2-23. 死地での激戦(Ⅱ)
―――――――国盗りの戦争に興味は無い。
月下の夜、彼の目の前に突如現れた槍兵オーディル。
敵でありながら少しだけの時間、槍も剣も交えずに話すことが出来た。
彼はオーディルの人となりをそこで少し理解したような気がした。
マホトラスが追い求めている理想がどのようなものであるのかは、正確には分からない。
だが、かの地に所属する多くの兵士たちは、恐らく何かを夢見て、それを理想としてウェールズへの戦闘を仕掛けたのだろう。
かつての、ウェールズ王国が建国される前の自分たちのように。
だが。
オーディルはそんなものに興味は無いと言った。
自分はただ強い奴と戦えるのならそれでいい、と。
国の為に戦うつもりはないが、自分が戦うことで奴らは勝手に国の為だと思い込んでいる。
そこに彼の人となりを見つけた気がしたのだ。
国に忠を尽くす訳でも無く、兵士として大袈裟に貢献しようとしている訳でも無い。
この荒んだ時代の中で、彼はそれでも兵士として自分自身の為になる楽しみを見出そうとしていた。
その一つが、強い人と戦うということなのだろう。
オーディルが魔術師であることも確定された訳だが、どうも魔術師らしからぬというか、この槍兵に魔術師という言葉はあまり似合わないのかもしれない。
とはいえ、敵であることに変わりはない。
そして処刑宣告が下され、その時刻は明朝だと言う。
「………」
借り家の中。
幾つかの静かな寝息が聞こえること以外は、静寂に包まれた空間。
あまりの疲れからなのか、ここ数日深く眠りこける人が多い。
それはそれで良いことだが、一方で彼はその眠りにつくことが出来ずにいた。
数時間前に帰って来て、今までずっと壁に背中をつけながら、ずっと座っていた。
右手で抱えるように剣を持ち、まるでいつでも鞘から抜き出せるようにしている彼。
窓の外を見ると、徐々に空の色が漆黒の模様から明るい色に変化し始めているのが分かる。
夜明けが近づいている。
本当ならば一度でも睡眠をとっておくべきところだが、それも出来ない。
こういう時、何をすべきだろうか。
そう思いながらも、暫くの時間はその場で座って、ただ考え事をしていた。
何となく察するところがある。
この先どうなってしまうのかを。
それに対し抗いたいという気持ちもある。
――――――そんな人生はただの道具だ。
あの男の言葉が蘇ってくる。
ただ使役され利用され、その果てに殺されるのが分かっている人生など、ただの道具だと。
誰かの為にと剣を振り続けた末路を諭したその言葉は、決して分からなくはない。
何故なら、俺はその前例を知っている。
目の前でそれを示してくれた男がいたから。
――――――私は純粋に人の為になりたいと思っている。
あの男の言葉も蘇ってくる。
遥か昔…というほどでも無いのかもしれないけれど、昔のこと。
家を放ってどこへ行っていたのかと思えば、そう。
自分自身が今行っていることを、自分から離れた場所でし続けていたんだろうと。
だが恐らく、道半ばであの男も斃れてしまったんだろう。
本当はもっと多くの成し遂げるべきことがあった、だがそれを残すどころか取りこぼしてしまった。
自分はその回収を進んで行っているのではないだろうか。
あの男の背中を追い………男が取りこぼした形見を拾い体現するために。
これから戦いが起ころうとしているのに、何て美しい空なのだろうか。
夜明けを迎え太陽が昇ってきたころ、暁に染まる綺麗な空と、いまだ暗闇を残しつつある空とが交差し、間に浮かぶ白い雲が全体を引き立て幻想的な空間を演出していた。
少しばかり風が吹き、本来戦いとは無縁であった大地の草木を揺らしていく。
静かな大地に風が吹き抜ける音が聞こえる。
その時、彼は外周警備を担当する幾人かの兵士と一緒にいた。
結局眠ることをせず、夜明けと同時にこの場所までやってきた。
理由は明白である。
「…………」
少しばかり距離を置いて、その男は現れた。
更に距離を置き、その男の後ろには多くの、同じ格好をした兵士たちがいる。
彼や警備の兵士が見たところ、その数はおよそ60名程度。
もしその数が本当だとすれば、自分たちよりも多い人数の兵士がそこにいることになるだろう。
技量も力量も上であれば、厳しい戦いが予想される。
警備を担当する若い兵士の顔も強張っていた。当然のことだろう。
兵士を見ただけでも絶望的だというのに、彼らの先頭には深い紺色の上下服装と一部分をカバーする銀色のアーマー、そして長い槍を持った威圧感満載の男が立っているのだから。
「アトリさん………」
「今すぐ兵士たちを町に展開させるように。あの男は、俺が引き受けます」
一目で見て強者だというのが分かるというのも、恐怖感を増長させる原因の一つだっただろう。
だが、だと言うのにアトリの視線は鋭くも、その表情は変わらなかった。
恐怖も絶望も感じさせない、一人の男として全力で立ち向かおうとしているのが、こちらも一目でわかる。
若い警備の兵士たちは、その場からすぐに走り去り町まで戻っていく。
夜明けと共に現れた残党狩り、マホトラスの部隊がウェストノーズにやってきた。
彼らを相手にどこまで善戦できるかはもう分からない。
だが、まだ民たちもあの町に残っている。
戦いながら逃がすというのは現実的な策ではないし、恐らく不可能だろう。
ならば、その結果がどうあれ町で迎撃を取る以外に方法は無い。
「てめえらは町に行け。ここは俺がやる」
すると、今度はオーディルがアトリと全く同じ趣旨の発言を兵士たちにする。
それを聞いた兵士たちの幾人かが声を出し了解の意を表明し、そして走り出す。
ウェールズの警備兵たちが町に戻っていった30秒後、駆け足でマホトラスの兵士たちが行く。
武装と防具がぶつかり合う音を鳴らしながら、彼らは指一本アトリに触れることなく、その横を通り過ぎて行く。
真正面を見ながら、横から背後に敵の兵士たちが流れて行く光景をこうも長く見るのは初めてだったかもしれない。
本当であれば止めるべきところ。
だがあまりに多勢であるために、そんなことしたところですぐに殺されるだろう。
それよりも、今は目の前のこの男を止めなくてはならない。
「ほう、何の準備も無しって訳ではないようだが」
「そこまで大それたことは考えていない。ここまで追い詰められたところで、逃げ場も無いからな」
「はっ、正しい考えだな。皮肉にもこの情勢が理解出来てるってことか」
部隊の規模は、ヤヴィノスクで見た時よりも遥かに少ない。
この時点でやはりマホトラス軍は中央部に主力部隊を送ったのだろうと推測できる。
それが分かっただけでも、アトリは今後の動向を予測することが出来ていた。
主力部隊が来る方向へ逃げるのではなく、戦地から遠ざかる西側海岸線沿いに逃げる。
アトリの判断が正しかったかどうかは、この戦い以後暫くして分かることだろう。
少なくともこの段階では、大勢による一方的な虐殺などということは起こり得ない。
そう信じながら、追い詰められたこの町で戦いを展開することを選んだ。
いや、寧ろそうする他なかったが。
「ただでは済まさない」
「やってみろよ。前回から時間は経ったが、どれほど強くなったか見てやる」
………。
警備の兵士たちが大急ぎで町まで戻り、町の中で大声を出す。
敵襲、敵襲。
悪魔の言葉にも聞こえるその悲痛な叫びが町中を覆い尽くす。
そしてそれを聞いた多くの兵士たちが、次々と家の中から出てきて、剣を取る。
中には急ぎ過ぎて防具を身に着けないまま出てきた兵士もいる。
寝ている兵士もいたが、周りの声に反応して起き上がり、そしてすぐに頭をフル回転させる。
やはり、この時が来てしまったと。
いずれ戦いが起きるのは誰の目にも明らかだったが、この町が戦場となる。
民たちも、その声に反応して起き上がった。
兵士たちの忙しい声が飛び交う。
「女子供はとにかく逃がせ!」
「戦える者は武器を……」
「すぐ目の前まで来ているぞ!!」
兵士たちは剣を取り、すぐにやってきたマホトラスの部隊のところへ向かう。
民たちは急いで身支度を整えて逃げ始める。
その時間を稼ぐのも兵士たちの役目だ。
「来やがったか………お前ら分かっているな!?」
「はい!!!」
アトリと共に兵士たちや民たちを引き連れてきた兵士、ジャスタも町の外に出る。
そして行き交う兵士たちに声をかけながら戦闘準備をする。
彼の声に兵士たちも反応し、その言葉がどういう意味を持つのかを理解させた。
既にこの場所は『死地』。
自治領地同士のそれとは違うが、戦場と化し何らかの結末を迎えるであろう死地となった。
戦う意味など人それぞれかもしれない。
だが兵士として成し遂げなければならないものもある。そのために戦わなければならない時もある。
たとえそれが厳しい戦いで、幾人もの犠牲を出すものであったとしても。
「時間は稼げよ……!」
こうして、大陸王国領西側、海岸線沿いに位置するウェストノーズで、その戦闘は始まる。
多くの兵士を相手にしなければならないウェールズと、残党部隊を討伐する任務を与えられたマホトラス。
防戦と攻撃戦とが入り乱れ、一気に戦闘は勃発した。
数の上で既に不利な状況であるウェールズ王国軍は、町の手前でマホトラス軍と対峙し、食い止めながら戦闘を始めて行く。
民たちを出来る限り遠くへ逃がすため、その時間稼ぎをするために。
1分でも、10分でも、1時間でも。
兵士が残り続ける限り、戦いも継続される。
そうしなければ、民を護るために戦う兵士としての、戦う意味が成し遂げられない。
絶対に譲れない境界線の手前で、激戦が繰り広げられる。
「てやあぁぁ!!!!」
「はっ…!!!」
一つ、二つ、三つ。
確実に大きな打撃音を周囲に刻み込んでいく。
周りの空間が綺麗な大地であることなど、この二人には関係ない。
空がたとえ戦場に似合わぬ美しいものであったとしても、この二人には関係ない。
今はただ、目の前の「明確な敵」を打ち砕く、全力で阻止するために、この戦いの意味は存在していた。
槍兵はもちろん槍を、もう一人の少年は剣を持ち、一撃一撃を打ち込み、打ち込まれていく。
激しい槍捌きに対抗し得る剣戟。
その打ち合いはこの場では誰も見ていなかったものだが、常人が成せる業とはかけ離れている。
アトリが後ろに押されながら防御を布いているのに対し、積極的に前進して相手を押し出すオーディル。
もし普通の人がその光景を見れば、アトリが押されているのだと判断することが出来るだろう。
だが二人の打ち合いはお互いに引くところを知らない。
「格段に強くなったな!」
「………!!」
オーディルの一言で自信がつく訳でも無いが、自分自身でも理解していた。
前、あの月下の夜に対峙したあの時よりも、既に戦闘時間は長い。
自分の放つ一撃が相手を捉えられていないのは相変わらずだが、その一撃一撃に相手が防御をするようになっている。
ただ単純にあしらわれているのではない。
確かに彼は後退しながら、彼の得意とする防御で相手の攻撃を受け止め続けている。
だが、その最中に相手の懐に何度も打ち込みを入れることが出来ている。
命中すれば当然有効打となる。
剣に力を籠めるが決して力んでいる訳ではなく、素早くかつ力強く相手の槍に一撃を加えている。
オーディルはそんなアトリに対し称賛の言葉を短くそう伝えたのだ。
そして、その言葉を聞くまでも無く、その槍兵の表情が何よりそれを物語っている。
「はあぁっ!!」
「くっ………!!」
槍兵は、笑っている。
目の前のこの戦いに対して笑みを浮かべている。
それは余裕を示すような表情とは、また別のものであった。
彼が今まで見たことのなかったオーディルの姿。
そこに、彼の人となりが示した彼自身の目的がよく見えてくる。
この荒んだ時代の中で楽しみを見出す。
それは、強い敵と戦い合うこと。
決して人殺しを楽しむものではなく、ただ純粋に強さを追い求める。
その姿が今目の前にあり、アトリはその姿を受け止め全力で立ち塞がろうとしている。
敵でありながら周りの敵兵士とは異なる雰囲気を、空気を、兵士としての気を持つオーディル。
ここで自分が倒されれば、確実に味方兵士も殺されるだろう。
時間を稼ぐことが目的であったとしても、北西部に配置した部隊は全滅することになる。
可能であれば、それは避けたいところだ。
戦いを楽しんでいるであろうこの男を防ぎ得るほどの力を、発揮したい。
明確な敵であることを認識していながら、明確な差別的敵意を向けることをしなかったアトリ。
オーディルの、この戦いにおける意味と人となりとが、彼の認識に新たな要素を見出している。
それでも、戦いは避けられない。
この槍兵が言うように、お互いに相容れないのであれば排除するしかない。
今まで彼とてその道を歩み続けてきた。
その歩みの果て、ここまで追い詰められたのだ。
右に、左に。
時に回転しながら、時にぶつかり合う。
時に頭上を取られ、時に下から剣を突き上げる。
一撃一撃が、迸る。
「っ……はぁっ……」
しかし、明らかに息が上がるのが速いのはアトリ。
それに対しオーディルも汗を流しつつもまだ気にするほど疲れを見せている訳でも無かった。
全力で打ち合っているにも関わらず、その剣戟に一切のブレがないお互い。
だからこそ、命中すれば深手を負う可能性は十分にある。
一度間合いが開き、アトリは息を整える。
オーディルは槍の石突を地面につけてその場で止まっていた。
「惜しいな。これだけ戦える奴があと何人もいれば、もっと状況は変わっていただろう」
「……さて、どうかな。俺以外にも他で善戦している人はいるだろう」
「かもな。誰かを排除しなければ生きていけない、なんて世の中さえなければ、俺たちだって別の形で会ってたかもしれねえのになあ」
もし、そうだった時は。
それはそれで面白い出会いがあったのかもしれないが、あくまでもしもの話。
その場合は今の自分の生き方ではない、もっと別の生き方をしていたのだろう。
だがそれは考え得るものではない。
仮定の話を楽しんだところで還って来るのは寂しさだけだ。
そうなっていれば良かったなどという考え方。
もしマホトラスなんてものが存在しなければ、と考えるのと同義だろう。
「そうでなかったとしたら、おめえも人助けが戦う目的だ、なんて思いもしなかったかもしれねえな」
「……そうかもしれない。けれど、俺はこの生き方が誤っていたものだとは思いたくない。今ここに俺がいるのは、俺自身決して譲れないものを持ち続けていたからだ」
「…そうか」
一つ、オーディルは溜息をつく。
彼の言う決して譲れないものというのは、彼が兵士として戦うことの真意が決して揺らがないものとして存在し続けているのだろう。
槍兵はすぐにそう察することが出来た。
そして同時に思う。
自分とは正反対の考え方を持つ者も、この世の中にはいるのだと。
このアトリとかいう男のように、他人さえ良ければ自分は何でも、というレベルで自己犠牲を働いている人も中にはいるのだろう。
今は良いさ。
けどな、それが間違いだと後悔した後はどうなる?
そう心の中で一人、誰にも聞こえない声を通しながら、
次の瞬間。
オーディルは槍に力を籠める。
一瞬だけ強い風がその付近に広がっていき、そして槍を纏う尋常ならざる空気が表出する。
幾度か白い光を上げながら、槍はその色を変えて行く。
普段はただの黒色に近い全体像が、この一瞬から深い紺色へと変化していく。
槍の穂からは可視出来るほどの魔力が表出していく。
アトリはそれをハッキリと確認することが出来た。
既に確証を得ていること。
この槍兵は魔術師で、今この瞬間ハッキリと魔力の行使を感じ取ることが出来た。
今まで打ち合いが互角に近いほど行えていたのは、槍兵が魔力を行使していなかったから。
つまり、自分の技量を図られていたのだろう。
「………!」
「ならこの俺がこの手で教えてやる」
「………?」
――――――それが甘ったれた考えってことをな………!!!
そう。
槍兵はそんな人となりと信条を持つアトリに、身を以て教えようとしていた。
それが自分の為にはならず、アトリの為になるだけだと分かっていながら。
刹那。
その槍は獣の如き敏捷さで、アトリの心臓目がけて一閃する。
2-23. 死地での激戦(Ⅲ)




