしか考えられなかったのか。

あるいは、この結末こそが、甘ったれた考え方の代償だったのか。



何もかもが中途半端で、何もかも取りこぼしていくのか。



俺は今まで一体、何の為に戦い続けてきたんだ。







―――――――私は純粋に人の為になりたいと思っている。その選択肢が今の姿だよ。








それでも。

この思いが生まれたであろう、あの残光を、今も彼は持ち続けている。

どれほど小さな光で消えそうな点であったとしても、それを絶やすことの無かった、光。

たとえどれほど険しい道のりであったとしても、この道が決して誤ったものでは無かった、そう信じ続けて歩み続けた日々。

忘れることの無かった数々の記憶と時間。




たったこの一瞬が。

死ぬ間際のこのひと時が。



『この時間が、その思いをすべて破壊するのか。』







否、そんなものは認められない。

時間の否定が自らを破壊し消滅させると言うのであれば、あの黒剣士が言ったように、そんな運命にだって、俺は抗って見せる。

こんなところで、敵に殺されてはいけない。

あの槍兵が言ったように、己が理想が誤ったものでないとするのなら、それを成就できるように…また振り出しに戻ったとしても、やり直しが何度もあったとしても―――――――。






―――――多くの人の幸せを掴むために。この気持ちは、決して譲れない。









そうして、瀕死の彼は僅かながらの可能性、もはや奇跡とも言えるものを信じ、敵に殺される結末を否定し、自ら崖下に飛び込んだ。

海面に打ち付けられる高さは10メートルを超える。

決して低い崖ではない、ウェストノーズの海の流れに飲み込まれながら、彼はその姿を敵の前から消すのであった。



まだ、死ぬ時ではない。

これが助かる為の、唯一の可能性だと、信じながら。






2-24. 退場






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